田中克彦



『言語の思想』
 (岩波現代文庫
 2003年5月刊
 原著刊行1975年)
 読んでいて、なんだかむずがゆいような思いをする本であった。伊東四朗風に言うならば「モヤッと感」。
 そう感じてしまうのは僕だけではどうやらなかったようで、解説で斎藤美奈子氏(しかしこの人は仕事の幅が広い)が「解説から読みはじめた人、途中で挫折して解説に寄り道している人のために、こっそりインチキ(?)の方法をお教えします」として、まず「IV章 日本語への視点」から読みはじめるべし、と説いている。
 「本はもちろん最初のページから順を追って読むように編集されているわけですが、なあに、読者は何をどう読んだっていいのです」とガラにもなくフォローを入れておられるけれども、要するに「オマエ、この章構成はどう考えてもおかしいんちゃうんか」と言っているわけですな。
 これは卓見でありまして、まあ、本書を頭からずーっと読んでいくと、この4章まできて急に話がわかりやすくなる、というのはほとんどの人が感じることでありましょう。というか、それまでがとっつきが悪い。田中先生がどこに問題意識を持っているのか、ということを読者のがわで了解していないと、なかなか何を言いたいのかわからない。
 もちろんとっつきがいいばかりがいい本の条件ではないけど、読者としてはやっぱり読みやすいに越したことはない。とっつきがよくなる第4章というのは、解説コミでおよそ300ページの本書にあって、215ページという、道半ばどころか2/3を過ぎてようやくはじまるセクションなわけで、ちょっとそういうことはもっと早めに言ってもらえませんかね、と思ってしまうのも無理からぬところでありましょう。

 こうした構成を発案したのが田中先生ご自身なのかそれとも編集者なのか、そこはわからない。わからないけれども、このような構成にしているにも理由はある、というのはうかがえる。つまり、いかにわかりやすくとも「IV章 日本語への視点」はそのものズバリ「日本語」について書かれた各論であって、「序章 ことばへの問い」「I章 国家と民族の言語学」あたりで総論を述べたあとでなければ、本書が言わんとしていることが偏って受け取られてしまう恐れあり、といったような判断があったわけでしょう。
 そうした判断は至当であるとは思うけれど、でもやっぱり、読者からすると普段使い慣れている日本語について、たとえば仮名よりも漢字の方が「エライ」とされていることへの、それは言語エリートがみずからの地位を保障するためにつくったヒエラルキーなのではないか、というような疑義をぶつけられたほうが、問題のとば口にあってはわかりやすいよね。

 民族・国家・言語というのは田中言語学の柱であって、この三題噺のバリエーションでもって田中先生の思想はなりたっている、という失礼な言い方も、あるいは言いすぎではないだろうと思う。
 もちろん、ベースが言語であって、民族と国家のなりたちに対して、言語がどのようなポジションを占めるのか、といったようなことが主旋律であるのは一貫している。この三題噺がどのような展望をもつのかについては、以前にも書いたことがあるので再述しないが、興味のある方は『言語からみた民族と国家』の感想も読んでいただければさいわいである。
 ただ、同じようなテーマなんだったら『言語からみた民族と国家』の方がよくまとまっているという気もするんだけどね。田中先生の一般向け書物におけるデビュー作らしいけれど、問題提起の仕方が大掴みで、ちょっと茫漠としているところがある。
(2006.3.10)


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『言語からみた民族と国家』
 (岩波現代文庫
 2001年9月刊
 原著刊行1978年)

●さあ、何から語ろうか


 さて、何から話し始めたものか。まずそこで途方に暮れてしまう。「宮部みゆきの『××』を読みました。やー面白かった」というわけにもいくまい。それでは何を語ったことにもなりはしない。
 著者について、本書の内容について、内容の蓋然性について、現在から見た本書の意味合いについて。考えてみたいことは色々とある。

 まずは、本書のあらましについて述べることにしよう。
 僕が読んだのは、2001年に刊行された岩波現代文庫版だが、本書の原本は、まず1978年に刊行されている。その後、91年には岩波の同時代ライブラリにも収録された。78年の初刊から岩波現代文庫版までの隔たりは実に23年。
 本書で田中氏はソ連の言語学の成果をふんだんに取り入れ、かつ批判しており、2003年の現在からすれば、23年間の隔たりは、まさに隔世の感を提供している。
 田中氏は言語学者で、本来はモンゴルの研究が主であったそうだ。それがなぜ、言語理論と民族概念との関わりについての本を出版するにいたったか、それはいま問題としない。しかし、当時社会主義国であったモンゴルのマルキストたちについての視点が、そのまま、本書でレーニンやスターリンらの言語理論、民族理論を扱おうという意欲へとつながっているのだろうから、氏の本来の研究分野と本書は、関わりがないわけではもちろんない。
 いずれにせよ、言語学者としての「言語とは何か」「言語学とは何か」という素朴な問いが、氏においては「民族とは何か」「国家とは何か」という疑問と不可分なものであるのは確かなようだ。そしてそのことは、同じ疑問を繰り返し問い、発展させ、そして破綻していったソヴィエトの言語学の検討へと、氏を向かわせる。
 確認しておきたいのは、ソヴィエトの言語学を検討することが大部分となっている本書ではあるものの、レーニンやスターリン、カウツキーらの理論は、あくまで他と置き換え可能な、いちサンプルだと考えるべきではないか、という点である。そこを押さえておかないと、本書が単に、社会主義をあつかっただけの本になってしまいかねない。
 そしてもうひとつ、氏自身も本書の中で述べているように、当時の政治状況は、今、ひとまず閑却して、言語理論と民族理論の関わり方に、読んでいるときの思考の方向を持っていくべきだということも、併せて確認をしておきたい。いずれにせよ、ソ連を扱う以上、それらは政治と無関係ではいられないが、政治を意識しすぎては、かえって本書の内容に目をつぶることになってしまう。
 そうした前提の上で、改めて本書の内容を確認していきたい。

●「正しい日本語」が隠蔽するもの


 本書は91年に岩波の同時代ライブラリで再刊される際、第1章「恥の日本語」をまるまる、「エリートの国語」という別の原稿に置き換えるという改訂が行われている。
 そうした異同によって何が変わったかについては、今は考える余裕を持たないが、序章「ダンテにおける『高貴な俗語』」および新第1章「エリートの国語」では、一貫してひとつのことが述べられているといってよい。
 田中氏は、「言語とはまず音声言語から始まる」というソシュールの説くところに倣いつつ、話されている言語は常に変化し続ける、ということを主張する。このとき、その変化を「乱れ」として糾弾することがしばしば歴史上起きている。しかし、この糾弾を行うのが、言語的にはエリート階級に属する者、すなわち作家、評論家、文法学者等々であることは、ひとつの真実を隠蔽する。田中氏の曰く、それは悠久普遍の「正しい○○語」があると設定しておくことで、他ならぬ言語的エリート層が、「自分たちこそが正しい○○語の担い手なり」として、その地位を保持しうる、いわば最大の利益享受者である、ということだ、と。
 田中氏のこうした主張については、「日本語の乱れ」がしばしば言われる昨今、「乱れ」を許容しようという立場から、しばしば発せられることのあるものと大同小異だ。こうした主張に共感する者もいるだろうし、そうでない者もいるだろう。
 「乱れ」を言う側の論拠としては、しばしば「伝統」とか「美的感覚」などがあげられるが、会話されている言語は、変化せずにはいられない以上、「正しい日本語」は、決して話されることのない言語に他ならない。こうした「誰も話さない言語」を尊ぶ心性は、明治に標準語を定める際、あまたの方言のある中で、東京方言をベースに「国語」を定めたところから発している。「国語」とはすなわち「正しい○○語」のことであり、方言とは言い換えれば地方語であり民族語でもある。それを「正しい日本語」の訛ったものとして「方言」と位置づける際、言語にはエリートと被差別階級が発生する。
 日本のケースで言えば、より「標準語」に近い東京方言を話す人々の地位が引き上げられ、それ以外の地方の人々の地位がおとしめられた、というふうにいえるだろう。それにより、東京の首都としての正当性が確保され、さらにその上に、言語学者、作家その他の言語エリート層が形成されたことになる。

