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 黒いコートのオンナノコ Part.3 となりにいること         


 Part.3 となりにいること

    1

 よく眠れなかった誠は、次の日、開館時間に合わせたように中学校の図書館に来ていた。昼を過ぎてくると混雑してくる図書館も、この時間帯だと空いていて、4人がけの机を1人で占領して問題集やノートを広げられる。
 しばらく数学の問題集を広げて幾何の問題を考えていると、誠の隣の席に腰掛ける気配がする。
『おはよう』
 きれいな楷書体でそう書かれたメモが、誠の視界に差し出された。
『おはよ』
 そう書き返しながら、隣の席を見る。少しはにかんだような表情を浮かべるなつき。
 今までいつもどちらかと言えば冷たい印象だったなつきのそんな表情に、少しどきりとしてしまう誠。
 べんきょうべんきょう。
 小声でつぶやいて問題集に目を落とす。なんかごちゃごちゃした図形が書かれた証明問題。難易度B。……解ければ難関校も可能、だって。
 ちらり。
 隣で教科書に目を落とすなつきを見る。
 真剣な顔で、少し小首をかしげて何か考え事をしている。軽く頬をふくらませてみてから、こくりと一度頷いて、それから小さめにさらに何度も頷いて、ノートに何か書いている。よく見るとシャープペンシルじゃなく鉛筆を使っていた。
 ……とその時、なつきは不意に顔を上げて誠の方を見た。
「あう」
 小さく声を上げて再びノートに目をやってから、今度はゆっくりと誠の目を見つめる。しかしその頃には、今度は誠の方が目を逸らしていた。
 補助線でも入れて上手くいかないだろうか。お、何となく上手くいきそう。
 そんな誠のノートの上に、さっきのメモが差し出される。挨拶のやり取りの下に、書き加えられた一行。
『昨日はごめんね』
 誠は動揺を抑えるために数式を先に書き終えてから、小さく息を吸った。
『別にきにしてないけど そっちこそだいじょうぶ?』
 そう書き加えて、視線は動かさないまま手だけで脇に押しやる。
 えっと、ここは錯角を使えるから、∠DAEと∠FECが同じになって……。
『大丈夫、いつもの事だから』
 落ち着いた字で返ってくる。
 誠は一つため息をついた。……昨日のなつきの姿が脳裏を渦巻く。この世のこととも思えない光景。あの不気味な腕に立ち向かっていくなつき。その後に見せた痴態。そういう自分を嫌悪しつつ、独り耐えていくなつき。……抱きしめた感触。
『そういうこと言うなよ』
 乱雑に書くと、誠は少し乱暴になつきの席へとその紙を押し込んだ。
 首を少し振ってから、図形に目を落とす。えっと、錯角まで考えたんだっけ。てことは、内角の和を使えばいいから……うーん、でもこれが分かったからって使えそうにない。もう一本補助線とかいるのかな。
 ふと隣を見ると、なつきが彼の乱雑な字に目を落としていた。鉛筆からも手を離して、ただじっと見つめている。
 誠は手を伸ばしてその紙を取ると、一言書き加えてもう一回なつきの目の前に置いた。
『おれで良かったら何でも言ってよ』
 それに目を落としたのを確かめてから、誠はもう一度問題に視線を戻す。……あ、そうか。補助線じゃなくてこの大きな三角形を中心に考えたらどうだろ。
『じゃ、ひとつ頼めるかな』
 そう書かれた紙が横から誠の視界に入ってくる。
『なに?』
 一言書いて、すぐに差し戻す。
 おお、これで上手くいった。よってこれとコレが合同だから、証明された、と。
 また横から紙が渡される。誠はQ.E.D.と格好つけて書いてから、その紙に目を落とす。
『今日も、一緒に来てくれないかな?』

