シンジはネルフ内の病院で目を覚ました。ぼうっとして天井を見つめていたが、しばらくして何とはなしに呟く。

「……知らない……天井だ。」

 

第参話、見知らぬ、天井

 

シンジは額に手を当てると先の戦闘の事を思い出そうとしていた。

(使徒が爆発して……そうか、あの後気を失ったのか… !綾波レイ、あの娘は……?)

レイの事を思い出し、いてもたってもいられなくなったシンジはベッドから降りるとふらつく足で病室を出た。

壁沿いの手すりを掴んで歩きながらレイの病室を探すシンジ。

(綾波のケガを考えると、このあたりじゃないと思うけど…)

初めてレイを見たときのことを思い出す。ストレッチャーに寝かされ、通り過ぎていったレイ。抱き上げた時、今にも消えてしまいそうな儚さを感じさせたレイ。その記憶の中の光景が、シンジに「綾波を守りたい」と強く感じさせる。

結局、レイの病室を見つけたのは三十分も過ぎた後だった。実際にはそんなに遠かったわけではないのだが、病み上がりのシンジにはどんなに急いでもこれが限界だったのだ。しっとりと濡れた額を拭い、息を整えるシンジ。

「よし」

小さく呟いて自動ドアの「開」ボタンを押す。

 ぷしゅっ

微かな空気音とともに自動ドアが開いていく。

真っ先に幾つかの精密機械に囲まれて横たわるレイの姿が目に入った。思っていたよりも怪我の具合がいい様子なのを見てほっとするシンジ。

「あ、綾波、入るよ…」

申し訳程度にそう呟いて、シンジはレイのベッドの横に立った。壁に立てかけてあったパイプ椅子をひろげて座ると、レイの横顔をじっと見つめる。

(寝てるのかな……)

それを確認するかのようにシンジはレイの顔を覗き込んだ。

カーテン越しに入ってくる人工太陽の光に当たってレイの白い肌が柔らかく輝いている。

(綺麗だ…)

無意識にそう思ってしまうほど、その少女は美しかった。

「まるで妖精みたいだ……」

「……何…?」

「!!!」

気が付くとレイの紅い瞳がこちらを見据えている。

「あ…あのっ、ご、ごめん。起きてたの知らなくて。じゃなくて、え、えっと……」

(き、聞かれた?!)

真っ赤になってうろたえるシンジ。流石に「妖精」とまでは普通言えない。

「あなた、誰……?」

そんなシンジが見えていないかのように、レイは問いかけた。

「あ、ぼ、僕は碇シンジ。よろしく。」

「碇…碇司令の子供……?」

「う、うん…」

「………そう…………」

呟きとともに立ち上がろうとするレイ、だが衰弱した体は思うようにはならずベッドからずり落ちそうになる。

「あぶないっ」

シンジはレイを抱き締めると、そのままレイをベッドに戻した。

「まだ寝てなくちゃ駄目だよ!綾波。」

「……離して……」

辛そうに呟くと、無理に起きようとするレイ。シンジはレイの肩を握る腕に力をいれた。

「…痛い……」

「ごめん、でもまだ寝ててよ。あの使徒っていうのはもう僕が倒したから、綾波が無理して戦うコトなんてないんだ。もっと自分を大切にしてよ……」

そこまで言うとシンジは俯いた。その頬につたった涙がレイの唇に落ちる。

「……………」

 

少しの間そのまま泣いた後、ばつが悪そうにシンジが言った。

「……ごめん、でも綾波が無事で良かった。僕もう行くね、また来てもいいかな?」

(こくん)

頷くレイ。

「良かった、迷惑かと思ったから。じゃあ、もう起きないようにね……」

言い残し、シンジは病室を出る。

レイはシンジが出ていったドアをその深紅の瞳で不思議そうに見つめていた。

 

いつまでも

 

 

 

 

 

 

 

 

