大人は判ってくれない? 1 - 5


(1)
 若獅子戦を数日後に控えたある日、アキラは学校帰りに父親の経営する囲碁サロンへと
足を運んだ。
受付の市河や常連客の暖かい出迎えを受けると、普段よく座る奥の席へと向かう。
腰を下ろし、パチパチと碁石を並べ始めたアキラの前に見慣れたスーツ姿の緒方が現れた。
「緒方さん」
 アキラの正面に腰掛け、前を開けた上着の内ポケットから煙草の赤い箱を取り出す緒方を、
アキラはチラリと見遣った。
緒方は盤上に視線を向けると、箱から煙草を1本抜き取った。
「何を並べているかと思ったら、インターネットのキミとsaiの一局じゃないか」
「緒方さんは御存知でしたね」
 アキラは俯き加減で碁笥に手を差し入れた。
「あれからsaiは一度も現れないんだろ?」
 煙草を口に銜えて尋ねる緒方に、アキラはやや硬い表情で答えた。
「ボクが見ている限りでは一度も」
 緒方は煙草に火をつけると、優雅に紫煙をくゆらせた。
碁石を打つ白くほっそりとしたアキラの指の動きを目線で追いつつ、低い声で呟く。
「saiか……魅力的な打ち手だった。だが、表に出てこない者に興味は持てん」
 アキラは一瞬盤上から視線を外し、緒方を一瞥した。
(表に出てこないモノか……)
 すぐさま視線を戻すと、アキラは緒方が見つめる中、淡々と碁石を打ち続けた。


(2)
 碁石を並べるアキラの様子に、これといって変化はなかった。
しかし、何かがおかしい。
「……おや? あの一局じゃないのか。随分変わった石の並びだな。誰と誰の対局だ?」
「さあ? それが、ボクもよくわからないんです」
「わからない……?」
 怪訝そうな顔の緒方を余所に、アキラはやはり黙々と碁石を並べるだけであった。
不気味な沈黙の中、アキラがパチパチと石を打つ機械的な音だけが周囲に響き渡っていた。
 
 どうやらアキラが並べているのは対局の棋譜ではないらしい。
何かの文字のようである。
「……こ、これは?」
 盤上に並べられた碁石が示す3つの文字を見て、緒方は不思議そうに首を捻った。
「XYZ!?」

 緒方は煙草を手近な灰皿で揉み消して、しばらく考え込んでいた。
すると、何やら思い当たるフシがあるのか、軽快にパンと手を叩いて笑った。
「ハハハ! そうか、なるほど! アキラ君、今夜はこれを飲みたいんだな。喜んで
ご馳走するとも」
 未成年であることはともかく、アキラの大人顔負けの酒豪ぶりは既に緒方の知るところである。
"XYZ"──ホワイトラム、コアントロー、レモンジュースで作るシンプルなカクテルだ。
アルファベットの最後の3文字を名称にしているのは、これ以上はない『究極』のカクテル
という意味らしい。
口当たりのいいさっぱりとした味で、アキラのお気に入りになっていた。


(3)
 緒方は不敵な笑みを浮かべつつ、腕組みをした。
(フッ、随分可愛らしい意思表示の仕方だな。こんな時間から酒のことで頭が一杯とは……
今夜もヤル気満々ということか。しかし、こう度々お持ち帰りされていて、キミの素行は
先生に怪しまれないのか?……まあいい。若者のヤル気に応えるのは、年長者たるオレの
使命だ。開発した以上、責任は取ろう)
 アルコールが入ったアキラは肉欲に飢えた美獣と化すのが常である。
ベッドで見せるその妖艶な媚態を思い出し、緒方は内心ほくそ笑んだ。

「…………」
 アキラは無言のまま小さく首を横に振った。
冷え冷えとした硬質なポーカーフェイスは、さながらシベリアの永久凍土を思わせるものがあった。
 緒方の背筋を汗の雫が一滴流れ落ちた。
目算は見事に外れたようである。
何かとてつもなく嫌な予感がしてならない。
「……まさかアキラ君、オレ達の関係は『もう後がない』ということなのかッ!?」
 "XYZ"──これを『もう後がない』と解釈する緒方は、密かに『シティーハンター』を
愛読しているらしい。

 つい先日、対局過多で疲労困憊しているにもかかわらず、緒方は積極的に求めてくるアキラの
若い肉体を十分に満足させてやった──ハズだった。
少なくとも緒方自身はそう思っていた。
だが精も根も尽き果てベッドに力無く仰臥する緒方に、アキラはこともあろうか更にもう一発、
それもお気に入りの騎乗位を要求してきたのだ。
あまりにも無軌道な若き性。
いやはや恐るべき中学2年生である。


(4)
 しかしながら、生ける屍と化した緒方の弾切れマグナムに一体ナニができるというのか
──当然ナニもできはしなかった。
開発しておきながらアフターケアに不備が生じるこの無様な有様。
夜の帝王の名を欲しいままにしてきた緒方も、やはり寄る年波には勝てないらしい。
 熱く滾る肢体を持て余し、欲求不満に陥ったアキラの自分を侮蔑しきった表情が、緒方の
脳裏にまざまざと蘇った。
(まさか……まさか、これがアキラ君なりの三行半の叩きつけ方なのか?)
 思わずそんなことを考えて血の気が引いてしまう緒方は、実はかなりの小心者であった。

「……ああ、あの日のことですか。そう思ってもらっても、ボクは一向に構いませんけどね」
 能面の如きポーカーフェイスを崩すことなく、アキラは緒方に冷たく言い放った。
(わからない……さっぱりわからない……)
 騎乗位のリクエストに応えられなかったことで、大いにアキラの不興を買ったのは間違い
なさそうだ。
だが、今問題となっているのはそんなことではないらしい。
アキラの真意を量りかねる緒方だった。


(5)
 凍てつくような視線で自分を凝視するアキラに、緒方は覚悟を決め、恐る恐る尋ねてみた。
「……結局、"XYZ"とはなんなんだ?」
「緒方さん、英語はお得意でしょう?」
「……?」
「興味云々以前に、表に出てこない方がいいと思いますよ」
「……え?」
「緒方さんが歌う『セクシャルバイオレットNo.1』は、どこに出しても恥ずかしくないくらい
お上手ですけどね」
「……なぬ?」
 あまりにも鈍い緒方の反応ぶりに呆れ果てたアキラは、すっかり押し黙ってしまった。
(やはりボクと緒方さんとの関係は、終わりにした方がいいのかもしれない……)
 やるせなく碁笥に手を突っ込むと、碁石を弄び始めた。

 2人の間をしばらく気まずい沈黙の空気が漂っていた。
そんな中、突如アキラが小声でぼそっと呟いた。
「ex..... y... z.....」
 緒方は呆気にとられてキョトンとしていた。
恐らく聞き取れなかったのだろう。
「……はァ? 今、なんて言ったんだ?」
 緒方はいつになく素っ頓狂な声を上げた。
例え芦原でも、こんな間抜けなリアクションはしないはずだ。
アキラは脱力し、思わず天を仰いだ。
(ボクはどうしてこんな人と……!? 乗せてくれない上にこのザマだ!!)
 自分の運命を呪わずにはいられないアキラだった。



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