Kids are all right. 1 - 5
(1)
「おがたくぅん、きょうはすっごぉくあったかいねぇ!」
そう言うと、昼食後、しばらく緒方と棋譜を並べていた塔矢家の一人息子、
アキラは縁側に腰掛けて、庭を眺めながら足をプラプラさせました。
まだ4月だというのに、壁に掛けた温度計は25度を超えそうな勢いです。
前日は寒くてアーガイル柄のウールのカーディガンを羽織っていたアキラですが、
今日は白いコットンシャツに薄い茶の膝丈のコットンパンツ姿で、
まるで初夏を思わせる涼しげな格好をしています。
庭の草木が生暖かい風に吹かれて、さわさわと音を立てる様子に耳を
傾けながら、アキラは瞼を閉じて顔を空に向けました。
「おめめをとじてるのに、おひさまがまぶしいんだよ!」
緒方は棋譜を並べていた手を休めて、アキラの方を向くと、少し困った
ような表情をして言いました。
「アキラ君、日に当たるなら日焼け止めを塗らないとダメだぞ。
太陽の光っていうのは結構恐いんだ」
アキラは両腕を空に向けて思いっきり伸ばして「ふぅ〜〜〜っ!」と大きく
呼吸すると、そのままころんと仰向けに倒れてしまいました。
閉じていた瞼をゆっくり開き、そのまま顔だけを少し反らすと、苦笑しながら
自分を見つめる緒方と目が合います。
(2)
「おひさまはきもちいいのに、こわいの?」
不思議そうな表情でアキラは緒方に尋ねました。
緒方はゆっくりと立ち上がると、アキラの側に行き、仰向けになったアキラの
顔を真上から覗き込みました。
「そうだよ。目には見えないけれど、お日さまの光はアキラ君に悪さをするんだ」
そう言うと緒方はしゃがんで、左手でアキラの頭をひょいと持ち上げ、
右手でアキラの頬をなでてやりました。
「ほら、頬がずいぶん熱くなってるぞ。自分でもわかるだろ?」
アキラはひんやりとした緒方の手の感触にちょっと驚いた様子でしたが、
すぐに緒方が触れているのと反対側の頬を自分でも触ってみました。
「ほんとだ!すごくあついや!おねつがあるみたい……」
アキラは神妙な面持ちで起きあがると、両手で頬をぴたぴたと軽く叩きながら、
胡座をかいている緒方の足の上にちょこんと座りました。
「おひさまにあたっちゃいけないの?」
緒方の表情を不安げに見つめながらアキラは尋ねました。
「日焼け止めを塗れば大丈夫なんだよ。ちゃんと日焼け止めを塗っている子には、
お日さまは悪さなんかしないさ」
緒方はそう言って笑うと、アキラの頬を両手で優しく包み込みました。
ひんやりした緒方の手が、太陽のした悪さを打ち消してくれるかのように、
アキラの頬の火照りを鎮めていきます。
アキラはうっとりとした表情で緒方の目を見ながら、甘えるように言いました。
「じゃあ、おがたくんひやけどめぬって!ねぇねぇ、ひやけどめぬったら、
おそとにいこうよ!ボクおさんぽしたいなぁ!!」
(3)
アキラの両親は、三日前からヨーロッパに出かけていました。
アキラの父親でありトップ棋士でもある塔矢行洋が、日本棋院の主催する
ヨーロッパでの囲碁ゼミナールに一週間参加するため、アキラの母親も
旅行を兼ねて同行してしまったのです。
一人日本に残されたアキラは、両親のいない一週間を父親の門下生である
棋士、緒方と過ごすことになったのですが、これまでにも何度か同じような
経験をしているアキラにとって、緒方と過ごす生活は楽しくて仕方がありません。
一人っ子のアキラにとって、緒方の存在は,囲碁を教えてくれたり、自分の面倒を
見てくれる少し年の離れたお兄さんのようなものなのです。