「シ・ン・ジ・くう〜ん(はあと)」

レイの病室から出るとにやにや笑いのミサトがシンジを待ち構えていた。

「な、何してるんですか、ミサトさん。」

「シンジ君とレイのお見舞い。でもシンジ君がレイの病室にいるなんてね〜。で、どうだったの? 愛しのレイちゃんとの再会は?」

「い…愛しのって……そんなんじゃありませんよ。」

シンジの耳はもう真っ赤だ。ミサトは楽しくて仕様がないというふうで、更に追い打ちをかける。

「あらそう?じゃあ『綾波を守るんだあああっっ』って叫んでたのは誰だったのかなあ? シンジ君?」

「ええっ!聞こえてたんですか?!」

「聞こえてたも何も発令所中に響いてたわよ、あなたの声。それにしても一目惚れって……」

なにやらミサトが喋っているようだが、そんな言葉なんぞ聞こえるはずもなく、シンジは頭の中がまっ白になっていた。

自身が何を口走っていたのか、冷静に考えてみるとかなり凄いことを叫んでいたことに今さらながら気がついたからである。

「あ、そうそうシンジ君、住む場所はどうするつもり?」

シンジが石化状態から回復するのを見計らって、ミサトは声を掛けた。

口調は変わらないが、その表情には硬いものが浮かんでいる。

「え、あ……父さんからはなにも………」

「そう、やっぱり……ま、あの司令じゃね……。シンジ君、あなたさえ良ければ私の家に来ない?」

「え……いいんですか?」

「別にいいわよ。実はもう副司令から許可もらってるし。それともシンジ君、私と一緒で何かまずいことでもあるの?」

「ええっ。」

赤面するシンジ。それを見てミサトはまたにやりと笑うとさらに後を続ける。

「あ〜ら、そうよね。シンジ君も男の子だもんね。襲われたらど〜しましょ。」

「そんなことしませんっ!!」

本気で真っ赤になって叫ぶシンジ。さすがに満足したのかからかうのをやめてミサトが言う。

「冗談よ、冗談。さて、今日はパーっとやらなくっちゃあね。シンジ君の歓迎会。」

そう言うと、ミサトはシンジを連れて駐車場へと歩いていった。

この後彼はネルフ内では知らない者のいない「葛城ジェットコースター:ドリフト☆スパイラル(なんじゃそりゃ!!)」の恐ろしさを身をもって体験する事になるのであった。

合掌。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「碇、シンジ君とレイの見舞いには行かないのか?」

ネルフにある総司令室。滅多に訪れる者のいないその広い空間で、冬月は目の前に座るゲンドウに問いかけた。

「……シンジとレイの邪魔をするつもりはない。」

顔の前で手を組んだ「いつものポーズ」で素っ気なく答えるゲンドウ。それを気にするふうも無く冬月は続けた。

「シンジ君はともかく、レイはあの性格だぞ。そんなに早く「兄妹」になれるとは思えんがな。」

(なにしろお互いに知らないのだからな…そう、「兄妹」にはなれんよ、「兄妹」には……)

そう考え、邪悪な笑みを浮かべる冬月、案外そういう人間なのかもしれない。

「…そうだな、レイはもっと可愛い女の子に育つ予定だったのだが……」

(どこで育て方を間違えたのだろう?)

第三者からすればすぐにわかるであろう問いを自身に問うゲンドウ。

ゲンドウの心を読んだ冬月が代わりに答える。

「一日中LCLの中にほったらかしでは無理も無いと思うぞ、碇。」

「……そうなのか…?」

「ああ」

大体においてゲンドウに教育について期待すること自体間違っているのである。

むしろゲンドウと離れて育てられたシンジは運が良かったと言うべきであろう。

「そう言えば委員会のほうはどうだった?どうせまた老人達に小言を言われたのだろう?」

「ああ、人類補完計画が遅れているとも言ってきた。元々こちらにはそんなものを発動させる気は無いというのに……」

「うむ、生にすがりつく老人どもに、子供達の未来まで奪う権利は無いからな。」

 

 

「…………あなたが居てくれて助かりますよ、冬月先生……」

「……それが初号機に宿ったユイ君の望みでもあることだしな。」

初めて耳にするゲンドウの感謝の言葉に多少、いや、かなり面食らいながら、ユイの名を出す事で自らの狼狽を気取られまいとする冬月。

この時の二人の顔は先程までの冴えない初老の男と変態髭親父のそれではなく、ただ年をとるだけでは得られないダンディーな魅力に溢れた男の顔であった。

 

「…ところで碇、さっき葛城一尉がシンジ君を預かりたいと言ってきてな……」

「!!……ふ、冬月。も、もしかして………」

「うむ、承諾した。」

「ぬうわあにいいいいい〜〜〜!!!」

おまえには悪いがシンジ君の事を考えるとやはりいきなりの同居は不味いだろうと思ってな。」

「何勝手に決めてやがんだこのクソジジイ〜〜っっっ!!!!」

と、叫びたいのを我慢しつつ「そうか」と一言だけ呟いたゲンドウ。しかし彼は忘れていたのだ。その「クソジジイ」が彼の心を読む能力の持ち主だということを。そのことに気付いたとき、すでに冬月のこめかみには青筋が浮かんでいた。

蛇足かもしれないがその数分後、総司令室から聞こえてくる怒号や罵声に驚いた警備員達がフル装備で突入するという事実があったことだけ述べておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お邪魔します……」

