■マーブルブレスト


「マーブル×マーブル」 中編



 好きとか、最近、もう全然、因数分解が回転して連立方程式になったってぐらい、とにかくもう、ホントにわかんなくなってきてる。
 好きは直感で、ぎゅっんって見てたら心臓が痛くなっちゃう気持ちだって、今まで生きてた中ではそれがパターンだった。
 桐子ちゃんなんかはとくにそんな感じで、入学式でめためたのヒトメボレをして―――それからは桐子ちゃんのコトを考えたりするだけで、心臓が小躍りしちゃうぐらい大好きになってた。
 ううん、大好き、なんだ。大好き。うん、大好きなはず…だよな?
 何でだか半疑問系になってしまって、俺はその疑問を振り払ってしまえってぐらいに、ぶんぶん頭を振り回した。ゆだった頭がその動作にくらくらめまいを起こす。
 で、二、三歩千鳥足を踏んだ俺は、慌てて前後に探りを入れて―――そこに問題の男がいなかったことにほっと胸撫で下ろしながら、部室への道をピッチを上げて突き進んだのだった。



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 一昨日と、昨日と今日と、好きがぐるぐるぐるぐる回ってる。
 どうしよう。
 好きって、ちゃんと聞けよって。
 聞けるワケないじゃんか。頭なんかめちゃめちゃになってて。鼓膜はぐわんぐわん耳鳴りの大合唱。目の前には、俺のめためた好みの顔が、結構間近で、いつになく真剣な目をしてこっちを見つめてるっていう、そんなとんでもない状況で。
 お前が好きだって。
 横の方からは、何でだかそこにいた御崎が、すごく冷静に話してるコトなんかは、あんまり耳にも頭にも入ってこなかった。後からようやく思い出して……思い出したら、全身が一瞬で茹でダコに変化しちゃうぐらいの、それぐらいの威力甚大のセリフだったんだけど……でッ、でもでも、俺、男だし―――。
 お、おおおおおおかすとか、岡す、オカス、おかず?
 あああああああああああ、と、とにかく、このてんやわんやな気持ちは、断ッ然須川のせいだ。だから、須川が解決しないといけない。でも、肝心の須川にどんな顔して会ったり、話したり、目線とかどの辺に合わせたらイイのかなんて、そんな普通のことすら今までどうやってたんだろってぐらい、ワケわかんなくなってて……
 心臓が、凄いことになってる。
 俺のこと、好きって言った。
 あの須川が、俺のこと。
 変だ。もう、何でだか俺、絶対変だ。
 頭ん中が、史上最低のパニック状態。
 好きって何だったけって。好きって、好きだって。
 好きと須川と、頭ん中でぐるぐるぐるぐる。心臓ひっちゃかめっちゃか。
 同じ中学出身の渋谷亮太(しぶや りょうた)に全身を隠すようにしながらも、目だけはしっかと須川を追っている。
 一連のストレッチと軽い運動、シュート練習まで終えて、今はハーフコートを使った一本勝負の3on3中なんだけど……列に並んでいる最中も、そうやって背後霊みたいにピッタリ引っ付いてたから、亮ちんからは、「だぁああああ、ゆーた、すげーウゼェええええええ!!!!!!」って言われしまった。
 でも、だって、当たり前だけど、俺も須川もバスケ部だってことを完全に忘れたまんま―――放課後になった直後の危機的状況を、逃げられた良かった助かったってほっとしてたトコロに悠々と出現されたら……そりゃ、心臓が炸裂しそうに暴れ出すに決まってる。めさめさ慌てて、とりあえず近くにいた亮ちんにしがみついて、それからもう、すでに30分ぐらい。
 視線の先で、須川がぞんざいに右手を上空に伸ばす。
 大抵の奴らよりは長い腕の、さらに長い指先の先端。つま先に弾かれた明石川(あかしがわ)先輩のミドルシュートは、軌道をわずかに変えてフープにはねた。それをすばやい挙動で手の中に収めた須川の、着地した途端はねた髪の先から汗が飛ぶ。
 そしたらなんでだか―――なんでだか、ぐわぁあああって体が熱くなってきて、理由なんか全然わかんなくて慌てる。慌てたところに、さらに須川の視線がこっちの方に流れてきて―――俺は渋谷のTシャツを握り絞って、その背に全身を隠した。
 や、やっぱりマトモになんか、もう絶対、確実に断っ然に、見ることはできない!!
 列が1つ進む分だけ、亮ちんが前に1歩分動く。それに引きずられるようにしながら、須川の視線から必死に逃れた。3列あるうちの、一番端の列に須川が並んだのを気配だけで察して、そっちの方にだけには顔を向けないようにして。
 好きってなんだろう。
 ぎゅんってする気持ち?
 ホントに? ホントにそうなのかって。
 気がついたら、ピッタリ引っ付いてたはずの亮ちんの背中がなくなってた。
 3列からそれぞれ一人ずつのオフェンス選手が出てくるのを、3人のディフェンスチームが守る。で、ボールをカットするまではひたすらディフェンス、カットできたらめでたく列に戻ってオフェンス、カットされたチームはディフェンスに入るっていう練習だから、前のチームがゴールを決めても決めなくても、とりあえず列はひとつ進むワケで―――目線を上げたら、ちょうど亮ちんのチームがリバウンドをカットされて、ディフェンスに入ったところだった。
「おーい、春日、早く入れって」
 同じチームになった品川先輩に急かされて、俺も慌ててコートに入った。
 でも、なんだかふわふわした気持ちの俺の手の平は、その声とともに放られたボールを収めきれない。パシっと前方に弾いてしまったボールは、ディフェンスに入っていた亮ちんの足元に転がった。
「だぁああああ!!!!」
 品川先輩がオーバーアクションで頭を抱えて見せるのと、指先でボールを回転させながら亮ちんがにや〜っと笑うのが耳と目に入るけど、脳みそまで回ってこない。ただ惰性で、ディフェンスに入るべく、レーンの前方にポジションを取った。
 ―――そしてふと前方を仰ぎ見た時。
 腰を落として両手をこころもち開いた俺の心臓が、ぎゅんって縮まった。
「よー」
 なんていう偉そうな声と、そんな声を押し出したふてぶてしい形に釣り上がった唇、その上の方のめちゃめちゃに物騒な目のせいで。
 俺の心臓は、ぎゅんって音がするぐらい胸を締め上げられてしまったのだ。
「……っ!!」
 どうしてだって思っても、心臓の動きなんて自分じゃどうしようもない。
 俺達のチームがディフェンスに入ったら、そしたら、カットできなかったらいつかは須川のいるチームにあたるのは当然だってのに、バクバク突き上げる鼓動は止みそうもない。
 ぎゅんって、高鳴ってしまった心臓は収まりそうもない。

