無題 第3部 21 - 25


(21)
「だって、オレ…」
「オレ…、かなわねェよ。あんな…どうしたらいいんだよ。」
ヒカルはアキラを抱いていた男の事を思い返した。
緒方精次十段・碁聖。
既にタイトルを二つ手に入れ、塔矢元名人引退後の囲碁界を担うと言われている人物。
そして塔矢自身もプロ2年目ながら本因坊リーグ入りを果たした。
二人は同じ世界にいる。
まだ初段でモタモタしている自分とは大違いだ。
塔矢元名人門下で、きっと塔矢ともずっと前から親しいのだろう。
緒方はヒカルにとって自分をプロの世界に入るきっかけを作ってくれた人だった。
その人物が、今度は大きな障害となって自分と塔矢の間に立っている。
緒方は確かに自分を見て嗤った。まるで自分の塔矢に対する想いを知っているかのように。
そしておまえなんかに入り込む隙はないんだと、嘲笑して、腕の中にいる塔矢を見せ付けた。

うつむいて黙り込んでしまったヒカルに加賀が言葉を投げかけた。
「それで、おまえはそれじゃどうするんだ?
尻尾まいて逃げんのか?あきらめるのか?
そんなに簡単にあきらめられるって言うんなら、その程度のものだったんだろ。
だったらさっさとあきらめて、なかった事にしちまえば良いんじゃねェか?
おまえだって、あいつが男なのに好きになっちゃってどうしよう、なんて悩んでたじゃねェか。
だったらこれでやめにして、ちょうど良いんじゃねェか?やめちまえよ。」
「いやだっ!絶対に、いやだっ!」
ヒカルが顔を上げて叫んだ。
「おまえ、自分の惚れた相手がどんなヤツだかわかってたのか?
好きだって言ってるだけで、簡単に手に入るとでも思ってたのかよ?
諦めるのが嫌だって言うんなら、どうしたらいいかぐらい自分で考えろよ。
欲しいんだったら、自分で取りに行けよ。
もう誰かのものだから、ソイツにはかなわねぇ、なんて泣き言言うくらいなら最初っから
欲しいなんて言うな!」
加賀の言葉に、ヒカルはギッと奥歯を噛み締めた。


(22)
「緒方先生」
ぼそりと呼びかけられて、振り向くと進藤ヒカルだった。
来たな、という思いと、昨日の今日とは素早い行動じゃないか、という軽い驚きがあった。
ムッとした顔で緒方を睨み付ける表情は可愛らしいとも言っていいものだった。
こんな子供を相手に、いったいオレは何をやっているんだか、と思うと何だか全てが馬鹿
馬鹿しいような気がしてきた。
エレベーターで二人だけになると、進藤は唐突に聞いてきた。
「アイツと、塔矢と、どんな関係なの?」
「…なんだ?唐突に」
「答えてよ。どんな関係なの?」
「師匠の息子さんって所か?塔矢先生の御自宅にはオレもよくお邪魔させてもらっているし、
家族同然、というのは図々しいかも知れんが、アキラくんとは生まれた時からのつきあいだな。
いや、勿論、今のアキラくんはオレにとっては碁のライバルと言うのが一番かな?」
白々しい事を言っているな、と自分でも思った。相手もそう思っているようだ。
「そんな事を聞きたいんじゃない、とでも言いたげだな。」
皮肉そうな目で、緒方はヒカルを見下ろした。
「オレ、見てたんだ。この間、駐車場で…」
「デバガメか?ガキのくせに。」
緒方は鼻で笑って応えた。
「…知ってた、くせに。オレが見てるの知ってて、それで見せ付けたんだろ…?」
「もしそうだとしたら、それが何だ?」
車の前で立ち止まってヒカルを振り返り、そして助手席を指し示した。
「乗れよ。」


(23)
躊躇しているヒカルをもう一度促した。
「知りたいんだろう?アイツとオレの関係を。知りたいんなら、来い。教えてやるさ。」
どこかで聞いたような台詞だ。緒方は頭の片隅でそう思った。

無言で運転する緒方を、ヒカルはちらっと横目で見た。
カッコイイと思ってしまった自分が悔しかった。
高価そうな車。煙草の匂い。シフトレバーを操る手。
それは自分のような小さな子供っぽい手とは違う、逞しい大人の男の手だ。
この手が塔矢に触れたのかと思うと、はらわたが煮え繰りかえりそうだった。
それなのに、その手を羨ましいと、カッコイイと感じてしまう自分がいるのが、一層悔しかった。


(24)
「子供にはミルクたっぷりの方が良いだろう?」
そう言って、緒方はヒカルにカフェオレのカップを差し出した。
「要らねぇよ、ミルクなんか。ガキ扱いすんなっ…!」
「礼儀のなってないヤツだな。出されたものに文句を言うのか?…アキラくんとは大違いだ。」
アキラの名前を口にされてヒカルはカッとした。
「礼儀のなってないガキで悪かったな。おまえなんかに好かれたくねぇからいいんだよっ!」
「ハン、元気なやんちゃ坊主もオレは嫌いじゃないけどな。」
ヒカルをまるっきり子供扱いしてからかう緒方を思いっきり睨みつけ、単刀直入に質問を投げつけた。
「緒方先生、塔矢が好きなの?」
「…ああ、惚れてるよ。」
さっきまでとは別人のような低い声で、緒方が応えた。
「それで、おまえは?」
「惚れてるよっ…!」
ヒカルはムッとして、同じ言葉を返した。
「それで、おまえはどうしたいんだ?オレと張り合おうとでも言うのか?」
「……そうだよ。」
「つまりは宣戦布告ってわけか?」
からかうような緒方の口調に、ヒカルはカッとした。
「あんまり、バカにすんなよ…!自信満々、オレなんか相手にもしないって事かよ?」


(25)
ギラリと、緒方の目がヒカルを睨み付けた。
「ああ、そうさ。おまえなんか話にもならないからさ。
おまえなんかが現われるずっと前から、オレはアイツを見ていたんだ。
おまえが、アイツの何を知っているって言うんだ?」
「知ってるとか、知らないとか、そんなの関係ない。時間なんか、それがどうだって言うんだ。」
「それじゃ、おまえは何が聞きたいんだ?
何が知りたくてここに来た?アイツとオレの関係か?だがもうわかっているんだろう?
アイツはオレのものだ。おまえみたいな能天気なガキに渡すつもりはさらさら無い。」
緒方は残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
ヒカルを睨み据える緒方の目が暗く光ったような気がした。
緒方はヒカルを見据えたまま、低い暗い声で話し始めた。まるで、自分に言い聞かせるように。
「…アイツはそこに座っていた。今のおまえと同じように。
そうだ、今日、おまえがあいつの事を教えてろと言ってきたように、
アイツもおまえの事を教えろと言って、ここに来た。」
「オレの事…?」
「囲碁ゼミナールの晩に、おまえと打って、オレが負けた一局さ。
その内容を教えろと言って、アイツはここに来た。」
「そこに座っていた。同じように。コーヒーを飲みながら、オレの返答を迫った。それでオレは…」
緒方の目の光に、ヒカルは怯えた。
これ以上、ここにいちゃいけない。なぜだかそう思ってヒカルは腰を浮かせた。
「オレ…帰る。」
だがそんな言葉など聞こえないように、緒方はヒカルの顎に手をかけた。
「教えて欲しくて来たんだろう?教えてやるよ。」
「イヤだっ!」
振り払った手を逆に押さえつけて、緒方の唇が強引にヒカルの唇を塞いだ。



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