●民族−領土−言語


 ソ連編に入ってからの論考は、実は僕も読んでいてよくわからなかった。それなりに専門的なところへも入っていっているせいだろう。
 ともかく、ポイントだけを簡単に押さえれば、以下のようになる。
 まず、ソ連においては、「民族的自決権」という権利が各民族にはある、という考え方があったこと。「民族的自決権」とは、平たく言えば、ある民族はいつでも好きなときに連邦から脱退できる、という権利のことを言うのだそうだ。周知の通り、この権利はソ連が存続している間は、まともに使用されたことはないのだが。
 ここで重要になってくるのが、では「民族」とは何なのか、ということだ。台東区のマンションに住む田中家一家5人が自立を思い立ち、「自分たちは田中族だ」と宣言しても、それは通用しないだろう。では、何が必要なのか。岩波の「哲学・思想事典」で「民族」をひくと、けっこう長い説明の中に次のような一節が出てくる。

 ある民族の分布が国民国家と重なる場合には、領土は民族のアイデンティティを生み出す指標のように思える。しかし、この因果関係はむしろ逆である。ある特定の地域が他の地域から区別されたまとまりと考えるのは、その土地が特定の民族によって占拠されているからだ。つまり、地域の共通性は民族であることの条件ではなく、民族となった人びとがそこに集住した結果にすぎない。
 また、ほとんどの民族は共通語ともいえる言語を持っているが、その重要性にもかかわらず、言語の共通性があれば同じ民族になるともいえない。ある言葉を日常会話や官庁文書に用いる人びとの分布は民族の広がりの境界とは合致しないからである。
(後略)


 領土でもなく言語でもない。少し結論を急いでしまうと、結局、いろいろな条件によって「俺たちは○○族」という所属意識を持っているかどうか、だと言うことになっていくらしいが、これだけ聞いてもさっぱりといえばさっぱりではあるだろう。このへんについては、またおいおい述べる。
 さてしかし、そうした結論は今ひとまずおいといて、ソ連ではどうだったか。なのである。
 ソ連は非常に多くの民族を有している国家だったから、様々な民族問題を抱えるに至った。中でも、レーニンを悩ませたのが、ユダヤ人労働者の組織である「ブンド」が、「自決権があるんだから分離しますよ」と言いだしかねなかったということだ。
 レーニンはこれに対して、「ユダヤ人は民族とは言えないから自決権を持たない」という論理で応酬した。

 レーニンの、ユダヤ人が民族でないという論理は、そもそもがユダヤ人のソ連からの分離を認めないために考え出されたものだと、田中氏は説く。つまり、導かれる結論の方が先にあり、ロジックがあとづけなのだ。たしかに、引用されている箇所で見る限り、彼の「民族」の定義はお粗末である。
 「民族(ナロード)はそこで、それが発展してきた地域をもたなければならない。次に、すくなくとも現代では、世界連盟がまだこの土台をひろげないあいだは、民族は共通の言語をもたなければならない。ユダヤ人はすでに地域も共通の言語ももっていない」(「党内におけるブンドの地位」より)のだから、ユダヤ人は民族ではなく、自由に連邦から脱退できる民族的自決権を持たない、というのがレーニンの説だ。
 しかし、これが無効であるのは、先に引用した岩波思想事典の記述でもあきらかである。特定の民族が集住した結果として、その民族の多く暮らす土地ができるのであり、言語と民族は不可分ではあっても、どちらかがどちらかの必要条件となっているわけではない。
 田中氏はさらに、スターリンにも継承されたこの「民族」の定義が、カウツキーの理論をそのまま引き写したものに過ぎないことを指摘し、さらに「民族から言語を奪うことは容易ではないが、民族から居住地域を奪って分散させ、あるいは逆にそれに地域を与えて集中させるなどの措置は、行政的強権に訴えれば必ずしも不可能ではない」(第3章「カール・カウツキーと国家語」より)という指摘を加える。
 そもそもレーニンにとって民族とは、やがて単一の「ソビエト人」が生まれるためには解消されるべきものであった、という箇所も興味をそそる。レーニンはその先験的な例として、多数の民族が共存し、ドイツ語・フランス語・イタリア語の3言語を公用語とするスイスをあげる。しかしながらそれもまたカウツキーの孫引きであり、スイス自体、公用語はたしかに独仏伊の3語でありながら、一般には地域によってレト・ロマン語(ロマンシェ語)も話されている、という「国家語」をめぐる揺れが存在していることは看過しがたい。
 このレーニンの認識は、ひとつの民族が自らの言語を失うことは「進歩」であるという見解を導く。田中氏はこれを「おそるべき独善」と呼ぶ。

