Shangri-La第2章 2 - 18
(2)
アキラは言葉を失ったまま、ただその赤さだけを見ていた。
昨晩の出来事がまざまざと甦った。
―――そう、そんなつもりじゃ、なかったんだ…
(3)
最近のヒカルはとみに忙しくしていて(母親の治療代稼ぎとアキラは聞いていた)
アキラは碁会所に居る時間が長くなっており、必然的に緒方と打つ機会は増えていた。
その日は長考が多く、少し時間がかかってしまい、
市河を先に帰して二人で戸締まりをした。
「アキラ君、食事でもどうだ?どうせ家に一人なんだろう?」
という緒方の言葉に誘われ、アキラは遠慮なく食事につきあった。
緒方が家まで送ると言ったが、アキラは海が見たいとドライブをせがんだ。
理由は何でも良かった。ただ、一人になりたくなかった。
このところ、ヒカルとは電話では毎日のように話したが、
直接顔を合わせることは手合日以外では全くなくなっていた。
ヒカルにはヒカルの事情がある。仕方ないのだと分かっていたつもりだったが
それも期間が長くなるにつけ、どこか納得しきれないものになっていた。
やり場のない気持ちがアキラの中で渦を巻き、出口を求めて荒れ狂う。
そして、アキラ自身の外面の良さが、その嵐に拍車をかけた。
外で穏やかに見せれば見せるほど、激情は増幅されていく。
自宅で一人、迎える夜がイヤだった。宵闇は、感情の制御を失わせる。
時に、雨戸を閉め切り布団をかぶって金切り声をあげ続け
その行為で辛うじて『何か』を吐きだしていたが、全てを出し切ることはできず
本当にどうしようもない『何か』がアキラの中に鬱積していた。
(4)
緒方とは何も話さなかった。ただ二人黙って暗い海を見ていた。
隣に誰かがいる。それだけでアキラには十分だった。
だから、帰ろうという緒方の言葉にどう反応していいか分からなかった。
ならば場所を変えよう、と促され、結局アキラは緒方の部屋に上がった。
緒方が出してきた、過去に飲みつけたミネラルウォーターのボトルを
アキラは黙って受け取った。
「緒方さん、ちょっと肩を貸して貰えますか」
返事を待たずにアキラは緒方の隣に座り、ボトルの蓋を開けて
半分くらいを勢い良く喉奥に流し込んでから、ゆっくり緒方に凭れ掛かった。
緒方の膝に手を置くと、ほどなくして緒方の手がアキラの頭に乗せられた。
その手の温かさと重みに安心して、アキラは目を閉じた。
(5)
―――誘われている。
緒方は、はっきりそう感じていた。
海が見たいと言われて何となくそう思った。
部屋へ連れてきて、それが確信へと変わった。
緒方はそっとアキラの頭に手を乗せた。
安全かつ確実にアキラを落ち着ける方法は、これしか知らない。
最近のヒカルの噂は聞いている。
もともと、他人に関する噂とか情報の類には興味が薄いこともあって、
かなり疎いと自覚していた。そんな緒方ですら耳に入る位だから、
かなりメジャーな話に違いない。
大方、ヒカルはアキラを放っておいてそちらに夢中になっているのだろう。
そしてアキラはアキラで、空いた身体を持て余している…
とまぁ、そんな所だろうか。
(6)
こんな不安定なアキラに既視感を覚える。
初めて緒方の部屋に泊めた頃だ。あの時も、酷く混乱していた。
色事を何も知らない子供時代でさえ、
その思い悩み心乱れる様子は、奇妙な艶めかしさを持っていたのに
意図したものか、あるいは無意識なのか、
誘いをかける今のアキラの様子と言ったら、全くどうだろう?
