バシャッ!!
「きゃーー!」
「やっちゃえ〜」
第四使徒を倒して数日。シンジは学校に戻り、いつもと同じ生活が始まっていた。今日は学校の体育で水泳の日である。ただ西暦2015年現在、男子と女子は別れてプールを使うのが普通になっており(我々男には非常に残念なコトであるが)今日は女子がプールを使う日に当たった。だが健全な14歳の少女達が教師もいないのに真面目に授業を進められるはずもなく、プールは水中プロレスのリングとかしていた。
その喧騒から離れて座り込む少女が一人、レイである。半ば金網に背を預けるようにして無表情に前を見つめるレイ。シンジと出会ってから様々な感情が芽生え、表情も昔にくらべると豊かになってきたレイであったが、そういった態度を見せるのは限られた人間の前だけであり、他の人間と接する時はこれまでと変わらないように見えた。そんな彼女が想うことは一つである。膝に頭が埋もれるほど前屈みになると小さく、しかし確実に感情の込められた声で呟くレイ。
「………碇君………」
一方その頃、シンジ達は……
「シンジ、何熱心に見とんねん!?」
「綾波かぁ? やっぱり」
「べ、別にそういうわけじゃ……(赤面)」
「「またまたぁ」」
なんてやっていた。所詮男なんてこんなもんである。
-同日午後8時30分、ミサト宅-
「シンちゃーん、もう一本ビール取って〜(はあと)」
「もう4本目ですよ……はい、ミサトさん。」
いつもの会話、だが今日はいつもと違うところがあった。ミサトが久々に早く仕事を切り上げてきたリツコを家につれてきていたのである。
「ミサト、それくらいにしといたら。まだご飯前じゃない。」
あきれ顔のリツコ、だが彼女の持っている缶ももう二本目である。
「シンジ君、やっぱり引っ越したら? がさつな同居人のせいで一生を棒に振ること無いわよ。」
「もう慣れましたから………それより突然だったんでカレーしか出来なかったんですけど、簡単ですみません。」
そう言いながらシンジは3人の皿にカレーを盛りつけた、食欲をそそる匂いが鼻孔をつく。
「別に構わないわよ。」
そういうと、リツコは適当にスプーンでカレーをすくうと口に入れる。その瞬間、リツコの眼が驚愕で見開かれた。
(凄い……まるで専門店の味だわ。失敗だったかしら……私が引き取れば良かったわ………)
「あの…口に合いませんでした?」
硬直しているリツコに向かってシンジが心配そうな口調で話しかける。
「そんな事ないわよ。とても美味しいわ。」
「そうですか?ありがとうございます!」
シンジはリツコの褒め言葉に、心底嬉しそうな様子で答えた。こう言ってはなんだがシンジはあまり人に誉められたことの無い少年である。そんなシンジが彼の唯一の自信、最後に残ったプライドとも言える料理の腕を誉められたのだ、相当に嬉しかったのだろう。
笑顔のままのシンジにミサトが話しかけた。
「ホント美味しいわよシンちゃん。ところでさっきの引っ越しの話だけど……」
そこまで言って「あの」にやにや笑いを浮かべるとミサトは後を続けた。
「……やっぱり引っ越すとしたらレイと同棲するのかしら。お姉さんはそれはまだ早いと思うわ。」
「なっ何言ってるんですかっ!当たり前でしょっミサトさんっ!!」
真っ赤になって声をあげるシンジ。次の口撃(攻撃にあらず)は予想しなかった所からきた。
「あら、私は別にいいと思うわよ、こういったことは年齢じゃないもの。シンジ君となら私も反対しないわ。」
(そのほうがレイも喜ぶでしょうしね。)
心の中でそう付け加えると、リツコは悪戯っぽくシンジを見上げる。もはやシンジにはどうする事もできなかった。
その後えんえん30分間もからかわれ続けている間、シンジは「孤立無援」という言葉の重さを実感したのであった。
(リツコさん………信じてたのに……(涙)
「よし、それじゃあ決まりね。レイは自宅待機って事にしとくからしっかりやるのよ、シンちゃん。」
「シンジ君、これがレイの新しいセキュリティカード。現行のカードを明日切れるようにしておくから、レイの家に入るには十分な理由になるわ。」
散々からかわれた挙げ句、明日の放課後レイの家にセキュリティカードを届けに行くことなってしまった。もうシンジはなすがままである。
とは言ってもそこはやっぱりシンジ君、渡されたカードに映るレイの写真をじっと見つめてしまう。
「シンちゃんったらそんなにレイの写真見つめなくたって、明日になれば押し倒し放題よ。」
「そっそんなことしませんよ。」
お約束通り赤くなりながら答えるシンジ、この時彼はそれが本当になるとは思ってもみなかったのである(笑)