●スターリンの見解


 レーニンと同じく、カウツキーの理論をその素地に持つスターリンは、しかし、自らもグルジアの寒村で貧しい靴職人の息子として生まれたという出自もあってか、言語と民族をめぐる定義については、レーニンよりもむしろ考えを深化させていた、というのが田中氏の主張である。
 悪名高い農業集団化政策、工業化政策、エリート層の大量処刑に関与するなど独裁者としてのマイナス面が取りざたされ、死後、フルシチョフによる批判、第22回共産党大会の決議などで、ソ連国内においても決定的にその権威を失ったスターリンではあるが、最初に述べたように、いま、ひとまずそうした政治的、実際的なことを離れ、民族・言語をめぐる局面における発言のみを考えるならば、スターリンの功績もまた無視しがたい。(政治家としてのスターリンと論客としてのスターリンを全く分けて考えることが果たして正当なのかどうかは後に振り返ることにする)
 スターリンにおいては、「民族」=「共通の土地」+「共通の言語」という安易な方程式は成立しない。
 そこで登場するのが、別の4つの条件、すなわち、「言語」「地域」「経済関係の共有」「文化の共通性のうちにあらわれる心理状態」だ。田中氏はこの最後の「文化の共通性のうちにあらわれる心理状態」の「状態」という言葉の使い方、また訳語については正確でなく、むしろ「性格」と考えた方がスッキリすると整理しつつ、「エトノス」の概念を引っ張り出してくる。
 ここでいう「エトノス」が、マックス・ウェーバーの「エートス」(性格・資格などと訳される、ウェーバーにおける重要な概念)と同一のものであると考えてよいのかどうか、僕にははわからない。しかしいずれにせよ、それは「自分は○○族だ」という不断の自己認識であり、アガエフらによれば、言語も地域も失ったとしても、このエトノスさえ保持していれば民族である、ということにまでなってくる。(こうなると、当然、ユダヤ人もまた民族だ)
 それは決して個人が恣意的に「じゃあ俺フランス人」と決定できるものではなく、言語や地域、経済的共同性を長い間共有化しているうちに根付いてしまった類の精神であると解される。
 しかし、ここで人間の心性を問わねばならないという見解に逢着してしまうのは、唯物論としては苦しいところだろう。

●エトノスを生成するための言語


 さて、「民族」とは何ぞ耶、という問いに、ひとまず「エトノス」という解を最有力のものとして導いた後、本書は国家語の持つ役割について、ソシュールの「民族とは言語共同体である」という認識をとっかかりにして考えを進めていくことになる。
 というのも、民族の条件をエトノスに求めるにせよ、そのエトノスはそもそも文化の共通性を基盤にして醸成していくものだからであり、共通の文化は共通の言語を持つ人びとの間でこそ育まれていくものだからだ。
 つまり、「同じ言語を持つこと」は「同じ民族であること」の必要十分条件ではないが、「共通のエトノスを持つこと」のための必要条件ではある、ということになる。ちなみに、ユダヤ人のように、一定のエトノスを持った民族は、後に共通の言語を失っても、宗教などの文化の共通性によって、そのエトノスを保持し続ける場合がある。
 さて、同じ言語を持つことで連帯性が生まれ、民族という意識が育っていくとするなら、国家にとっては、国内で話される言語は、なるべく単一であった方が良いに決まっている。日本人のほとんどは、母語と言えば日本語であるため、非常に「国語」というものが持っている政治性には意識を向けづらい状況にあるわけだが、そもそもいわゆる方言が、上古においては各地方の「民族語」であったであろうこと、沖縄方言やアイヌ語といった独自の語彙・表現を持つ言葉が、次第に「方言」として、「日本語の一亜流」という地位におとしめられていったことを踏まえれば、それは決して他人事ではないことに気づくことができる。
 ちなみにここで、最初の方にあった「エリートの国語」という話とリンクするわけだ。
 そして、そうしたことを明敏に示すのが、独仏伊の3言語を国語(公用語)としつつ、それにレト・ロマン語(ロマンシェ語)を加えた4言語が日常的に使用されているスイスの例であり、また、単一の言語を持つことで「人類みな兄弟」を実践しようとする、エスペラントのような世界語の思想だ。チョムスキーの生成文法理論なども、これにつながると思ってよろしい。
 後者は、多くの民族をひとつの国家、ひとつの思想の元に統合しようとしたソ連のあり方とも、必然的に通底するものがある。理想や考え方は違えども、やってることは同じなのだ。

