翌日の朝練に、不二は少し遅れてやってきた。
「おはよう、手塚。ごめんね、遅れて」
普段と同じ、人当たりの良い笑顔。だが、微かに、やつれている気がしないでもない。大石に言われた事もある。
「……グラウンド10周だ。と、言いたい所だが……体調がすぐれないのだろう。今日は大目に見てやる」
不二は不可解そうに眉を寄せた。
「……ああ、昨日の事? 知ってたの? もう大丈夫だよ」
「そうか。だが無理はするな」
できるだけ声を優しくするが、不二はますます困ったような笑顔になるだけだった。
「……手塚こそ、大丈夫? そんなに心配症だったっけ?」
「……どうして俺がお前に心配されなければならない」
「だって僕のこと心配する君なんて気持ち悪い。雪でも降らなければいいんだけど」
それはいったいどう意味だろうか。
とりあえず、不二の毒舌ぶりは健在だ。見た目よりも元気なのかもしれない。弟の事も、要らぬ心配だったようだ。……そんなに柔な精神の持ち主だと心配する必要はなかったのかもしれない。
だとすると、心配するだけ無駄だったような気がしてくる。
「…………」
無言で不二の方を見る。不二は着替えながら、そういえば、と話し出した。
「昨日の夜、電話くれてたんだよね。ごめん、早めに寝ちゃってたからさ……急ぎの用だった?」
そう言われて電話したことをようやく思い出した。確かに昨日の夜、大石に言われて心配して電話をかけたのだが、不二は出なかった。思ったとおり寝ていたらしい。
「いや、別に……。お前が練習を休んだ、と聞いたからな。治ったならそれでいい」
「……やっぱり君の方が熱ありそうな気がするんだけど。病気の部員の心配するなんて……普段なら、『体調管理もしっかり出来ないのか』って怒り飛ばすくせに」
苦笑しているような不二の声に、手塚は少し苛立った。からかわれている事が今日はヤケに気に障った。
「二年生が部活を率いていかねばならないこの大切な時期に、風邪などたるんだことを言うレギュラーに、喝を入れてやろうと思っただけだ」
厭味のつもりでそう言った。
だが鋭い語調で返された。
「……この大切な時期に、部活に出られない部長もいるけどね」
「…………む」
そこを突かれると返す言葉がなかった。今の台詞は間違いなく自分のことを棚に上げた失言だった。
「……それは、悪いと、思っている……」
歯切れ悪く返答する。
着替え終わった不二は、こちらに近づいてきた。すれ違い様に囁く。
「解ってるよ。ま、大石が上手くやってるし、練習内容は乾がちゃんと考えてるし。特に問題はないから、生徒会の方頑張ってよ。ね、生徒会長様?」
「…………」
「二束の草鞋で君の方が疲れてるんじゃない? 僕のこと心配するなんて、さ」
先ほどから、言葉の一つ一つが妙に刺々しい。
通り過ぎようとする不二の肩を思わず掴んだ。
「待て。……お前の心配を、俺がするのはおかしいのか」
「おかしいよ」
短くそれだけ言うと、肩の手を振り払って出て行こうとする。
きっぱりと即答する不二に、手塚もムキに成りかけていた。
だいたい、手塚には不二のことを心配するなんて日常茶飯事なのだ。何を考えているのか手塚には全く理解できないところがある。会話も行動も突拍子がない。部活をまとめる上で、一番厄介なのが彼の存在だった。
今だってそうだ。心配してやっているのに、どうして不機嫌になるのか。
「お前は……」
「おーい、手塚……」
手塚が何か言おうとしたのを遮るタイミングで、大石が部室に入ってきた。
「そろそろ始めるぞ……と、不二。もう大丈夫なのか?」
大石に気付いた不二は、普段の笑顔で答えた。
「うん。ごめんね、昨日は」
素直に謝るその声に先ほどの刺々しさはない。態度の違いに手塚はますます苛ついた。
こういうとき、普段が仏頂面だと、感情の変化が見えなくて助かる。
手塚はことさらに仰々しく椅子から立ち上がった。
「解った。練習に行くぞ。それと不二」
「……?」
大石の後を追って部室を出て行こうとしていた不二を、手塚は呼び止めた。不思議そうに首を捻る。
「話がある。部活終了後、少し時間をくれ」
「……解ったよ」
渋々といった感じの声が、胸に突き刺さるようだった。
