無題 第3部 17
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緒方の唇がアキラから離れて、けれどそのまま至近距離でアキラの瞳を見詰めていた。
今までとは違う、甘く優しい、包み込むようなキスに、そして、ただじっとアキラを見詰める瞳に、
アキラはどう応えていいかわからず、小さく首を振った。
「送っていくよ。」
緒方はそんなアキラに小さく微笑みかけて、助手席のドアを開け、アキラに促した。
アキラは困惑していた。
奪われれば奪い返せばいい。戦いを仕掛けられたら、怯まずに向かっていけばいい。
けれど闘う相手であった筈の人間に、こんな風に優しくされたら、どうしたらいいのかわからない。
ふと、走っている道が違う事に気付いて、それを緒方に告げようとして、だが、ある事実に気付い
てアキラは息をのんだ。
この道は、アキラの自宅―塔矢家に向かう道。
彼は知らないのだ。
自分が、一人暮らしをしている事さえ。
一体、今まで自分は何をしてきたんだろう、と思った。
そして、心底、緒方に対して申し訳ないと思った。
自分が傷つけられた事を逆手にとって、同じだけの傷を返そうとしていたのだろうか。
約束を破られた子供が、いつまでも駄々をこねてわがままを言い続けるように。
無言の抗議でいつまでも責め続けて、与えられるものを貪り尽くして、最後にはあんな暴言で
彼を責めて。それなのに、この人はそれでもこんなに優しい。
知っていた筈なのに。
この人がどんなに優しい人なのか。
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