-翌日、放課後-
「綾波の家、地図だとこっちなんだけど……本当にこんな所に住んでるのかな?」
リツコに渡された地図を見ながらそう呟くとシンジは顔を上げた。そこは余り広くもない第3新東京市でも郊外と言っていい所で、セカンドインパクト前の建物が雑然とそそり立つ場所だった。とはいってもその殆どは廃墟とかしており、遠くからビルの解体工事の音が聞こえてくる。
釈然としない思いを抱えながらもシンジはレイの部屋の前まで来ていた。そのマンションもセカンドインパクト前の建築物のようで誰も住んでいる様子はない。
シンジは訝しがりながらもインターフォンを押した。だが壊れているようで何度押しても何の反応もなかった。
「壊れてるのかな……」
声に出してそう確認すると、シンジは直接ドアを開けると中を覗き込んだ。
「碇だけど……綾波、入るよ。」
シンジは中に入ると靴を脱ぎ、人が住んでいるとは思えない位に汚れている廊下に足をつけて歩いていった。
(やっぱり誰も住んでないのかな……鍵もかかってなかったし……)
廊下のさきには僅か六畳ほどの部屋があった。その部屋からは、少なくともこれまでに比べると生活の匂いがした。
だがそれはあくまでもこれまでに比べてであり、その必要最小限の物しか置かれていない部屋からはどんな人間が暮らしているのか推測することすらできない。
いや、一つだけあった。部屋中に散乱している血だらけの包帯やガーゼである。シンジはそれを見てここがレイの住んでいる部屋だと理解し、目頭が熱くなった。
(綾波……なんて生活してるんだよ……)
その時、シンジの後ろでバタンとドアの閉まる音がした。
シンジが振り返ると、その先には裸にタオルを纏ったのみのレイがじっとシンジを見つめていた。
「あ、綾波……ごっ、ごめん!」
濡れた柔肌が目に眩しい。シンジは慌てて視線をそらした。
一方レイはというとシンジを見つけて惚けたように立ちすくんでいたが、次の瞬間、顔いっぱいに笑みを浮かべてシンジに抱きついてきた。
「……碇君!」
「う、うわっ」
驚いたのはシンジである。
突然抱きついてきたレイを支えようとしてたたらを踏んでいると、鞄の肩紐がチェストに引っかかり、レイと一緒に倒れてしまった。
瞬間、チェストから下着類が空中に放出され、ものの見事に部屋に散乱する。
客観的に言うと、下着にまみれてレイを押し倒しているシンジの姿は、誰がどう観ても変態にしか見えないだろう。
彼にとっての唯一の救いはレイがその事を理解できないほどに純真無垢であるということだった。
などというシンジの勝手な思い込みをよそに、レイが突然とんでもないことを口にした。
「………碇君、私とひとつになりましょう……」
「あ、ごめん。今どくから…って……ええっ!?」
どうしようもなく狼狽えるシンジ。レイはシンジの首に腕をまわすともう一度呟いた。
「……私とひとつになりましょう…………イヤ……?」
耳元で囁かれるレイの甘い声。シンジの理性は崩壊寸前である。
ゴクリ。
唾を飲み込む音がやけに大きく感じられる。
あわや臨界点突破というところで何とか思いとどまると、シンジはうわずった声で言った。
「な…何で急にそんな事言うの?」
「……葛城一尉と赤木博士の命令………碇君が私を押し倒したら言えって……」
シンジはそれを聞いて一気に脱力すると、大きな溜息の後、片膝をついて立ち上がった。
「…わかったよ、綾波。とりあえず起きて。それと何か着て欲しいんだけど……」
「……わかったわ。」
起き上がるとおもむろに着替え始めるレイ。シンジは慌てて後ろを向くと、レイに確認するように話しかけた。
「綾波、ミサトさん達から他に何か言われなかった?」
「ううん……碇君が私を押し倒してくることがあったらさっきの言葉を言えって……それだけ……」
レイの着替えが終わったのを見計らうと、シンジはレイのほうに体を向き直した。
「そうなんだ……綾波は…その……意味わかって言ってるの?」
ふるふると頭を振るレイ。シンジはその声なき回答に、安心して溜め息を吐いた。
(よかった……でもちょっと残念かな、って何考えてるんだ僕は)
一瞬脳裏をよぎった邪念を振り払うようにシンジはぶんぶんと頭を振る。そんなシンジを見て、レイが心配そうに口を開いた。
「碇君……そう、私が意味を知らないのがいけないのね……。碇君、どんな意味なの…?」
その無邪気さゆえ、自身が非常に危ないことを聞いていることに全く気づいていないレイであった。
「え、いや、それはその………そ、そうだ。綾波のカード今日切れるから新しいの渡しに来たんだ。はい、これ。」
