無題 第3部 31 - 35


(31)
「塔矢…」
怯えたような声でヒカルがアキラの名を呼んだ。
真っ直ぐに、睨み付けるように、アキラを見ている。その視線が痛い。苦しい。
「…るな。」
震える声がアキラの口から漏れた。
「見るな…っ!ボクを、見るなっ!!」

大きな音を立ててドアが閉められた。
次の瞬間、ヒカルは緒方に掴み掛かった。
「どうして、どうして、アイツが好きなんだったら、アイツが大事だって言うんなら、どうして
こんな真似するんだよっ!?」
緒方は何も答えず、平然とヒカルを見下ろした。
「…バカヤロウッ!!」
ヒカルは思いっきり緒方を殴りつけ、それからその身体を突き飛ばして、スニーカーに足を
突っ込んでアキラを追った。

――どうして、だと?おまえに、何がわかる?
オレの気持ちの、何がおまえにわかるって言うんだ?
オレが…こうしてでもないとおまえにアイツを渡す事ができないオレの痛みなど、おまえには
わかりもしないくせに…!

誰もいなくなった玄関を睨み付け、それからくるりとそこに背を向けた。
乱暴に音を立てて椅子に座り込み、煙草に火をつけ、大きく煙を吐き出した。
指でヒカルに殴られた頬をなぞる。
頬の痛みなどなんでも無い。これからやってくるであろう痛みに比べれば。


(32)
心の片隅で、今更逃げたってどうなる、どうにもならないのに、という声が聞こえる。
だがそんな呟きに耳を塞ごうとしながら、アキラはエレベーターへ向かって走った。
だが、行ってしまったばかりのエレベーターは中々上がってこない。
その間に背後のドアが開いて、彼の名を呼ぶヒカルの声が聞こえた。
「クソッ!」
壁を強く叩いて、素早くあたりを見まわし、非常階段へ通じる扉を見つけた。
転びそうになりながらヒカルがアキラを追ってくる。
それから逃れようと、必死にアキラは階段を駆け降りた。
アキラにとってヒカルは、一番大切で大事なものだった。
一番大切にとっておきたいものだった。
あんまり大切で、自分の手で触れて壊してしまうのが怖いほどに。
それなのに。
それなのに、あんな所を見られて。
あんな声を聞かれて。
もう、彼の顔を見る事なんて出来ない、
彼の声を聞く事なんて出来ない。
知られてしまった。
こんな汚い、薄汚れた自分を。
誰よりも一番に、彼にだけは知られたくなかったのに。


(33)
「塔矢、塔矢、待てよ…!」
ヒカルが追いついて、アキラの腕を掴んだ。
「触わるなっ!」
だがアキラは、思いっきりその手を振り払った。
その反動でアキラの身体が壁にぶつかる。
アキラはそのまま壁にもたれてヒカルを見た。
「ボクに…ボクに触わるな。」
「塔矢…?」
「ボクに、触れるな。触わっちゃいけない。」
言葉を切って、ヒカルを見詰めた。
「キミが汚れる。」
「塔矢…?なに、言ってんだよ…?」
「触わっちゃいけない、キミが汚れる。ボクは…ボクは、汚いんだ。」
「何言ってんだよ?汚くなんかねーよ。」
「ボクに触わるな!追いかけるな!ボクなんかほっといてくれ!」
「塔矢!」
ヒカルの手が、アキラの手首を捕らえた。
その手を、アキラは振り払う。
「触わるなよっ!!」
アキラが悲愴な声で叫んだ。
「何だよ!?わかんねーよ、何が汚いんだよ!?」


(34)
「放せよ!なんで、なんでボクなんかに構うんだよ!?なんで追いかけるんだよ!?
キミには関係ないじゃないか、ほっとけよ!」
「関係なくなんかないよ、オレはおまえが好きなのに!」
アキラの手首を掴んで、ヒカルがそう叫んだ。
「…な、に…?」
信じられない事を聞いた、という風に、アキラの動きが止まった。
「おまえが、好きだ。塔矢。」
アキラを睨みながら、低い声でゆっくりとヒカルが繰り返した。
「…ふざけるなっ!!」
音を立ててヒカルの手を振り払った。
アキラの瞳が憤怒に燃えていた。
「ふざけるな、何が"好き"だって?
ボクの事を何も知りもしないくせに、好きだなんて、ふざけるなっ!!」
「ふざけてなんかいねえよ!おまえが好きなんだよ!」
「なにも、知らないくせに。
ボクがどんなに汚いか、知らないくせに。
知らないからそんな事言えるんだ。
知ったら、言えるはずがない…!」


(35)
「知らないくせに。
ボクがあの部屋で緒方さんと何をしていたか。いつも何をしてたのか。
そうさ、キミだって、見てたんだからもうわかったろ?
あそこでキミがいなかったらボクがどうしてたか。
知っててもそんな事言えるのか?わかってて言ってるのか?キミは?」
「止めろよ!聞きたくねェよ、そんな事!」
「聞けよ!
好きでもない男に抱かれて、ケツ振って悦んでるような男だよ、ボクは。
そんなでも、キミは好きだなんて言うのか!?」
「塔矢っ…!」
ヒカルが悲鳴の様に叫んだ。
「やめろよ…やめろよ、そんな事、言うの。」
そして、泣きそうな声で、小さくアキラに尋ねた。
「おまえ…緒方先生の事、嫌いなの…?」
うな垂れて、アキラは力なく首を振る。
「…嫌い、じゃない…」
「緒方先生はおまえの事、好きだっていってたぜ…?
おまえに惚れてる、オレなんかには渡さないって…」
「…知ってる。
…知ってて、だからボクは緒方さんに甘えたんだ。
緒方さんはボクを好きだって言ってくれたのに、
聞かない振りして、知らない振りして、甘えるだけ甘えて、ひどい事言って、傷付けた。
緒方さんの気持ちに甘えて、つけこんで、いい気になって。
ボクは、そんなずるいヤツなんだ。
キミに、好きだなんて言ってもらう資格なんてない。」



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