「目標、光学で捕捉。領海内に侵入しました。」
ゲンドウが不在の今、ネルフの最高指揮官である冬月コウゾウはオペレーターの報告を聞くと、いつもよりも意識して緊張した声を出した。
「総員、第一種戦闘配置。」
シンジとレイはネルフへ直行するモノレールが待機している駅に向かって走っていた。
「綾波、大丈夫?」
病み上がりのレイを心配してシンジが声を掛ける。
「……大丈夫……」
明らかに大丈夫でなさそうな声で答えるレイ。昨日まで二週間も寝たきりだったのだ、辛くない筈はない。
「少し歩いていこう、綾波。」
そう言って立ち止まるシンジ。レイのほうを振り向いた途端、レイが倒れかかってきた。
「綾波?!」
レイの瞳は閉じられ、荒く息をしている。シンジは慌てつつも優しく肩を抱くと近くのベンチにレイを座らせた。
自分もレイの横に座るとレイを支えるように体を近づける。そして口を開いた。
「……ごめん。綾波の事、考えなくちゃいけなかったのに……」
今にも泣き出しそうなシンジの声に反応して、レイはうっすらと瞼を開いた。
「…碇君は悪くない……私が碇君と一緒にいたかったから、だから……」
息が苦しくなったのかそこで言い淀むレイ。その健気な言葉を聞いてシンジは唇を噛み締める。
「綾波、ここで待ってて。僕が先に行ってミサトさんに迎えに来てくれるように頼むから。」
立ち上がって今にも走って行こうとするシンジ。だが走り出そうとして、レイがシャツの裾を握っていることに気づく。
「…大丈夫だから……私も一緒に行く……」
シンジを上目遣いで見上げるその瞳にはどこか懇願するような輝きが宿っている。そしてシンジがそんなレイの頼みを無下にできるような人間では無いことは承知の通りである。第一シンジはレイを守る為にエヴァに乗ると決めたのだ。それなのにレイが悲しむような事をしては意味がない。
「判ったよ、綾波。無理しないでゆっくり歩いていこう。辛かったら言ってね。」
結局、シンジ達がネルフに到着したのはそれから三十分程後になった。
「遅いわよ、二人とも!」
「……すみません……」
シンジ達の姿をみるなり大声で怒鳴るミサトと条件反射のように謝るシンジ。
少しボリュームを下げるとミサトは続けて言う。
「言い訳は聞かないわ。シンジ君、早くプラグスーツに着替えて。」
「はい、あの、綾波の事なんですけど……」
「わかってるわ。レイを医務室へ、早く!」
「え……」
シンジ達チルドレンはその安全保持また機密保持のため、常にMAGIによって監視されている。だがシンジはその事を知らなかった。(レイは知っていたが)
何故その事を知っているのか、シンジがそう聞こうとしたときレイがシンジのシャツを引っ張った。
「碇君……」
「何? 綾波……」
ミサトに問おうとした質問の事で上の空で答えたシンジ。だがレイの表情を見て、その声も詰まってしまった。
他の人間から見ればそれはいつもの無表情であっただろう。しかしシンジにはわかったのだ。レイのその思い詰めたような表情が。
「……碇君……死なないで……帰ってきて………」
言いながらレイの紅い瞳からは涙が溢れ出ていた。
(……綾波………)
気が付くとシンジはレイの手を握りしめていた。そして言う。
「大丈夫、僕は戻ってくるから……だから安心して………」
「ほら、いつまでやってるの。シンジ君、早くして!」
口調とは裏腹に優しい表情で、ミサトが発破をかけた。
(大丈夫よ、レイ。シンジ君は絶対死なせないわ)
戦場に「絶対」などという言葉は無い。それを誰よりも知っているはずのミサトでさえそう思ったのだ。
この場にいる誰もがミサトと同じ気持ちだっただろう。
確かに今のレイの仕草にはミサトやリツコを始め、発令所にいた全員が驚いていた。これまでのレイを知っているだけに無理もないと言える。誰とも必要以上には関わらず、何を考えているのか判らない少女。
だがそれは既に過去のことである。
なにより今のレイを見れば誰だろうが力になってあげたいと思うのは確実だった。
それは発令所の一段高い場所にいるこの初老の男にしても同じである。だが彼が考えていたのがそれだけでない事もまた確実だった。普段の彼を知る者が見たら卒倒してしまいそうな邪悪なにやにや笑いがそれを証明している。
「……ふふふ……シンジ君とレイの仲は「私の」シナリオ通りに発展しているな………」
(それにしてもシンジ君があんなに積極的なのは誤算だったな。碇の奴が出張中で良かった、まだあいつが知るには時期尚早だからな……)
使徒が接近しているこの非常時に、ネルフの現最高権力者がこんな事を考えているとは誰が想像しただろう。
にやにや笑いの冬月の眼下では作業員ら影の(真の?)功労者達によって初号機の発進準備が進んでいた。
