てんし【天使】 Angel Song 3. 秋季大会、と言っても正式には親睦大会であって、全日程も一日で終了する小さな試合だ。だが、三年生引退後、二年生主体チームでの初めての顔合わせとあってどの学校も戦力分析には余念が無い。この試合の結果如何で来年のチームの状態に大きく影響を与える可能性があるだけにおろそかには出来なかった。 初戦をストレート勝ちで決めたあと、手塚は試合会場内を大石と二人で回っていた。他校の試合見学のためである。 「幸先のいいスタートだったな、手塚。……15分で決めるなんて」 大石の言葉に生返事で返した。右手で左手の肘をぐっと掴む。 「そういや、何処を見に行くんだ? だいたいのところは乾がデータを取ってるけど……」 と、考え込んで意識がそれたところで、前から走ってきた誰かが追突してきた。 「て、手塚……!」 バランスを崩してこけそうになったのは手塚ではなくぶつかってきた方だった。とっさにその腕を掴んで倒れないように体を支えてやった。 「す……すみません!!」 手塚が手を離すと、その生徒は自分で体勢を立て直した。 「はい、大丈夫です……すみません、急いでたんで……って、ああ!!」 礼儀正しく謝罪のため一度頭を下げた生徒は、もう一度顔を上げると、手塚の顔を見て突然大声を上げた。 「……て、手塚さんですよね……! 青学の……!!」 その一年生の顔にはっきりと歓喜が見て取れた。こういう手合いは慣れていたので手塚は表情を変えずに答えた。自分が有名になるにつれて、良い意味でも悪い意味でもこうやって呼び止められる機会は多くなった。 「ず、ずっと憧れてたんです……兄貴もそうだったんで……兄貴が凄い手塚さんのこと誉めてて……! さっきの試合もずっと見てました……!!」 照れながら話している様子がなかなか好印象だったので、手塚は少し表情を和らげた。 「……そんなことはない。それは、君の努力次第だ」 「裕太君、何やってるんですか! 早く来なさい!!」 名前を呼ばれたのか、一年生はびくっと身を震わせた。 「あ、……観月さんだ。ぶつかっちゃって本当にすみませんでした。俺、失礼します。試合、頑張ってください!」 再び進行方向に駆けていこうとした一年生を、ふと、呼び止めた。 「そうだ、名前は?」 よく聞いたことのある名前の響きに、手塚は少し目を見開いた。 「……ふじ?」 自分の部屋にいるはずのあの天使の顔がふっと浮かぶ。 「はい、富士山の方じゃなくて、『二つとないこと』の不二ッス」 聞き返した手塚に、一年生は丁寧に説明した。その説明の仕方もいつか聞いたことがあるものだった。 「裕太君! 置いていきますよ!!」 甲高い声がして、不二と名乗った一年生は、もう一度大きく頭を下げると走り去っていった。 手塚はその背中を呆然と見詰めていた。 あの天使と同じ名前。 「なかなかいい一年生だったな」 大石に声をかけられて、手塚は考え事からはっと我に返った。 「あ、ああ……そうだな……」 大石の言葉を手塚は話半分に聞き流していた。 「彼も補強組なのかな……」 大石の呟きを無視する形で、手塚はおもむろに声を発した。 「……乾は、聖ルドルフのデータも持っていたな と言うと、手塚は踵を返して来た道を戻り始めた。 「って、おい、手塚、見学は!?」 大石が訝しげに自分を見ている事はわかっていた。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 「乾、すまん。少し時間はあるか?」 休憩中の青学レギュラー陣の元に戻ってきた手塚は、次の対戦相手のデータを確認中だった乾を呼び止めた。 「ああ……かまわないが。どうしたんだ」 乾はぺらぺらとノートを捲ると、目当てのページを見つけた。 「今年から補強組を作って強化しているな。まあ、今の段階じゃまだチーム内もまとまりが無く発展途上だが……」 乾の薀蓄は聞き流しながら、手塚は選手リストのところを探り当てた。 (兄……?) そう言えば、先ほども彼は兄のことを話していた。 ――兄貴がすごく手塚さんのこと誉めてて……! 「この選手か? まだレギュラーではないが……」 乾がノートを除き込んできたので、手塚は気になっていたことを尋ねてみた。 「……彼の、兄というのは? この様子だと俺たちと同学年になるが……」 乾も首を傾げた。 