座敷牢中夢地獄 44 - 45
(44)
「ここは我が家の座敷牢だ」
あっさりと先生は明かした。
「キミのような人が現れた時は、ここに入ってもらうことにしている。さっきの酒は
ほんの少しの間、意識と体の筋肉を眠らせる薬だ。今のキミは差し詰め、意識だけ先に
目が覚めて体のほうは寝ぼけている状態か」
「何故・・・そんな酒を俺に」
「アキラのためだ」
「?」
「アキラの相手をさせるために、キミをここに入れた」
「アキラくんの・・・?」
「うむ」
相手とは、まさか単なる話し相手ではないだろう。
「ですが、何故・・・わざわざこんな所で」
「仮にキミが一夜だけでなく、しばらく我が家に滞在してくれたとしても、いつかは
出て行ってしまうだろう?それに外の人間と接触を持たれても何かと面倒だ。・・・ここに
いてもらうのが一番いい」
淡々と語られる言葉の中に潜む不穏な意味に、俺は今朝風呂場でアキラの話を聞いた時と
同じ本能的な寒気が全身を走るのを感じた。
アキラが酒を飲むなと俺に戒めたのはこのことだったのだ。
(45)
「・・・キミには、事情を話しておこう」
行燈の炎が微かな音を立てて揺れる中、先生はぽつりぽつりと語り始めた。
「あれはアキラが中学に上がった年の、秋だったか・・・」
その頃は先生もアキラもまだ、先生の妻でありアキラの母であった人と共に
東京の邸宅にいた。
その年行われたプロ棋士採用試験ではアキラが早々と合格を決め、先生もひとまず
肩の荷が下りた気がしていた時期だと云う。
「――ある日私が帰宅すると門の前に車が一台停まっていた。そこで何やら
言い争う声が聞こえる」
声の主は息子のアキラと車中の人物で、アキラは片手を自宅の門に掛け、
片手を相手に取られながら頻りと首を横に振っている。
どうも相手が嫌がるアキラを無理強いに車の中に引き入れんとしているらしい。
「何をしている!」と一喝した先生に気づいて、相手はアキラを放すと運転手に合図し
車を走らせて去ってしまった。急なことで、相手の顔は見えなかった。
力が抜けてその場に座り込んでしまったアキラに知っている者かと質したが、
アキラは知らない、知らないと繰り返すばかりだった。
「だが、相手には少し心当たりがあってね」
アキラがプロ試験合格を決めて日も経たない頃、つてを頼って内々にアキラに
指導碁を依頼したいという申し入れがさる筋からあった。
青田買いと言うのだろうか、トップ棋士の息子という血筋と、それに恥じぬ将来性とを
兼ね備えたアキラに注目し、他に先駆けて渡りをつけたがる筋は以前から幾らもあった。
だが合格は決定事項とは言え免状を渡されないうちは身分としてはまだアマの子供、
しかもその時はまだプロ試験の最中である。
外に知られて驕りと取られては後々障りとなることも出て来ようし、
対戦相手への礼儀上も、この申し出は今は断るようにと先生はアキラに告げた。
|