…………
………………………
……………………………………
「この時を逃しては、或いは永久に! ……なあ、頼むよトウジ。ロック外すの手伝ってくれ。」
「ア・ホ! 外に出たら死んでまうで。」
「ここにいたって判らないよ、どうせ死ぬなら見てからがいい!」
第2中学校2年A組が避難しているシェルター。その男子専用トイレ。決して綺麗とは言えないその場所で口論する二つの影があった。
トウジとケンスケである。
それからしばらく二人の口論は続いていたが、やがて決着したのかトウジが呆れたように肩をすくめた。
「まったく…ホンマお前はおのれの欲望に正直な奴やのう。」
それを聞いたケンスケはただ無邪気に笑うのみだった。
ケージでは今まさに初号機のエントリーが始まろうとしていた。
ミサトはガラス越しにその作業を眺めながら背後のリツコに話しかけた。
「レイのあんな顔初めて見たわ。ちょっち驚いちゃった。」
「私も初めて見たわ、あの子も女の子なのね。」
モニターをチェックしながらリツコはそう答える。その答えに以外そうな口調で問いかけるミサト。
「初めてって……アンタがレイを育てたって聞いたけど……?」
「一年前からよ。それより前の経歴は私も知らないわ。」
(それでも一年間「母親」をやってきたつもりだったけど……私には無理だったみたいね。)
そう考え、リツコは自嘲気味に笑みを浮かべた。その視界の端にレイの姿が映る。
驚いたミサトが声をあげた。
「レイ、何してるの。寝てなくちゃ駄目じゃない。」
「いいわ、レイ。ここにいなさい。」
そのリツコの言葉に驚くミサト。無表情なのではっきりとはわからないが、レイも驚いているようだ。
「シンジ君のことが心配なんでしょう? だったらここで見てなさい。」
リツコはレイに椅子を勧めた。きょとんとした様子で従うレイ。
二人を眺めていたミサトは、思わず失笑した。
(結構「母親」してるじゃないの…)
その時、初号機の起動準備が完了した。
同時に初号機との回線が繋がる、すかさず簡単にではあるが、リツコがシンジに作戦を説明する。
「よくって、シンジ君。地上に出たらすぐにパレットの一斉射、練習通り。いけるわね。」
「わかりました、やってみます。」
エントリープラグ内のシンジから答えが返ってきた。続けてミサトが声をかける。
「シンジ君、レイも見てるんだから格好いい所見せなさいよ。」
「えっ、綾波もそこに居るんですか?」
その問いに答える代わりにミサトは言った。
「初号機、発進。」
「ミサト、パイロットの精神を乱すような事は言わないでくれる?」
初号機との回線を一時的に切ると、リツコは眉をひそめてミサトをたしなめた。
この状態では初号機からの音声は聞くことができるが、発令所の音声は初号機に届かない。ミサトはリツコの問いに答えて言った。
「シンジ君にとってはレイがいるって教えといたほうがいいのよ、あなたにもわかってるでしょ。それよりシンジ君のシンクロ率はどうなの?」
「………79.8%、先の戦闘の時よりは下がっているけど素晴らしい数値よ。」
リツコの言葉に満足げに頷くとモニターを見上げるミサト。そこには今まさに射出されようとする初号機が映っていた。
そして、地上。
シンジは先ほどリツコに言われた通り、射出されてすぐライフルを構えると、目の前の使徒に向かってトリガーを引いた。
目の前のイカのようなフォルムを持った使徒が見る見るうちに爆炎に包まれていく、普通に考えればもうかなりのダメージを受けているはずだ。
シンジもそう思った。それが油断につながったのかもしれない。突如爆炎の中から白い触手のようなものが飛び出してくると、隣のビルごとライフルのバレルを切断してしまった。もしシンジが瞬時に上体をそらさなければ初号機も同じ運命を辿っていただろう。
「シンジ君、ライフルは効かないわ。プログナイフで戦って!」
エントリープラグ内に響くミサトの声。だがシンジは恐怖のあまりそれに答えることすらできない。
同時に尻餅をついたまま初号機の動きも止まってしまっていた。使徒はその機を逃さず、停止した初号機の足を掴むとそのまま引きずりまわし、何度も地面に叩きつけた。
ズガァン!! ズガァァン!! ズガァァァン!!!
初号機が地面に落下するたびにその音が発令所に木霊する、それはまるで振動をともなっているのではないかと錯覚させるほどである。
心配によってか、それともシンジを失うという恐怖によってか、レイは思わず声を張り上げていた。
「碇君!!……」
その声がシンジの恐怖を振り払った。
(綾波……そうだ、怖がってる場合じゃない…僕は負けるわけにはいかないんだ!)
