Sullen Boy 11 - 15


(11)
 ビルの谷間から顔を覗かせる朝日に気付くと、アキラは大きく伸びをした。
「……随分明るくなってきましたね」
「ああ……。アキラ君、また寝るだろ?」
「そのつもりですけど……緒方さんは?」
「オレもシャワーを浴びて寝るとするか。明日は特に用はないよな?」
 アキラが頷くのを見て、緒方はサンダルを脱いで部屋に入ると、アキラを手招きする。
「ここでちょっと待っててくれ。今、足を拭くものを持ってくる」
 緒方は足早に洗面所に向かうと、タオルを濡らして固く絞り、再びアキラの待つベランダの
入り口へと戻った。
「拭いてやるから足を出せよ、アキラ君」
「……自分でできますよ。子供じゃないんだから……」
「つべこべ言わずに出せ」
 そう言いながらも、既にその場に屈んでアキラの片足を自分の方に引き寄せていた緒方は、
丁寧にその足を拭きながら、アキラを見上げる。
「昔、こうやってアキラ君の足を拭いてやったことがあるぞ。覚えてるかな?」
「……いつ頃でしたか?」
「『おがたくん、プリンぷっちんしてっ!』の頃だ」
「……ボク、そんなこと緒方さんに言いましたっけ?」
 緒方はつれないアキラの言葉に、子供のように頬を膨らませた。
「なんだ……忘れるとはヒドイぞ」
「……でも、緒方さんさっき言ったじゃないですか。ボクは随分変わったって。あの頃のボク
じゃないんでしょ?『おがたくん、プリンぷっちんしてっ!』の頃のボクは、今のボクとは
違うんでしょう?」


(12)
 勝ち誇ったように見下ろすアキラを悪戯っぽく見返すと、緒方はフンと鼻で笑う。
「そうとも限らないぜ」
 言うや否や、拭いていたアキラの足の裏をくすぐり始めた。
「あァッ……ちょっと…やッ………ァンッ!………おが…た…さん………ヤダァッ!!」
「クックック。昔と変わらず可愛い声で鳴くじゃないか、アキラ君。だが、さっきも言ったように、
ここは集合住宅なんだが……」
 絶え間ない緒方の攻撃に、アキラは甘い鳴き声を上げながら、目尻を微かに濡らして身を捩った。
そんな中、緒方の背後である物体が妖しく蠢く。
「…………ウニャ?…………にゃんか……あったんれしゅかァ…………?」
 他でもない、脳天気な声の主は床に寝転がっていたはずの芦原だった。
上体だけ起こし、目を擦りながら硬直した2人の方をボーっと見つめる芦原は、寝ぼけているらしく
呂律が回っていない。
「……いや、なんでもない。ゆっくり寝てろ……」
 言葉こそ優しいが、屈んだままの緒方の肩は怒りに震えている。
「……ふぁぁい!……おやしゅみなしゃぁい……」
 言い終わらないうちにゴツンと痛そうな音を立てて再び床に寝転がった芦原に、アキラは心から感謝
しつつ、戦慄く緒方の手から濡れタオルを奪取した。
手早くもう片方の足を拭くと、目の前に屈む緒方の脇をすり抜けて、リビング内に足を入れる。
そっと窓を閉め、ブラインドを下ろすと、緒方の方に向き直った。


(13)
「……わざわざ拭いてもらって、どうもありがとうございました……。はい、これタオル」
 緒方の目の前にタオルを差し出すアキラの手も、心なしか怒りに震えている。
「オレに渡す前に、芦原の顔をそれで拭く気はないか?」
「……ありません……」
 立ち上がって、アキラの手からタオルを受け取ると、緒方は引き裂かんばかりに強くタオルを
引っ張りながら、忌まわしいものでも見るかのように、床に転がる芦原を見下ろした。
「昨日、オレは碁会所でアキラ君を夕飯に誘いはしたが、キサマを誘った覚えはないぞ……。
夕飯だけならまだしも、明日は日曜日だしとか適当な理由を付けて、コンビニで酒やら何やら
買わせた挙げ句、オレの部屋までノコノコとついて来やがって……」
「……ボクもついて来ましたけど?」
「アキラ君はコイツに引っ張られて、仕方なくついて来たんだろ?キミに罪はない。むしろ、
アキラ君なら歓迎するさ。……だが、コイツはだなァ……」
「……でも、ボク緒方さんのベッドを占領してるんですけど……。迷惑じゃありませんか?」
「未成年のアキラ君を深夜の酒の席につきあわせるわけにはいかないからな。キミは先に寝室の
オレのベッドで寝て、飲み終わってからオレはそこのソファで寝て、芦原は床に転がしておく。
実に合理的な方法だと思わないか?」
「…………」
 アキラは額を手で押さえたまま、しばらく黙り込んでしまった。