 どうしよう。
 俺、どうなっちゃったんだろう!?

 そう思った俺の目の前で、須川が目を細めて見せた。それからふっと乾いた笑いを洩らして―――その次の瞬間には、余計な力なんて全然入ってない、きれいなきれいなフォームでシュートを放った。
 須川の手から飛び出したボールは、見事な放物線を空中に描いて、放心した俺の頭上高くを超えて、小気味いい音を立ててフープをくぐる。
 そのボールが体育館の床に跳ねる、それよりも前の出来事だった。
 がっちり掴まれたのは、俺の右腕。
 掴んだのは、芸術的なゴールを放ったばかりの須川の長い指で、ぐいっと力強く締め上げてくる。
 痛いなんて、言うヒマさえ与えない。
「品川サン、俺、病気になったみたいなんで、コレで部活上がります。コイツは付き添いってコトで」
 なんていうセリフを、やたらと横柄な口調で言ってのけた須川が、周囲の戸惑いもよそに、さっさと歩き出してしまったから。
 腕を掴まれてしまったままの俺は、須川に引き立てられるしかなかった。
 何よりも、自分の心臓がおかしく思えて、抵抗することすら考えつかなった。
 須川の長いコンパスに、ばたばた足を弾ませて―――ただただ、ものすごい勢いで血流を吐き出しまくる心臓を、左手で押さえるだけしかできなかった。



