夏祭り 6 - 10


(6)
母親はそれから小一時間ほどして帰ってきた。帰ってくるなり『何もなかった?』と声を
顰めて訊ねられた。珍しいこともあるものだ、と思う。
「いや」
「外にね、ヘンな子がうろうろしてるのよ。お母さんが出かけるときにもいたのに、帰っ
てきてもまだうちの前にいたの」
ヘンでしょう? 卵やら豚肉やらと次々に仕舞いながら、母は麻奈に向かって「お祭りでは
尚志お兄ちゃんの手を離さないように」などと告げている。…もしかして、自分は行かない
つもりなのだろうか。この母親は。
「見間違えとかじゃないの?」
今日日の若者はどれもコレも似たような格好をしているものだ。もう若者と言われていた
時期から遠く離れてしまった母に見分けが付かなくても俺は責めたりはしない。
しかし、母親は納得しなていないようだった。
「だって、オカッパ頭の男の子なんてそんなにいないでしょ」
!!!おかっぱ!!! その単語を聞くと同時に、俺は部屋を飛び出した。
「バカおふくろ、ソレを早く言えって!」
おかっぱ頭の男の子なんて、オレは一人しか知らない。
「アーキーラーた――ん!」
ツッカケを履いて外に飛び出すと、電柱の陰に座っていたアキラが急に立ち上がり、わた
わたと背中を向ける。…と、不自然な歩き方をしたと思ったら前のめりに崩れおちた。
「アキラ……っ!」


(7)
崩れ落ちる様はスローモーションのようにゆっくりに見えた。だが、俺の足は枷がついて
いるかのように重く、なかなかアキラの元へと辿り着くことは叶わなかった。
だが、それでも懸命に駆け寄り抱き起こすと、この暑さにも関わらずアキラは真っ青な
顔で震えている。
「アキラたん、アキラたん!!」
うわ言のように名前を呼び、抱きかかえて玄関へと走ると、丁度母が麻奈と一緒にドアを
開けるところとぶつかる。案の定母はアキラに見覚えがあったようだった。
「あら尚志、その子よ!」
ホラ、お母さんの言ったとおりオカッパでしょう。なんて威張る場合か? コレが!
「友達なんだ。急に倒れた」
そのまま二階へと運び入れると、クーラーを効かせた俺の部屋のベッドの上にとりあえず
アキラを寝かせた。
母が持ってきたタオルで汗を拭き、氷水を入れたビニール袋を首筋に押し当てる。
「尚志、救急車呼んだほうがいい?」
電話の子機を片手に、母が俺のシャツを引っ張って耳打ちしてきた。
「そうだな……」
その方がいいのかもしれないと思う。
顔が赤いのならまだ話は簡単だったが、その顔色の悪さが何か妙に不安になった。


(8)
「吐いたりはしていないから、それほど酷くないとは思うんだけど」
母はのんびりとした口調でそんなことを言うが、アキラの顔はいかにも具合が悪そうだった。
なにか飲み物でもと母が出て行ったあと、クーラーの設定温度をさらに3度ほど下げる。
「アキラたん……」
アキラたん。ああアキラたん。アキラたん。キミがもし、取り返しの付かないことにでも
なったら俺はどうすればいいんだい? 
考えただけでも泣けてきそうで、俺はヤケになってアキラの鎖骨へ向かってつぎつぎに滴り
落ちてくる水滴をタオルで拭った。
けぶるような睫毛が僅かに上下したのは、それから間もなくのことだった。
「アキラたん……! 気がついたか?」
アキラは不思議そうな顔で薄く目を開いては部屋中を見回している。
「ここ? 俺の部屋。アキラたん外で立ってて倒れたんだよ。覚えてる?」
「ええ……」
億劫そうに頷くが、アキラの指先はピクリとも動かない。
「まだ辛いんだろ? 起きちゃ駄目だよ」
一階に駆け下りると、母が俺の持ってきたウーロン茶とコップを盆の上に乗せるところだった。
「あら、起きたの」
ウンウンと頷くと、ずっしりと重い盆を手渡される。
「あんた、冷蔵庫にあったポカリを全部飲んじゃったでしょう。……仕方ないから、お茶に
少しこの塩水を混ぜて、たくさん飲ませなさい。脱水を起こしてるかもしれないから」


(9)
抜き足差し足で戻ってみると、相変わらずアキラはぼんやりと天井を眺めていた。
「喉渇いただろ? オモタセで悪いけど、ウーロン茶持ってきた」
「すみません…」
「今更遠慮なんかする間柄じゃないだろ、アキラたん」
俺のアパートであれば、有無を言わさずマウストゥマウスでアキラに水分を補給してやる
ところだったが、生憎それをここですることは躊躇われた。
俺はいずれアキラと一緒に暮らすことになるだろうが、カミングアウトの時期にまだ来ては
いない。
カミングアウトするには勘当されても暮らせるだけの生活基盤を固めてからだと考えている。
そのためにも今夜は両親ととことん就職について語るつもりだったが、今日は諦めた方が
よさそうだった。
「アキラたん。…起き上がれる?」
「ええ」
安心できる重みを抱き起こし、背中に枕を当てて安定させる。
アキラはぐったりしてはいたが、手をついて自分自身を固定させることができるほどには
体調が戻ってきているようだった。
アキラの口にコップをあてがうと、夏場に一晩中愛し合った後のような勢いでアキラは
ウーロン茶を飲み干す。
彼がコップを傾けるたびにお代わりを注いでやり、ペットボトルの1/3ほどをアキラに摂ら
せると、ようやく彼は人心地ついたようにコップを手から離した。


(10)
「ふぅ…っ」
満足げな大きな溜息をついて、アキラは起こしていた上半身を後ろに倒した。
タオルで首元に滴った雫を拭いながら前髪を掻きあげてやると、アキラはうっとりと目を
閉じる。あらわになった額に自分の額をくっつけて体温を確かめると、そう俺と変わらない
体温に戻っていた。
「大分楽になったみたいだね」
「うん。すごく喉が渇いてたみたい」
アキラは目を閉じたまま唇の端だけを綺麗に上げて微笑む。喉をくすぐるとそのままグルグル
と啼きそうな様子だ。
「……ね、さっきの人、尚志さんのお母さんでしょ?」
我慢できずに、アキラの弾力性のあるグミのような唇を口に入れる。返事の代わりだ。
先ほど飲んだウーロン茶のせいかアキラの唇は少し冷たくて、本物の佐藤錦のようだった。
しかし、こちらの方が何倍も貴重なものだ。唯一無二にして極上。そして、佐藤錦は頻繁に
盗難に遭っていたが、このアキラ錦は俺以外には口にできないときたもんだ。
「尚志さんにも心配かけちゃったし、お母さんにもひどく迷惑をかけてしまいましたね。
…ごめんなさい。もし尚志さんのご家族に会うことがあったら、もっときちんとご挨拶した
かったのに」
「謝らなくていいって。…な? アキラたん」
大事な大事な生きた宝石が俺の手の中にいる。それだけでいい。



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