Trap 1 - 5


(1)
「――塔矢アキラくんだね」
碁会所からの帰り道、突然、声をかけられた。
夜も遅い人気のない路地をアキラは一人、歩いていた。
低い、押し殺したような男の声。
不審に思いながらも振り向くと同時に、口元に布のような物を押し当てられた。
「っ!」
鼻腔から浸入してくる強烈な薬品の臭い。
目がまわった。
急速に遠のいていく意識。ぼやけた視界の先に、複数の男達の姿が見えた気がした。


(2)
――その『日常』が壊れてしまうことを一体誰が予測できただろう。
それは突然、起こってしまったのだ。何の前触れもなしに――。

その日も始まりはいつもと変わらなかった。
父の碁会所に行って、いつものように進藤ヒカルと打って、
いつものように進藤を怒らせて。
進藤が帰るのと入れ違いに緒方さんがやってきた。
「進藤とは随分親しくなったみたいだな」
緒方さんの言葉に、
「別に仲良くなんかなっていません。彼はただのライバルです」
「ライバル、ね」
妙に含みを持たせた言い方をする。
「君は前から進藤に、えらくご執心だったからな。今の関係が嬉しいんじゃないのか?」
「…からかわないでください。進藤はこれからもっと成長していきますからね。
うかうかしていられませんよ」
「進藤…進藤か…」
どこか遠い目をして、緒方さんが小さく呟いた。
「――緒方さん?」
「いや、では一局お手合わせ願えるかな」
「あ、 はい。よろしくお願いします」
……それから緒方さんと打って、終局した頃には、時計の針は9時半を回っていた。
「すっかり遅くなってしまいましたね」
帰り支度をしていると、
「すまんな、アキラくん。今日は用があって、君を送って行ってやりたいんだが…」
「いえ、大丈夫です。一人で帰れます。こんな時間に用って――デートですか?」
「ハハ、ご想像におまかせするよ」
和やかな雰囲気で緒方さんと別れた。
そう…そこまでがボクの『日常』だった。
一人、家路についた。
その後に待ち受けるモノが、この日常を壊してしまうことも知らずに――。


(3)
アキラが意識を取り戻して最初に見たものは灰色のコンクリの床だった。
ここは……。
まだ重い瞼を懸命に上げる。
頬にあたる冷たいコンクリの感触。どうやら床の上に転がされているらしい。
「おい。こいつ気がついたみたいだぜ」
と、突然、声が降ってきた。初めて聞く男の声。
「やっと、お目覚めか」
次にした、この声は知っている。そう、あの路地で聞いた低い男の――。
…そうだ、思い出した。突然、薬のような物を嗅がされて、ボクは……。
少しずつ意識が冴えてくる。状況を把握しようと思考が動き出す。
アキラは男達の顔を見ようと、ゆっくり頭を動かした。
視界に入った男達の顔に、ぎょっとした。
全員が同じ顔だった。
――マスクを着けていたのだ。
頭からすっぽり覆い隠すタイプのもので、
目と口の部分だけが切り取られたように空いている。
黒地に白で奇妙な模様の入ったマスク。
まるで特撮映画に出てくる怪人さながらの。
「あ、あなたたちは一体…」
愕然とするアキラに、
「さぁ、ショーの始まりだ」
表情の見えないマスクが冷ややかに告げる響き。
それはまるで悪夢という名のステージの開幕ベルのようだった――。


(4)
…天井から紐でつるされた裸電球。周りには山積みにされたダンボール。
ここは、どうやら倉庫のようだ。
さほど広くはない空間に男達は6人。
アキラは冷静に分析するかのように視線をさまよわせる。
「では、まずはナニから始めましょうか? おぼっちゃん」
揶揄するような声音で、男の一人が話しかけた。
だがアキラは口をつぐんだまま、思考をめぐらせる。
――逃げるなら今かもしれない。
指を少し動かしてみた。神経には影響がないようだ。
今なら、まだ男達も油断している。『今』しかない。
「っ」
アキラは素早く起き上がると駆け出した。
男達の間をぬって、出口があるであろう方向へ力の限り走る 。
「!」
だが突如、目の前に立ちふさがった長身の男。行く手を阻まれてしまった。
――後退りするアキラ。男達がその周りを取り囲んだ。
逃げられない、悟った瞬間。
「ヤれっ!」
男の声が飛んだ。それを合図に男達は一斉にアキラに襲いかかる。
アキラは床に引き倒された。両手両足を各人がパーツごとに取り押さえる。
「っ!」
抵抗しようにも、子供一人に大人4人がかりだ。どうにもならない。
…4人? ここには6人いたはずだ。
まだ何とか冷静さの残る思考で、アキラは目だけで残り二人の姿を探す。
――いた。少し離れた場所からアキラを傍観している。
ギクッとした。
男の隣に三脚が立てられ、ビデオカメラが設置されているのが目に入ったからだ。
もちろんレンズはアキラの方を向いていた。
そして、もう一人の男の手には一眼レフカメラが……。
――アキラは初めて怖い、と思った。
これから一体、ナニが始まるのか。先の見えない不安に唇が震えた。


(5)
「――アナタ達の目的は何ですか」
アキラは怯えていることを悟られないよう、出来るだけ冷静な口調で訊ねる。
「ボクに何か恨みでも…」
「俺たちは頼まれただけさ」
腕を押さえていた男の一人が答えた。
その意外な返答に、アキラは眉を寄せる。
「頼まれた…誰に?」
「さぁな。俺も知らねぇよ。知ってんのはリーダーだけさ」
「――おい、しゃべりすぎだ」
傍観していた、カメラを持っていない方の男が止めた。
どうやら、この男がリーダーらしい。特徴のある低音ボイス。
アキラを拉致する時に声を掛けてきた男だ。
「何にしろ、アンタはこんなことをされるようなことをしちまったってことさ」
男の手が無造作にアキラに伸びた。
「ッ!」
シャツの前を割り開かれる。ボタンが弾けとぶ。
淡く色づいた胸の果実がむき出しになった。
「可愛い顔してるけど、やっぱり男の子だねぇ。下の方はどうかな?」
足を押さえている男が片手でアキラのズボンを下ろした。現れたのは白いブリーフ。
男達の好奇な視線が注がれる。ヒュー、口笛が鳴った。
「いかにも育ちのいい、おぼっちゃんだ。犯しがいがあるよ」
クスクスと下卑た笑い声。アキラは耳を疑った。
――犯す。その言葉の意味すること。
さっき男達はボクの性別を確認したはずだ。
男のボクを犯す…?
暴力は覚悟していた。痛みになら堪えられると思っていた。
でも、まさか、そんなこと……。



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