夏祭り 11 - 15
(11)
「そうだ。聞きたかったんだけど、外にいたのはどうして?」
アキラ錦を親指でクニクニと弄びながら訊ねると、わかってるんでしょう、とアキラは頬を
膨らませた。先ほどよりもずっと血の通った薔薇色の頬を、まるで搗きたての柔らかな餅の
ようにぷっくりと膨らませる。
「わかってないから聞いてるんだよ、アキラたん」
親指を歯の隙間から中に差し入れると、口を閉じられなくなったアキラは口の端から唾液を
滴らせた。それらがアキラの髪を湿らす前に、俺は舌で掬い取る。
「麻奈…さん……を見たかったんだ。尚志さんは妹みたいだって言ったけど、麻奈さんはそう
思ってないかもしれないじゃないですか」
「ただの幼なじみだって言っただろ?」
アキラが寝ているベッドに上半身を倒してアキラの顔を覗き込むと、アキラは子供がよくやる
イヤイヤをした。明らかに俺の視線を避けようとしている。
「それは尚志さんの願望かもしれない。…尚志さんは、自分がどれだけカッコイイのかまる
でわかってないんだ……!」
俺の方を頑なに見ようとせず、アキラは天井を睨みつけて言葉を荒げた。いつもは他人行儀と
思えなくもない丁寧語を離すアキラだから、こういった感情の吐露は俺に甘い興奮を与える。
「麻奈がせめてアキラたんくらいの年齢ならそういうこともあったかもしれないけどね…」
ふと、アキラが俺のほうに顔を向けた。無防備な表情で、白と黒のコントラストが鮮やかな
瞳が俺だけを映している。
(12)
「ちょっとまってて。呼ぶから」
「尚志さん、駄目……っ!」
俺はドアを開けると、階下に向かって麻奈の名を叫ぶ。
ばさりと音がして振り返ると、どうしてかアキラは俺愛用のタオルケットを頭から被り、
丸くなっていた。
すぐに返事があり、俺や母親がかかりきりになっている『倒れていた男の子』に興味津々
だったはずの麻奈は階段を駆け上がってくる。
「麻奈、この兄ちゃんの具合が悪いから、祭りには母ちゃんに連れて行ってもらえ」
「えー」
子供の麻奈はいかにも子供らしい不満の声をあげる。
「母ちゃんのが金持ってるから色々買ってもらえるって」
「そうかなぁ」
麻奈の声はアキラが聞いても明らかに子供の声だ。その証拠に、アキラは被っていたタオル
ケットを少しずつ捲り、顔を覗かせはじめている。すぐに、アキラは自分の心配ややきもちが
無駄だったことに気づくだろう。
「第一、俺はわたあめは買ってやらないぞ。あんな砂糖が500円もするなんて、冗談じゃない。
元値は20円くらいだぞ、20円」
「じゃあおばちゃんに連れてってもらうー」
「…ボクも行きたいな」
いつの間にかタオルケットを肩まで下げていたアキラがそう言ってにっこりと微笑んだ。
「尚志さん、連れて行ってください」
(13)
「麻奈ちゃん、そっちは危ないよ」
アキラが手を伸ばすと、道路を横切ろうとした麻奈は素直に戻ってきてアキラの白い手を
取った。闇に浮かび上がる膝丈のズボンから覗く脛までが白く、俺はまたムラムラとしかける。
当然のことながら、麻奈はアキラが気に入ったようだった。当たり前だ。アキラの美しさや
可愛らしさは大抵の人間に好意的に受け入れられるタイプのものだった。
アキラは俺が以前着ていた甚平を着ている。外はまだ蒸し暑く、熱中症になりかけたアキラ
がジーンズを履くことを、母親が許さなかったのだ。
「麻奈ねえ、ラムネはじめてのんだよ。あのカラカラってとれないのかなあ?」
イカ焼きをぱくつきながら、麻奈はラムネのビンに入っていたビー玉のことを訴える。ビンを
割ってでも取り出そうとしていた麻奈を二人がかりで止めたときは、もっとぐずられるかと
思ったが、アキラはこう見えて子供の扱いに慣れているようだった。
「取れないと思うよ。…ねえ尚志さん?」
「取れないだろうな。……アキラたんも何か食べる? フランクフルトは?」
「いえ」
「じゃあチョコバナナは?」
「あ、食べてみたいです」
「麻奈もー」
すかさず手を上げる麻奈に舌打ちしながらも、俺はチョコバナナを2本買った。
麻奈に手渡して、次にアキラの口元にチョコバナナを持って行く。
(14)
「尚志さん?」
「――このまま食べてよ」
俺のはバナナほど貧相なものではないと自負しているが、アキラは角度やらなにやらで察した
ようだった。夜目でも判るほど赤くなった頬で、それでも嫌がらずに俺のバナナを口に頬張る。
口の中のバナナを何度かスライドさせているうちに、我慢できなくなったらしいアキラの
白い歯がチョコレートを齧り、バナナを噛み砕いたあたりでは俺の股間も痛んだ気がしたが、
なんともいやらしいアキラの所作にそれも忘れて見入ってしまった。
「も…いいです」
半分ほどバナナを胃の中に収めたアキラは、恥じらいに目元を染めて俯く。その残りを食べて
いると、いつの間にかアキラもまた俺の口元を凝視していた。俺が妄想したように、アキラも
いつかの出来事を思い出しているのかもしれない。ただ、アキラのもこれほど貧弱ではない。
これは俺の口の感覚ではっきりと断言できることだ。
「そんなので遊んでいないで、早く食べてしまってください」
早口に命じられて、俺は凍ったバナナをガリガリ噛んだ。
やっぱり股間でも痛くなったのか、アキラは可愛い顔をしかめてそっぽを向く。
そしてそのまま肩口の匂いを確かめるように息を吸い込んだ。
「樟脳臭い?」
「いいえ。…尚志さんのうちの優しい匂いです」
アキラはそう言って微笑んだ。
(15)
「――尚志さん、さっき聞こえてきたんですけど、天城越えっていう歌があるでしょう?」
「カラオケでおばさんが歌ってた?」
唐突な話題転換だが相槌を打つと、アキラが頷く。切れ長の澄んだ瞳はもう笑みを浮かべて
おらず、俺はアキラの可憐な唇からどんな言葉が飛び出してくるのかと身構えた。
アキラは割と物事をズバズバ口にする子なのだ。
「ボク、あの歌の意味が今日はじめて解った気がします。今日外で麻奈ちゃんを見ようと
思ってずっと待ってて……、気がついたら尚志さんの後をつけて歩いていて。外で
待っているときもどんどんイヤなことを考えてしまって、もし、麻奈ちゃんがボクの危惧
どおりだったら、アナタを殺してしまうかもって思ったんです。
もちろん本気じゃないけど、本当に何をするかわからないかもしれないって」
自分でもどうしてあんなに動揺したのか判らない。アキラは道端にしゃがみこむと、膝を
抱えた。何を思ったか、麻奈まで同じように座る。
「貴方を殺したりしたら、もう逢えないのに。貴方を失うことがなによりも怖いことの
はずなのに、ボクは咄嗟にそうするかもしれない自分が理解できたんだ……!」
小さく叫んだアキラの身体は小刻みに震えていた。その震えが肌で判るほど近くにいて、
俺の身体も震えていた。しかしそれは恐怖の震えではなく、歓喜に身体が揺れていたのだ。
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