森枝卓士



『週末はヴェジタリアン』
 (ちくま文庫
 2002年11月刊)
 森枝卓士と言えば、「カレーライスと日本人」「アジア菜食紀行」など、食文化論の分野での仕事が、少なくとも僕にとっては馴染み深い。
 「何でもカレー粉を入れればカレーになってしまうが、カレーに何を入れてもカレーのままである」(「カレーライスと日本人」より)といった、食べ物に対する歯切れのいい本質のとらえ方、あるいは仏教国での肉食を禁じる戒律の緩やかさ、厳しさについての、「肉以外の栄養源の豊富さが戒律の厳しさを決定したのではないか。肉を食べなくても生きていける地域では、肉食を禁じる戒律が厳しくても人間は生きていけるが、穀物がろくに育たず、肉以外の栄養源が乏しい地域では、あまりに肉食を禁じる戒律が厳しいと人間は生きていけない」という、なんとも「なるほど」と膝を打ちたくなるような指摘には、けっこう、他では読めないような論理があって、読んでいて非常に楽しいものを書く書き手のひとりだ。
 人間はものを食べる動物であり、食べ物を抜きにしては、文化の土台については語れない、というのが、読んでいるうちにとてもよくわかるのである。

 で、ちくま文庫用に書き下ろされたという本書はというと、実は僕がこれまでに読んできたような文化論とかではなくて、世界のヴェジタリアン料理についての写真入り紹介本といった色彩の強い一冊となっている。
 いやーん、期待してたのとちょっとちがーう。

 本書をレシピ集とまで言ってしまうには抵抗があるが、紹介本であるというのは、いつもの文庫本用の紙ではなく、白色度の高い厚手の紙を使い、そこにきれいな発色で写真をふんだんに掲載しているのでもわかる。言ってみれば、ちょっと前の週刊ジャンプで鳥山明のマンガの部分だけに、他の作家のページとは明確に違う、きれいに印刷できる紙が使われていたようなものだ。
 …なんかたとえとしては、かえってわかりづらかったかな。

 ヴェジタリアンと言っても、近年の健康食ブームからきたような、ひたすらサラダを食べまくるようなメニューを即座に思い出すのは適切ではない。
 最初の方でもちらっと述べたが、世界には、昔から宗教上の理由で肉食をしないという習慣を持っていた人々がたくさんいる。そもそも、江戸時代までの日本人は、四つ足の動物をほとんど口にしなかったわけだし、お坊さんならなおさらだった。インドや中国でも、程度の差こそあれ、そういった伝統はあった。
 そうした伝統の中で、ヴェジタリアン料理というものが生まれる。
 日本にも精進料理というものがあるけれども、それと同じように、世界各国にもヴェジタリアン料理であり、なおかつおいしい料理というのはたくさんある。そうした料理をレシピ付きで紹介したのが本書だが、たとえば「アジア菜食紀行」と違うのは、そうした食文化が生まれる背景よりも、むしろそのメニューがどういった味のものか、ということを語ることに重点が置かれているということだ。タイトルが示すように、たとえば週末だけでも、ちょっと趣向を変えてヴェジタリアン料理を楽しんでみませんか、という誘いだと思えばいい。

 読んでいると多いのは、牛乳類からチーズを作ってそれを利用する料理と、豆類を加工して使用する料理。後者は日本の豆腐や湯葉などもそうで、実際、豆腐で代用することが出来る手合いの料理もたくさんある。実はこれを書いている本日、僕も夕食に、豆腐とほうれん草、キノコのソテーを食べたばかりだったりする。
 …ま、僕の夕食はどうでもいいことだけど、豆腐ってのはけっこうおなかがはる。肉類が中心でないメニュー、というのが十分にありえることを再発見するだけでも、読者の多くにとってはけっこう新鮮なのではないだろうか。
 ちょっと残念なのは、全体の分量に占めるインド料理系のレシピの割合がやたら多いこと。まぁ、スパイスをきかせたインド料理も嫌いではないけど、ずっとそればっかり読まされていると、それだけであの香辛料の香りには食傷気味になってくる。
 レシピが中心になっているだけに、通して読んでてとても楽しい、というものではないと思うけど、少しずつ読み進める分には楽しいと思うし、それが料理好きな人ならなおさらだろう。僕も料理するのは嫌いじゃない。出来れば、手間のかかる料理は時間の余裕があるときに楽しみたいと思うので、ここにある料理をどこまで実践して作ることができるかには怪しい物があるけれども。
(2003.4.16)


