黒いコートのオンナノコ Part.2 同じ空の下 1 2 3 4
Part.2 同じ空の下
1
「世界がなんで滅びないかって、考えたことある?」
駅前のハンバーガーショップで、なつきは不意に言った。
あの後、ほとんど無言のまま、二人は駅前までやって来た。取り敢えずいちばん安いハンバーガーとドリンクだけ二人分注文して、二階席の窓際に座る。まだ9時にもなっていないというのに眼下に見える商店街は既に半分以上店じまいしてしまっていて、人通りも僅かになっている。
コーラを一口飲んで、誠が一息ついたとき。
不意になつきが言ったのが、その台詞だった。
「え?」
突然の意味不明な言葉に、コーラをごくりと飲み込んで、その後にちょっとむせる誠。
「世界……が滅びない理由?」
オウム返しに誠は聞き返した。
「うん」
簡単に頷き返されて、誠はますます返答に困った。
「この世界って、いつ滅びてもいい状態にあると思うの」
衒いもなく、簡単にそう口にするなつき。
「人間が持ちすぎた過度な文明水準。核兵器。……ううん、今だけの話じゃない。そもそもこの広い宇宙の中で、地球だけが生物が生きていくのに絶好の環境が整って、そして滅亡もせずに今まで生き残ってる……不思議だと思わない?」
初めて聞くなつきの畳みかけるような口調。
「それは……きっと大自然の神秘ってやつで……」
思いつかないまま、馬鹿な言葉を返す。
しかしそのデタラメな言葉に、なつきはこくりと頷いた。
「うん。……カミサマの神秘、だと思うの」
そう言って、誠の目をじっと見る。……多分変な顔をしてるんだろうな、と誠は思った。
「きっと、この世界が危機の時には、カミサマ……私は世界の意志みたいなものだと思ってるんだけど、それが働いて回避してるんだと思う。だから、例えば核戦争は起こらないんだと思う」
多分、普段の誠なら、こんな言葉を聞いてる途中でとっとと逃げ出していたと思う。傍目から見れば、まるで何かの新興宗教の勧誘を受けているかのような内容。
「……だから、私のことに話が戻るんだけど」
でも、誠は目の前で、なつきの“闘い”を見てしまっていた。この世ならざる生物。なつきのこの世ならざる能力。そしてその後の異変。だから、誠は席を立つことが出来なかった。
「あの異次元からの侵入者は、きっとこの世界の存在をおびやかすものだから」
そんなに強い声でもなく、弱さを垣間見せながらも、それでもはっきりと紡がれ続けるなつきの言葉。
「だから、カミサマはそれから守るための方策を考えたのよ。……そして、私が選ばれたから。私は闘わなくちゃいけない」
無言のひととき。
なつきはため息をつくと、窓から外を見下ろした。商店街にはいつものように夜が訪れて、平穏に一日が終わろうとしている。
誠は何も言えず、結局はちらりと時計を見てこう言うしかなかった。
「……あんまり遅くなるとやばいし、あとは帰りながら話そうよ」
2
すっかり夜のとばりが落ちた中、電車は5分の1の疲れた人々と5分の3の気だるい空気、そして5分の1のその他の雑然とした存在を載せて走っている。
さっきまでの不思議な体験が嘘のように、電車はいつものように一つ一つ駅に止まりながら走っていく。
車内はロングシートの座席がだいたい埋まるぐらいの混み具合だった。誠となつきはその真ん中辺りで、2人並んでシートに腰掛けていた。
帰りながら話そう、と言いながら、歩き始めてから一言もしゃべっていない。なんとなく町中で話す気もしなかったし、ましてや電車の中でなんぞ会話する気がしなかった。
疲れを感じてため息をつく。
なつきの肩が、誠の肩にちょっと触れた。
隣を見ると、なつきは目を閉じてぼんやりとしている。その姿は、ちょっと疲れてはいるものの、ごく普通の同い年の少女の姿だ。
ほんの少し前までの状況が夢の中のことのようにすら思える。
正直言って未だに、誠にはさっきの出来事が把握できてない。いっそ本当に夢だったらいいのに、と思う。面倒くさい事に巻き込まれたとか、変な女の子に関わってしまった、とかそういう気持ちも当然ある。かなり強く。
でも、今の誠のなつきに対する気持ちは、「放っとけない」の一言だった。
関わってしまった以上、それを忘れてしまう、あるいは切り捨ててしまう、そんなことは誠には出来なかった。
「普通」にはもう戻れなくなっちゃったんだろうか。
隣をもう一度見る。肩を落として目を閉じて、俯くなつきの姿。
聞きたいことは色々ある。でも、この電車の中ではまずは休ませてあげよう。
ほんの少しの間だけど……。
誠もそっと目を閉じた。
レールの継ぎ目に沿って、ごとん、ごとんと電車は規則正しくリズムを刻む。
古びたシートの背もたれはちょっぴり固いけど、それでも少し体を休めるには充分だ。……今日一日でずいぶんと疲れた気がする。めまぐるしい体験。でもこの体験を、なつきはきっと何度も何度も繰り返してきているのだ。
自分と同い年の、このどちらかと言えば小柄な少女が。
「次は、町柳、まちやなぎです〜」
車掌の事務的な放送が入って、誠は我に返った。
そっとなつきの肩に触れる。
「大丈夫、起きてる」
相変わらず気丈な様子で、なつきが答えた。
改札口の前で、2人はいったん立ち止まった。
「今日はありがとう」
なつきが相変わらずの静かな口調で言った。
「……お疲れさま。じゃあ」
