「マーブル×マーブル」 前編
好きって言った。
アイツが、俺のこと。
しっかり聞けよって。好きだって。お前が好きだって!
嘘なんか全然ない目で、ビックリするぐらい俺を見てた。
俺のコトを見てた。
どうしよう。
俺、どうしよう!?
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苛々とした気持ちが強い舌打ちになって外にこぼれた。
その度に、周囲のウゾームゾーどもがびくびくおどおどした気配をみせるが、そんな瑣末事ごときを、この俺が、俺様が、一切合財、全くもって全然これっぽっちも意に介しなんぞするものか。ていうか、実際どうでもイイ。
ああああああああああああ、苛々する。
こんな時にウサを晴らせる格好の餌食ことタコ原が、今日に限って病欠ってのがさらに苛々を募らせる。あの巨体がちんまりとベッドに寝てんのかと思うと、なんだかそれだけでムカついてくる。呑気に寝てんじゃねぇと、蹴りつけて一喝してやりたい。
「クソ……ッ」
タコの頭に見立てて、踵を床に蹴りつける。ガッと鈍い音が響いた。
あああああああああああ、苛々する!!
心臓の弱い奴なら一睨みで気絶するほど物騒な目をして、俺は開け放たれたばかりの残響すら残る扉を、じっと―――それこそ視線で焼き切ってやるほどにじっとりと睨みつけた。
終礼が終わったばかりの、普段なら活気溢れているはずの教室は、何かを窺うような静けさに満ちている。朝からのドタバタ劇の行方を、固唾を飲んで見守ってるとでも言うんだろう。おそるおそるといった具合でコチラをちらちら見遣る視線は幾つも感じ取れた。
「クソ」
今度は低く言い捨てる。
そしてそれを契機にして、スポーツバックだけを掴んで立ち上がった。睨みつける眼差しは、扉の先を見つめて微動だにしない。眦だけが、きつく絞られる。
3度目だぞ……
オイ、3度目なんだぞ!!
呟く声には、苛々と焦りと、困惑と衝動と不安と……とにかく俺が今まであまり縁なく過ごしてきた系の感情が、ぐだぐだに詰まっていた。
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あの、土曜の夕飯時の騒動からこっち―――生まれて初めてってぐらいの煩悶を潜り抜けると、すでに日時は月曜の朝を示していた。
つまり俺とした事が、その間一日を丸々浪費したってことになる。これは重病だ。最悪にヘコこんでる。運勢ってのが本当にあったら、それは地面を貫いて落ち込んでるんだろうだとか、そんな埒のあかない事を考えるぐらいにはヤられてる。ヤられてた。
だが―――だ。
そこは俺、天下の俺様が俺様たる所以というか、そこらの小物とは断然違うところだな。
ばっさりと、突然霧が晴れたみたいに立ち直った。
いや、“立ち直った”なんて仰々しく言う必要もないな。
ま、確かに、アレに関しては史上稀にみるレベルで最悪のタイミングだった事は否めない。確かにな。特に余計な男の余計な一言なんかは、際立って最悪だったワケだし。
しかし、だ。
そうしかし。
―――それが、どうしたって言うんだ? そう、どうしたって言うんだよ、大真面目によ!!
目が覚めたように気付いたのは単純な事。
それが、どうしたっていうんだ、と。
まだ……好きだって宣言しただけで―――悠太の方から、はっきり拒絶されたってワケでは、強弁するならそんな事は一切なかったと言ってしまえるんだし。その上、より楽観的に考えてみるなら、あのリス頭に、わずか数秒間で処理し切れないほどの情報がドバーっと流入してきて、パンクしてしまっただけとも言えなくない。ないよなぁ。実際、悠太の慌てっぷりは過去最大級だったし。1ミクロンも想像してませんでしたって顔で、真っ赤になりながら腕を振りまわし逃げちまっただけだし。
そうつまり。
つまりはまだ、今のこの状況ってのは、具体的に一歩も進んでない―――フライングぎりぎりで走りだしたトコっていう、まさにそういう状況に過ぎない。
そんな状態で、俺が一体何をそう焦る必要があるって言うんだ?
この俺が。
須川鷹也が。
―――今朝、そこら辺のところをようやく思い出して、ふいに笑えてきた。
らしくねぇ。ああ、らしくねぇなぁー!
