座敷牢中夢地獄 14 - 17


(14)
「互先でお父さんとこれだけ打てるなんて凄い」
アキラの声に意識を引き戻された。
「・・・負けちゃったけどね」
「いえ、凄いです」
あの澄明な目がしっかりと俺を見据え、俺を肯定してくれる。
そうすると薄暗く塞いでいた胸の内が、少しずつ晴れていくような気がする。
「ありがとう。・・・キミのお父さん、強いね」
「!はいっ」
俺が父親のことを誉めるや、それまでとは比べ物にならないくらい弾んだ声で
嬉しそうに答える。
それを見るとたちまちまた胸の内に暗雲が差す。

「アキラ、お話なら後にしなさい。夕飯が冷めてしまう」
「はい」
立ち上がりながら、アキラが俺の耳元に顔を寄せて囁く。
軽い吐息が温かく耳に触れる。
「お父さんも久しぶりに強い人と打てて嬉しいと思います。ボクのせいで最近ちっとも、
他の人と碁を打っていないから・・・」
俺が見つめると、ちょっと寂しそうな顔をした後でアキラはまたニコッと笑った。
アキラの療養のため東京を離れたという先生の言葉が頭をよぎった。


(15)
あれは神話の話だったろうか。
黄泉の国の飲食物を口にした者はその世界の住人となってしまい、
もはや現世へ戻ることは叶わないのだという。

食卓で先生と俺が向かい合って座ると、アキラは迷わず自分の箸と茶碗を先生の席の
隣に配した。
湯気の立つ白い米飯をアキラがよそい、酒を先生がトクトクと俺の盃に注ぐ。
「今日は世話になったね。まあくつろいでくれたまえ」
先生は上機嫌に見えた。
どこを旅行して回ったのかとか、普段はどんな仕事をしているのかとか、
同居人はいるのか、またこの家へ来る前に最後に人に会ったのは何時頃どこで。など
かなり色々なことを根掘り葉掘り訊かれた気がするが、それらの問いにいちいち何と
答えたのかよく覚えていない。
アキラは先生と俺の会話を聞いているのかいないのか、時折思い出したように相槌を
打ちながら、自分の速度で箸を進めていた。
――そう言えば昔からゆっくり物を食べる子だった。
俺が若い時分は先生の家でよく夫人の手料理を振舞われたものだが、そんな時も
幼いアキラは俺や先生の三分の一にも満たない量の食事を俺や先生の倍以上の時間を
かけて漸く平らげるのが常だった。
・・・・・・
いただきますとご馳走様は家族揃って言うことと定められていた塔矢家では、
先生もアキラに合わせてどんなに忙しい時も食べ終わるまで一緒にいる習慣だった。


(16)
「お父さん、お代わりは?」
「ああ。頼む」
空になった茶碗を先生がひょいと横に渡し、アキラがそれを受け取って飯櫃から
飯をよそう。
「はい」
「ありがとう。・・・ああ、じっとしていなさい」
「え?」
茶碗を受け取りながら先生がアキラの手を捉え、手首のほうへ指を伸ばす。
アキラの袖口に、飯をよそう時に付けてしまったのだろう白い飯粒があった。
アキラはそれに気づくと「あ、」と少しばかり極まりの悪そうな顔をしたが、
先生がそれを取り黙って自らの口に運ぶのを見ると嬉しそうに微笑んで、
またゆっくりな食事を再開した。
「・・・・・・」
目の前で行われたやりとりに、また心が不穏にざわつく。
何かがとても奇妙だ。
ここに来てからアキラを甘やかしすぎたと先生は言っていたが、確かに現実世界において
この父子の間に流れていた一種の緊張感のような雰囲気が、この夢の中の父子には見られ
なかった。
その代わりひたすらに甘く親密で、安らぎに満ちた空気だけがある。
ふと、アキラが幼い頃のこの父子の雰囲気はこんな感じだったと思い出した。


(17)
「もっとどんどん飲むといい。さあ、早く空けて」
「いや、俺はもう」
いつになく強く酒を勧めてくる先生に、俺は口を押さえて首を振った。
元来日本酒はあまり得意ではない上に、強い酒と見えてかなり酔いがまわり始めていた。
夕飯は一段落し、卓の上には酒と酒肴ばかりが並んでいる。
酒肴に新鮮な魚介類が多いのは、海の近くという土地柄ならではだろう。
海。
海。
そう言えば出掛けに女将が何か言っていたな。
こんな――こんな日には、海の底から色々なものが這い出てきて人を迷わすのだと。
じゃあこの肴の中にも、海で獲れたオバケが混じっているかもしれないな。
だがこんな刺身やら塩焼きやらになってしまっては、どうせどんな悪さも出来やしない。
だからこれはこの美味な肴は安全だ。危険なのは生きている化け物だけだ。
いや、そもそも化け物は生きたり死んだりなんてするものなのか?
ああそうだアキラくん、キミ海で何を探してたんだ?
化け物を海の底から引きずり出そうっていうのかい?
せっかく沈んでいるものを。

「ははは、どうも私の酌では酒が進まないらしい。アキラ、緒方くんにお酌してあげなさい」
「・・・はい」
アキラの声まで朦朧として聞こえる。駄目だ、もうこれ以上は。
だがアキラの優しい気配が俺の隣に移ってきて、トクトクと盃に酒を注ぎ、
「無理しないでくださいね。辛かったらもう、いいですから」
と気遣うように囁くと、忘れかけていた意地が甦り限界と思っていた臓腑へと
一気にとどめの一献を流し込ませた。
視界が暗転した。



TOPページ先頭 表示数を保持: ■

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル