座敷牢中夢地獄 37


(37)
あれは東京の先生宅での出来事だった。
何かの用事で先生と俺が話していると、廊下を渡ってくる軽い足音が聞こえた。
足音は俺たちのいる応接室の前で急に忍び足になり、やがて何の音もしなくなったかと
思うと、そーっと襖が細く開いた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
顔を見合わせた先生と俺が注視する中、襖の取っ手よりも低い位置に真っ黒い瞳が覗いた。
が、大人二人の視線に気がつくと瞳の主は「ひゃっ」と細い声を上げ、ぱすんと襖を
閉めてしまう。
先生が苦笑して声をかけた。
「アキラ。・・・そんな所にいないで入ってきなさい」
恐る恐るまた襖が細く開き、揃えた小さな指と黒い瞳が覗く。
「あのね・・・ダメなの」
「うん?」
「お父さん今、お仕事のお話してるから、入っちゃダメなの・・・」
邪魔をしないようにと、夫人にでも言い聞かせられたらしい。
襖の向こうで頭を揺らしてもじもじしているアキラに、先生が笑いながら両腕を広げてみせた。
「仕事の話はもう終わりだ。・・・おいで、アキラ」
途端にぱっと顔を輝かせて、幼いアキラが細い隙間から器用に身を滑り込ませてきた。
とことこ父親のもとへ歩み寄りモミジのような両手を伸ばすと、先生が穏やかな表情で
抱き上げる。アキラが嬉しそうに父親の首に縋りつく。
「アキラ、緒方くんにコンニチハは?」
「ン・・・こんにちは」
「こんにちは、アキラくん」
真っ黒い瞳と林檎のような頬で愛らしく挨拶するアキラが、真っ先に駆け寄って抱きつく
相手が俺だったらいいのに。
そんな気持ちは既にあの頃から、朧ろに芽吹いていた気がする。



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