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『カレーライスと日本人』
 (講談社現代新書
 1989年2月刊)
 えー、いい本ですな、これは。1989年の初版発行から、すでに17刷だそうですが、それも頷けます。
 内容としては、インド料理であるカレーが、一旦、東インド会社設立当時のイギリスに渡り、そこから日本に渡ってくるまでの渡来の歴史を描いたパートと、日本での発展・普及の経過をたどるパートに分かれるかと思いますが、改めて思ったのは、資料の調べ方が丁寧なんですね、この人は。以前にこの人の著作を読んだときにも感じたことですが、実際に食べてみて、さらに文献に当たって、いわゆる庶民生活史のような部分まで踏み込んでいく。普通、カレーのことを調べに大英図書館には行きません。それを行くから、こちらも乗せられるんだなぁ。
 タイトルからすると、またぞろの日本人論かとも思えますが、基本的にはカレーライス論です、これは。日本人論・日本文化論なんていうのは、食文化の歩みを辿る過程で自然と出てくるよ、という余裕のあるスタンスで、そこに信頼感があるんでしょうか。先に読んだ石川九楊「二重言語国家・日本」なんかと比べると、こちらの方がよほど自然な話の運びだと思います。
 以下、少し驚いた点を抜き書きして、末とする。

「(大航海時代のインドのカレーが)唐辛子ではなく胡椒で辛いというのは、現在のカレーの辛さの主成分である唐辛子がアメリカ大陸原産で、おそらくこの大航海時代の交易でおとずれたヨーロッパ人によってもたらされたからである」(で、これは必然的に、韓国のキムチも、この段階では、少なくとも赤唐辛子を使っている現在の形態ではなかったということを指し示す指摘だと思います)
「明治二十六年『婦女雑誌』。風月堂主人による「即席ライスカレイ」の作り方が載っている。早くも即席などという発想がすごい。(中略)とにかくそういうバイタリティーを明治初期の日本には感じるのだが、即席カレーという発想にも似たような驚きを覚えたものだ。なにしろ、本物もよく知らないのに即席などということもないのではないか」(ここの指摘はなかなか深い。日本人というのは、結構、元々ラテン系のノリを持っているという気がする)
「何でもカレー粉を入れればカレーになってしまうが、カレーに何を入れてもカレーのままである」(名言。緑色をしたほうれん草のカレーや冷やしカレーで驚いていてはいけないのですな、センセー)
(2001.11.5)


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『アジア菜食紀行』
 (講談社現代新書
 ****年*月刊)
 菜食、つまり、ヴェジタリアンな食事について、インド、中国、ベトナム、タイ、日本のそれぞれについて、それぞれの食文化、という視点から書いてる。
 ま、わかると思うけど、仏教がバックボーンにあるわけです。健康のため、みたいな、西洋風のヴェジタリアンと違って。もちろん、最近、こういう国々でもヴェジタリアンが見直されているのは、西洋風の「健康にいいから」という理由が、経済的に裕福になるに連れて浸透してきたから、ってのがあるらしいですが。

 ただ、仏教だから肉食禁止なのかって言うと、そんなでもなくて、国によって「肉食絶対禁止」だったり、「命を奪ってしまうから根菜類(大根とかタマネギとか)も禁止」だったり、かと思うと「自分のために殺したものでないなら、肉も食べてよし」だったり。
 そういう違いについて、森枝さん(本職はカメラマンです。料理カメラマンからスタートして、最近ではこういう、食事関連の本も書いてる人)は、「決定的なのは、肉食をしなくても、大豆などを食べて生きていくことができるか否かだったのではないか」と結論する。
 説得力ありますわねぇ。
 肉を食べなくてもどうにかなるから、どんどん戒律が厳しくなっていく。

 もちろん、色々な料理も紹介されてます。
 一番美味しそうだったのは、ベトナムの「フォー」という麺類。米の粉で作っているとのことだから、歯ごたえとかはビーフンみたいなものを想像しますが。
 茹でた麺をどんぶりに入れて、その上に何枚か、生の肉を乗せる。そこに、ニョクマムをベースにして作った熱ーいスープを注いで食べるんだそうです。
 ま、それの精進料理版が紹介されているんですが。
 うきゅー、ハラ減ったな。
(1999.2.27)


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森枝卓士

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