Sullen Boy 6 - 10


(6)
「……そういえばアキラ君、この前、キミが棋院の壁を破壊したという噂を耳にしたんだが」
 反撃とばかりに、緒方は再びフェンスに腕を掛けながら、皮肉っぽい笑みを浮かべて尋ねた。
「…………?」
 アキラは目を丸くして、緒方を見つめる。
「若獅子戦さ。進藤が来ないことに腹を立てる気持ちは分かるが、物に当たるのは感心しないな」
「あれは……」
「相当鬼気迫るものがあったと聞いている」
「……だから、あれはっ!!」
 アキラが反論しようと声を上げた瞬間、その唇に緒方は人差し指を立てた。
「集合住宅のベランダで、こんな深夜に大声を出すのも感心しないぞ、アキラ君」
 気勢を殺がれたアキラは唇を噛み締めると、目で緒方に抗議する。
「フン……。進藤のこととなるとキミは人が変わるから、まあ仕方ないな」
 緒方は半ば呆れた様子で、だがどこか楽しそうにそう言うと、灰色の雲が浮かぶ上空を見上げた。
「……実際、進藤が現れてからのアキラ君は随分変わった……」
「……ボクのどこがどう変わったっていうんですか?」
 イライラしているのか、アキラの口調にはどことなく刺がある。
「そうだな……、目が釣り上がってきた」
 上空を見上げたまましれっと言ってのける緒方に、アキラは憤懣やる方ないとでも言わんばかりの
表情を浮かべる。
「……そんなことありません……」
「乱視か、アキラ君?眼科へ行った方がいいぞ」
「……だから、そ・ん・な・こ・と・あ・り・ま・せ・んっ!!」
 つい力を込めて否定するアキラの唇に、緒方は笑いながら再び人差し指を立てた。


(7)
「『おがたくん、プリンぷっちんしてっ!』なんて言ってた頃は、大きな目がクリッとしてて
可愛かったのになァ……。それが今や、こんなに険のある目つきになって……」
 緒方はニヤニヤ笑いながら、指先でアキラの両目尻をキュッと引っ張り上げた。
アキラは怒りに震えながら緒方の手を払い除けると、大声で怒鳴りたいのを堪え、静かに口を開く。
「……昔の話をしたがるなんて、緒方さんも随分老けましたね……」
 「老け」の部分を露骨に強調するアキラに、緒方は思わず苦笑した。
「老けたんじゃなくて、貫禄がついたのさ。一応タイトルホルダーだからな」
 そう言って「ハハハ」と笑うと、緒方はアキラの肩に両手を置き、その顔を見据えた。
先程とは打って変わって真剣な表情の緒方をアキラも神妙な面持ちで見つめ返す。
「碁聖戦も制すればオレも二冠だ」
「……勝てますか?」
 そう尋ねるアキラの口調はどこか嬉しそうだった。
「当然だ。なにせ、アキラ君からバランタイン30年をプレゼントしてもらえるんだからな。
気合いの入り方が違うぞ」
 真剣だった表情を一気に和ませながら、アキラの両肩をポンポンと叩いた。
そしてアキラの肩から手を離し、再びフェンスに腕を掛けると、緒方は自分自身に言い聞かせる
ように呟く。
「是非とも勝利の美酒に酔いしれたいものだ……」
 そんな緒方をアキラはしばらくの間、少し羨ましそうに見つめていた。