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何の変化もなく一日は終わり、放課後の練習も終わった。
相変わらず、今日も手塚の姿は見えない。解ってて来るだけは来たが。
「……ふじー! な、今日、月見ちゃん食べていかね? 最終日なんだ〜」
ファーストフードに誘う菊丸を、不二はやんわりと拒んだ。
「ああ、今日は駄目。居残りだから」
「居残りって……?」
不思議そうに首をかしげる菊丸に、答えたのは大石だった。
「手塚に呼ばれてるんだよな、不二」
「うん、昨日のことでちょっと。やっぱり怒らせたかな」
困り顔で笑う。
「エージ、マックなら、大石と行ってきなよ。手塚への連絡、僕が引き受けるから」
机の上の部誌を手にとりながら大石にそう持ち掛けてみるが、大石は両手を振って拒んだ。
「そんな、悪いよ、不二」
「……そ、どーせなら、手塚も待って四人でいこーよ。俺も付き合うから」
「いいよ、多分長くなっちゃうし。大石もたまには早く帰りたいだろうし。それに、手塚そういうの行きたがらないから……。二人で先に帰りなよ」
言外に、他人には聞かれたくないのだというニュアンスをわずかに含ませる。
二人はしばらく顔を見合わせて黙って悩んでいた。先に決心したのは大石だった。
「……じゃあ、解った。ありがとう。今日は任せるよ、不二」
「……おーいし!?」
不二の肩を叩く大石に、菊丸は驚いたような声をあげた。だが、大石は着替え終わった菊丸の腕を引っ張ると、ドアに向かって歩き出した。
「じゃ、行こうか、エージ……」
「え、だって、でも……」
何か言いたそうに自分の方を見る菊丸に対し、不二は安心させるように笑いかけた。その顔を見て菊丸は口を噤んだ。
「それじゃ、お先に」
「うん、手塚にはちゃんと言っておくから。また明日」
「……無理すんなよー!」
部室から去っていく二人に手を振りながら、不二は部室のドアを閉めた。
一人になると、急にどっと疲れが押し寄せてきて、不二は肩を落とした。本当に体調が悪いのかもしれない。
(でも、まだ、手塚と会わなきゃならない)
どこまで普段の自分でいられるだろうか。菊丸達と話している間は、なんとか笑顔を保ったが、手塚相手だと無理な気がする。
だいたい、朝から手塚は妙だった。
自分に気をかけるなんて。
(手塚に心配されるなんて、相当やばいのかなあ……)
ぼんやりと薄暗い天井を仰ぐ。
手塚が自分を気にかけていることが、不二には耐えられなかった。
彼が他人の心配をしているのは別に構わない。だが、自分が心配されているのはどうも気分が悪い。
自分を心配する手塚が嫌いなのか、手塚に心配される自分が嫌いなのか。よく解らないが、多分どっちもだろう。
自分のことを気遣う彼を見ていると、どうしても、突き放すような言い方になる。
とりあえずできることは、自分は大丈夫であることを伝えるだけだ。
そうでなければ、大丈夫じゃない理由から言わなければならない。
それは困る。こんな感情、知られたらきっと最後なのに。
恋愛対象だからだとか支配対象だからとか、感情に理由を考えるのにはもう疲れた。
手塚に関してこうも苛ついている理由も解らない。
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九月も終わりに近づき、日が暮れるのもだいぶ早くなった。
夕闇に包まれた部室には灯りが付いていなかった。訝しく思うが、入り口の鍵は開いていた。ドアを開けると、中にいたたった一人の人物が手塚に気付いたのか、薄暗い中で顔を上げた。椅子に座っている。手元には雑誌があるが、この暗さだと文字は読めないだろう。
「あ、生徒会お疲れ様、手塚」
「どうして、灯りをつけないんだ?」
「え? ああ、忘れてたよ」
そう言う不二の表情はよく解らない。だが朝とは違い、その口調には穏やかなものがあったので、手塚は少し安心した。
「すまん。待ったか?」
「ううん、別に。30分ぐらいかな」
それは結構待った方じゃないだろうか。
「……すまなかった」
「いいよ、謝らなくても。九月にもなると夕方は寒いね、さすがに。体調悪いんだけど風邪ぶり返したらどうしよう……」