 誠はシャーペンを取り落とした。

    2

 夕方の町柳駅のホームに、誠は佇んでいた。改札口の側を離れ、ホームの先頭へとゆっくり歩く。さっき降った夕立のせいで、ホームはまだ濡れたままでいる。
 帰りならともかく、こんな時間に行きのホームに立って、自分は何をしてるんだろう?
 そう思って小さく息を吐く。もう一度、「なにしてんだろ」と今度は口に出して小さく呟いた。
 本当は関わらない方が良いんだろうとは、誠自身も分かっていた。
 たとえ肯定的に見ても、自分が行ったところで何が出来るわけでもない。一方、否定的な要素なら山ほどある。訳の判らないあの怪物に怪我をさせられたりしたらかなわない。ただでさえ既に「黒いコートのオンナノコ」として噂になっているような女の子と一緒にいれば、自分だって何を言われるか分からない。そもそも、どんな理由があろうとも、昨日見たあの日のなつきの乱れ具合は、痴女、としか言いようがなかった。やらしいとかそういう感情を抱く前に、誠は気圧されるばかりだった。
 そして、たとえ誠が断ったところで、なつきは平然としているのだろう。
 一瞬寂しそうな顔を見せても、すぐにいつもの無表情に戻り、いつものように戦いに出かけていく。それはなつきにとって慣れたことで、今更どうこう思うこともないのだろう。
 そこまで考えて、誠は立ち止まる。
 ……多分、それでも自分は、なつきを放っておけない。

 警笛をひとつ短く鳴らして、電車がホームに滑り込む。知らない間に先頭車の停止位置より前に来てしまっていた誠は、小走りでホームを逆戻りして、一番前の扉から乗り込んだ。
 その時ふと、後ろの方の扉に目をやると、見覚えのある女の子が乗ってくる。彼女は誠のことに気付かないまま、扉の横のシートに腰掛けた。いつもの黒いコート。ちょっとうつむき加減の顔にかかる前髪。
 誠は無言で近寄ると、なつきのすぐ横に腰掛けた。
 驚いたように、なつきの眼が誠を見つめる。
「こんちは」
 誠が軽く手を上げてみせると、なつきは何故か小さく頭を下げた。

 がたん、ごとん。
「あのさ」
 黙ったままだった誠が次に声をかけたのは、目的地の一つ前の駅を発車した頃だった。じっと自分の膝を見つめていたなつきが顔を上げる。
「いつも、こうして電車に乗ってるの?」
「うん」
 小さくうなずくなつき。そしてまた、少し無言が訪れる。
 昼間は少し話すようになっていたなつき。でも今は、元のように寡黙に戻ってしまっている。
 ……膝元にはスカートが見える。さすがに電車の中では服を着ているらしい、と誠は下らないことを考えた。
 電車が駅に近付いて、スピードを落とす。
 なつきが一度背筋を伸ばして姿勢を正すのが、誠の目に映った。

    3

 前とは別の場所ではあるものの――やはり、路地裏の空き地。街灯の光も付近の家々の影になっている。
 無言で歩くなつきのすぐ後を歩くように付いていって、誠はその空き地にたどり着いていた。どうすればいいか判らずに佇む誠を1人残して、なつきは着替えのために物陰へと姿を消している。
 ……何故俺はこんなところにいるんだろう。
 自問してみる。そんなことをしても答えがあるわけではないし何の意味もない。それでも、こうして1人取り残されて空き地に佇んでいると自問ばかりを繰り返す。
 俯いてみると、土がむき出しの地面はまだ少し水たまりが残ってぬかるんでいる。足場が悪い。嫌な感じだ。
「ただいま」
 声が頭上から降ってきて、誠は顔を上げた。
 黒いコートをまとったなつきが、そこに立っていた。膝のちょっと上ぐらいまであるコートは、だけれど裾はひらひらと揺れて、よく見ているとちらりと微かに黒い翳りが見える。
 ……思わずそこに目が行くのを避けられずにいた誠がふと目線を上げると、なつきが顔を赤らめていた。それに気付いた誠もまた頬を真っ赤にする。
「ご、ごめん」
 言わずもがなな謝罪を口にする。
「う、うん……慣れてるから。いや、慣れてはいないけど……」
 そうもごもごとしゃべっていたなつきが、急に表情を変えた。
「……来るよ」