「どうだったっけな……おかしいな、そう言えば聞かないな……兄弟なら名字は同じはずだが……」 乾が急に手を叩いた。 「先日、大和先輩が持ってきてくれた資料の中だ」 だが、確認してみる価値はあるだろう。 「なんだ、気になる選手って彼の兄の方なのか?」 乾の問いに手塚は沈黙を守った。自分の中の疑問を説明しようとなると、あの天使の存在から説明しなくてはならない。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 試合はその後順調に勝ち進んだ。ダブルスの黄金ペアは絶好調で勝ちを収めつづけ、シングルスの方もなかなか好調だった。手塚自身も内心気にかかる事は多かったが無難に勝利を収めていた。とはいっても、シングルス1の手塚まで試合が回ることすらほとんど無かった。 大会も終了し、荷物をまとめて帰る間際のことだった。時刻も遅いので学校にも戻らずバラバラに解散することになった。 「じゃあ、お疲れさん」 先に帰る大石たちに挨拶を告げると、手塚も荷物を抱えた。荷物を詰めていた乾が不思議そうに自分を見上げた。 「帰るのか」 と、歩き出そうとした時だった。 (……不二?) 見に来ていたのか?、と思い後を追おうとしたが、すぐに人込みに紛れて茶色の頭は見えなくなった。 手塚自身も気のせいだと思い直して、すぐにそのことは意識から消えた。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 電柱の上に座りながら、不二は試合の終了したテニスコートを見下ろしていた。片膝を立てて、その足を抱え込むようにして座っている。 (…………) コートから中学生の姿がどんどん減っていく様子を、最後まで不二は見ていた。その中には顧問と一緒に帰る手塚の姿もあった。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 「大和の持ってきた資料、かい? 確か、お前さん方の小学生の時の……」 試合終了後、竜崎について学校に戻った手塚は、今日の試合の反省をしたあとで例の資料について尋ねてみた。 「ま、もう二年も前のものじゃからな……今更必要無いかと思っておったんだが……」 手塚はそのファイルを恭しく受け取った。 「明日も学校がある。さっさと帰るんじゃよ。それは家に持って帰ってかまわんから」 手塚はふかぶかと一礼すると、職員室の入り口に歩を進めた。 「ああ……手塚、言い忘れとった」 こちらに近づいてくる竜崎の眼光が厳しくなる。 「……どの試合もあんな速攻で決めるなんて、お前さんらしくない……」 手塚は顔を上げずに言葉を紡いだ。 「……お前さん、もともと一人で背負い込み過ぎる傾向があるからねえ……とりあえず今日は、ここまでにしよう。今日は何もせずゆっくり休みな」 落ち着かせるように竜崎は軽く手塚の左肩を叩いた。 「……失礼します」 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 手塚が出て行った後のドアを見て、竜崎は溜息をついた。 (……手塚相手だったら、私より、アイツの方が適役かねえ……) しばらく考え込んだ後、机の上の携帯電話を手に取った。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 早く帰るようにとは言われたが、家に帰ると不二本人がいる。そこで例の資料を見るのはなんとなく躊躇われたので手塚は一度部室に向かった。 高まる胸の鼓動を抑えるように、一度大きく深呼吸した。 青い表紙をめくると、使い古されたルーズリーフと、その上に書かれた慣れ親しんだ文字が目に入ってきた。 だが肝心の「不二」の名前は見つからない。残りページも少ない。乾が言ったからには間違いなくこの中にあるはずなのだが。 不二周助、という名前。 「…………!」 諦めが強くなりつつあったので、危うく見逃しかけて次のページに進むところだった。慌ててページを捲りかけていた手を元に戻した。 これが、試合のときにあった不二裕太の兄であることは間違いないだろう。都内の某有名高級テニススクールに所属して、兄弟ともに天才小学生として有名だったらしい。乾のノートで弟について書かれていた内容と同じだった。体型は小柄だが並外れたセンスの持ち主であったようだ。その年のジュニア大会では予選トーナメントで優勝している。