小森陽一



『漱石を読みなおす』
 (ちくま新書
  1995年6月刊)

●千円札の顔


 読み終えてからしばらくぐずぐずしている間に、新千円札の流通が始まってしまった。
 夏目漱石に代わって、今度の千円札の肖像は野口英世だそうだが、実はまだ、僕はこの新千円札を手にしてはいない。新紙幣流通時の常で、実際に新札が経済の主役となるまでには、まだもう少し時間がかかるということだろう。自動販売機でも、まだ新札は使えない。
 とはいえ、この時期にこの本の書評というのは、まあそれなりに時宜にかなった話題ではあるのかもしれない。

 夏目漱石の本名が夏目金之助というのは、広く人口に膾炙した話かと思うし、漱石の書いた書簡など、署名に代えて「金」の一字のみを文末にしるしたものもあると、以前に出久根達郎氏の本で読んだおぼえがある。
 しかし、そんな漱石を紙幣の肖像画にしてしまう感覚について、小森氏は「ある恥しさと憤りを感ぜずにはいられません」と言う。
 それは氏の言葉を借りるなら、漱石が「『金之助』という本名を持つ自分が、家と家、養父と実父の間で金銭で売り買いされるという青春期の体験を持つ人」(p.134)だからだ(ちなみに、漱石に代わって文学者枠で新たに紙幣に刷られることになるのが、まさしく人間を金銭で売り買いする一大市場であった吉原、並びにその周縁の人々を描いた樋口一葉というのも、何とも言えない趣味の悪さを感じさせられるところではある。ていうか、「貨幣経済自体に何か悪意でも?」と勘ぐりたくなってしまうが、さすがに考えすぎか)。

 漱石こと金之助は、夏目家の末子として1867年、慶応3年の2月9日に生を受ける。同じ年の生まれには幸田露伴とか斎藤緑雨とか宮武外骨とかもいるのだが、漱石が彼らを知ることになるのはもちろんずっと後のことだ(ただし、漱石も露伴も湯島聖堂で書籍を漁っていた時期があるので、実はすれ違っている可能性くらいはあったりする)。
 ところが、翌年には金之助は姓を塩原と改められることになる。養子に出されるのだ。しかし、塩原夫婦の仲は睦まじいとはいかなかったようで、漱石が8〜9歳の頃に彼ら養父は離縁。漱石は夏目家に「引き取られる」ことになる。引き取られるというのは、復縁という意味ではなく、「塩原金之助」として夏目家に養われることになるという意味だ。しかし当時、金之助は、自分がこの「養い親」の実子だとは知らされていない。
 この、自分の生みの親のもとで育てられつつ、「塩原」という姓を名乗らねばならないという残酷を漱石自身が知ったのがいつごろのことかははっきりしないが、『硝子戸の中』という回想録には、ある夜、下女からその残酷な事実を知らされたことが記されているそうだ。
 漱石は結局、21歳で夏目家に復縁する。しかしその際、塩原の養父は夏目家に対して、「金弐百四拾円」を養育費として請求した。
 それを小森氏は「『塩原』と『夏目』という二つの家、二つの姓、昌之助と直克という二人の父の間で、二〇代になったばかりの青年に、あたかも商品のように値段がつけられ、売り買いが行われようとしていたことがわかります。金之助の値段は『金弐百四拾円』なのです。」(p.29)と位置づけているわけだ。

 もちろん、この位置づけ方自体は、小森氏によるものであるので、漱石自身が自分の体験をどう位置づけてとらえていたかまでを正確に規定するものではない。ただし、大筋において漱石論の中では正統的な位置づけだと思うし、芳川泰久氏の言う「双籍的な揺らぎ」が漱石の作品の上に見て取れることも間違いないだろう。
 漱石の作品にとって、人が生きていく上での金銭のやりとり貸し借り、また戸籍をめぐってのトラブルは、非常に重要なトピックである。

●漱石は作品にいかに表出したか


 本書は新書ということもあり、内容としては平易なものだが、漱石という作家にとっての原体験的なテーマ(金銭・戸籍・友情と裏切りなど)が、のちに作家としてあらわした小説の上にどのような形で結果するのかを解き明かし、確認しようというたくらみは、野心的なものを秘めていると思う。
 僕としては、同種の試みとして、石原千秋氏の『漱石の記号学』をあげておきたいのだが(なんせこの石原先生の本にはかなり影響を受けたから)、本書もまた、いささかコンパクトではありながら、同じ路線からの読みを試みているものとして評価したい。というか、出た時期としてはこちらの方が先だったりもするので、石原先生の本の方が、本書を発展的に継承したものと位置づけることも出来るのかもしれない。