 前回と同じように、、きん、と空気が凍り付く。
 そう言えば風も止まっているのだとふと気づく。なのに暑さを感じることは全くなく、むしろ肌寒さすら感じる空気が、半袖でむき出しの肌を刺す。
 空間が裂けるのは突然だった。まるで刃物にでも切り裂かれたかのように、まず斜めに裂け目が走り、そしてそれが横に広がる。そこから現れたのは日本刀に似たような刃物と、それを握る手。しかしその手は赤黒く、指はよく見ると7本ある。
「こ、この前と違うっ!」
 思わず誠が声を漏らすと、なつきが刀の方を見据えたまま言った。
「毎回どんな奴が出てくるかばらばらなの。……だから私も作戦なんて立てられない」
 そう言いながら、目は忙しく刀の先から腕までを何度も見つめる。裂け目から今も更に少しずつ伸びてくる腕は、骨張って長く細い。
 なつきは一度うなずくと、コートを着たままで呪文を唱え始めた。止まった空気の中で、なつきの体が淡く青白い光をまとい始める。しかしそうしている間にも、空間の裂け目を大きくしつつ、“腕”は徐々にこちらの世界に腕を伸ばしてくる。
 そしてついに、腕の付け根らしき黒い物体が姿を現した。
「危ないっ」
 次の瞬間だった。なつきの声とともに、座っていた誠の体は押し倒されていた。自分の顔すれすれを鋭く風を切る音。まず目の前におおい被さっているのが黒いコートであることに気付き、それから初めて、あの刀が一閃したことに気がつく。
 なつきの体をまとっていた光は霧散している。
 その次の瞬間には、もうなつきは飛び上がるように立ち上がった。誠も次に立ち上がろうとして、力が入らないことに気付く。……嘘だろ。これが腰を抜かすということなのか? そしてまた刀が空気を切って走る。誠はとっさにごろごろと地面を転がってかわす。さっきの夕立のせいで土は少しぬかるんでいて、誠の顔や服はどろどろになる。
 刀を見据えていたなつきが、一瞬ちらっと心配そうに誠を見た。
 くそっ。
 誠は唇を噛みしめた。泥の味が口の中に広がる。そして、再び襲い来る刃。
 その時、なつきが意を決したように何かを叫んだ。
 瞬間、なつきの体が燃えるような紅い光に包まれる。
 かと思うと、次の瞬間、その光が伸びて……刀を、受け止めた。
 らいとぶれーど。昔見ていた特撮ヒーロー番組のそんな言葉が誠の頭に浮かぶ。
 なつきはその光の剣を出したまま、素早く誠の前に飛び込んだ。
 “腕”の方もなつきの方を倒すべき存在と認識したらしい。なつきに向かって、上から、横から、襲い来る刃。それを必死にさばきながら、誠のそばから遠ざかるなつき。……しかし正直防戦一方で、守るのでいっぱいでとてもそれ以上に打って出られないような様子だった。
 そして誠の眼は、なつきの光の刃が徐々に短くなっているのを見逃さなかった。最初はあの距離からでも誠のすぐそばまで届いたはずなのに、今はもう剣道の竹刀ぐらいしかない。
 ……このままだと、負ける。
 そう思ったとき、誠は地面から起きあがっていた。泥を跳ね上げる音に、一瞬“腕”がこっちに気をとられる。その隙を見逃さず、なつきは光の刃を跳ね上げた。
 弾かれた刀が宙を舞う。それは回転しながら、誠のたたずむすぐ脇の草むらに突き立った。
 “腕”が猛スピードで誠の方に迫る。
 しかし、それが辿り着く前に、誠は地面に刺さる刀の柄を握り締めていた。
 一瞬、振り向いたなつきと目が合う。
 誠は次の瞬間、刃を水平に薙ぎ払っていた。勢いよく迫っていた“腕”は、それに反応することが出来ずに刃に向かってまっすぐ突っ込む。
 皮と肉を切るさくっという軽い感触が伝わり、次の瞬間に骨を断つ重い感触が伝わる。
 一刀両断された“腕”の先が、淡く青い液体を噴きながら、宙を舞い放物線を描いたかと思うと、その途中で不意に砂のようにその形を崩して掻き消えた。
 そして、叫び声が響き渡る。……人ならぬ超え。何かがいななくような吠えるような、そんな声を発して、“腕”はたちまちに裂け目の奥へと消えていった。
 誠の手元で、刀もまたさらさらと存在を失ってゆく。その刃の向こうで、裂け目が閉じていく。
「……終わった?」
 誠は呟きながら、泥で汚れるのに今更構うこと余裕もなく、崩れるように半ばその場に腰を落とした。その頬に、吹き抜ける一陣の風が当たる。止まっていた空気が動き出していた。
「……うん」
 なつきが小さく頷いた。