気がつくとアキラは寝息を立て始めていた。
今のアキラは危険な匂いがする。
できれば帰してしまいたいが、一旦起こしてしまえば
今日の様子では、帰らないと言い出すに違いない。
かといって起こさずに連れ帰ろうにも、小さな子供ならともかく
いかんせんこの体躯では、もうそれも難しい。
とりあえず眠らせられた事だし、このまま朝まで寝かせておいて
明日出掛ける時に、家まで送ればいいだろう。
そう考えて、アキラの頭の下から緒方がそっと身体を外そうとした所で
アキラが身じろいだ。
(7)
「ん……?…おが…た、さん…」
「あぁ、起こしてしまったか。
アキラ君、今日は泊まっていっていいから
風呂に入ってベッドで寝なさい。風邪引くぞ」
「あ、はい……」
アキラはのっそりと身体を起こした。少しぼうっとしているようだった。
緒方はあえて事務的に続けた。
「下着の替えは、買い置きを出しておくから使いなさい。それから…」
「いえ、洗濯機だけ、貸して下さい…。
どうせこの部屋で、下着つけて寝たことなんて、ないし…」
真実とはいえあまりの言葉に緒方が言葉を失っている間に
アキラはゆっくり立ち上がって、そして不意に振り返った。
「バスローブ、使っていいですか…?」
微妙にうろたえている緒方には短く、あぁ、とだけ返すのがやっとだったが、
アキラはそれを聞くと、礼も言わずにバスルームへ向かった。
(8)
アキラの水音が始まるとすぐ、緒方は寝室へ向かった。
シーツは今朝替えたばかりだから問題ない。
ベッドの上にアキラのための下着とパジャマを用意し
毛布を持ってリビングへ戻った。
――にしても何故、アキラが目を覚ましたときに
『家まで送る』と言わなかったのだろう?
今さらながら少し後悔して、テーブルに残していた缶ビールの残りを呷った。
アキラがバスルームを出ると、ベッドを使うよう言い残して
緒方はバスルームへ向かったが、シャワーを浴びた緒方が
寝室を覗くと、アキラの姿はなかった。
リビングにも見当たらず、書斎を開けると、水槽の前で
背中を椅子の背に深く預けてぼんやりとしているアキラがいた。
「アキラ君、まだ起きていたのか。疲れてるんじゃないのか?」
アキラは空を見つめたまま、静かに口を開いた。
「緒方さん…ソファで寝るんですか」
ソファに用意してあった毛布を見たのだろう。
気にする必要はない、と答えたが、アキラは少しの間、黙っていた。
(9)
「一緒に寝てはくれませんか」
「ダメだ」
「どうしてですか」
「どうしても何も……キミは何と言ってここを出ていったか
もう覚えていないのか?」
「―――覚えています」
「ならば答えは出ているだろう。今晩ここに泊めるのは、
キミが先生の息子さんで、先生が奥様と家を空けておいでだからだ。
あぁ、パジャマと下着は寝室に用意してあるから好きに使うといい。
――それじゃ、おやすみ」
一方的に話を切り上げ背を向けた緒方に、アキラは後ろから飛びついた。
「緒方さん…一人に、しないで………」
アキラは精いっぱいの力で緒方に抱きついた。声が少し震えている。
「離しなさい。安易に人を頼るんじゃない。
しかも一度切った人間を頼るなんて、どうかしていると
自分で思わないのか?」
暫くして、全身の力が抜けたかのようにアキラは緒方を解放した。
(10)
「緒方さん、ごめんなさい……でも、じゃあ、あの…
もう少しだけ、一緒にいてもいいですか……?」
アキラの声は今にも消えてしまいそうなほどだった。
緒方は大きく溜息をついて、リビングへ足を向けた。
「――好きにすればいい」
背中に感じるアキラの雰囲気が痛々しくて、
緒方はつい一言漏らしてしまった。
あぁ、またこれだ―――。アキラが子供の頃から、
厳しくなりきれずについ甘やかしてきた悪い癖は
今更抜けるものでもなかったようだ。
今晩、もう何度アキラを突き放す機会を逃しただろう。
今だって、突き放して終いに出来たはずなのに。
