座敷牢中夢地獄 40
(40)
やがて、昼寝用の布団から姿を消した息子を夫人が探しに来た。
「あらあら」
少女のように微笑む夫人と連れ立って、先生がアキラを布団の中に戻しに行っている間、
俺は先生の手帳を屑籠の中から拾い上げ、軽く塵を払って畳の上に置いた。
大ぶりで分厚い、黒い革製の立派なそれは、中を開けばきっとトップ棋士「塔矢行洋」の
スケジュールで隙間もなく埋め尽くされているのだろう。
応接室に戻ってきた先生は自分の座布団の前に置かれた手帳を見ると少し照れ臭そうに笑った。
「ありがとう。どうもみっともない所を見せてしまったね」
「いいえ。ですが、珍しいですね。アキラくんがあんな風に・・・」
「うむ。・・・私は仕事のスケジュール管理は全てこの手帳で済ませているのだが、この間
アキラがそれは何かと聞いてきてね。明子が、手帳さんはお父さんのお仕事のお手伝いを
しているの、手帳さんがいるからたくさんのお仕事も間違えずに出来るのよ、と説明して
いたのだが・・・どうもそれがアキラの中では、『手帳が父親に仕事をさせる、手帳がある
から父親は自分を置いて出かけてしまう』ということになっているらしいな」
「ああ。だからあんなに、キライだと」
「最近私が仕事で家を空けることが多かったから、少し甘えたがりになっているのかも
知れんな。・・・だがアキラが嫌っていても、これはとても・・・大事なものなのだ。
後で自分で拾わねばならんと思っていたのだよ。ありがとう、緒方くん」
大切そうな手つきで手帳を懐に収め、先生は穏やかに笑った。
幼いキミの目に、あの手帳はさぞ忌まわしい存在と映ったことだろう。
大好きな父親を自分から引き離し連れ去る――化け物のような。
一旦屑籠に葬ったそれを、俺は愚かにも引っ張り出してしまった。
その時俺にとってはまだそれは化け物なんかじゃなかったんだ。
頬が炙られるように熱い。
ぼんやりと意識を取り戻した俺の視界にゆっくりと現れたのは暖かな灯りと揺らめく影。
蒼ざめた美しいアキラの顔と、冷たい鉄格子だった。
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