<エリー>

私とエリーが出会ったのは4年前のことです。
初めて彼女を見たのは、私の友人のヴォルクの家で行われたパーティの会場でした。
その時、私は13歳。
彼女は17歳でした。
当時の私はウィーン少年合唱団の一員として、そのパーティの会場で歌ったんです。
もちろん、私だけではなく、団員みんながいたんですよ。
その日は私が変声期を向かえてきたことによって、私の最後の演奏となる日だったのです。
ちょうど、ヴォルクの誕生日とその日が重なって、誕生日と私の退団のパーティになりました。
あの時は、もうこの合唱団で歌うことがなくなるのが悲しかったですよ。
そのパーティは夕方から庭で行われ、夜まで続きました。
子供にとっては、めったにない夜のパーティですから、嬉しいものです。
親が同伴でしたけどね。
私も非常に悲しかったのと同時に、楽しかったのを記憶してます。
あの晩も見事な満月の夜だったのですが、私は一人の女性を見ました。
その時始めてみたのですから、どうやら夜になってから遅れてやってきたのでしょう。
うすい水色のドレスを着て、その白い肌との調和も取れており、美しかった。
その娘はヴォルクのいとこの友人らしく、ヴォルクも知りませんでした。
私は、ヴォルクと私は大の仲良しでその時はずっと一緒にいたですが、そのいとこが彼女と一緒にヴォルクに挨拶に来ました。
「こんにちは、ヴォルク。」
とその女性は言いました。
彼女も奇麗な人でしたが、あの時のエリーほどではありません。
「こ、こんにちは。」
ヴォルクはそのいとこに片思いをしていたものですから、どもりました。
緊張したんでしょうね。
今思えば、私もあの時のヴォルクも子供だったのです。
二人の挨拶が終わると、互いに自分の友人を紹介しました。
つまり、エリーと私ですね。
「エリザベート・サンドです。」
相手が自分より年下の人間だというのに、随分と丁寧な言い方をする人間だと不思議に思いました。
あの時の私はまだ13歳でしたから。
17歳の彼女から見れば、まだまだ子供です。
「グスタフ・フォン・ディスカウです。」
そう私も返しました。
それからしばらく4人で話していたのですが、ヴォルクが途中から自分のほうに目配せをしました。
「ははぁ、いとこと二人で話がしたいのだろうな」
と子供ながら思いました。
そこで、私は飲み物を取りに行くといってその場を離れました。
子供が主役のパーティですから、もちろんお酒なんてありません。
大人のためには用意してありましたが、子供が飲めないように見張りがついていました。
だから私はコーヒーを取りに行ったのです。
その時、エリーも私に着いて来ていました。
「コーヒーなんかより、紅茶の方がおいしいわよ。」
そう彼女が後ろから突然声をかけてきたのには驚きました。
まったく気配を感じていませんでしたから。
思わずカップのコーヒーをこぼしそうになったほどです。
「紅茶は飲んだことがないんですよ。」
そう言葉に気を付けながら言いました。
「あら。そう。」
そういって彼女は自分のために紅茶を持って来て、手招きをして椅子に座りました。
私も別段逆らうことなく、テーブルにつきました。
いくつか、紅茶とかを飲むためのテーブルが用意されていたのです。
お互い向かい合って座って、飲み物を飲んでいたのですが、突然彼女が言葉を出した。
「ねぇ、グスタフ君だったかしら?ヴォルク君っていうのは、フロイのことが好きなの?」
思わず私は口に含んだコーヒーをこぼしそうになりました。
「い、いえ・・・。」
「ふーん・・・。やっぱりね。そっか。好きなのか。」
そういって彼女はまた紅茶を口に含みました。
「あ、あの、私は何も言ってませんが・・。」
私がばらしたことがヴォルクにわかったら・・・と思うと心配になりました。
「女の勘よ。別にグスタフ君に聞いたというつもりはないわ。それに・・・・もう少しポーカーフェイスを覚えた方がいいわよ。」
そう興味のないように言いました。
「そんなのはいらないですよ。」
「子供ねぇ。大人になればわかるけど、そんなことじゃ、世の中わたっていけないわよ。」