穏やかな話し声の裏には、明らかに毒があった。まだ、朝のことを引きずっているらしい。
「だから、早めに帰りたいんだけど」
「ああ……」
灯りの必要はあるまい。鞄を下ろして椅子に腰掛けると、手塚はストレートに切り出した。
「単刀直入に聞こう。お前、何か悩みでもあるんじゃないか?」
「……はあ?」
不二は不思議そうな顔をした。
「昨日の風邪のことじゃないの?」
「……それもある。だが、その原因が……精神的なものではないか、と……」
「裕太のことで僕が凹んでるって?」
言いよどんでいた事を、ずばりと不二は突いてきた。
「何それ? 大石の入れ知恵?」
くすり、と不二は心底おかしそうに笑った。
「だいたいそんなところだよね。君が僕のこと気にかけてるわけないもん」
侮蔑を込めた不二の言葉に、手塚は眉を顰めた。
図星を突かれた、と言うこともある。しかしそれ以上に、投げやりな言い方が無性に気に障った。
だが、今ここで自分まで逆上しては相談にならない。手塚は眉間の皺をより一層深めながらこう答えた。
「……そんな事はない」
不二はチームメイトでもありライバルでもあり、そして友人だ。気にしていないわけがない。
それでも、不二は納得しなかったようだった。
一見、いつもと同じように見える優しげな微笑みを浮かべている。だが、その笑いが本心からのものではないことは薄々わかっている。つまるところ、不二の笑みは仮面と同じなのだ。
そしてその言葉も。
仮面を外さない限り、不二はきっと、演じている役の台詞しか口にしていない。
「慰めなんて言わないでよ。君には似合わないよ。僕だって別に、君に心配してほしいわけじゃないんだ」
「……朝から思っていたが、それはなんて言い草だ。人が心配してやっているのに」
それではまるで、自分が不二を心配したことがないようではないか。
だが、不二はふと、視線を鋭くした。
「……心配して『やってる』? やっぱり傲慢なんだよね、君」
「それは……」
「自分に出来ないことなんて、無いと思ってる」
自分の口調の揚げ足を取られて、手塚は黙った。朝からそうだった。不二は妙に言葉尻を付いている。そうすることで問題を誤魔化そうとしているのだ。
まず、自分の発言が妙に感情的に成りすぎている。だから不二に付け込まれるのだ。
そのことを自覚した手塚は、肩を上下させて大きく深呼吸をした。
「……その言い方は、非を認めよう。だが、今の問題はそれじゃないはずだ」
気持ちが落ち着いたところで、夕闇の中、不二の方をじっと見つめる。
手塚の冷静な視線に、不二も笑みを止めた。真剣な眼差しで手塚の方を見ている。
「……何か、辛いことがあるなら、愚痴を聞いてやるぐらい俺でも出来る」
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もう日の入ってこない部室で、机を挟んで手塚と向かい合っている。
薄明かりの中に見える彼の顔をこうやってまじまじと見るのは久しぶりだった。……というか、初めてかもしれない。
闇に輪郭はぼやけているが、その眼光の鋭さまで失われた訳ではない。
(やっぱり綺麗な顔、してるんだよね……)
端整、という言葉がピッタリ当てはまる。女の子からもてるのも当然だろう。なおかつ、少年から青年への過渡期にある顔つきは、どちらとも付かない特有の危うさを備えていた。
頭頂から形のいい顎の先までじっと目で追ったあと、目は不意に固く閉じた唇に焼きついた。
例の淫夢が、ふっと頭にのしかかってきた。
ここでその唇に噛み付いてやったら、どういう反応をするだろう。
放課後の部室には二人きりしかいない。灯りをつけていないので、教師陣もよっぽどの事が無い限り気がつかない。
そのことに気がついたとき、急に腰が重く感じた。
「……不二」
薄い唇が上下に動いて、自分の名前の発音を形どる。
それで不二ははっと我に帰った。
「……ああ、うん」
「どうした」
不二は押し黙った。どうした、と聞かれても、答えられるはずがない。キスしようと思ってたなんて。あわよくば、この場で押し倒してしまおうと思っていたなんて。
言葉にしない限り、自分の醜い欲望が手塚に理解されてしまう事はない。
だが、ここで何も答えないのも不自然である。とりあえず、おかしくはない答えでお茶を濁そうとした。