あんまりバカバカしくて笑える。丸1日もそんな事でグジグジ悩んでいただなんて、ある意味感動する。すげぇじゃねぇか、人間、持って生まれた思考回路がこれだけ見事に焼き切れるような事態はそうないだろ? つまりはそれぐらい、悠太が俺の中で高いポジションにいる。その自己証明みたいなもんじゃねぇか。
その悠太を、ただのアレぐらいの妨害で失ったり手放したり、とにかく自分のに出来なくするワケにはいかない。
アイツは俺のだ。
俺の全部、欲しいだけいくらでもやる。俺はお前のものだから、だからこそお前を俺のにしたい。
ていうか、俺のにするから。
そういう明確な意志を再確認して―――で、俺は家を後にした。
何か具体的な考えとか、そういうのがあった訳じゃない。ま、でも、顔合わせて話し付けたら、それでどうにかできる自信ならふつふつと蘇ってはきていた。
そうだ。そして、もう一度、きちんと初めのところからやり直すのだ。あんな、必要に迫られたみたいな告げ方じゃなく。余計なのに邪魔されないところで。本心から。
好きだって。
お前が好きなんだって。
ビックリしてたばっかりで、ただもう自分でもワケもわかんないって感じで叫んで飛び出してった悠太。絶対に俺の気持ちの半分ほども理解しちゃいねーだろうし。
そりゃまぁ、当然といえば当然なのかもしれない。でも、そんなのは俺としては許し難い。俺がお前のことを好きなんだって、あのリス頭に納得いくまで教えてやりてーし、教えないといけない。
その時はお前が大好きなこの顔で、最高の笑顔とかいうのをサービスしてやるから。
今度こそは、本気で。
―――待ってろよ、と。
そこまで思考が進んだら、話は早い。この数年間で一番朝早い電車に乗って、そして教室の入り口から2列目、前から2番目の席、つまりは悠太の席の一つ前―――確か、川平という名の野球バカの席だったような気がするが、そんな事は全くどうでもイイな―――の席に、後ろ向きで陣取った。
ちょうど悠太の席に立て肘ついて、入り口がよく見える位置。いつ悠太が来ても、一目瞭然なポジションで待ち構える。8時が近付くにつれ、一人二人と姿を見せ始めるクラスメイトどもが、本来俺のじゃない席に座りこんでじっくりと入り口を監視している俺に気付くと、まず一様に入り口付近で固まる。で、慌ててその場から逃げ出すように教室に駆け込むのを―――お前らは視界に入ってても、意識には掠めもしてないんだからそんなに焦るなと、笑える余裕まで出てきたぐらいだ。
さぁ、早く来い。
じりじりと、時間が経つのをやり過ごす。
視線は入り口に固定されたまま、なんだか気持ちが弾んできてる。マジなんて言ってやろうか、最初に何て声かけてやろう、そんな事を脳内でシミュレーションしている時だった。
いかにもおずおずと―――怪しげな動きで、扉に両の指先が懸けられる。わずかに遅れてひょっこりのぞく色の抜けたっぽい茶色い髪。
来たな。
ククッと込み上がる笑いをかみ殺しながら思う。
なんでこう、わかりやすい登場の仕方をするかねぇ―――こっそりと、誰にも見つかりませんようにってそんな事で頭がいっぱいそうな片目をきょろきょろさせて、教室後方の窓側付近を窺う悠太に口元が緩んで仕方ない。しかも、悠太がしきりに窺っているのが元々の俺の席付近ってあたりが、ホントわかりやすい。絶対に、土曜の夜も日曜も、あの時から今の今までずっと、俺と同じぐらい―――俺が悠太のコトを思ったのと同じぐらい、もしくはそれ以上のレベルで、ナイ頭をうんうん言わせて俺のことを考えてたんだろうなぁとか、当の本人に気づかせる。そんな悠太の挙動に、自然に顔が緩んでくる。
早く来いよ。
唇だけで言葉を囁く。
その声に誘われたってワケではなくて、ただもうひたすらに俺が居ないとでも安堵したのか、悠太がより大胆に教室内に顔を覗かせてくる。
その視線が、後方からゆっくりこちらの方へ巡ってくるのに、その軌道にしっかりと目線を合わせた。
来いよ。
目線でそう告げる。
告げようと思って―――そして。
「……なッ!!」
自分の口から、囁きでもましてや叫びでも喘ぎでもない、全く意味なんてないスタッカートが飛び出てきたのは、それは目前の獲物が、悠太が、俺と視線を交差させるや否や、まさしく脱兎のごとく、まるでそれがスタートの合図だったかのように身を翻して逃げたからであって―――
「てめぇ……ちょっと待てやコラ!!」
そう、どうにか吐き出して教室を飛び出した時には、廊下の先の先にすら、悠太の姿は見えなかった。
で。
結論を先に言ってしまうと、その後校舎の隅から隅まで、あげく部室まで足を向けた俺が、一限目半ばでようやく教室に帰った時には悠太はちゃっかり自分の席に座ってた。
その次の休み時間、俺が席を立つよりも先に、またしても脱兎のスピードで教室を飛び出した悠太は、それを皮切りに全ての休み時間、全てのタイミングで俺から逃げようと試みて―――で、そんな悠太を俺が捕まえる事が出来たのは合計で3回。
三限目の休み時間と、昼休み前と、たった今、放課後が始まった直後。躱されそうなところを、手を出してどうにか捕獲した。早々行かせてたまるかって、こうなると同じバスケやってる同士の意地みたいなモンで。俺の脇を抜かせるかよって気分だな。
そして捕獲に成功したその3回とも、「あの……その……お、俺ッ!!」で指先ごと力いっぱい振り払われた俺が、だんだんと苛々してくるのは仕方ない。
そんな俺をびくびくと窺ってるクラスの連中に、ますます苛々が募るのも仕方ない。
「ふざけるなよ……」
溢れかえる苛々を言葉に乗せて吐き出す。
真っ赤な顔をして、今にも爆発しそうな風に声を詰まらせておいて。
「俺ッ!!」の先はなんなんだよ一体!?
あ!?
我慢なんか、もう限界点を超えて沸騰して煮え繰り返ってる。
中途半端に逃げられてるこの状況に、そろそろ本気で頭にキてるっぽい。もともと気は長い方じゃないし。あんな態度で逃げる悠太も悠太だ。
「覚悟しろよ……」
握ったスポーツバックの柄をぎゅっと引き絞る。
コトここに居たっても、悠太が部活をサボる訳ないことは明白で―――逃げ去る悠太を追う視界の端で、その腕に黒のリュックが掲げられてたのは見止めてる。
やっぱりバカだ。
自ら好んで袋小路に逃げてる訳だから、本気でバカだと思う。
苛々した気持ちはそのままに、それでもゆっくりと唇に笑みをはべらせる。
今度こそ、逃がさねー。
そう呟いた顔は、我ながら結構剣呑な風になってたと思う。
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