【ROUND2】
秀弥はこの日何度目かもう数え切れないほどのため息を、また、大きく1つ吐き出した。教室に居るときよりは、周囲を気にする必要がないのかいささかオーバーアクションになってしまう。
それもそのはずと言うべきか………。
怒涛の昨日で、ただでさえほとんど一睡を出来なかったというのに、今日は今日とて、奴のおかげで………一週間と一日休んだ割にはやたらと爽快な面をして、教室の後ろの席で、秀弥の背中にちくちく刺さるような視線を送ってきているのだ。午前の授業たるや、針のむしろを背中に背負っているような気分だった!
(あれってキスだったんだよな)
ふと意識を緩めると、そのことが思い出されてくる。
最初は唇に軽く触れ合っただけだった。
それも、強制されたとはいえ、秀弥自身が施したキスだった。………触れ合うだけの軽いキス。ただそれだけでも、初めての秀弥は緊張して、勇気を振り絞って実行したのだ。相手が女の子だったら、それなりに感動もあったかもしれない。だが、あいにく相手は男で、そのうえ、秀弥より断然男前の身長もゆうに10センチはあっちのほうが高くて、その行為は覚悟を決めた上でのものだったのである。
(なのに、成瀬は、あいつはっ!!)
強制されたキスをなんとか成瀬の唇に降らせて、すぐさま離そうとした秀弥のあごをぐっと捕まえてそのまま深く舌をさしこんだのだ。
「う、あああああああああ!」
思い出しただけで、顔が真っ赤に染まる。
それだけ、めちゃくちゃにディープなヤツだった。受け止めきれない成瀬の唾液があごを伝って、首を流れ落ちた。
(なんてゆーことを………)
初めてが男とだなんて、そのうえ、ロマンチックもあったもんじゃないぐらいの濃厚なので。………一生誰にも言えない秘密ができてしまったと思う秀弥である。
あれは、一体なんだったのだろう。
昨夜、少しだけ冷静になった夜中過ぎに、ようやくその考えが浮上してきた。
成瀬は、「気分が変わった」と言ったような気がする。それはつまり、ただ単に成績票を返すつもりだったのが、「気分が変わって」秀弥にキスをさせようと、その上、さらに深いキスをさしこもうという気分になったということだろうか。
「わかんねー………」
確かに、自分が男らしいとか男性ホルモンバリバリだとは思っていないし、多少母譲りの線の細いところがあるのは認めるが、ヤローが俺にキスしたくなるのかと自問してしまう。
やっぱりあれは、からかっていたのだろう。
だからこそ、教室でも、俺の様子を観察していたのだ。今日の、あの背中を指す視線はそういうことなのだ。
(つまり、俺はからかわれてたんだ)
太陽のかんかんと照りつける屋上で、なんとなく結論が見えてきた。
姉の莢佳からよく、押しが弱いと指摘される。妹の莉佳からは「お願い」をよくされてしまう。そういうところが自身の欠点であることは、秀弥もよく認識しているつもりである。
が、認識と現実レベルでの判断は全く別物で、こういう自体でやはり押しの弱さが発揮されてしまうのだ。
成瀬も、冗談もしくは、からかいのレベルで秀弥に絡んできたのだろう。
それを間に受けた秀弥が、言われたとおりにキスをしてきたのを、さぞ面白おかしく思っていたことだろう。
ただ………からかいで男にキスをさせるかという疑問も―――そのうえ、ディープキスまでしちゃうもんなのかとも思うのだが、それは相手がやくざだからというわかったようなわからないようなこじ付けをしておく。
「やっぱ、俺にスキがあるのかな?」
気がついたら、生徒会長になっていた過去の逸話を思い出す。
例年、立候補者の少ない生徒会選挙は、各クラスから一名候補者を強制選出という形でどうにか体裁を保っている。秀弥のクラスは、その候補者を満場一致―――そういえば、そのとき成瀬は居なかったように記憶している―――で秀弥に決定したのである。あとは、几帳面で真面目な秀弥の性格がたたったのか、功を奏したと表現すべきなのか、完璧な演説を重ね、その結果、過半数の得票率をもって生徒会長に選ばれた。実は、その票の数十パーセントが、演説の際の彼の笑顔が決め手となったことなど全く存じ得ぬ秀弥である。しかも、そういった種の票の半数が男子生徒からのものであったとは、想像の範囲外であろう。
自分が、男にとってある種の欲情を発起させる存在とは露知らず。
そこがまた、男たちを燃えさせるのであるが………