「……裕太のことで、悩んでなかったって言ったら、嘘になる」
それは事実だ。
「結構ショックだったよ……家族なのにさ、僕は裕太の気持ちを理解してやれなかった」
「……それはそもそも、家族だからといって気持ちを理解出来ると言う前提が間違っている。付き合いが長いからといって人の心など簡単に解るものではないだろう」
手塚の切り返しに、不二は言葉に詰まった。肩をすくめる。
……それはそうだろうけど、そんな風に言わなくてもいいじゃないのだろうか
「……君やっぱり、慰めとか、悩み相談とか、止めといた方がいいよ。下手だから」
「……そう、か……」
「正論というか、正しいけどさ……君の言う事。でも正しいことだけじゃ人は救われないよ」
「…………」
手塚は少し黙った。考えるところがあるようだった。
不二は背もたれに体重をあずけると、吐息交じりに言った。
「まあ、裕太の事に関しては、僕もそう思うことにしてる。裕太の悩みは僕には多分理解できないだろうし、裕太もきっと僕に理解されたかった訳じゃない……時間が経てば、なんとかなると思うし」
「じゃあ、部活を休んだのは」
「……だから風邪だって。そりゃあ、ちょっとは、精神的疲労もあっただろうけど」
「ほんとうに、それだけ……か?」
まだ手塚は、何か気になっているようだった。
不二としてはいい加減に帰りたいところである。あまり長居すると、またあらぬ妄想に囚われそうだったからだ。
本当に襲ったりしたら、手塚は自分を許さないだろう。そして二度と会えなくなる。
それが一番辛い。
だから不意に、鞄を手にとって椅子から立ち上がった。
「もういい? 忙しい君に心配されるほどじゃないよ」
「…………」
手塚は何かまだ言いたそうだったが、無視して帰り支度を続けた。
不二はロッカーから一冊の冊子を取り出して、手塚に渡した。
「これ、今日の部誌。こっちも特に心配ないよ。大石とエージのダブルスも快調だし、一年も桃や海堂中心によくやってる。君、今は生徒会の方、ちゃんと頑張ってて」
「すまんな、部活のことは……」
「もう数日ぐらい大丈夫だよ。それより、君の腕の方が、鈍ってないか心配だけど……じゃあ」
最後の強がりで肩越しに微笑んで、ドアノブに手をかけた。
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『生徒会』の単語を口にしたとき、不二の顔が微かに強張ったように、手塚は感じていた。
見間違いかもしれない。だが、妙に気になる。
考えてみれば、弟のことで不二が一番考え込んでいた時期に、手塚は選挙運動やその他多くの事の最中で、ロクに不二の相手をしていなかった。
こうやってまともに話すのも、思えば何週間ぶりだろう。
そう気付いた時、帰ろうとしている不二を、思わず呼び止めた。
「不二」
「……何?」
動きだけ止めて、振り向かずに不二は答えた。
「生徒会の方は……明日ぐらいには片付く予定だ。その後は、部活を休むようなことはしない」
手塚自身、無意識だった。だが、何かを言わなければならない衝動に突き動かされた。椅子から半分だけ立ち上がった格好で不二の方を伺う。
「……無理しなくていいよ」
「無理じゃない。今年の生徒会メンバーは皆優秀でな。極力、部活のために便宜を図ってくれると言ってくれた……無論、俺も全力で望むつもりだが……それに、一年生の書記が……」
「……だから?」
不二の声が、急に冷え込んだ。
まだこちらを向かないまま、声だけで答える。
「だから何? 君が生徒会にずっと行ってて、僕が寂しがってるとか思ったわけ?」
「……いや……」
そう言われると、手塚には返す言葉がなかった。どうして不二を呼び止めて、こんなことを言ったのか、言わねばならない気になったのか。
自分でも理解していなかったからだ。
ただ、解っているのは。
「お前の方が……何か無理しているように、見えたから……」
独白めいた言い方に、自分の方が混乱していた。
思わず口を抑えようと腕を上げる。
だが、その前に、何かによって口を塞がれていた。