    4

 なつきはやや頼りない足取りで、誠のところに歩いてきた。
 何となく……そして自然と、誠は立ち上がってなつきの肩を軽く抱いていた。
「大田くん……大丈夫?」
 疲れ切った口調で、しかし出て来たのは誠へのいたわりだった。
 情けなさで誠はなつきを正視できなかった。そもそも今回のピンチが誰のせいで起こったかと言えば、誠の鈍くさい行動のせいだ。そうじゃなかったら、今日は簡単に片が付くはずだった。……だというのに、自分のせいで。
 だから誠は、なつきの言葉に小さくうなずくことしか出来なかった。
 なつきは一度誠の目を見てから、小さく呟いた。
「ごめん……あつい……」
 その声に誠はあわてて体を離そうとした。しかしその前に、なつきの左手が誠の肩に伸びていた。
「ちがうの……。周りが暑いんじゃなくて、体の奥がじんじんと熱いんだ……」
 その言い方でようやく、誠はなつきの言葉の指す意味に気付いた。昨日の痴態のことが頭をよぎる。その昨日より激しい能力の消耗。その衝動もきっと大きいに違いない。
「……とりあえず、ちょっと移動しよ」
 誠はなつきの左腕を肩にかけたまま、空き地の端の方へと歩いていった。なつきは誠に半分体重を預けたままついていく。
 端にぽつんと立つ木の下で、誠は立ち止まった。木陰の地面はほとんどぬかるんでいない。また正面のブロック塀も高く、誰かの目にはつきにくい。
「ここなら大丈夫だよ」
 何がどう、とは敢えて誠は言わなかった。なつきもそれを理解して頷いた。
「じゃ」
 そう言って誠はその場を離れようとした。しかし再び、なつきの手が離れ書けた誠の腕を握り締める。
「一緒にいていいよ。……うぅん、できでは一緒にいて……私のそばにいて……」
 誠は立ち止まって、なつきの眼を見た。
 いつも通りの、寂しそうな、辛そうな表情。それに加えて、体の奥から湧き上がる何かを抑えるための、必死で苦しそうな表情。
「……分かった」
 誠はそう言ってから、何となくそうした方がいい気がして、なつきの肩をもう一度、今度は後ろから軽く抱いた。
 振り返ったなつきが、少し目を細めた。