シンジはミサトにつれられて、これから彼の家となるミサトのマンションに来ていた。

「違うでしょ、シンジ君。ここは あ・な・たの家なのよ。」

そう言ってジト目でシンジを見るミサト。

数秒後、ミサトが何を求めているか理解したシンジは多少照れながらも言い直す。

「た、ただいま……」

「お帰り、シンジ君。」

 

 

そこは正に戦場であった。ただし敵はありとあらゆる種類のゴミであったが。

(これを殲滅するのは使徒より大変かも………)

そんなことを考えながら、最大の激戦区であるリビングを蒼い顔で見渡すシンジ。後ろからミサトが声を掛ける。

「ちょっち散らかってるけど気にしないでね〜。」

(こ…これが……「ちょっち」?)

家主であるミサトとの感性のズレにこれからの生活の苦難を予感しつつ、シンジはゴミとの死闘を開始したのであった。

 

「シンジ君、晩ご飯できたわよ。」

リビングのゴミをあらかた片づけ終わり、ゴミを整理している(結局ゴミ袋5袋分にもなった)シンジに向かってミサトが言った。

「悪いわね〜、片づけさしちゃって。」

全然悪く思ってなさそうな口調で言うと、思いっきりビールをあおるミサト。

シンジはその豪快な飲みっぷりに半ば呆れ、半ば感心して見とれていたが気を取り直して言う。

「いえ、構いませんよ。家事は嫌いじゃないですし……」

「そうなの?それじゃあ明日から家事全般ぜ〜んぶやってもらおうかな〜。」

「ええ?!」

「冗談よ冗談、ホントシンちゃんってからかいがいがあるわ〜。ほら、そんなにブーたれてないで、取り敢えずご飯食べて機嫌直して、ね。せっかく私がシンちゃんの為に作ったんだから。」

そう言われて机の上に並ぶ料理(とおぼしきもの)を見た瞬間、彼は理解した。

すなわち、目の前に座る葛城ミサトという女性には「生活能力」というものが決定的に欠如しているという事を。

「……明日から料理だけでも僕が作ります……」

「そう?気使わなくていいのに。じゃご飯食べたらお風呂に入って来なさい、風呂は命の洗濯よ(はあと)」

シンジの疲れた笑みを見て心配したのか努めて明るくミサトが言う。

……もちろん原因は彼女にあるのだが………

夕食を食べ終わり(途中何度かシンジの顔が土気色やらなんやらに変わったりしたが)風呂に向かうシンジを見送るとビール片手にミサトは一人呟いた。

「あの時私はシンジ君を道具としか見ていなかった。つれてきたのはその埋め合わせ? …自己満足ね…」

自嘲気味に最後の言葉を紡いだとき、風呂場からシンジの悲鳴が聞こえた。

数瞬後。

「ミミミミミサトさんっ!!」

全裸のシンジがリビングに飛び込んできた。

「お、お風呂にペ、ペペペンギンが……」

そこまで話したとき、シンジの股をすり抜けて当のペンギンが姿を現した。

一声クエッと鳴くと悠然と冷蔵庫まで歩いてゆき、自分で扉を開けて冷蔵庫の中へと姿を消す。

口をパクパクさせているシンジを眺めながら、新しくビールを開けると事も無げにミサトは言った。

「ああ、まだ話して無かったわね。彼はペンペン、新種の温泉ペンギン。もう一人の「同居人」よ。」

あまりの事に口をあんぐり開けて硬直するシンジ。そんな彼にミサトは冷静に話しかける。

「……前ぐらい隠したら?」

「う、うわっ!!!」

言われて初めて自分の格好に気付いたのか、シンジは真っ赤になると慌ててミサトの視界から姿を消した。 

「……でも、ま、こんなのも悪くないかもね。」

にやりと笑ってそう呟くと、ミサトは残ったビールを一気に喉へと流し込んだのだった。

 

 

 

「……今日は色々な事があったな……」

自分にあてがわれた部屋のベッドに横たわりながらシンジはそう呟いた。

(この街に来て、綾波に会って、エヴァンゲリオンに乗って……あ、これは昨日のことか)

そこまで考えるとシンジは目を閉じた。

瞼にレイの紅い瞳が写される。

(綾波……明日になったらまた見舞いに行こう。楽しみだな……)

シンジはレイのことを考えながら徐々に眠りの淵へと落ちていった。

 

明日が楽しみ。

 

それは少年にとって生まれて初めて使う言葉であったかもしれなかった。

 

 

 

 

 


2002.3/4 加筆修正(少しは読みやすくなっただろうか……)

  

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