自分の詰めの甘さに、緒方は思わず舌打ちせずにはいられなかった。
(11)
緒方が新しいビールを片手にソファに座ると、
アキラはその片膝の上によじ登り、
ふわん、ふわんと頬や唇を緒方に押し付け出した。
そういえば、先生に怒られた後に寝かしつける時は
いつもこんな風にしてきたな…。
余程人肌に飢えていたのだろうか。
しっかりしているとはいえ、やはりまだほんの子供か…。
そんなアキラの頭をそっと撫でてやりながら、沈黙を破った。
「淋しいなら、進藤を呼べばいいじゃないか?良く引き込んでるんだろう?」
アキラは緒方の首筋に顔を埋めて動かなくなった。
「進藤は……今は忙しいんです」
自分の発したその言葉に、ずきん、と痛みが走った気がして
アキラは顔を歪め、緒方にその顔を見られていないことに安堵した。
「あぁ、聞いたよ。拝金主義に毒されたらしいな」
「ち、違います!今、一時的にお金が必要な事情があるだけで…」
「ふぅん…、だったら、お前が金を出せばいいじゃないか」
(12)
「…どういう意味ですか」
「進藤の時間を、お前が買えばいいだろう?そうすればお前だって、
昔の男の部屋に上がり込む必要もなくなるし、
進藤は時間を有意義に使って稼げる、全て丸く収まるじゃないか」
全く頭にない発想を展開され、アキラは一瞬考え込んでいた。
「それは…それは、ボクに、進藤と援交しろと?」
アキラの全てが強張っている。
まずもって、アキラの常識にない考えであることは間違いない。
「あぁ、最近の若い奴はそんな言葉を使うんだったかな…」
「いい加減にして下さい!ボクは進藤とはそういう関係ではありません!」
アキラは勢い良く緒方から身体を離した。
「もう寝ます!おやすみなさいっ!」
――こんなに怒気を含んだ就寝の挨拶があるだろうか?
緒方は苦笑いを浮かべて、おやすみ、と一言だけ返した。
アキラの姿がドアの向こうに消えた途端に
こみ上げる笑いを押えることが出来なくなり、
緒方は暫く喉奥で笑い続けた。
(13)
「わぁ……」
怒りに任せて寝室のドアを勢い良く開けたアキラだったが、
ベッドを見て思わず感嘆の溜息を漏らした。
シーツも、揃いの布団カバーも、ここに良く来ていた頃のお気に入りだった。
おねぇさん達の誰かが持ち込んだ、少し良いものらしいが
緒方は興味がなく無造作に扱い、使っていた。
本当は緒方が朝、シーツを替えたときに、
リネン棚の一番上にあった物を使っただけなのだが
それに気づかないアキラは、ただ嬉しく思った。
(緒方さん、もしかしてまだ覚えててくれたのかな……)
アキラはそっとドアを閉めると、バスローブを脱ぎ捨て
そのままベッドに潜り込んだ。
全身で感じるその肌触りは変わることなく気持ち良くて
あっという間にアキラは眠りについた。
(14)
緒方はゆっくりとビールを流し込んでいく。
喉を通りすぎる冷たさと泡の感触に生き返る心地がした。
最後の1滴まで飲み干してから、アキラの様子を見に
緒方は寝室へと立った。
音を立てないようにドアを開けると、アキラはもう眠っている様子だった。
ドアの隙間から差し込む明かりを頼りに周りを見回すと、
バスローブは脱ぎ捨ててあるが、用意しておいたパジャマや下着もそのままだ。
本当に裸で寝たのかと、半ば呆れながらアキラをもう一度見遣った。
横になって向こう向きに眠るアキラの上に掛けられた布団は
少しずれていて、背中が半ば剥き出しになっている。
このままでは風邪を引く、掛け直してやろうと緒方はベッドに近寄った。
細く光が差し込むだけの暗い室内で、アキラの背中は白く浮き上がり
緒方は吸い寄せられるままその背中に口づけていた。
外気に晒されていたその肌は、ひんやりと冷たくその美しさを裏付けたが
その冷たさに、何か不安をかき立てられるような気がして
手のひら全体で、今アキラが間違いなくここに存在するということを
確かめずにはいられなかった。触れた肌は滑らかで間違いなく、
