座敷牢中夢地獄 32 - 33
(32)
「ここに来てから勉強したんです。ここは何もないから、せめて食事だけは美味しい物を
お父さんに食べてもらおうと思って・・・」
アキラが恥ずかしそうに微笑んだ。
先生が上機嫌とは言っても、やはり今日のアキラはどことなく元気がないように見えて
気にかかっていたのだが、一言父親にほめられればたちまち嬉しそうに顔を輝かせる。
部外者がなんと言おうと、アキラに対する父親の強大な影響力は決して突き崩せはしない
ものなのだろう。
夢の中でも、現実でも。
「どうぞ、緒方さん」
「ありがとう。・・・」
汁椀をやり取りする手と手が触れる。
目が合うとアキラはニコッと笑う。
アキラの言うとおりもうすぐ俺がこの家を経つことになるなら、夢のアキラとはじきに
お別れなのだろう。
・・・・・・
どうせ夢なら、いっそ全てを壊してキミを連れて逃げてやろうか。
だがきっとそうしたらキミは泣いて俺を怨むだろう。俺を嫌いになるだろう。
ありったけの思いを込めて抱きしめても、俺の腕の中で別の誰かを懐かしむだろう。
そうして俺は永遠にその誰かには敵わないのだと、俺に思い知らせるだろう。
俺はそれに耐えられない。
もし何かきっかけさえあれば、キミのために俺はこの命すら投げ出すことが出来るのだと
証立てることも出来るだろうに。
そうしたら少しはキミの心に俺という存在を刻みつけることも出来ように。
そんな受身で身勝手な願い事を胸に抱えて生きている。
アキラのあの柔らかな唇が小さく開いては食物を中に受け入れ、ゆっくりな速度で
咀嚼の動きを繰り返すのを見つめながら。
(33)
「アキラ、あれを」
「・・・はい」
食事が済むと、アキラが盃と、黒っぽい色の小さな甕を盆に載せてやって来た。
「秘蔵の酒だ。餞別代わりに一杯、飲んでいきたまえ」
アキラに目を遣るとあの澄んだ目で俺に目配せをし、小さく首を振ってみせる。
「・・・昼間は、酒は入れないことにしていますので」
「一杯くらいいいだろう。アキラ、お酌を」
「でも、お父さん。緒方さんがこうおっしゃってるんですから、無理にお勧めするのは・・・」
さりげなく先生をたしなめるアキラの声は、少し緊張しているようだった。
俺のためにアキラが父親に反論してくれているという事実に、呑気にも胸が熱くなる。
だが先生は途端に不機嫌そうな顔になって腕組みをすると、俺の顔をねめつけた。
「緒方くん。・・・うちのアキラの盃が飲めないというのかね?」
「・・・はっ?」
まさかそう来るとは思っていなかった。
二の句を継げないでいると、アキラが先生の袖を引っ張る。
「お父さん。そんな言い方・・・!」
「おまえは黙っていなさい。・・・ふむ、では質問を変えようか。緒方くんはアキラのことが
嫌いなのかね?」
「え」
思わずアキラのほうを見る。答えはわかり切っている。
「そんなことは」
「ないのかね。・・・ということは、好きなのかね?」
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