座敷牢中夢地獄 54
(54)
――そんな話は俺は知らない。
そう思ってから、これは夢だったと思い出す。
身体のどこかがひどく痛む。
先生の声をどこか遠いもののように聴いている。
「刺されたのは、もう十数年来私の門下で目を掛けてきた青年だ。
私が今までに取った弟子の中でも、将来有望と言ってよい棋士だった。
刺したのは、その事件が起こるほんの三月かそこら前から時折私の研究会に顔を見せる
ようになった青年だ。若手の中ではなかなか光るものを持っていたのだが
誰にも師事していないと聞いて、惜しく思ってね。才のある者は独力でも頭角を現すが、
師匠や切磋琢磨出来る同門の棋士がいるのといないのとでは、やはり長い間に
差が出てくるものだから」
自らと同年代の棋士の中に同等の実力を持つ相手がついに現れなかったせいも
あるのだろうか、先生は見込みのありそうな若手棋士を見つけては門下に引き入れ、
育てたがる癖があった。
それはやがて自分と同じ棋士としての道を歩むであろう息子のために、
生涯を共に高め合ってゆけるような好敵手を自らの手で育てておいてやりたいという
願いからだったのかも知れないし、或いはアキラのことより何より、
自分自身の好敵手となり得る相手を探し求めてのことだったかも知れない。
俺などはアキラが生まれる前に先生の門下に誘われたのだから、後者の可能性も高い。
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