だが、その二週間後に行われた決勝トーナメントでの記録はない。 (……どういうことだ?) 負けたとしても記録には残るはずだ。他の選手は皆ちゃんと記録されている。だが、不二周助という選手だけは決勝に関する記録が全くない。 気になって次のページに進むと、雑誌の記事の切抜きが貼り付けてあった。地区予選での優勝を伝えるものだ。 「…………」 手塚は音を立てて息を呑んだ。 (……不二?) 見間違いかもしれない、と思ってよくよく写真を見返してみた。 (不二は……不二周助、なのか?) 先日見たあのラケットさばきからすれば、天使の不二がテニス経験者なのは確かである。 だが、あの天使がこの天才小学生と同一人物だとすると、そこでまた疑問が生まれる。 「………………」 疑問まみれの心を抑えて、手塚はファイルを閉じた。部室にあまり長居しても問題になるだろう。 手塚は決意を固めて、家路についた。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 自宅に戻ると、不二は相変わらずうつ伏せになってベッドの上で本を読んでいた。片足を曲げてぶらぶらと振っている。 「お帰り〜。どうだった、試合?」 不二は本から視線を離さずにそう答えた。 「でも帰ってくるの、だいぶ遅かったじゃないの? 何か顧問の先生に言われたの?」 まだ、不二は手塚の方を見ようとはしなかった。 「……今日、他の学校の生徒だが……不二裕太、という生徒にあってな。お前と同じ名前だから気になったんだ」 不二は気乗りしなさそうに答えた。 「彼には兄がいるらしくてな……小学生のジュニア大会予選じゃ優勝もしている」 不二の顔色は変わらない。どうでもいいと言いたげだった。 「この前……部室に来た時に、お前、ラケットを振っていただろう。あれで気付いたんだが……不二、お前、テニス経験者だろう」 手塚もだんだんムキになってきていた。 「お前……人間だったのではないか?」 不二はその言葉を聞くと、不思議そうに首を捻った。 「……何言ってるの手塚? 僕は天使だってば。人間なんかじゃない。生まれたときから、ずっとね」 青いファイルの中で確認した不二周助の顔を思い出す。 「俺は……」 手塚がそのことを問いただそうとすると、不二が突然話題を変えた。 「……僕は君の願いを叶えに来たんだ。一つだけ。君が願い事は無いっていうからこうして居候してるだけで」 手塚は少し目を見開いた。 「……君がね、僕が何者かなんて、気にする必要ないんだ」 反論したかったが上手く言葉が続かなかった。 ただ。 「だが、俺は、お前のことを……もっと、知りたい、と……」 手塚自身、自分の口から出た台詞に混乱していた。思わず頭を下げた。 「気持ちは、嬉しいけど……」 不二の手が首筋に巻きついたところで、階下から手塚の名前を呼ぶ声がした。 「国光、電話よー! 乾君からー!」 その声で手塚は顔を上げた。 「は、はい……!」 慌てて不二の身体を押しのけて、手塚は部屋から出て行った。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 電話線を通して聞こえてくる乾の声は、少し沈んでいるように聞こえた。 『もしもし、手塚か』 だが、不二自身が否定しているのだ。これ以上、何か話を聞いても、意味がないように思った。 『それで……不二兄の方を確認してみたんだが、……ああ、面白い資料なんで、あのファイルのコピーを取っておいたんだが……不二兄にはジュニア大会の決勝トーナメント以降の記録が無いだろう? それで気になってちょっと知り合いに聞いてみたんだが、すぐに答えが返ってきて……』 それは手塚も気になっていたことだった。思わず答えを急がせた。 『事故死してるよ。不二周助は』 手塚の全身が、一瞬、凍ったように固まった。 「……なん、だって……」 浮かない声で手塚は返答した。 『じゃ、それだけだから』 重い気持ちで受話器を下ろした。 「あら、電話、終わった? じゃあ御飯にしましょう……」 手塚は言われたとおりにキッチンに向かった。 秋季大会の設定については勝手に捏造してますがその方向で。 まあ……楽屋ネタを言えば要するに裕太を出したかった訳で……この辺は完結後に言い訳します……。 なんだか塚不二めいてきた気がするのですが……まだまだ続くですよ。 |