 ただ、こうした読み方には、共通して弱点がある。
 小説が持っている作品内の隠れた構造に光を当てて新たな読みを想像し誘発する反面、ひとつのキーテーマに絞って作品を解体することで、他の読みをいったん排除してしまう、ということだ。
 たとえば、『三四郎』における三四郎の美禰子からの30円の借金。これを小森氏は次のように説明している。

 美禰子から借りた「三十円」で三四郎は、下宿代を払います。もちろん不足していたのは「二十円」だけですから、一〇円は余分のはずだったのですが、三四郎は冬用のシャツを買ったりして使ってしまいます。この時点で発生した事態は、三四郎の生活費を結果として美禰子が支給したということです。
 つまり、父や兄や夫という戸主になりうる男たちが、母や妹や妻の生活費を担うという、明治民法下における男が女を経済的に支配するという権力関係の構図が、三四郎が美禰子から金を借りている間、逆転しているということになるわけです。しかも美禰子は繰り返し、貸したお金を全部使いなさい、そして返さなくていいと、三四郎に言っているわけですから、彼女はそう意識するとしないとにかかわらず、結果として三四郎の何日間かの生活を、自分の所有となった金銭で買おうとしたということになります。

(p.152「第六章 金力と権力」より)


 この「一〇円」は、「資本主義社会における『結婚』という制度の内実を暴露する装置になっている」とも小森氏は言う。
 確かに、そう読むことに無理はないし、非常に腑に落ちる説明だと言うべきだろう。
 しかしながら、「これもひとつの読みでしかない」という意識は、我々が忘れてはならないものだ。必然的に「そうでない読み」もまたあり得るのであって、たとえば結婚制度の反転したアレゴリーというところまで踏み込まずとも、単純に金銭貸借の負い目というレベルで読む読み方も、またあるいは全く別の角度からの読み方も、少なくとも存在はしうる。
 「読む」とは、そうした自由をあらかじめ許容することを前提にした行為であるべきだと思うのだ。
 しかしいずれにしろ、漱石と正岡子規との間に残ったしこりのようなもの、あるいは漱石留学時に西欧で流行していた社会ダーウィニズムと『文学論』との関係など、本書で試みられている冒険的とも言える読みはなかなか刺激的であり、非常に面白く読ませていただいた。
(2004.11.4)


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『世紀末の予言者・夏目漱石』
 (講談社
  1999年3月刊)
 「かつて漱石は、私にとって研究対象としての一人の小説家であった。しかし、今、私は漱石のように考えることで、世紀末から新しい世紀にむかって生きていきたいと思う。漱石を生きること、それが本書の読者と共有したいプロセスである」
 「まえがき」の末尾で、小森先生はその意気込みを上のように記している。これは相当に重い決意だと言わなければならない。なぜなら「漱石−小森」という関係を、「研究対象−研究者」という自分主体の関係から「考える主体−『考える主体』を生きる者」という漱石主体の関係に置き直そうという意図がここで語られているのであり、作家と研究者との距離を一歩踏み越えて、漱石にコミットしようという決意は、小森先生自身の立場を、研究者としてのそれから一歩逸脱させるという結果を必然として招くからだ。
 一定の距離を保ちつつ作家の腑分けをする「研究者」という存在でなくなった時、小森先生と漱石との関係が相当な緊張感と危険性をはらみはじめることは言をまたぬであろう。
 かくも重大な決意の後につづられていく本書の内容は、というと、これまでに小森先生が実践してきた「作家を、作家の生きた時代状況の中に置いて眺め、研究していく」という方法と、さしたる違いはないように見える。漱石の抱えた主題と、小森先生自身(と、読者である我々)の抱えた主題の近親性にはところどころで言及されているけれど、本当に研究者としての一線を踏み越えていくのであれば、もうちょっと自分勝手に、互いの主題を結びつけてしまっても良かったんじゃないか。これが第一歩であるというなら、それはとてつもなく正しい第一歩ではあるのだろうけど。
 小森先生という一人の人間の連続性の中で見るべきものではあるのでしょうな。
(2000.11.19)


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