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太陽は中天を少し越えた所でその存在をアピールしていた。
いつもは学食でクラスメートと、もしくは特権を行使して生徒会室で副会長の相葉貴久とパンを食べたりしているのだが、本日は少し趣向を変えていた。というのも、昼前に今週末の生徒会定例議会に関しての話で生徒会顧問の谷口先生から呼ばれていたのだ。
打ち合わせ自体は簡単なもので、ほんの10分ちょっとで終わったのだが、今から行けば確実に学食は込んでいるだろうし、貴久と昼食を共にする約束もしていない。貴久も、彼のクラスメートと学食にでも居るだろう。
というわけで、秀弥は購買部で購入したパンとコーヒーミルクを片手に屋上にやってきたのであった。
屋上は無論、生徒立ち入り禁止であり、一般生徒は施錠されているものだと考えがちだが、実は開きっぱなしなのである。もしもの時のためだとも、屋上設置の備品を点検する度にカギを持ってくるのが面倒くさいからだとも聞いているが、こんな先生たちのこぼれ話が入ってくるところが、生徒会でオイシイところである。まあ、こんなことしかオイシクないとも言えるのであるが。
それにしても、である。
「一体俺が、何をしたっていうんだ」
やはり、思考はそこに帰着してしまう秀弥であった。
秀弥が成瀬に何をしたというのだろう?
(家に行ったのが、まずかったのか?)
やはり、やくざとばれてしまったのが原因なのだろうか。しかし、おぼろげながら、「成瀬ん家はやくざ」という噂は前々からあった訳だし、今更そんなことでし返しなんてするだろうか。それも、関東をシめている真龍会の御曹司が。
「すると、やはり、原因は俺なのか………?」
混乱のあまり、秀弥の言語中枢がなんとも芝居じみた表現を口端に上らせる。
上方から、押し殺された―――殺しきれなかった含み笑いがこぼれ落ちてきたのはそのときだった。
屋上のさらにてっぺん。2メーター10センチの給水塔の上から。
「お前は本当にカワイイな」
低くて、でもこもっていない、響く声。
秀弥の鼓膜にインプットされた声。誰だか、目隠ししてもわかる。
「成瀬!」
秀弥の叫びと、コンクリに軽やかに飛び降りる成瀬の靴の音はほぼ同時だった。
ストンという空気の振動を感じたときには、成瀬は秀弥の真横に腰を下ろしていた。秀弥はその様を、ただ口をあんぐりと開けて見つめるだけであった。
「失礼」
くすりと笑って、そう告げる成瀬。
(こ、こいつ、こいつこいつ!)
聞かれていた。今までの、独り言を、全部、上で聞いていたのだ!
あんぐりと開けた口が少し窄まって、わなわなと震えた。
成瀬がどうしてここにいるのかなんてそんな瑣末事はどうでもいい。どうせ、成瀬の事だ。影の権力ってやつで、この屋上開放の情報ぐらい容易く入手できるんだろう。授業サボったりするときに活用できるし、なにより他人に邪魔されない静かなスペースだ。
………だからこそ、秀弥だとて声に出して不満を発散させていた感もある。
あったのだ!………だというのに、もっとも、それこそ世界中でお前にだけは聞かれたくないという、その張本人に聞かれていたなんて!
かああああっと頬が熱を帯びるのを感じた。
羞恥心が故なのか、成瀬に対する怒りが先に立つのか、その熱に思考回路が焼ききれそうな秀弥には判別できなかった。
視線が絡み合ったまま、秀弥は動くことさえままならない。成瀬の色素の薄い瞳が、太陽の光を受けてますますその色合いを淡く滲ませる。なんだかかえって底が知れなくて、他のクラスメートたちとは異色に思えて―――その考えを読み取ることは出来そうになかった。
ただその、淡いのに深い―――透明度の高い、どこまでも深い海を想起させる瞳。けっして海底の色を映し出しはしないのと似ている。深い色。その瞳に吸い込まれそうな錯覚が頭をよぎる。
パサリと落ちてくる髪も、太陽の下では純粋な黒髪とはいいがたい。亜麻色というのは、こんな色のことを言うのだろうか。触り心地のよさそうな、サラサラした流れ。
かっこいいな、と状況を忘れてそう感じてしまう。
そういえば、成瀬というヤツはタッパもあれば、足も長いし、顔は良いし、やくざだけど………やくざだからこそ、多分金持ちだし、頭はどうか知らないが、甲稜高校は一応地区トップレベルの県立高校であるという基準に照らし合わせると、そこそこの出来であることは事実であろう。
(むかつくぐらい、天は何物も与えてんな!)