(8)
「アキラ君、ここに乗れよ」
 爪先が冷え切って耐えられなくなったアキラが、仕方なく踵立ちしている様子を見て、
緒方はサンダルを履いた自分の足の上を指差した。
「……そんなことしたら、足が痛くなりませんか?」
「何言ってるんだ。軽いくせに……」
 緒方は笑いながらアキラの背中を叩き、指示に従うよう促す。
アキラは苦笑しながらも、素直に緒方の足の上に乗り、フェンスに腕を掛けた。
緒方はアキラの背中に軽く体重を掛けて覆い被さると、両腕を回してアキラの上腕を掴む。
「こうすると背中が暖かいだろ。オレもシャツ一枚で結構寒かったんでね」
「暖かいですけど……でも、やっぱり重いんじゃないですか?」
「この程度は、重いうちには入らんよ」
 そう言って、緒方はアキラの上腕を掴む手に僅かに力を込めた。
「それより……ホラ、少し明るくなってきたぞ」
 確かに遥か左前方がうっすらと明るくなり始めている。
「暁光だな。もう夜明けか……」
「……暁光…………暁の光か……」
 アキラは意味を確認するように、小声で呟いた。
「そうだな。さながら塔矢アキラと進藤ヒカルってところか」
「ボクと進藤!?……どういう意味ですか?」
 緒方の言葉に、思わずアキラが振り向く。
そんなアキラを楽しそうに見つめながら、緒方は片手をアキラの頭にそっと置いた。
「2人の名前を漢字にすると、そうなるだろ?」


(9)
 アキラは再び白み始めた空の方向に視線を遣ると、しばらく黙ったまま考え込んだ。
「進藤はわかるけど……。ボクの名前はお母さんの『明子』から『明』を採ってアキラなんだと
思っていたから……」
 緒方は独り言のように呟くアキラの横顔を穏やかな表情で見つめながら、爽やかな夜明けの風に
微かにそよぐアキラの黒髪を優しく撫でてやる。
「オレにとっては、アキラ君は『明』よりも『暁』のイメージなんだがね。なんとなく、
こうやって夜が明けていく雰囲気が似合うような気がするな……」
 ゆっくりとアキラと同じ方向を見遣りながら、緒方はアキラの耳元でそう囁いた。
「……ボクと進藤か……」
 どこか感慨深げに呟くアキラの両肩を力強くギュッと掴むと、緒方は挑発するような
口調で語りかける。
「追って来い!進藤と2人でな」
「……でも、進藤は!」
 再び緒方の方を振り向いたアキラは、苛立ちを隠しきれない表情を浮かべていた。
「すぐ戻って来るさ、進藤は。今は思うところあって出て来ないんだろうが……。
戻って来たらキミからも進藤に言っておくんだな。『追って来い!』と……」
「…………」
「それより今は自分の碁のことを考えるんだな、アキラ君。もうじき三段に昇段だろ?
本因坊戦の予選も煮詰まってくるんじゃないか?オレの期待を裏切らずに、しっかり
リーグ入りしてくれよ」
 アキラは緒方の足の上から降りると、フェンスに背を凭れ、沈黙したまましばらく唇を噛み締めた。
やがて、そんなアキラを見つめていた緒方の方を向くと、真剣な眼差しで尋ねる。
「……緒方さん……、進藤は本当に戻って来ると思いますか?」


(10)
「ああ、賭けてもいいぜ。アイツは必ず戻って来るさ。アキラ君のいるところにな」
「……ボクのいるところ……」
「そうだ。キミのいるところだ」
「……………」
「もしオレの言った通りにならなかったら、バランタインの件は無かったことにしていいぞ。
どうする?」
 不敵な笑みを浮かべて挑発してくる緒方に、アキラはゆっくりと首を振った。
「賭は不成立か……。なんだ、アキラ君もオレと同じ方に賭けてるじゃないか」
 言葉とは裏腹に、緒方は予想通りのアキラの返答に満足している様子だった。
そんな緒方を頼もしそうに見つめながら、アキラは再びフェンスに凭れる。
「……忙しくなりますね、緒方さんもボクも……」
「ああ、そうだな。『追って来い!』と言った以上、オレもうかうかしてはいられないな。
何がなんでも碁聖のタイトルは手に入れないと……」
「すぐに追って行きますから、そのつもりでいてくださいね」
「宣戦布告とは勇ましくて結構なことだ。だが、その頃のオレは二冠どころじゃ済まない
かもしれんぞ」
「じゃあ、その時は緒方さんが取ったタイトルをボクが全部いただくことにしますよ」
「ハハハ!言うじゃないか、アキラ君。取れるものなら取ってみるんだな」
 そう言って緒方は楽しそうに笑うアキラの頬を軽く叩いた。



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