(14)
「……芦原さんをソファで寝かせてあげませんか?緒方さんはボクとベッドで寝ればいいじゃないですか。
あのベッド、2人でも十分寝られる広さだし……」
 こめかみに血管を浮かせる緒方の顔を覗き込んで「ねっ?」と頼み込むアキラに、緒方は不承不承頷いた。
「随分芦原に優しいじゃないか。……まあ、コイツをベランダに放り出さなかったオレも、慈愛に満ちた
男かもしれんな、フフ。……オレがキミと一緒に寝るのは構わんが、その前にひとつ訊いておきたいことがある……」
「……なんですか?」
「アキラ君は昔のアキラ君なのか?」
「……は?」
「寝相のことだ。……オレは昔、キミに添い寝していて強烈な踵落としを鳩尾に食らった経験があるんだが……」
 アキラの顔が瞬時に耳まで赤くなる。
「……そんなことしましたっけ、ボク?」
「ああ、したとも。あどけない可愛らしい寝顔で、殺人的な一撃をお見舞いしてくれた」
「……それもやっぱり『おがたくん、プリンぷっちんしてっ!』の頃ですか?」
「そうだ」
 そんなことをした記憶が全くないのか、アキラは顔を紅潮させつつも、首を捻る。
その様子を苦笑混じりに見つめていた緒方は、アキラの背中を軽く叩いた。
「まあいいさ。取り敢えず、芦原をソファに寝かせるから、手を貸してくれないか?」
 アキラは頷くと、床に寝転がる芦原の肩を持ち上げる緒方を手伝い、その両脚を持ち上げる。
緒方が芦原の身体を手荒くソファに放り投げるのに合わせて、アキラも手を離した。
「…………ん〜〜〜…………」
 乱雑にソファの上に落とされた芦原は、起きる様子もなく、脳天気に爆睡し続けている。
芦原の姿に2人は思わず見つめ合うと、小声で笑い出した。

「オレはシャワーを浴びてくるから、アキラ君は先にベッドで寝てるといい。オレが寝る時に、起こすかもしれんが……」
「ボク、緒方さんが来るまで起きてますよ」
「そうか、悪いな」
 浴室へ向かう緒方に軽く手を振って、アキラは寝室に向かった。


(15)
 ベッドに腰掛け、サイドテーブル上の時計をチラリと見ると、5時を10分ほど過ぎている。
(6月って、夜明けが早いなぁ……)
 アキラはしばらくブラインドの隙間から差し込む早朝の光を見つめていたが、何を思ったのか
ベッドに突然仰向けになった。
片足を持ち上げると、力を入れずにそのままドスンと落下させる。
(……踵落とし……したかなぁ、ボク?)
 目を閉じて、同じ動作を何度か繰り返していたアキラは、間近に人の気配を感じ、
慌てて起き上がった。
「……まさか予行演習じゃないだろうな?」
 バスタオルを腰に巻き、引きつった顔でそう尋ねる緒方に、アキラはブンブンと
激しく首を振って必死に否定する。
緒方は肩をすくめると、クローゼットの扉を開け、中からアキラが着ているパジャマと
色違いのライトブラウンのものを引っ張り出し、手早く身につけた。
「これだとアキラ君には袖と裾が長かったかな?」
「ちょっとだけですけどね。でも、着ていてそんなに違和感無いですよ」
「そうか」
 どことなく嬉しそうに答えるアキラに、緒方は穏やかに笑って頷いた。



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