その上、性格は物怖じしなくて(やくざのムスコが押しが弱いはずもない!)、けっこう自己中心的そうだし(他人に遠慮ばっかりするやくざのムスコってのもなさそうだし!)、今日の授業も上の空で秀弥を睨んでばかりいた(真面目にノートに転写するやくざのムスコ………なさそうな図だ!)。
典型的日本人な真っ黒の眼と髪、中肉中背、性格温和で生真面目、押しに弱い秀弥といい対照だ。
秀弥はくいっとあごを逸らした。視線を、意志の力で外す。
「………何の用だよ」
やたらとぶっきらぼうに―――そう聞こえるように配慮して、秀弥は成瀬に問いかけた。
「用、か。………用はないな。俺が寝ていたら、下でぶつぶつと独り言を言っている奴がいただけだ。多少、気が惹かれた。そうしたら小菅だった。まあ、それだけだ」
成瀬は実に楽しそうに、愉悦の響きを含ませた口調で答える。
それは大変珍しいことである。二年でクラスメートになって四ヶ月、その三分の二程しか出席していない成瀬であるが、教室でその表情を動かすことはまれであった。笑ったり、怒ったり、大声を上げたりなど、ほとんど見たことも聞いたこともない。普通なら、そんな生徒は影が薄くなりそうなものだが、成瀬の場合、内側から発する威圧的な存在感と黒い噂が故に、ますますその噂に拍車がかかっていったと言うのが現在までの正しい過程であり、秀弥の認識であった。
(こいつの笑いって怖いんだよ!)
昨日のことまで、思い出されてくるし。―――笑顔で、「キスしたら返してやる」そう言われたのは、今だ新鮮な記憶の内である。その記憶の中には、当然、キスした上にキスをされた………それも、初心者にはいたたまれないほどの深いヤツを差し込まれた事もしっかり刷り込まれている。
(油断大敵!)
がるると、そのうち唸りそうなぐらい気合を入れる。
「お、俺だって用は全然ないよ!! っていうか、俺、もう飯食ったし!」
気合の割には情けない台詞で、やはり逃げ腰の秀弥である。そそくさとパンの食べカスとコーヒーミルクの紙パックをビニール袋に投げ入れる。本格的に逃げの体勢を取る。
「小菅、ちょっとこっち向いて」
中腰になり、非常口ドア方面に体を向けた秀弥に、成瀬の声がかかる。実に冷静で平静で落ち着いている口調で、しかし有無を言わせぬ力の込められた声。後方から、がっちりと秀弥を捕まえ、捕獲する波動を含有している。
秀弥は、ぎくりと動きが膠着してしまう。
「なななななんだよ!」
成瀬を煽る効果しかない――――憐れな子羊・秀弥は全く気づいていないのだが―――怯えの混じった視線を向ける。心なしか、その漆塗りの漆器のように黒光りした瞳は潤んでいたりもする。つくづく、嗜虐心をくすぐる男のコである。
(や、やばい。やばいぞ。逃げないと!)