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 それからは、あんまり怒涛の展開過ぎて実際良くわかってないと思う。
 とにもかくにも、俺がいるここは、たぶんどこかの空き教室で―――周囲に人影が全然いないってトコロだけは確かみたいだけど……?
 俺は右手をきつく握り締めている腕の持ち主を、おずおずと見上げた。
 見上げて、須川の方がずっと前から俺のほうを見てたってコトに気づいて、パチパチ忙しなく瞬きして、すぐさまあごを下げた。
 心臓が全然治まってくれてない。めちゃくちゃになってる。見られてるって思うと、つむじですら隠してしまいたくなる。
 俺、ホント、ヤバイのかもしれない。
 コイツが俺のこと好きって言って……変だって思ったのは、ほとんど全部、俺の心臓のコトで。
 須川のコトとか、須川も俺も男なコトとかは、変かもなんてあんまり考えなかった。
 それどころか、好きって気持ちさえもわかんなくなってしまって―――
 この間から、なんだかとてつもないことが、体の中で起こっているような気がしてる。まだうまく言葉にすることができないもやもや。ぎゅんって、痛くなった心臓。
 俺は自分を落ち着かせるおまじないみたいに、「俺が好きなのは桐子ちゃん」って心の中で繰り返した。
 目を閉じて、頭ん中に綺麗な桐子ちゃんの顔を思い浮かべて。そんなことを必死にやってる自分が一番おかしいことには、まったく気づけてない。
「オイ……悠太」
 そんな風にジタバタしているのはやっぱり俺ばっかりで、部活中の俺を体育館から拉致った当の本人は、結構平然とした様子で話しかけてくる。本当はその口元辺りは結構ムスっと機嫌悪くへの字に曲がってたんだけど、目を閉じてた俺にそんなことが判るはずもない。
 ていうか、判んなくて良かったのかもしんない。
 憮然としたカンジで顰められた須川の表情の中でも、とくに、目尻をつって釣り上げた目は、かなり危険なものを放っていたから。そんな目で睨まれたら、たぶん、今の俺なら、心臓縮みあがってお終いだ。ジ・エンドってヤツ。そういう目で俺を見据えながら、須川は言ってのけた。
「フザけるのも大概にしろよ」
 ぎっちり握り締めた手の握力はそのままに、腹のそこまで響いてくる声で続ける。
「だいたいだ。逃げるなら逃げる、捕まるならあっさり最初っから捕まっとくなり、首尾一貫させろよまったく。ああああああああああ、イライラする。マジ、この俺がキれずに良くやってる。感謝しろ」
 乱暴な話し方なのに、ガシガシ俺の頭をかき乱すその手はちっとも乱暴じゃない。そんな些細なコトに気ががついてしまって、動揺する。その上おかしなコトに、ぎちぎちにキめられてる右手首が、大して痛くもないのに何かとんでもないものを増幅させて、心臓に大ダメージを食らわしてるっぽくて。
 ヤバイ。
 また、ぎゅんって心臓が縮んだ。
 ぎゅんってのは、絶対ヤバイ。
 俺の人生観が全体的に狂っちゃうんじゃなかろうかってレベルの、ヤバイ。危険度で表すなら、絶対にトリプルAクラスだって、ホント!!!!!!
 なのに、俺の心臓はちきれそうなのに、須川はたぶん全然気づいてない。ぐちゃぐちゃに俺の髪をかき回しまくったその手を首の後ろの方に回すと、強引に顔を上向かせた。
 なんだか、首根っこ捕まれたネコの状態。アレされたネコも、こんなカンジでどうすることもできなくなっちゃうんだろうか? もう、為すがまま。右手首と首の後ろとで拘束されてる状況と、心臓のバクバク、身体中を真っ赤に火照らせてる熱は終わっても治まってもくれそうもない。
