座敷牢中夢地獄 36
(36)
「アキラ」
彼にとって絶対的な父親の声が、その先を促した。
アキラの喉奥で悲鳴に似た呼吸が聞こえ、やがて激しく震える手で、アキラは俺の
差し出す盃にとろりとした琥珀色の液体を注いだ。
甘く媚びて誘うような芳香が、すうっとなよやかに立ちのぼり鼻腔を侵す。
毒とはこんなにも魅惑的な匂いを発しているものなのだろうか。
盃を口元に当てアキラを見ると、蒼ざめたおもての中の澄んだ大きな目が、瞬きもせずに
俺を見ていた。
先生と俺と、二人がいる中で瞬きもせず真っ直ぐに俺を。俺だけを。
その眼差しに鳥肌が立つ。
酒を飲まないうちから酔ったような心地で、俺は一気に盃を空けた。
呆気なく喉の奥へと滑り落ちていったそれは、俺の体に何の変調ももたらさなかった。
視線を横にやると先生が穏やかな笑みを浮かべている。
・・・もしかしてからかわれただけなのか?
毒の話やら愛がどうのなどという話で俺を煽って、その実単なる匂いつきの水を飲ませた
だけなのだとしたら先生も人が悪い。
だが、何か言おうと口を開いた俺は喉に力を込めても声が出せないことに気がついた。
次いでがくん、がくんと両膝の力が抜けたかと思うと畳の目がやけにゆっくりと近づいてくる。
ああ倒れるのだ、と悟った瞬間、何か温もりのあるものが俺を抱き止めた。
――アキラ・・・
昨夜俺の首に絡みついていたアキラの腕が、今同じように俺の首から肩にかけて絡みつき
俺を支えてくれているのだ。
俺を抱いたまま畳の上に横たわらせて、アキラはあの泣き出しそうな顔で微笑んだ。
昨夜と同じ甘い匂いと、優しい体温。
痺れた表情筋でどれだけ思い通りの表情が作れていたか定かではないがとりあえず俺は微笑んだ。
微笑んで、まだ辛うじて動く指でアキラの細い顎を捉えて、昨夜と同じようにその唇に口づけた。
ああ今日もキミの唇は、柔らかで痺れるくらいに気持ちがいい。
あとは、暗闇。
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