わかってはいるのだが、足も腰も立たないのだ。左頬には、強烈な視線を浴びて、そこから溶けていきそうだ。
「小菅………秀弥」
熱くて、溶けそうな頬を涼やかな成瀬の長い指が包んだ。いとも容易く体ごと成瀬の方に向けさせられて。
(あ………)
スローモーションのように、成瀬が近づいてきたかと思ったら、唇に熱が点った。
軽い、唇そのものを味わうようなキスは最初の数秒で終わった。
秀弥の息をつくタイミングを見計らったように、簡単に舌を差し込まれる。
「あ、う………んっ」
成瀬の動きをたどりきれない秀弥は、初回に続き、またもやあっさりと翻弄されてしまう。なにより、成瀬の味が―――キスの、そしてそれはきっと成瀬の唾液の味なのだ―――感覚的に符合して、初めてのときより一層甘くしびれて食感器を虜にする。
(っ………これ、が、成瀬の………なんだ)
ただ驚きに支配され鈍っていた前回と異なり、今回はなんとなく予感していたせいもあり、純粋にキスが味わえてしまう。
絡みあわせる成瀬の動き。単純ではない、でも決して一人よがりじゃない動き。秀弥の戸惑いに合わせて浅く、でもそれになれたところで一気に深く絡め合わせる。翻弄されている。でも………
(俺に、合わせてる?)
覆い被さるように、秀弥の口をふさぐ成瀬の口から止めど無く成瀬の唾液が送りこまれる。
直前にオレンジジュースを飲んだらこんな味になるんだろうか。甘酸っぱい、味。
(………嫌じゃ、ない)
そう思う自分自身に驚愕した。不意打ちのようにキスされたのに、甘い感じがするからって、酔ってんじゃない! 理性はそう唱えているんだけど。
絡み合った舌を解かれて、歯列をなぞられたときには、本能が秀弥を勝ち得ていた。
「んぅ………」
鼻から抜けるように快感を訴える吐息が漏れる。
それは多分、成瀬の耳をも掠めた。途端、成瀬の舌が一層激しく、深いところを突いて来た。
(きもち、イイ………)
訳がわかんないなりにも、それだけは確実に頭の中にぐるぐる駆け巡っていて、秀弥は自ら進んで成瀬の舌を追う。施された甘い唾液を味わう。
「秀弥………」
一瞬離された成瀬の唇から漏れる自身の名すら―――小菅から秀弥に言い換えられたことが気に障らないほど、低く響く声は快感を呼び起こす。
「なるせぇ………」
秀弥の黒目がちの眼が快楽に濡れた光を放つ。無意識の所作にしては、あまりに艶かしい。
その光が瞬いて、驚愕に瞳が見開かれたのは次の瞬間であった。
(あああああああ!)
成瀬の右手が、信じられない行動を取っていたのだ。
「や、止めろ! まじで、成瀬っ!」
理性が立ち戻った、故に必死の形相を秀弥は浮かべた。
なんとなれば、成瀬の指はいつの間にやら秀弥のベルトを外して今にもその中へ侵入しようとしていた――――いわゆる、秀弥の”貞操の危機”にあったからであった。
「い、嫌がらせならもう十分だろっ!!」
両手で死に物狂いの力で成瀬の右手を押し戻そうとする。
その、秀弥の渾身の努力を軽く受け流すかたちで、成瀬は右手を秀弥の太腿に持っていく。制服越しに、成瀬の手が太股内側に感じられた。ことさらゆっくりと内腿を擦られる。
「………本当に嫌なら、それなりの抵抗をしろ」
秀弥のプライドにヒットする台詞を耳元で囁かれて。
(こっちは必死なんだっての!このバカ力っ!!)
めちゃくちゃ楽しそうに―――秀弥の視覚上にやにやとわらっているようににみえるらしい成瀬は、自身の右手に取りつく秀弥の両手をいともあっさりと束にして片手で押さえこんだ。見事に決められた秀弥は、びくりとも動けないぐらいがっちり成瀬に組敷かれた形になる。
(くっそう〜〜!抵抗なんて、どうやってするんだよ!!)
叫んで助けを呼ぶのは、この状況では大変躊躇われる。男に襲われたなんて誰にも知られたくない!だがしかし、このままずるずるとコトに至るのだけは避けたい!
「や、止めて………成瀬」
結局、男らしい抵抗を観念した秀弥には懇願しか残っていなかった。
(体格が違うんだ………押さえこまれたらムリ)
と、心の中だけは屈服してはいないけど。そう自身に言い聞かせて。
下から成瀬を仰ぎ見る形。止めてくれと、願いを込めた瞳を向ける。視線が、交差する。
「………」
成瀬は一瞬、息を呑んだ。
罪悪感でもなんでもいいから、とりあえず、早くこの体勢を解いてくれ!秀弥の心の底からの願いは、だがしかし、次の成瀬の一言であっさり霧散する。
「わかってないな………」
(―――わかってないのはお前っ!)