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このまま、いつもの辺り障り無い部活の仲間の関係で今日も終わると思っていた。終わりたかった。
だから、もう何も言わずに帰ろうと思った。
なのに。
普段は殺人的に鈍感なくせに。
どうして、肝心なところだけ鋭いのだ。
不二は振り向くと、突然、手塚の胸倉を掴んだ。突然の事に、手塚は反応していなかった。何か、考え事をしているような顔だった。
だがそんな事には構わずに、顔に顔を寄せた。夢で見たのと同じように。
上唇、下唇問わず噛み付くように味わって、舌で舐めてやった。
「……!? ふ……!」
驚いた手塚が何か言おうと口を開いた隙に、今度は全体を覆うように口を開いて重ね合わせて、口内に舌を滑り込ませた。上下の歯茎を舌でなぞって、上顎に先端を当てる。溢れている唾液を音を立てて吸ってみる。
「んっ……!!」
肩から鞄を下ろして片方の手を自由にすると、その空いた手でキスしやすいように手塚の顎を上げさせた。鼻の頭に眼鏡が邪魔だったが、両手がふさがっているのでそのまま続けた。
そして、口の中で逃げようとする手塚の舌を追って無理やり絡め合わせた。
舌をかわそうとすればするだけ、狭い口内で舌が激しく動く事になる。それを追った不二が縦横無尽に口内を嘗め尽くす。結果的に手塚自身が不二の舌技に協力することとなった。
絡んだ二人の唾液が、手塚の口端からたらりとたれて、糸を引いて床へと落ちていった。
「む……ふはっ!!」
息が続かなくなって、引きとめようとする不二から手塚は無理やり口を引き離した。
肩で息をしながら、手で口を拭っている。
顔が赤い。眼鏡の瞳もやや潤んでいる。ずれていた眼鏡を直す手が、少し震えていた。
冷静沈着が売りの彼が、たかだか一回のキスでこんなになっている。
もっと乱れたところが見たい、と、素直にそう思った。
「駄目だよ、ちゃんと鼻で息して……ってキス、初めてだった?」
「お前……」
手塚は身体を離した不二を仰ぎ見ている。何があったのか理解不能、という顔をしている。当然だろう。チームメイトに突然キスされたのだから。しかも濃厚なものを。
「よく解らない、って顔してるね、手塚」
不二は手塚に対してにっこりと微笑みかけた。二人分の唾液で濡れた唇を舌で舐めると、妙に甘かった。その味がますます不二の官能を高める。
「……でも君に僕の何が解るっていうの? 僕だって、僕がどうしてこんなことしたのか、よく解ってないのに」
「……不二」
手塚の目に衝撃の色が浮かんだ。
「本当は僕のことなんか解ってないくせに、解ろうとなんかしていないくせに……解ってるふりをして、それで慰めてやれれば満足なんだ、君は」
ずっと押しとめていたものは、濁流となって不二の感情を押し流していた。
「さっき自分で何て言ったか覚えてる? 『人の気持ちは簡単には理解できない』って。普通の人には簡単には出来ないけど、君には出来るって言いたいの? ……やっぱり、傲慢にもほどがあるよ」
「違う……」
手塚の短い呟きを、不二は冷静に見下ろしていた。
「何が違うんだい」
「俺は、お前のことを、少しでも解りたいと思っていただけだ……簡単には解らないから、解りたいと」
「……そっか、僕のことが、解りたいんだね?」
頭の中がぐちゃぐちゃで。
もういっそ何も考えたくなくて。
ただ、情動に突き動かされるままに体が動いた。
薄く張った氷の上を恐る恐る歩くぐらいなら。
いっそ、全部壊して水底に落ちてしまえば、すぐに楽になるだろう。
椅子に半分腰掛けていた手塚の身体を、無理やり床へと引き摺り下ろした。混乱していた手塚は無防備だった。右肩から、床へと倒れこむ。
仰向けになった手塚の上に不二は馬乗りになった。手塚の両腕を抱えて、頭の上にまとめあげて自分の手で押さえつけながら、顔を合わせてもう一度キスをする。
「じゃあ、教えてあげる」
泣き出しそうな顔で笑いながら、不二は独り言のように呟いた。
「……こうしたかったんだ。ずっと」
書いても書いても終わりません。まだまだ続きますよ。
次はお待ちかね(私が)。エロです。苦手な方は各自御自衛下さい。
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