月のうさぎ 1 - 4
(1)
「・・・あいつら、何をやってるんだ」
午後の陽光降り注ぐ閑静な住宅街。
繋いだ手をブンブン振りながら歩く、中学生と小学生低学年くらいの二人連れ。
その見覚えある後ろ姿に緒方は車を停めた。
プッ。とクラクションを一つ鳴らしたが二人は軽く歩道側に引っ込んだだけで、
こちらに気づく気配はない。
プップクプップ・プップー。
鳴らし方を変えてやると、小さいほうの、髪形に特徴のある少年がちらっとこちらを見た。
直前まで楽しい話でもしていたのかニコニコしたまま振り向いたその顔が少し驚き、
手を繋いでいた年上の少年に興奮して何かを訴える。二人は立ち止まり、同時に声を発した。
「緒方さん!」
「よう」
窓を開けてひらひらと手を振ってやる。
その二人――芦原とアキラが、笑顔で駆け寄ってきた。
「緒方さん、こんにちは!変な鳴らし方をするから、どこの酔っ払いかと思いましたよー」
塔矢門下に弟子入りしてからだいぶ日が経ち、兄弟子に対してもすっかり遠慮がなくなって
きた芦原が爽やかに言った。
「酔っ払いは余計だ。二人とも、先生の家へ帰るなら俺も今から行くところだぜ。
乗って行くか?」
芦原とアキラが顔を見合わせた。
「いえ、オレたち極秘任務の真っ最中なんで、まだ帰れません。なっ、アキラ」
「ウンッ!」
アキラが元気に答えて芦原を見上げた。
(2)
「極秘任務?いったい何をするんだ」
「極秘だから言えません!」
しれっと答える芦原の横で、アキラは小さな両手で口元を押さえうふうふと含み笑いを
している。こういう時のアキラは話したくてうずうずしているのだ。
緒方は窓の外に片肘を出して、アキラに向かい女を口説く時でも滅多に見せない
真剣な表情で語りかけた。
「どうも芦原には信用がないらしいが――アキラくんならわかってくれるよな?
オレは秘密を外に洩らすような男じゃないぜ」
「ウン」
アキラは相変わらず含み笑いをしながら手を後ろで組み、もったいぶるように首を傾げて
それで?という仕草をした。切れ長の黒い瞳が挑むように緒方を見つめてキラキラ輝き、
サクランボのようにつややかな唇の両端がキュッと吊り上がって小さな窪みを作っている
心の中で苦笑しながら、緒方は更に真面目くさった顔で声を潜めてアキラに言った。
「だったらアキラくん、何をしに行くのか教えてくれないか?もしかしたら、オレにも
何か協力できるかもしれない」
「ウンッ、あのね――」
「あっアキラぁ!秘密だって言ったのに!」
芦原の嘆く声に煽られるように、アキラは満面の笑顔で声を張り上げた。
「あのね、ボクたちこれから、お月見のススキを取りに行くんだよ!」
(3)
仄かに白いススキ野原はどこまでも広く、綿毛のような穂が時折風にそよいで揺れている。
「この辺りに、まだこんな所があったのか」
「少し歩きますけどね。穴場でしょ」
緒方の感心する声に、芦原がやや得意そうな声で言った。
アキラは野原の入り口の道路脇で二人に手を繋がれながら、目を輝かせて、風が白い穂の
表面をうねるように撫で通っていくさまを見ている。
見上げれば濃青の光に満ちた初秋の空を、刷毛ですいたような跡を残して雲が駆け足で
流れ去っていく。
空にも地上にも風が吹いている。
だいぶ長いことこんな風に触れていなかったと緒方は思った。
「明子さんには3、4本でいいって言われたんですけど・・・少し多めに取っていったほうが
いいのかなぁ。これなんかイイ感じですよね。あ、あっちに花も咲いてる。持って帰ったら
飾ってくれるかなぁ。なあ、アキラ」
「どうせ雑草なんだから、別に好きなだけ取って行ったらいいだろう」
どうでもいいようなことをあれこれ声に出して悩んでいる芦原に、コイツもまだ子供だな・・・
と思いながら緒方は言った。
だが芦原は心外そうに口を尖らせた。
「そうはいきませんよ。コイツらだって生きてるのに、むやみに取って行ったら可哀相じゃ
ないですかぁー・・・」
結局、「お母さんが飾ってくれなかったらボクが自分の部屋に飾る」というアキラの一言で、
三人は選りすぐったススキ数本と目についた秋の草花を手分けして持ち帰ることにした。
「さっ、そろそろ行こうかアキラ」
「ウン・・・」
大事そうに抱えたススキの穂に頬や首筋をくすぐられるたびぴくんぴくんと首を竦めながら、
アキラは名残惜しそうに白い野原を見た。
その視線につられるように緒方ももう一度その光景を振り返った。
ススキの風の原だった。
(4)
塔矢邸に着くと、明子夫人が笑顔でススキを受け取ってくれた。
「あのね、お母さん――お花もあるの。でも地面に生えてた時より、元気がなくなっちゃった
みたいだなぁ・・・」
持ち帰る途中で少し萎れてしまった草花を、アキラがしゅんとして両手で捧げ持ち、
差し出した。
「まあ、そうなの」
夫人は笑って花を受け取りながらアキラの頭を撫で、しばらくぬるいお水に漬けておけば
元通りになるから大丈夫よ、と安心させた。
「それじゃ、私はこれを活けてから買い出しに行ってくるわ」
「あ、車を出しましょうか?」
「いいのよ、ちょっとそこまで足りない物を買いに行くだけだから。それより、
居間でお団子を丸めるのを手伝っていてくださる?今、主人が一人でやっているから」
師弟三人で、水で練った粉を一定の大きさに丸めては大皿に並べていく。
いつもなら真っ先にボクもやる!と騒ぎ出すアキラが、今日は母親から一本だけ自分用に
取り分けてもらった小さなススキを弄びながら、妙に静かに頬杖をついて三人の作業を
見守っていた。
その目が次第にトロンとして、瞬きの回数が多くなり、ついにカクンと頬杖が外れそうになる。
「アキラくん、眠くなっちゃったかな?」
緒方の声にハッと顔を上げて姿勢を正し、首を横に振る。
「ううん、ボク大丈夫だよ」
だが、再びついた頬杖がすぐにまたカクンと外れそうになる。
行洋に目配せされて緒方は静かに粉まみれの手を拭った。
それからアキラを起こさないよう、軽い体を、その手が大事に握り締めているススキごと
そっと抱き上げた。
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