どことなくいたずらっぽくエリーが言います。
事実、私はその時は子供だったわけなのですが、さすがにかちんときました。
「別に嘘をつくために大人になるわけじゃありませんから。
それに、貴女だってそんなに大人に見えませんけど?」
その時は痛烈な皮肉を言ったつもりでしたが、まだ子供だったのでしょうね。
「年上の言うことに口答えするんじゃない!」
そう怒ったふりをして彼女が言いました。
私の言葉がよほどおかしかったのでしょう。
笑いをこらえていました。
からかわれていい気持ちはしません。
むっとしていると、エリーがとりなすように言います。
「ゴメン、ゴメン。からかったわけじゃないのよ。でも、ヴォルク君があまりにも可愛かったから。」
そういって謝るしぐさをしました。
どう考えても、子供の私にするしぐさではなかったので、おかしな人だなと思いました。
「貴方くらいの年代って、ちょうど年上の女性にあこがれるもなのよねぇ。まぁ、男なんてみんなそうなのかもしれないけど。」
「私は別に憧れていませんけど?」
「子供ねぇ。恋をしないうちは、まだまだ子供よぉ。でも、ヴォルク君もまだまだ子供だけどね。」
そういって楽しそうに笑った彼女は美しかったです。
「なーんて言っている私もまだまだ子供。」
「そうですか?」
「そりゃ、グスタフ君から見れば、大人かもしれないけどね。まだまだ・・・。」
彼女の目が急に遠くなったのを覚えています。
私はその時なんと声をかけていいのかわかりませんでした。
「さて、そろそろ戻ろうかな。子供のヴォルク君には十分な時間だったでしょう。」
紅茶がちょうどなくなったころ、彼女がいいました。
「そうそう、紅茶の方がコーヒーよりおいしいわよ。今度、ごちそうしてあげるわ。『森の家』のディスカウ君。」
彼女はそう言い残して、テーブルを去っていきました。
「森の家」とは私の家のことです。
私の家は結花さんもご覧になった通り、美しい森の中にあります。
だから近所の人たちからは「森の家」なんて呼ばれていたんです。
今でも、そう呼ぶ人がいますよ。
正直なところ、まったく見たこともない人間にこんなことを言われて驚きました。
私は「森の家」のことなど一言もしゃべってないのですから。
でも、その時はヴォルクか、いとこを通して聞いたのだろうと思って納得させました。

それからしばらく経って、エリーが私の家の近所に住んでいたことを知りました。
この病院のふもとにある、あの白い家がそうなのですがね。
近所とは言え、子供の足ではなかなか遠く、また遊ぶ場所の範囲を外れていたこともあって、まったく知らなかったのです。
私の家は有名でしたから、彼女はそれで知っていたのでしょうし、また、私のことも知っていたのでしょう。
その事を知ったのは、偶然でもなんでもなく、彼女が私の家を訪ねてきたからです。
もちろん、私に会いに来たわけではないです。
彼女の母親からのことづけで、私の家に届け物に来たらしいのです。
これまでだってこういうことがあったのにと不思議に思ったのですが、それが偶然だったのでしょうね。
一度もあったこともありませんでした。
その時、私が届け物を受け取ったのですが、彼女は言いました。
「紅茶は飲んでみた?」
そう笑いながら言いました。
「いや、まだです。」
「そう。今度うちにいらっしゃい。おいしい紅茶を飲ませあげるから。」
そう彼女は言って、帰っていきました。
どうしてなんでしょうね、その時の誘いに私は乗りました。
親にエリーの家をそれとなく聞いて、彼女の家を突然訪ねました。
さすがにいきなりは無理かなと思ったのですがね。
でも、エリーは驚いた様子もなく私に紅茶を飲ませてくれました。
本当においしかったです。
それから、私はしばしば彼女の家に行って紅茶を飲むようになりました。
最初から彼女にひかれていたのでしょうね。
週に2〜3回は彼女の家に訪れて、紅茶を飲ませてもらいました。
彼女の家の両親も忙しいらしく、たずねていく時間には彼女と使用人以外は誰もいなかったようです。