瞬時にシンジの脳が冴え渡る。そして冷静になると同時に、体中に力が戻ってきた。とりあえず足に絡みついている触手を振り払おうと身をよじる。
しかし急に動いた初号機に驚いたのか、使徒は自分から初号機を放り投げた。
ドガァァァン!!!
数百メートルほども飛ばされると、初号機は山に激突し、斜面にめりこんだ。そのアンビリカルケーブルは既に使徒によって切断されている。
発令所では、ミサトがオペレーターに向かって叫んでいた。
「シンジ君は!?」
「問題無し、いけます!」
それを聞いていたのか聞いていなかったのか、泣きそうになりながら声をあげるレイ。
「碇君……大丈夫? 碇君………」
「……大丈夫。安心して綾波、たいして痛くないから。」
明らかにやせ我慢とわかる台詞を吐くと、シンジは初号機を起こそうと意識を集中させる。
しかし、その時彼の瞳に驚くべきものが映った。
「トウジとケンスケ?! 何でここに?」
初号機の指の間に挟まれて怯えている二人。ここなら安全とばかりに使徒との戦闘を見物していたのだ。
発令所で現状を把握したミサトはシンジに言った。
「シンジ君、そこの二人をエントリープラグに入れて!」
その言葉に驚いたリツコがミサトにくってかかる。
「何考えてるのミサト!一般人をエントリープラグに入れられるわけないじゃない!!」
「いいではないか赤木君。口うるさい碇の奴もいないことだしな。」
「副司令!?」
声をあげたのはミサトだった。思いも寄らない人物の横やりに驚いたのだ。一方リツコはというと、少し考え込むような仕草の後、顔をあげた。
「そうですね、口うるさい碇司令もいないことですし……」
言いながらリツコは悪戯っぽく微笑んでいる。ミサトは信じられないといった面もちで、リツコを見つめた。
ミサトを現実に戻したのは、冬月の一声だった。
「何をしているのかね、葛城一尉。シンジ君が苦戦しているぞ。」
見上げると迫り来る使徒の触手を初号機が素手で受け止めている。そのまま視線を下げるとレイと目が合った。その紅い瞳が「早くして下さい」と訴えて、いや、脅迫している。
………はっきり言って怖い。
鳥肌とともに気を取り直すとミサトは声高に命令した。
「初号機は現行命令でホールド。シンジ君、そこの二人をプラグに入れて。」
ぴしゃんっ
「何やコレ?!水やないか!」
「カメラ、カメラが・・・」
トウジ達が乗ったのを確認するとミサトは続ける。
「シンジ君、使徒を振り払ったらそのまま撤退。と言いたい所だけど、さっきの攻撃で最寄りの射出口が塞がっちゃったの。残り時間はあまりないわ。どう、いけそう?」
苦笑するシンジ。だが考えている時間はない、タイムラグ0秒で答えを返す。
「わかりました、やってみます。」
「ありがと、シンちゃん。じゃプログナイフでコアを狙って!残りは一分、気合い入れていきなさい!!」
「はい!」
言うなりシンジは初号機を駆って走り出した。一瞬で使徒との間合いを詰めると低い姿勢から伸び上がるようにしてコアにプログナイフを突き立てる。
「うわあああああああ!!」
叫びながらナイフを押し込んでいくシンジ、その時使徒の触手が初号機の腹部を貫いた。短い時間差を置いてもう一本の触手も初号機に突き刺さる。
「いかりくんっっ!!!」
叫ぶレイ、そのレイをリツコが後ろから包み込んだ。
「大丈夫よレイ。シンジ君を信頼しているなら安心して見ていなさい。」
言いながらもリツコは自分の行動に驚いていた。
(もっと前にこうしてあげればよかったのかしらね………シンジ君のおかげね、レイも私も……・)
「う……ぐぅ………」
エントリープラグの中で呻きを漏らすシンジ、トウジが心配して声をかける。
「シ……シンジ、大丈夫か?」
「トウジ、大丈夫なわけないだろ。俺達にできるのは静かにしてることだけだよ。」
シンジの代わりにケンスケが答える。シンジはその二人のやりとりに振り向くと、辛そうに微笑んだ。そしてまたすぐに操縦に集中する。
それを見て純粋に二人は思った。
(格好ええ(いい)なあ)
残り時間二十秒というところになってコアに変化が見えはじめた。常時赤く光っているコアが明滅を始めたのだ。徐々にその感覚が広くなっていき、ついに輝きを失った。初号機の活動限界を示すゲージが0を示すのと同時に。
静寂を取り戻した街には、使徒とそのコアにナイフを突き刺したまま立つ初号機が、夕焼けの光に赤く浮かび上がっていた。
2002.3/12 加筆修正(戦闘シーンなのに緊迫感が全くありませんね……もっと精進します)
ちなみにこの物語ではTV版とキャラの設定が一部異なります。
そのあたりを理解して読んでくださると有りがたいです。(詳しくはキャラ設定を御覧ください)
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