夏祭り 1 - 5


(1)
バイトが終わって家に帰ると、忘れていった携帯に母親からの伝言が入っていた。
「たまには顔を出しなさい」ときたもんだ。
折り返して電話をかけてみると、明日の昼前には家に到着しておくようにと一方的にまくし
立てられる。……俺の都合というのは一体。
どうせアキラも明日は研究会とやらがあるらしいし、俺には他に用事らしい用事もなかった
のも事実なのだが。
「アキラたん……」
名前までキラキラしているようなアキラ。美人で可愛くて感じやすい俺の恋人。
その俺の恋人は最近イゴの研究会の回数を増やしたのだ。
囲碁のことは俺には全くわからないが、そもそもどうして接点の全くないアキラが俺の恋人
になったのかもよくわからないでいた。
「アキラたん、ああアキラたんアキラたん……」
アキラが鈴を転がすような高い声を上げ、ハスキーボイスで俺の名前を繰り返していたのは
つい一昨日のことだった。
でも、足りない。全く足りない。東京の七月の日照時間は平年の1/3らしいが、俺なんか
慢性的なアキラ不足なのだった。


(2)
よくよく考えてみると、電車を乗り継いで一時間もかからない場所にある実家に、かれこれ
半年ばかり顔をだしていないことに気づいた。母親の我慢が堪り兼ねるのも仕方ないこと
なのかもしれない。
一応泊まるつもりで荷造りをし、建付けのよくないドアのカギをかけているとトントントン
と軽い足音が階段を駆け上ってきたのを感じた。
この足音には聞き覚えがあった。だが、俺は切なくならないよう、努めて階段の方へ視線を
やらずにいた。アキラのはずがない。アキラは今頃進藤とやらと研究会の真っ最中のはずだ。
「尚志さん!」
アキラのはずがない。だがこのやけに耳障りのいい綺麗な声は――彼以外のなにものでもない。
俺はゆっくりと左に顔を向けた。
「……アキラたん!」
「こんにちは」
この暑いのに、アキラは帽子もかぶらずにてくてくと歩いてきた。ジーンズにTシャツという
何気ない格好でも、姿勢が抜群に綺麗なアキラは際立って見える。
「今日は研究会じゃ…?」
「進藤が夏風邪をひいたみたいで、中止になったんです。…でコレ」
何が嬉しいのか、アキラはにこにこと微笑みながら手に提げたビニール袋を掲げて見せた。


(3)
「そうですか…。じゃあボクも帰ります。駅まで一緒に行きましょう」
2リットル入りのペットボトルを運んできたアキラは両手でビニール袋を持ち直すと、俺が
カギを抜き取るのをじっと待っている。
「ごめんねアキラたん。この埋め合わせは必ず! アキラたんが嫌がっても必ず! する
からね。手始めにうちの店でソフトクリーム巻かせてあげる」
単純なようだが、俺が巻いたソフトクリームにも感動していたアキラはその埋め合わせの
内容で、幾分気分も浮上したようだった。
「上手く作れるかな…」
「大丈夫だよ。アキラたんはいつも一生懸命だからすぐに上手くなるよ。アレも上手になっ
たし」
そうだ。アキラは疑いをしらない上にいつも一生懸命なのだ。だから俺が要求するどんな
ことも鵜呑みにして実行してしまう。根が真面目なせいもあるし、飽くなきチャレンジャー
精神も兼ね備えていてそれが夜の生活に一層彩りを添えてくれる。…尤も、俺はアキラが
苦痛に感じるようなことは何一つ要求したことはないが。
照れたように俯いたアキラの手からビニール袋を奪うと、俺は階段を降り始めた。
「あの。…じゃあ一つだけ今埋め合わせしてください」
郵便受けの前で彼を待っていた俺と向かい合うように立つと、アキラは照れ笑いを浮かべる。
「駅まで、アイス食べながら歩きたいなと思って。…駄目ですか?」


(4)
駅前まで来たところで、アキラが書店を見て帰ると言い出した。
それだけで2kgもあるペットボトルがいかにも重そうで、俺はそれを貰って家族への
土産にすることを決めた。
「じゃあ、また明日には電話するから」
「ええ。待ってます。じゃ」
アキラは書店の前で立ち止まると、右手を軽く挙げる。同じようにして返し、俺は切符
売り場の列に並んだ。
アキラは目当ての本が見つかったのだろうか。
こっそりとメールを打ったが、彼からの返事はなかった。

「尚志にいちゃん、ゆかたー」
「あーあーかわいいよ」
家に帰ってくるなり、もう三回は同じ台詞を聞いた。隣の家の娘の麻奈は目が合うと裾
のひらひらを見せたり、柔らかそうな帯を弄ったりしている。
隣の家は今年の春から共働きで、日曜は俺の家で預かっていることが多いと聞いていたが
本当だった。とはいえ、母親も毎週子供に付き合うのも体力的にキツイのだろう。
俺が帰ってくると麻奈の世話を俺に押し付けて自分は買い物に行ってしまった。
「暑いだろう麻奈。まだ行かないんだから脱げば?」
「脱げばだってー。えっちー」


(5)
「エッチって……おまえね」
小学生の裸を見て誰がムラムラするか、ボケ。俺がムラムラするのは、おかっぱで目元の
涼やかなアキラたん限定なんだよコラ。
「こんなことならアキラたんといればよかった…」
アキラは猫のような子で、気まぐれに俺の部屋にやって来てはのんびり過ごして帰る。
俺の部屋に入ると必ずムラムラした俺にムラムラされることを知っているのに、それでも
彼から俺の部屋を訪ねてくるということは、アキラも俺にムラムラしたりするのだという
ことだ。
背中におぶさってくる麻奈の子供らしい高い体温にウンザリしながら、俺はアキラという
恋人の繊細な指先やなかなか上がらない体温を思い出す。
……ヤバイ、ムラムラしてきた。当たり前だけどそれは麻奈に対してではない。
「麻奈、麦茶飲む?」
「うん。アイスも食べる」
俺はいそいそと立ち上がり台所の冷蔵庫を開けた。冷凍庫の中からアイスも取り出して
持って行ってやる。
「尚志にーちゃんは食べないの? アイス」
「さっき食ってきたんだよ」
アキラが買って来たアイスの味が二つとも違ったから、取りかえっこしながらな。
その甘い時間を反芻していると、またムラムラが甦ってきた。



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