それ故に、一度肌の上を滑らせた手はもう離すことが出来なかった。
(15)
アキラは夢中で、微かに感じる温もりに手を伸ばしていた。
その温もりが何で今どういう状況なのかは全く分からない。
気がついたら、少し温かかった。その温かさがもっと欲しくて
手を伸ばしてはみたが、それは背中にあったせいか
伸ばしたはずの手は何度も空を切り、なかなか届かない。
アキラは癇癪を起こしたように、ぶんぶんと手を振った。
その手に確かな質感のある手が重なり、アキラの手は脇腹に置かれた。
その温かさは幻ではなかった。安堵して、アキラは更なる温もりを願った。
――願いはすぐに叶えられ、少し窮屈だが温かいばかりの場所に匿われた。
これまでいくら願っても与えられることのなかった温もりの中で
全身から力が抜け落ちていく感覚が心地よかった。
(16)
乞われるまま緒方がベッドに潜り込みアキラを背中から抱くと、
アキラはほんの少し身体を捩って
安らかな幸せをその口元に浮かべて見せた。
幼かった時代にはこんな表情のアキラを見た記憶もあるが
関係を持つようになってからは特に
緒方の前でそんな表情を見せる事はなかったように思う。
―――思えば、幼いころから無意識に自分を抑える術を
身に付けていたアキラには、海外を飛び回り留守がちの両親にも、
のっぴきならない事情とやらでバイトに明け暮れる恋人にも
淋しいからそばに居て欲しいと訴えることは出来なかったのだろう。
そんなところが『大人しくて聞き分けの良い子』として
周囲の大人達に愛される所以でもあったろうが
若いころの緒方の目には、渡世術に長けた
子供らしくない子供と映っていたのも事実だった。
しかし今にしてやっと、その憐れさを緒方は感じていた。
と、アキラが微かに身体を揺らした。
「ん………」
どうやら、キスのおねだりらしい。
なんとなく沸いた薄っぺらい憐憫の情から、緒方は
孤独を抱いた憐れな子供へ、望むまま与えた。
(17)
唇が塞がれると、待ち焦がれたアキラは両腕をその首に絡めた。
アキラが伸ばした腕の先には、確かに自分を抱き締めてくれる人がいた。
煙草の匂いが鼻を掠める。
自ら差し入れて絡めた舌からビールの苦味が伝い、
唾液の混じる音が脳髄にまで響くようだ。
触れる肌も、その奥の熱も、体中を弄る手の感触すら
身体中に過ぎるほどの幸せをアキラにもたらした。
一瞬のうちに身体中から熱が放出される感覚に酔い
やっと捕らえた雄を夢中で貪った。
溢れることすら出来ず体内で増幅されていくばかりの熱に
アキラが夢中で浸る中、不意に緒方はアキラを突き放した。
「アキラ。もう、おねだりの仕方も忘れたのか?」
始めは何が起きたのか分からないといった様子で
ぼうっとしていたアキラだったが、その視線に
焦点が定まってきたのを見て取った緒方は、促すように
枕を背にして身体を起こし、膝を立てて開いた。
(18)
「ようし、いい子だ…」
アキラは緒方のバスローブの前をはだけさせると
その膝の間に滑り入り、その場にかがみ込んだ。
口いっぱいに頬張った緒方の肉棒は大きくて顎がきつかったが
それがこの後埋め込まれると思うだけで期待で胸が膨らむ。
しかも優しく褒めて貰えて、頭まで撫でてもらえるなんて
嬉しくてたまらなかった。もっと可愛がってもらいたくて、
アキラは菊門の疼きを堪えるように腰を振り
湿った淫らな音を立てて、懸命に緒方の肉棒にむしゃぶりついた。
緒方がぴくりと反応して、また少し大きくなった。
もう少し頑張れば、緒方の指が入口に伸びて、
もういいぞ、と言ってもらえるはずだ。
更に音を立て口で緒方を扱くアキラの頬が、
緒方に見えない場所で少し緩んだ。
緒方は目を細めてそんなアキラを見つめていた。
関係を持っていたころのアキラはどこか淡泊だったからか
今この目の前の必死さがなんとなく愛おしい。
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