「?……そう、ありがとう……」
何とか話を逸らすことができたようだ。シンジはそう思い、今度は心の中で安堵の溜め息を吐くと言った。
「綾波も今日これからネルフだよね?よかったら一緒に行かない?」
まだ何か釈然としない様子のレイであったが、シンジのその言葉を聞くとパッと顔を輝かせてこくんと頷いた。
彼女にとっては重要度の度合いが違うのであろう。本当に昔のレイからは考えられないことである。
シンジは部屋のドアにしっかりと鍵をかけると、レイと二人してネルフへと向かったのだった。
-同時刻、ネルフ、ミサトの執務室-
「ちっ、根性無いわね〜……シンちゃんったら。」
「確かに。優しいのはいいけどそれだけじゃあね。」
二人して言いたい放題言っているミサトとリツコ。案の定というかお約束というかやはり覗いていたのである。
「それだけレイの事を大切に思っているという事ではないのかね? シンジ君は。」
「「え……?」」
振り向くと冬月がモニターを覗き込むようにして立っていた。
顔がいつもの無表情なのが一層怖い。
ミサトはこめかみに冷や汗がたら〜っと流れるのを感じたが、構わず冬月に問いかける。
「ふ、副司令。いつからいらっしゃったのですか?」
「シンジ君がレイを押し倒したところからだ。なに、そう堅くならんでもいい。何も咎めようとしているわけではないのだからな。」
「はい?」
「構わないと言っている。おおそうだ赤木君、後でMAGIのレコーダーに細工をしておくのを忘れんようにな。碇の奴が見つけるとまた色々と面倒だからな。」
「え…あ、わかりました!」
慌てて答えるリツコ。
それを聞いて冬月は表情を弛め…というより、邪悪な笑みを浮かべた。
「次からは私を呼ぶのを忘れんでくれよ。こんな面白い見せ物を見逃したとあっては死ぬまで後悔するだろうからな。」
「へ……? あ、はい。」
初めて目にした冬月のにやにや笑いのインパクトで意識が飛びそうになっていたミサトだったが、何とかそれだけ言うことができた。
不気味な笑みを浮かべたまま頷くと、冬月はしずしずとその場から遠ざかってゆく。後には放心状態のミサトとリツコが残された。
「……副司令って……ああいう人だったのね……碇司令だけだと思ってたのに………」
「……………あなたに似てるわよ………」
空虚な会話を交わしつつも、二人の頭に浮かんでいたのは同じ言葉だった。
(ここ(ネルフ)大丈夫なのかしら……?)×2
二人共々、自分達のことは棚の上に置きっぱなしである。
その二時間後、零号機の再起動実験は無事に成功していた。
ガラス越しに実験を見守っていたゲンドウは珍しく笑みをこぼすと心の中で呟く。
(……やはり兄がいるというのは違うな。シンジとは仲良くやっているようだし、今のところは問題は無いか……)
ゲンドウは職員達が奇異なものを見るような眼で自分を見ているのに気付いていないようであった。
それと同時にシンジが他とは違う視線で自分を見ていることも。
シンジは怪しくニヤついている父親を横目に見ながら、病院でゲンドウと会ったときのことを回想していた。
『シンジ、レイを頼んだぞ……』
(あれは一体何だったんだろう……父さんは何であんな事を………)
考えれば考えるほどわからない。確かにゲンドウは他に比べてレイを気にかけているようだが、それならば何故あんなことを言ったのだろうか。
終わることのない思考のループにとらわれそうになっていたシンジはミサトの声で現実に戻された。
「シンジ君、聞こえてるの!? シンジ君ってば!!」
「…はっ、な、何ですか? ミサトさん。」
「何ですか、じゃないわよ。全くもう……出撃よ、出撃!!」
「あ、はい……えっ!?」
「だから使徒が来てるのよ!早く準備して!!」
「は、はい、わかりました!」
慌てて更衣室に向かって走っていくシンジ。ミサトはシンジの後ろ姿を見送りながら、額に手を当てると溜め息を吐いた。
だがその顔を見れば、彼女が本当は楽しんでいることは一目瞭然である。
(ミサト……もしかしてあなた…ショ○コンだったりはしないわよね……)
そう思われても仕方がないほどにミサトの顔は弛みきっていたのだった。
…………………………
……………
……
バシュウゥゥゥッッッ!!
二時間後、シンジは病院にて眼を覚ました。
2002.3/15 加筆修正(修正作業をすると実感しますが、本当に読みにくい文章ですね。我ながら………)
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