心の中で、大きく反駁するが、両手を束ね取られた秀弥に抵抗の手段はほとんどなかった。両足を使おうにも、両足の間に成瀬に滑りこまれていては、空を蹴るばかりだ。
成瀬は中断されていた作業を再開するように、さくさくと秀弥のズボンの中から”それ”を取り出した。
(わああああ、まじでかよ〜〜〜!!)
「なるせぇ、勘弁してくれえええ!」
ほとんど涙声で訴えるものの、成瀬が意に介した様子はなかった。
とうとう晒された秀弥のモノを、しげしげと観察する。緊張のためか、小さく萎縮してしまっているモノ。
「み、見んなよ!」
無け無しの迫力を注ぎこむが、全く効果なし。というよりも、この体勢で相手をビビらせることなど出来ようはずもない。
(げ!)
そうこうするうちに、成瀬の長い指が秀弥のそれにそっと触れてきた。まだ柔らかなそれを手の内に収める。頬に触れたときはあんなに涼やかだった成瀬の手が、今度は逆に火傷しそうに熱く感じられた。
「や、止めようよ、まじで」
成瀬は秀弥の声など耳に入っていないように、手の内に収めたそれにやんわりと圧力を加え始めた。若さゆえというか、男なんてそういう直接的な快感に弱い生物なんだと今更ながら悟ってしまう。
(デカくなんなよ!)
はずかしくて、居たたまれないとはまさにこのことだ。止めろと言ったその舌の根も乾かぬ内に、体は正直に反応している。
「成瀬、今ならまだ間に合うしっ!」
どちらかと言うと、自分のほうが「今ならまだ間に合う」状況なのだが、秀弥は必死になって訴えた。下半身に力は入らなかったので、せめて両腕だけでも抵抗する。だが、屋上のコンクリに押さえこまれた両腕は、擦れてさらに痛みをもたらすだけであった。
「………少し」
秀弥の下半身を見下ろしていた成瀬の視線が、そのときようやく秀弥の顔面に注がれた。体勢上、成瀬の視線は上向きがちになる。その秀麗な容姿にサラサラと風で揺らめく亜麻色の髪が効果的に垂れていて。
どくんっ、と波打ったのは秀弥の心臓だった。
近づいてくる成瀬の顔を、目で追うしか出来なかった。ドアップの顔は、ほぼ完璧に整っている。その瞳が少しだけ―――ほんの少しだけ濡れていた。
「少し、黙ってて………」
口元で呟かれて、まさしく口を封じられてしまった秀弥は、なんだか、そのキスそのものよりも、自分の心臓の音に気づかれないかとそちらに気を取られてしまった。
(だって、俺………すげえ、音)
ばくばくいっているのが、耳から聞こえてきてもおかしくない。それぐらい、心臓が強く動悸していた。いつパンクしてしまっても変じゃないぐらいだ。
それを訴えたくても、ましてやこの状況を打破したくても、成瀬に口を封じられてしまい―――そのうえ、覚えさせられたばかりの舌の動きを促がされてしまい、秀弥はだんだんと理性をすり減らし始めた。下では、成瀬の指が次第に圧力を強めて秀弥のモノを追いたてていて、息がうまく継げなくなってくる。
「ん………」
とうとう、甘い響きを孕んだ息が鼻から漏れた。
やばいという認識は、どこかに―――脳内のだいぶ遠いところにあるのだと思う。
でも、それをはるかに越える、感覚。
下と上から、秀弥を翻弄する。
口を少しだけ離して、ぴちゃぴちゃと舐めるように秀弥の口内に舌を出し入れする成瀬の口に、揉むような動きから上下の往復運動にすり替えはじめた成瀬の指に、それぞれ陥落してしまう。
「あ、うぅんっ!」
自分でもびっくりするほど甘ったるい声―――嬌声とか喘ぎ声というやつが、飛び出てきた。
(も………わけ、わかんね………)
上り詰めていく、感覚。いわゆる、快感。
認識した途端、体内で一気に熱が燃え広がった。
いつのまにか、成瀬の口は完全に秀弥の口元から離れていた。しかし、封を切られた秀弥の口から漏れるのは、制止の声ではなく、下から自身を突き上げるようにこみ上げてくる快楽の喘ぎで。
「ああ………はぁん、ん!」
上下運動が巧みにリズムを変えて秀弥を絶頂の縁へ追いやっていく。
ただでさえ硬く張り詰めていたモノが、ぎゅっといきみを覚える。
(っくぅ!)