    5

 なつきは躊躇せず、コートの前を開いた。
 黒いコートとコントラストを描く白い肌。そして園城が2つに分かれるところに、またコントラストを描く黒い茂み。一方上の方にある2つの膨らみは、頂をコートにまだ隠したまま、柔らかそうな丘を形作っている。
 なつきは右手をその茂みにあてて、同時に左手を右胸に当てた。コートの左側の裾が押さえられる一方、右側は大きくめくれ、脇の下までが露わになる。
 その指先が少し動いた瞬間。
 ぁん、と。
 嬌声とともに、なつきの体が大きくぴくんと反応した。その反応は肩に置いた腕を通して、誠の体にまで伝わってくる。
 あんまり見てはいけない。そう思って目を逸らすものの、聴覚と触覚までは断つことができない。最初は体の震えのたびに止まっていた動きは、やがてリズミカルなものに変わり、声とともに徐々にそのテンポを上げていく。
「うそ」
「どうしよう」
 嬌声に混じってそんな台詞がなつきの口から飛び出す。……機能にしても別にしっかり観察していた訳でも何でもないが、それでも、前よりずっと激しい動きであることははっきりと分かる。
「止まらないよ」
「あついよぉ」
 刻むリズムはどんどん激しく、速く。
 誠が少し目線を戻すと、いつの間にかコートは両側ともはだけ、右手と左手は忙しく入れ替わりながら胸と股下を交互に行き来している。肉まんと比喩するには大きさも少し足りないだろうし何より柔らかすぎるであろう胸が、けいれんするたびに揺れる。誠には他の誰かと比較できる知識も経験もないが――おそらくは、平均よりはやや大きな胸。
 その時、なつきが喘ぎに混じって呟いた。
「たすけて……」
 その言葉が誠の耳に入ったとき。誠は思わずなつきを抱きしめていた。
 そしてその瞬間……なつきの腰の少し下を、固いものが突いた。
「あ……」
 その時、なつきと誠が声を上げて、なつきが少し飛び退いた。
「ご、ごめん」
 誠はとっさに謝っていた。
 ……思春期のバカヤロー。そう心の中で呟く。さっきからの痴態を見て、誠の下半身はパンパンに張りつめていた。「からだはしょーじきだな」とちょっと自嘲。
 なつきはどうしようという表情で、誠の顔と下半身のテントとを交互に見ていた。……ひっこめひっこめと誠が念じてみても、かえって意識するばかり。しかも目の前のなつきは既に完全に前をはだけていると来ている。却ってますます下半身にばかり血が行く。
「……ごめん」
 不意になつきが言った。
「ごめん、ほんとにごめん」
 何故なつきが謝る必要があるのかと誠が言いかけたとき、次になつきが小声で言ったのは予想もしない台詞だった。
「……誠くんが、欲しい」
 一瞬誠には、何を言われたのか分からなかった。数瞬遅れて「え」と一文字呟いて、そのまま絶句する。
 なつきは一歩近寄ると、誠にしがみついた。
「えっちな女の子と思われてもいいよ……お願い……おさまらないよ……」
 切なそうな、辛そうな言葉。
 誠はただ、なつきを抱きしめるしかなかった。そしてそれは、なつきの願いに対する無言の承諾でもあった。
 なつきの頬に誠の唇が寄る。
「ううん」
 なつきは小声で拒否すると、顔の向きを変えて、唇同士を、一度、弱く、ちょんと合わせた。
「こんなことしてて今更だけど、初めて、なんだよ……キスも、その先も」
「……俺も」
 ちょっと驚きながら誠が答える。正直言えば、既にいろいろと経験済みだと思っていた。
「……本当に、俺でいいの?」
 言ってしまってから、馬鹿なことを言ったなと思う。
 なつきは無言で、もう一度唇を合わせてから、
「うん」
と、ふさがったままの唇で言った。