 さて、本書の内容は、ここでひとまずその輪を閉じる。
 が、本書における「民族・国家にとって言語とは何なのか」というテーマと、長きにわたって正面から格闘していたソ連という国家は、結局、崩壊していった。
 経済的な理由や政治体制の問題もあるので、単純に「『ソビエト人』というエトノスの醸成に失敗したから国家もこけた」とはもちろん言えないにせよ、田中氏にしてみれば、「言語」というものをめぐるひとつの壮大な実験が、挫折を迎えたと感じられたらしい。
 概括的にソ連言語学の歩みを振り返る本書末の2章は、ややセンチメンタルなにおいがそこはかとなく漂っている。
 その中では、もちろん、ソ連の言語学が陥っていた陥穽についての分析もおこなわれているが、しかし、本書の姿勢自体にも、僕は問題なしとはしない。
 というのが、例の、政治の問題とはひとまず切り離して言語について考える、という基本姿勢だ。
 学問が政治の情勢に引きずられることがあってはならないのはもちろんのことだし、日本人はそのことを身をもって知っているわけだが、いま、レーニンやスターリンの論考を、政治とまったく切り離して読む、というところに、かなり無理を感じてしまうのは僕だけだろうか?
 ソ連の学問を袋小路へと導いたのは、ひとつには、レーニンやスターリンを政治と無関係に読むことが許されないソ連という国の特殊な事情だった。このとき、国外にいるからといって、彼らの理論を政治と無関係に読むということが、果たしてどこまで可能なものなのだろう。
 誤解を招くといけないのだが、田中氏は、言語の統一化に批判的なスタンスをとっていることでもわかるように、別にソ連という国家に対して、必要以上に同情的なわけではない。ただ、そもそも、存在自体に政治的な一定方向のベクトルが働いている思想家を、どこまで、その理論が発せられた状況と無関係に、あるいはその状況に影響している様々なベクトルを補正した上で読むことができるのか、そこにはやはり懐疑的にならざるをえない。
 そもそも、スターリンの様々な悪政が、理論とどこで結節点を持っていたのか、という難問も、本書では「政治と学問の分離」という名のもとに全く取り上げられていないわけだし。むろん、そうしないと扱う範囲が膨大になりすぎるということは理解できるし、また、沈黙の裏には様々な思考もあるのだろう。
 とはいえ、本書でもって、言語をめぐる問いに解答を見つけたということは出来ない。本書の導くのは、ひとつの問いの終着点ではなく、曲がりくねった道の途中にある一里塚にすぎないと見なすべきなのだ。道はまだ続いている。
(2003.7.22-28)


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『チョムスキー』
 (岩波現代文庫
 2000年12月刊
 原著刊行1983年)
 チョムスキーは、「生成文法」という考え方にたった言語学理論を発表し、言語学の世界に革命を起こしたとされる人物です。どういう意味合いで革命を起こしたのかは、この後説明しますが、その前に、少し個人的な事情を話しておきましょう。