私は何度もたずねていくうちに彼女から紅茶の入れかたを教えてもらい、自分でもいれれるようになりました。
そのうち、私と彼女は当然のことながら親しくなりました。
ヴォルクがフロイに振られたという話を聞いても、彼女の家に訪ねていきました。
ちょっとした罪悪感があったりしたのですがね。
でも、彼女の家には魅力があったし、何より、彼女のことが好きでしたから。
そう自覚するのには時間がかからなかったです。
ああ、これが恋なのかなと思ったりもしました。
でも、その気持ちを言い出せませんでした。
私は子供だし、彼女に気持ちを伝えても馬鹿にされるだけだろうと思っていたのです。
年齢というのは、あの時の私には超えることのできない壁でした。
彼女にあうのは楽しかったですが、それと同時に言い出せない自分が辛かった。
彼女の気持ちもなんとなくわかっていたのですがね。
でも、半年くらいたったあの日、彼女から言いました。
「ねぇ、グスタフ君。恋愛はロジックじゃないのよ。」
そういいました。
何かのセリフを取ったのでしょうが、私にはそれが何からとったセリフなのかはわかりません。
今でもです。
でも、言いたいことはわかりました。
その日から、私たちは恋人になったのです。
でも、時間が遅すぎた。
彼女はなんとなく自分の時間が少ないことに気がついていたのかもしれません。
だから、ああいうことを言って、私に促したのではないかと思うほどです。
恋人になって4ヶ月後に彼女は白血病で倒れました。
なんだかよくわからないのですが、いくつかの病気がその後に併発して、この病室に入院しました。
彼女に会った最後の時、彼女は私に言いました。
「ねぇ、グスタフ。私は幸せだったわ。でも、私はもういなくなる。だから私のこの幸せももう少ししか残ってないの。」
私は涙が出ました。
そんなことを言って欲しくなかった。
そういう気持ちです。
でも、エリーは続けて言いました。
「でも、貴方の幸せはこれで終わりじゃないのよ。誰か別の恋人を見つけて、幸せになるのよ。貴方は私以外の誰も好きになろうとしないかもしれない。でも、それは私にとって嬉しいことではないのよ。」
そう諭すように言いました。
しかし、あの時の私に納得が行くわけがありません。
「泣いちゃだめよ、グスタフ。私は天国からも貴方の幸せな姿を見ていたいの。 もちろん、嫉妬はするわよ。でも、貴方が涙に暮れて一生すごして欲しくないの・・・。」
長く話して疲れてきたのか、声が徐々に小さくなってきました。
私はただ泣きじゃくっていました。
「私は貴方の幸せを見守りたいの。だから、約束してね。きっと恋人を見つけて、ここにまた来るって。幸せな笑顔を見せてくれるって。笑っていてね、グスタフ。」
そう言いました。
私はその時は泣きながらうなずきましたけど、その約束を守るつもりはありませんでした・・・。
エリー以外には人を好きにならない。
そして、誰かを失うことがこんなに悲しいこなら、二度とこんなことを経験したくない。
だから、もう誰も好きにならない。
エリーがいてくれればそれでいい。
そう思いました。
その日から4日後に彼女は亡くなりました。

「私はだから結花さんを好きになっている自分に戸惑ったんです。でも、この気持ちはどうにもならないですね。本当に、恋愛はロジックじゃないです。」
そうグスタフは長い話の後に言った。
穏やかに微風が二人の顔の前を通りすぎていく。
結花は目を真っ赤にしながら、話を聞いていた。
「結花さんを好きになっていく自分が恐かったですよ。だから、今日のいままで黙っていたのです。でも、もう言わなくてはならないと思いました。そして、エリーとの約束を果たすために、こうして話をしたんです。」
そういって、彼は一呼吸おいた。
深呼吸をする。
「私の恋人になってくれませんか?」
そう結花にやっと届く声で、静かに、穏やかに、そして優しく彼は言った。


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