アーシュラ・K・ル・グィン



『闇の左手』
 (ハヤカワ文庫
 1978年9月刊
 原著刊行1969年)
 SF、ファンタジー小説界において「女王」の称号を持つグィンの、SFにおける代表作のひとつ。
 もちろん、『世界の合言葉は森』『所有せざる人々』などをその代表作としてあげることも可能だが、タイトルの印象深さ、知名度からすれば、やはり僕は本作を最大の代表作としたい(もちろん、SFにおいての話。ファンタジーも含めるなら『ゲド戦記』だろう)。
 グィンのSFの何篇かは、共通の設定に基づいた宇宙史の流れの中で書かれており、それらは「ハイニッシュ・ユニバース」と総称される。まぁ、ここらへんについては、ハヤカワ文庫らしく、訳者である小野芙佐氏が巻末の解説で説明をしてくれているし、なんならGoogleあたりで検索すれば、たやすくその詳細と全貌を知ることができるだろう。
 とはいえ、一応、根幹設定に関わることなので、この宇宙の成り立ちについて簡単に触れておこう。
 ものすごく昔、高度な文明を持ったハイン人という人々がいて、彼らは、恒星間飛行により生物の居住が可能な惑星を発見しては、そこに植民をした。その後、ハイン人はいったん衰亡してしまうのだが、やがてどうにか復興を遂げ、かつての植民地の再発見と、生物学的にも文化的にも独自に発展した他星人との再邂逅に乗り出す。そしてその再会は「エクーメン連合」なる宇宙連合を誕生させ、宇宙は新たなる時代に突入する。
 以上がこの世界の宇宙の成り立ちだ。何十億年規模である。この設定を遠景に置きつつ、物語は進んでいく。

 本作は、「冬」と呼ばれる惑星に、エクーメン連合からの使者としてやってきた地球人、ゲンリー・アイが、この星の最大国家の総理大臣(後にこの国の王に叛意を抱いたとして追放される)エストラーベンとともに、「冬」の連合加盟への第一歩を踏み出すべく、様々な政治的駆け引きや冒険をする、というお話となっている。
 ストーリー自体は、こう言ってしまうと語弊があるのだが、思っていたよりも単純。プロットを構成する諸要素も、複雑さとは無縁であると言っていいだろう。
 その骨格は非常にシンプルだ。しかしそれは、本作がもはや魅力的でないということを決して意味しない。
 惑星全土で、ほとんど常に氷点下を下回る気温。両性具有で、定期的に訪れる「ケメル」と呼ばれる繁殖期にだけ生殖活動が可能になる、という形に進化したこの星の人間。十分な文化と科学的な発展を得つつも、そもそも星の中に鳥類がいないため、ついにアイがやってくるまで、空中を飛行するという発想を持ちえなかった文化。
 さまざまな世界のディテールは周到に彫琢を施され、SFという小説形態が、世界観を読ませるジャンルであるということを教えると同時に、『ゲド戦記』とも似通った、様々な暗喩を読者に看取させる。
 今回は、純粋に楽しむことだけを目的に読んでいたので、特に付箋を用いて気になるところをチェックする作業はしなかったが、アイとエストラーベンの、カルハイドからの放逐と大氷原を横断しての帰還という往還。本筋にあたる、2人の主人公の一人称で進められる章の合間に挿入されるこの星の伝説や論文などの「資料」。「光は闇の左手であり、闇は光の右手である」という詩など、そこにグィンが底流させた象徴的な意味あいを読もうとすれば、さらに面白い読書になるだろうと思わせる要素は随所に発見できた。
 作品を横断的に読むなら、「ゲド戦記」におけるゲドの往還と、アイとエストラーベンの往還の共通性と差異などを考えてみるのも面白いだろう。反目していた2人が、冒険を通して友情を築いていく過程なども、ゲドがたった一人で島を出て、戻ってきたことを考えれば、そしてまた光と闇の詩を視界に入れて考え合わせるなら、ただの友情物語という以上に、象徴的な意味合いを含んでいることが想像できる。

 なお、完全に余談になってしまうが、その精緻な世界の構築、SFからファンタジー、現代小説にまたがる活動の領域などの共通性も含めて、僕の中ではグィンは栗本薫と類似性を持った存在だ。
 もちろん、「女王」たる存在感の大きさも含めて。
 同じように長年、素晴らしい仕事をしていても、新井素子や久美沙織などは、どうも「女王」というイメージではない(イメージの問題なので、栗本薫の方が新井素子より優れている、とかいうレヴェルの話ではない。体型的に栗本薫の方が貫禄がある、という話でもない…と思う、多分)。
 「日本のル・グィン」などという言い方は、両者にとってずいぶんと失礼になるだろうからしたくない。でも、どうもイメージ的に通うものを持っているんだな。詳しく見ていけば、もっと共通点を見いだすこともできると思うのだが、もう誰か、そういう作業をやった人はいるんだろうか。
(2003.9.4)


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『風の十二方位』
 (ハヤカワ文庫
 1980年刊)
 SFの女王グィンの短編集です。ドラッグとかアナーキズムとか、そういうヒッピーカルチャー的な色彩を強く持っている短編が多くて、少しうんざりという部分もあったのですが、しかしまぁ、ヒッピーカルチャーからグィンが影響を受けたのではなくて、むしろ逆なんですよね、これは。
 うすぼんやりとした暗がりの中で物語が繰り広げられているかのような印象は、象徴的な物語の多さ故でしょう。その技巧には学ぶべきところも多かったです。
 ところで、解説を安田均が書いています。もちろん、安田均だって元は新進気鋭の翻訳家としてSF隆盛なりしころに出てきた人なんですから、解説を書いていたっていいのですが、のちにマイクル・ムアコックなんかを訳したり、グループSNEなんかを運営してたりする姿に馴染んでしまっている身からすると、こういう思想性の高い作家の解説を書いている安田均、というのに、いささか違和感を覚えないでもないんですよね。
(2000.10.20)


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【参考】

笠井潔『機械じかけの夢 私的SF作家論』

私市保彦『幻想物語の文法』


アーシュラ・K・ル・グィン

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