 僕がチョムスキーの名を初めて聞いたのは大学1年の時で、一般教養科目で習った英語の講師が、チョムスキーに直接、教えを受けたという人物でありました。この先生には、僕は英語の単位をもらえなかったので、恨み言のひとつも言いたいところですが、それはさておき。この先生の授業では、英語のヒアリングと英文法の構成要素について、主に講義がされました。朝の10時過ぎという、一般に健康な人間ならまだ寝ているであろう時間からの講義であり、居眠り半分で授業に出ていた僕にも、まぁ、落ち度はあったんですけど、ヒアリングがダメダメだったということもあり、かつ、小テストのある日に何度か寝過ごしたりした関係で、あっさりと単位を落としたわけです。
 そんなわけで、この授業については、あんまりいい思い出がないんですが、そんな中、なぜかチョムスキーの名前だけは妙に印象に残ってたんですね。まぁ、名前の語感が面白かったということももちろんあるんですが、それよりむしろ、現代の英語学の中では重鎮の一人だから名前を覚えておいた方がいいよという、そんな言葉で記憶の片隅に引っかかっていたものと思われます。
 その後、現代思想に興味を持ち始めてみると、言語学というワクを越えて、チョムスキーの名を聞くことが増えてもきたんですが、ただ、何分、初めて名前を聞いた講義で単位を落としているわけですから、苦手意識というか、食わず嫌いのような部分も植え付けられており、かつは僕自身、言語学というとかなり疎い人間でもあるので(まったくの専門外と言ってしまうと、日本語学を講義してくれた先生が怒るでしょうが、そこから言語学全体に視野を広げるのは学部生には荷が重い)、これまでずっと敬遠をしてきたという部分があります。
 そんなわけで、岩波現代文庫に入っている本書は、それなりに一般の人間にも理解しやすいであろうからということもあり、僕としては「お勉強」という魂胆が半分というところで読み始めたわけです。

 わかりやすかったか、というと、確かにわかりやすかったですね。専門的な語彙は極力使わないようにしてくれているし、すでに日本語訳があるものでも、田中先生自身がその訳に納得いかない時には、新しく自分で訳し直したりもしている。面白い人ですね、この田中先生という方は。
 基本的には、チョムスキー理論についての批判を根っこに持っている本ですが、その批判を成立させるために、生成文法理論自体をかなり詳しく解説してくれているので、お勉強にはちょうどいいんじゃないでしょうか。ちょっと安直な考え方かもしれないけれど。
 本書によれば、生成文法理論は、「全ての人間には、言語の利用に関しての所与の能力が生まれついて備わっている」ということと、「あらゆる文には、人間が言語利用の能力を持ってすれば理解できるように『深層構造』が含まれている」ということを柱としているとのことです。すなわち、表層の、今僕がこうして書いているような文章の「深層構造」を、人間は生まれつきの言語能力で理解し、かつ操るのであると。
 その、表層に現れる言語のみに対象を絞りきっていた従来の言語学から、「深層構造」という実際には表に現れないものを認定してしまって、さらには人間個人の心理を言語が生まれてくる場所であるとして対象化してしまった、その点が、まさしく言語学の革命であったということです。
 その革命のもたらした衝撃と学問的な新しい見地を大きく評価しつつも、しかしそれは、「あらゆる言語は同じ深層構造を基盤としている」ということを無前提的に認定して、そこから「英語を基盤に研究すれば全ての言語を研究したと同じことになる」という、奇妙な普遍主義を生み出す原因でもあると、田中先生は言います。
 差異とか多様性とかいったものを排除するこうした論理は、「バベルの塔以前」のようなロマンティックな普遍主義と通底し、そしてそれは少なくとも学問的には正しくない。レヴィ=ストロースの構造主義が、多様性と普遍的理解の不可能性の上に立って構造を抽出するのに対して、生成文法では普遍性から全てを理解可能であると規定してしまう。それはたしかに、いささか危険な考え方だと僕も思います。
 普遍か多様かという二項の、どちらに注目するかというのは、現代思想の中でもなかなか重要な問題であると思うのですが、言語学というのも、実際、民族学が構造主義を生み出したように、この問題と無関係ではいられないものなんですね。少し、言語学というジャンル自体に興味の持てるようになる、いい本だと思いました(それは、細かい部分については、より検討を加えていく必要があるんでしょうが)。
(2002.1.6)


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田中克彦

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