奥野健男



『三島由紀夫伝説』
 (新潮文庫
 2000年11月刊
 原著刊行1993年)

●思い入れと批評


 『仮面の告白』の感想を書く際に援用した折にも述べたが、この本は文芸評論としては、ずいぶんと問題の多い本だと僕は思う。
 どういう点が問題なのかというと、著者の思い入れが強すぎて、推測や予断が入り込みすぎている点だ。
 人は何の思い入れもなしに評論を書くことはできない、と奥野氏が存命であれば言うかもしれない。荒正人や平野謙ら「近代文学」一派へのアンチテーゼをその身に宿す奥野氏の姿勢は、思い入れから筆を起こした小林秀雄への回帰に一脈通じるところがあるように思う。
 しかし思い入れが強いからこそ、評論家は事実に対して真摯にならねばならず、自分の思い入れに信頼を置きすぎてはならない。奥野氏のこの評論は、ややもすると自家中毒的な酔いで三島由紀夫をとらえようとしている。
 思い入れがあることをよしとするのは江藤淳にも通じるところがある姿勢であるが、江藤の方がややスマートというか、真摯であるように感じられるのは、それなりにバックボーンを持っているから、なのだろうか。

●三島由紀夫と奥野健男


 少し話を急いてしまったが、平成5年に刊行された本書の底本は、長年、友として三島と親交を結んできた奥野氏が、三島の死後20年あまりの後に、自身の三島由紀夫論の総仕上げとして書いた作家論である。
 平成5年にもなって作家論、というアプローチもなかなか大家でなくてはできないところだが、氏としては、『坂口安吾』『太宰治』とあわせ、戦後文学の源とあゆみをとらえる三部作とするというような企図もあって書きはじめたものであるようだから、力こぶが入ったのだろう。
 ちなみに「底本」とわざわざ断ったのは、新潮社から出た単行本が大部であったため、文庫化にあたって森孝雅氏が再編集し、分量をおよそ3分の2にまで削っているからだ。

 新潮文庫の太宰の単行本についてくる解説で奥野氏の名前を初めて目にした僕にとっては、奥野氏の名前は太宰治の名と分かちがたい印象がある。実際、奥野氏が評論家として名をなしたのは一連の太宰論によってだったからそのイメージはあながち間違いではない。しかし明治42年生まれの太宰と昭和元年生まれの奥野氏では、年齢にややひらきがある。
 もっぱら安吾と太宰によって戦後という時代のスタートを確認した奥野氏が、同世代の作家として戦後文学の歩むべき道筋と希望を見いだしたのが三島由紀夫であったととらえてよいのではなかろうか。
 同世代であるというのみならず、三島と奥野氏には、その生まれの点でいくつか、環境的に似通った点がある。
 東京の山の手に官僚の息子として生まれ、近い親類に高級官僚がいるおぼっちゃんだ。三島の父である平岡梓は農林省で水産局長までいった人だが、奥野氏の父親も、同時期に裁判官をしていたという。また、三島の祖父定太郎は福島県知事や樺太庁の長官を務め、後の首相原敬に重用された人物であったが(もっとも後に事業の失敗などで零落する)、奥野家の近所に住んでいた大伯父もまた、福井県知事から警視総監を経て貴族院議員にのぼった人物であったそうだ。
 奥野氏の大伯父の家では、平民の出自でありながら「西国立志編」を地でいく刻苦勉励で大出世を遂げた大叔父と、名のある士族の出であった大叔母との、互いに相容れない、身にまとった雰囲気のようなものが相克しあい、結局は家名を尊ぶ堅苦しい大叔母がイニシアチブを握っていたという。こうした点は『仮面の告白』にも述べられていたような、江戸末期には若年寄までつとめた旗本の家に生まれた祖母が家の中全般を取り仕切る平岡家の内情と通じるところがある。
 しかし、だからといって、自分の大叔母の家の雰囲気が、そのまま平岡家のそれと同じようなものであったと措定するのは、やや時期尚早というものではなかろうか。

 もちろん、その時代の山の手の、同様な環境にあった家を知っているというのは、三島の生まれ育った環境を想像してみる上では強みであるに相違ない。しかし、そうした知識や経験はあくまで下地であって、そうした空気を肌で知っているから書かれていないことでも了解できる、というのはただの思いこみに過ぎない。
 まして、平民出身の祖父との結婚により性的に抑圧を受けている祖母と同じ部屋で寝食を共にしていたことが、三島の青年への入れかわり願望や同性愛的興味を喚起したのだ、という類推をするにいたっては、どこに奥野氏の推察の根拠があるのかといぶかしく思うばかりである。
 父母から引き離され、神経痛を病んで(祖父から淋病をもらったとされる)たびたびヒステリーを起こす祖母の元で箸の上げ下ろしの音をさえ出さないように気をつけなくてはならない生活を送った幼少期の三島が、祖母との生活から性的な抑圧を受けたとしても、それ自体は不思議ではないだろう。しかしそれはけっきょく想像の中での心理学的類推にとどまる、としか言えないのではないか。
 作家論のひとつの限界であるが、そもそも、作家の生まれをたどり性癖の源泉を探ることに、文芸評論としてどのような意味合いがあるのか、という面も大きな疑問である。

●欠点と美点


 幼少時の祖母との生活と性的志向に関しての類推は、やや極端な例であるにせよ、本書には、たびたびこれと同種のいきすぎた類推がおこなわれている箇所があるように見受けられた。
 三島がギリシャ旅行から帰ってきてボディビルに打ち込みはじめたのは、旅先で本物のゲイの世界をかいま見たからではないか、という大胆な推理も、またその一端である。(猪瀬直樹氏の『ペルソナ 三島由紀夫伝』では、ギリシャに先立って訪れたブラジルで、現地での案内役をつとめた朝日新聞社の茂木氏が、三島が現地の青年とホテルに入っていくところを目撃した、との証言をおこなっているが、本書の内容はそれともまた違って、奥野氏が茂木氏の言を参照したわけではなさそうだ)
 もとより、そうした類推が、奥野氏が本書に『伝説』と冠した所以ではある。口承を通じるうちに、事実と事実の間に伝承者の思い入れがはいりこみ、やがてはそれが一人歩きしてしまうのが伝説であって、「文芸評論というのは自分では正確を期したつもりでも所詮個人の思い入れであり、それこそ〈それも心々ですさかい〉(『天人五衰』)であるとすれば、この本も『評伝』ではなく『伝説』のひとつに過ぎない」という一種の割り切りの元に、奥野氏はみずからに、本書を伝説の口承として語ることを許したととるべきであろう。
 本書の出版が93年、奥野氏が亡くなられたのが97年であるから、正確さのみを期するよりは、むしろやや奔放に空想が先走ることになっても、思っていることは大要、書き尽くしておきたいという思いがあったのかもしれない。
 ただ、ノートというような形ではなく評論として上梓する以上は、それをみずからに許すのは、やはり読者への甘えという側面があると思う。

 一方、本書の美点は、やはり、著者自身が三島と親交があったという点だろう。三島自身があの時ああ言った、こう言った、というような証言はやはり貴重と言うほかない。
 そうした意味で、本書の価値は、やや自説への拘泥が過ぎるきらいのある奥野氏の評論そのものでも(本書に限らずこの人はもともとそういう癖がある)、いわんや奔放な推論でもなく、三島由紀夫の身近に著者がいたという意味合いにおける証言集としてのそれ、ということになりそうである。
(2004.4.19-21)


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