「ハハハ、そうだな。こんなに天気がいいのに家にいるのも勿体ないし、
どこか公園でも行こうか?」
緒方の提案に、アキラはもう大興奮です。
「わぁいっ、こうえんにいくんだぁっ!!ねぇねぇ、おやつをもっていこうよ、
おがたくぅん!れいぞうこのプリン、もってっちゃだめかなぁ?」
満面の笑みを浮かべながらはしゃぎまわるアキラを緒方はひょいと持ち上げると、
立ち上がって肩車をしてやりました。
「プリンか……。そうだ、冷凍庫に保冷剤があったはずだな。よし、アキラ君の
お望み通り、プリンを持って出かけるとするか!」
アキラは緒方の肩の上で嬉しそうに手を叩きました。
「わぁいっ、プリンだプリンだぁっ!!あっ、そうだっ!すいとうにむぎちゃを
いれていこうねっ、おがたくんっ!!」
緒方は「仰せの通りに致しましょう」とおどけたように返事をして、アキラを
肩から床に降ろすと、アキラの鼻の先に指を当てて言いました。
「洗面所に日焼け止めがあるから、ちょっと待ってるんだよ。日焼け止めを塗ったら、
おやつの準備開始だ」
(4)
緒方が日焼け止めを取りに部屋から出ていくと、アキラは腕を大きく振り上げながら
部屋中をぐるぐるスキップし始めました。
可愛らしいおかっぱに切り揃えられたアキラの髪が、スキップする度に軽やかに揺れます。
突然、ふと思い出したように立ち止まると、アキラは家中に響き渡るような大きな声で言いました。
「おがたくぅんっ、おぼうしもかぶたっほうがいいよねぇっ!!ボクのおぼうしどこかなぁっ?」
そこへ緒方がくすくす笑いながら、日焼け止めと茶色の帽子を持って現れました。
アキラは驚いたような表情で緒方を見上げます。
「おがたくんはまほうつかいみたいだなぁ……。おがたくんはボクのかんがえてることみんな
わかっちゃうの?」
緒方はアキラの頭を軽くポンポンと撫でてやると、アキラの前に膝をつき、
日焼け止めのキャップを開けて中身をアキラの顔や腕や足に塗り始めました。
「みんなかどうかはわからないな。でも今日のアキラ君の格好に、この帽子が似合うだろうと
思ったんでね」
そう言って、ウインクして見せる緒方をアキラは「えへへ」と照れ笑いを浮かべながら
嬉しそうに見つめました。
(5)
茶色い帽子を被り、同色の革靴を履いたアキラは、緒方としっかり
手を繋いで元気よくてくてくと歩き出しました。
緒方が持つ紺色の帆布のトートバッグには、保冷剤を入れてしっかり
タオルで包んだプリンが二つと、冷たい麦茶を入れた魔法瓶、そして
バナナも入っています。
アキラの歩くペースは、足の長い緒方がわざわざ気を遣う必要もないほど
速く、力強いもので、アキラの喜びようが緒方にもひしひしと伝わってきました。
「さて、どこの公園に行こうか、アキラ君?」
緒方は繋いだアキラの手を軽く振りながら尋ねました。
「ボク、いっぱいあるけるよ!ちょっととおいところまでいってみようよっ!!」
勇ましく答えるアキラを楽しそうに見つめながら、緒方は言いました。
「そうだな……、確か少し先に大きな噴水のある公園があったな。
アキラ君、行ったことはあるかい?」
アキラはびっくりしたように目をまん丸くさせて、緒方の顔を凝視しました。
「……おおきなふんすい?すごぉいっ!!いったことないや。ボク、
そこいきたいっ、そこいきたいっ!!」
アキラは大はしゃぎで、ぴょんぴょん飛び跳ねながら緒方と繋いだ手を
ぶんぶんと勢いよく振りました。
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