座敷牢中夢地獄 8


(8)
「緒方さんて、なんだか話しやすい・・・初めて会ったのに・・・」
アキラの言葉に笑いが引っ込む。
そう、何故かこのアキラや先生にとって、俺は初対面の人物ということになっている
らしい。それに俺が知る限り、アキラが一年も体調を崩して療養した事実などない。
――どうなってるんだ?一体。
「緒方さん、さっき海で、自己紹介もしていないのにボクの名前を呼びましたよね。
どうしてご存知だったんですか?」
「さてね・・・何故だと思う?」
アキラは首を傾げ、澄み切った黒い目で俺を見つめた。
アキラが生まれたての頃初めてその目が開いたところを見て、世の苦しみや汚れを
まだ知らない赤ん坊の目というのはこれほど濁りなく美しいものかと、小さな感動すら
覚えたものだ。
だがあれから十数年が経ち、アキラが綺麗なことばかりではないこの世の現実を
幾らかは見知ったはずの今も、その目の澄明な美しさは少しも変わることがなかった。
――俺は先生の弟子で、キミが生まれる前から知っている。
そう教えてやったらどんな顔をするだろうかと思った。
だが今ここでそんなことを言ったとしても、きっと信じてはもらえないだろう。
悪くすれば妄想狂の怪しい男の戯言と思われて終わりかもしれない。
かといって辻褄を合わせるために適当な嘘をついて、今まで確かに積み重ねてきた
はずのものをなかったことにするのも嫌だった。
「・・・囲碁雑誌か何かに載っているのをご覧になったんですか?」
まあこの状況でアキラが導き出せる答えと言ったらこんなものだろう。
曖昧に笑ってお茶を濁しているところへ、先生がタオルを手に戻ってきた。
「アキラ、足を拭いたら奥で乾いた服に着替えなさい。緒方くん、キミはこちらへ。
風呂を沸かしてある」
風呂なら先にアキラくんに、と断ろうとしたが威厳のこもった眼差しで「キミが先だ」と
告げられてしまった。
アキラのことも気がかりではあったが、ここは大人しく好意に甘えることにした。



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