イクという本能が、体内を駆け巡る!
「ああっ!」
だがその瞬間、秀弥はそこに激しい痛みを感じただけであった。成瀬の指が、秀弥のモノの根元を絞める様に握っていたのだ。
「な………なるせぇ………」
息も絶え絶えに、訴える。なぜ、ここまでしておいて、そんな戒めを受けるのか理解できなかった。
しかし、そこで与えられた成瀬の一言が、秀弥のギリギリの思考に回答を授ける。普段の秀弥であれば、それはとても承諾できるものではなかったのだが。
「言ってみな。そしたら、望みどおりしてやるよ」
秀弥はまくが張ったような視界が取り払われるように感じた。
快楽におぼれていた全身がすうっと浮上してくる感じ。再び、クリアに現実を認識できた。
が、どうにも収まりがつかない自身のその部分もまた強く感じられて。イきそうでイけない。ギリギリで押し留められた辛さだけが、ただ苦しくて。
躊躇が―――羞恥が、本能に打ち負かされるのを自覚しながら。
「イかせて、成瀬」
風に消し飛ばされるぐらいか細い声。それでも、成瀬の耳には十分届いていた。
ふっと、笑ったように見えた。その顔が―――
「………え、ええええっ、な、成瀬っ!? ちょっ………ああああ!!」
スライドした先には、張り詰めて空にそびえる秀弥のモノが待ち構えていて、成瀬は、何のためらいもなくそれを口に含んだのだった。
「あぅ………やぁ………やめっ」
波涛のように、快楽の波が来た。
ただでさえ慣れていない秀弥なのに、その感覚には追いつきようがなかった。熱い成瀬の口腔に先端が触れる度にびくびくと腰が動いた。舌でその筋を舐められて、息が止まりそうになる。
強烈な刺激に、秀弥は数秒も耐えられなかった。
「あ、ああっ………も、駄目っ!!」
コンクリに爪を食いこませる。成瀬の口腔に欲望を放つのだけは避けたかったが、これ以上耐えられなかった。
目にいっぱい涙を湛えながら、一度大きく腰を揺らめかせて、秀弥は成瀬の口の中に快楽の証を解放させてしまっていた。
そのとき、屋上の放送スピーカーから、午後の授業開始5分前を告げる予鈴が大きく鳴り響いた。
その音で上体を起こした成瀬は、信じられないことに秀弥の精液を音もなく嚥下した。
「な、成瀬………」
(今、こいつ俺の飲んだ、よな?)
激しく否定したい自問自答が秀弥の脳内を荒れ狂うが、今まさに眼前で行われた行為を否定することは出来なかった。
「秀弥」
名を呼ばれたとき、反発するより先に返事をしてしまったのは、その自失がゆえだと秀弥のためにも強調しておこう。
「な、なに?」
ちょっぴり及び腰なのは、それはもう仕方がないことだ。そこを責めたら、秀弥が可哀想である。なんと言っても、相手はやくざで、その上秀弥に危害―――先ほどまでの成瀬の行為が危害でないはずがない―――を加える存在なのだから。
耳元で、囁かれた言葉は、そんな秀弥を固まらせるには十分な内容であった。
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成瀬は、固まって動かない秀弥を尻目に、非常口ドアから階下へと消えていった。
それを音で察しながら、秀弥はようやく”いかがわしい”様になった自身を服の中に収め、制服をきっちりと着なおした。
「はあああああ〜〜〜〜」
口からついて出るのは、ほんの少し前のため息とは比べ物にならないぐらい深くて、大きくて、力の抜けたもの。
「情けない………」
まさしくそれに尽きた。
午後の授業に参加する意欲も気力も皆無だったが、しかし、さすがは生徒会長になるだけある。秀弥は重たい体を引きづる様にして、教室に歩み始めた。
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