 それどころか、薄目を開いたすぐそこに須川の顔が近づいてきてて、もう……もう、メーターがあったら完全に振り切れて計測不可能。ぽかんって口開けたまんまで見てるだけ。
「オイ……聞いてんのか?」
 そういう須川の声が、右から左へすり抜けてる。
 ごくごく狭くなった視界の中で、視線は一点集中。動かすことができない。
 どうしよう。
 ホント、俺、おかしくなってる。
 心臓が、ホント、ヤバイぐらいイかれてる。
 ってか、これだけ血液を出しまくってたら、そのうち心臓に入ってくる血液不足で俺死んじゃうんじゃないかって、そんなことを考えてしまうぐらい。
 目が、離せられない。
 離せられてない。
 瞬きもできなくて、目ん玉がパリパリ乾いてる。
 どうしよう。
 こんな時なのに、身体の中も外もこんなになってるのに、視界の大部分を占めてる須川の顔ってカッコいいなぁあああって思ってしまう俺って、やっぱり変かもしんない。ううん、絶対、変だ。
 好きって。
 好きって何だっけって……俺、須川の顔とか、頭良いコトとか、バスケ巧いコトとか―――時たま、すっげぇツボついて優しくしてくるコトとかも、も、もももももももしかしなくても、大好きなんだよな、とか。
「オイ……このリス頭はちゃんと働いてんのか? 季節ムシで冬眠してんのか?」
 まぁ、起きてても寝てても同じよーなモンだけど、だとかからかう言い草も、慣れたら結構平気っぽいし。
 で、でッ……でもッ、あくまでも、断然、好きなのはそういうトコロなだけで、そういうのじゃない好きってのとは違うんだ。違うったら違うッ!! た、たぶん絶妙に違うはずなんだってきっと!!!
 だから、わかんないのは、そういうトコロじゃない好き。
 そういうトコロじゃない好きってなんだ?
 こんなにたくさん好きなトコロがあって、最後の決め手辺りの好き。
 ほら、だってヒトメボレとかでこの人だって思う時って、その人の性格とか話し方とか頭良いとかバスケ巧いとかツボついてくるとかは全然わかんない訳で、それでもちゃんと好きってわかる。桐子ちゃんの時だって、すぐにわかった。
「ん……?」
 あれ、そういうのが好きって言うならやっぱりって―――拘束されたまんまの首が無意識でほんの少し傾ぐのを、首の後ろの指で思いっきり阻止された。
 阻止されたどころか、首の限界まで上に引き上げられた、その時まで。
 そうだ、その寸前まで。
「んんんんんんんんッッッ!!!????」
 断言ならいくらだってしてやる。俺は、まったくちっとも気づいてなかったんだって。断然、須川が強引に、力任せにやってるだけなんだって言ってやる。
 でも、それでも。
「んぅ―――ッ!!!!」
 塞がれてしまった口のわずかな隙間から、悲鳴になりきれない押し殺された声が漏れる。もし、口が塞がれてなかったら、最初の一撃だけで鼓膜が破れちゃうぐらいの悲鳴を絶対あげてたと思う。
 それぐらい、だってそれぐらい。
 見開いた視覚のほとんど全部が須川になってる。
 まつげが死ぬほど近い。すげぇ長い。こんなにアップなのに、すげぇカッコいい。
 口の中が、アツイ。
「…っあ……」
 一回、呼吸の合間をもらって、でもすぐ、さっきよりもずっと深く口を覆われた。
 抵抗なんか、出来るはずない。
 ぎゅんって、生まれて一番ぐらいのぎゅんってヤツが、心臓貫いて脳みそのど真ん中に直撃してた。
 イロイロ考えてたことも全部吹き飛んで、心臓ひっちゃかめっちゃか脳みそぐるぐる。
 何にも考えられない。
 須川だ。
 口の中、須川の味がしてる―――。



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