そう言って1人で歩き出すなつきの横に、誠は早足で並んだ。
「ついでだから家まで送るよ」
ちょっと驚いたように誠の顔を見たなつきは、すぐに無表情に戻って言った。
「いいよ、毎日1人で帰ってるし」
「……でも、今日は僕が居るんだし。一応俺、ほら、オトコノコだし」
何を言ってるんだか。我ながら馬鹿な理由だな、と誠は内心で苦笑した。
「……私の家、遠いよ?」
そう問い返すなつきの台詞は、同時に承諾も表していた。
3
街灯が規則正しく点々と続く道。
自転車を押すなつきと一緒に、無言で誠は歩いていた。
頭上では織姫と彦星が輝き、白鳥が大きく翼を広げている。
「さっきの続き、聞かせてくれる?」
言い出しにくそうに、誠が切り出した。
「いいよ」
蛍光灯の灯りに照らされて、なつきが小さく頷いた。
「……能力が現れたのは、数ヶ月前なんだ」
たまに自動車や自転車がすれ違う程度で、夜道には人通りはほとんどない。
そんな中で、なつきは訥々と語り続けた。
……全くの不意打ちのように、訪れた『能力』。
自分は平凡な女子中学生の1人だと思っていた。小さい頃にはアニメのヒロインに憧れたことも無くはなかったけど、多分自分は普通の女の子だと思っていた。
なのに降ってきた能力。そして頭の中に降り注いでくる『敵』のこと。
洗脳を受けたみたいに、全ては頭の中にインプットされていた。
そして、なつきの戦いが始まる。
……初めて戦いに行って、そして服が焼けてしまって、丸裸のままで家に逃げ込んだ思い出。
同級生に秘密がばれるたびに、引っ越しと転校の繰り返し。
両親は生活費だけを出して、半ば追い出されたように今は一人暮らし。
どんなに怖くても1人で戦い抜いてきた。
辛くないなんて嘘だけど、でも自分の使命だと思っているから。
それでも戦い続けないと……自分が戦い続けないと、この世界は壊れてしまうから。
本当は戦いたくなんか無いけど。
「でも、私が戦わないと駄目だから……」
言い聞かせるように、なつきはそう言った。
誠は途中からは、ただ頷くだけになっていた。
どう声を掛けても、変な慰めみたいな文句になってしまいそうで。
今日何度目だろう……沈黙。
「いいよ。私は1人で戦っていくから」
「……寂しくない?」
それは誠にしてみれば、何気なく掛けた言葉だった。
その次の瞬間……ぎゅっと、誠の手が握りしめられた。
「寂しいよ」
なつきは小声で呟いた。
軽く握り返してやる。
「さびしいよ……」
もう一度なつきは、小さく呟いた。
そしてその直後、ふと気が付いたように慌てて手を離す。
「大丈夫。今までも1人でやってきたからきっと大丈夫。……あ、ほら、ここが私の住んでるマンションだよ」
そう言って、慌てて駆け出して、郵便受けを確かめてから階段に足を掛ける。
そのなつきの背中に、誠は声を掛けた。
「明日、また会わない?」
なつきは虚をつかれたように立ち止まって、目を大きく見開いて、それから半ば反射的にこくりと頷いた。
その直後、自分の行動に気が付いたように、今更のように顔を真っ赤にする。一生懸命淡々とした顔を作っていた彼女の、初めて出た素直な表情。
「僕は中学校の図書館にいるから……良かったら声を掛けてよ」
敢えて約束という形は取らずに、誠はそれだけ言うと踵を返した。
「あ、あの……」
なつきが我に返って何か言いかけたときには、誠は既に自分の家に駆け足で向かっていた。
4
誠が家に帰ると、家のドアには鍵が掛かっていた。
鞄の中から鍵を取り出して中に入ると、台所のテーブルの上に置き手紙が乗っている。
看護婦を務める母親は、既に夜勤に出かけてしまったらしい。
父親は今年の春から北海道に単身赴任。こうして誠が夜に1人になることは、珍しくない……むしろよくあることだった。
テーブルの上に残された夕食を電子レンジで温めて、1人で手を合わせてから食べる。
激動の一日。ずいぶんと疲れていた体に、夕食の暖かさが身に染みた。
文句を言う人間がいないのをいいことに、掻き込むように食事を済ませてから、リビングのクーラーを付けて座椅子に寝そべる。
あまりにも多くのことが頭をよぎりすぎて、考え事をしようにもまとまりそうにない。
さっきまで見聞してきたこと。
あの化け物。この世のものとは思えない姿。
なつきの重い運命。あの後乱れていた彼女の、痴態というにはあまりにも哀しい姿。
そして、裸の彼女を抱きしめたときに感じた自分の気持ち。
ほっとけない。
今の気持ちは本当にそれだけなんだろうか?
誠は小さくため息をついて、背もたれに体を投げ出した。
白い天井を見上げる。穴とひっかき傷を組み合わせたような模様の、よくある天井。
……そう言えば、母親はしばらくは夜勤が続くと言っていたな、と誠はふと思い出す。今日はまだ少し遅く出たけど、明日から数日は夕方過ぎから出て行くはずだ。
普段はそれを少し寂しいと思っていたが……なつきと会うには、これ以上都合のいい話もない。夜に家を空けたところで、誰もとがめる人間はいない。
そこまで考えて、また苦笑する。
なんなんだろ。
さっき、何であんなこと言ってしまったんだろうな。
思いはまたぐるぐると渦を巻き始める。
単純な同情とか好奇心とかそういう次元ではなく、なつきのことが気になってしまっている自分がいることに、誠は気付き始めていた。
同じ時、同じ空の下、なつきが同じような思いを抱えて過ごしていることを知らずに。