    6

 誠はベルトを外した後、一瞬躊躇してからトランクスも一緒にして足元まで一気に押し下げた。……なんとなく、なつきが裸同然なのに自分がチャックを下げただけというのは落ち着かない気がしたのだ。
 押さえつけられていた部分が解放されて、勢いよく飛び出して反り返る。
「わ」
 なつきが声を漏らした。しかしその眼は釘付けになり、その手は既に我慢出来ないかのように秘部をまさぐっている。
 足元に絡まる服から足を引き抜く。泥の上にくしゃくしゃになった服を放置するのも気になるので、軽くたたんで乾いた土の上に置く。そうしていると、膨らみきった硬直が重みを持って揺れる。……正直、誠は微妙に爽快感を感じていた。先端に直に触れる外気が心地よい。
 なつきは視線を逸らそうとしながら、ちらちらと頻繁に誠のそこに目をやっている。
 ……見られてる。
 そう思うと多少の恥ずかしさも感じたが、なつきになら構わないと誠は思った。……既になつきの痴態を見ていて、現に今も忙しく股間と胸をいじっている、という一種の気安さも確かにあったと思う。しかし、別にそれがなくても……なつきになら見せても構わない気がしていた。
 そしてなつきの行為の激しさに、自分の役目を思う。彼女を楽にすること。その方法。
 寒川さん、と言おうとして言い直す。
「……なつきさん」
 なつきが顔を上げる。
「えっと……しよっか」
 口ごもった挙げ句に出て来たのは、どうしようもなく間抜けな台詞。
 そんな不器用な台詞に、なつきは同じように不器用に頷くと、体を寄せてきた。柔らかな乳房がシャツ一枚を挟んで柔らかく触れて、誠の心臓の鼓動はまた一つ高鳴る。
 うん、と頷くなつき。しかしそのすぐ後には、困ったように呟く。
「でも、どうしよう……」
「うーんと、要するに挿れるんだよな……」
 誠にしても初めてだから、どうすれば良いのかよく分からない。取り敢えずどこかで聞いた聞きかじりを頭の中でフル回転させる。
「後ろからの方が最初は楽だって話もあるけど……」
 気が進まなさそうに語尾が小さくなる。
「……誠くんの顔、見たいかな……」
 ぼそり、ぼそり、と2人の会話は進む。気恥ずかしくて小声になり、奇妙なくらいに真剣に。
「だとすると……俺が下になって乗ってもらうのがいいのかな……いわゆる騎乗位ってやつ? 多分なつきさんが動いた方がいいと思うし」
「うん……」
 なつきは少し切なそうに頷いて、我慢しきれなかったかのように更に腰を擦り寄せた。陰毛のさらさらとした感触が、誠の肌に伝わる。
 ふと我に返って、誠はなつきに確かめる。
「……避妊、しなくちゃいけないよね」
「ううん」
 なつきは首を横に振った。
「だいじょうぶ。……妊娠はしないよ、そうなってるんだ」
 意味が分からずきょとんとする誠。
「魔法の代償、だよ。力が使える間、子供を作れる能力はないんだ。幸か不幸か、ね」
「……なんか、都合がいいね」
「多分、そういう力がそのまま魔法になってるんだと思う。……想像だけどね」
「そっか」
 誠はそっと、もはや方のところに引っ掛かるだけになっていたなつきのコートを脱がせる。大人しくそれに協力したなつきが、誠の顔をじっと見る。誠は自分のどろどろのシャツも脱ぎ捨てた。
 そして、木の根元に腰を下ろすと、足を開く。
 その間からほとんど垂直に、びんびんに張りつめたものが直立する。
 誠は一つため息をついて、頭上に茂る枝葉を見上げた。
 誰かに見られないかな、と級に不安に苛まれる。……いや、不安の元はむしろそれではない。これから行うことに対する緊張。自分が“男”であることを痛感する自覚。なつきの何かを奪ってしまう自責。……そして、こういう立場で初めてを迎える少しの哀しみ、それに至る自分の不甲斐なさ。
「いい?」
 誠はもう一度なつきに訊いた。
「うん……我慢出来ない」
 なつきが呟く。
「でも、どうすればいいのかな」
 そして、熱を持って脈動する怒張を見ながら、さっきと同じ言葉を漏らす。
「多分……その、自分で穴の入り口と先を合わせながら、腰を下ろせばいいんじゃないかな」
「うん……やってみる」
 そう言ってから、覚悟を決めるようにもう一度頷いて、誠の上に四つんばいで覆い被さる。
 ゆっくり腰を下ろす。
「いた」「きゃ」
 どこか変なところを突いて、2人が同時に声を上げる。
「もう一度いこ」
 誠が言う。苦笑しようとしたけど、緊張で声は固くなって少し上擦っていた。
「いた」「きゃ」
「ごめんね……」
 申し訳なさそうになつきが言った。
「気にしない……ほら、俺もなつきさんもお互い初めてなんだし、最初はなかなか上手くいかないっていうし」
 そう言ってから、誠は少しひきつりながらも片目をつぶってみせた。
「誠くん、ウインクはちょっと変」
 なつきが小声で言う。
「ま、誰も文句なんか言わないし、むしろ誰かにばれたくない秘め事だし。……気楽にいこうよ」
「……うん」
 なつきは一瞬だけ微笑んだ。
 そしてもう一度、馬鹿みたいに真面目な顔をして、腰を少しずつ沈めていく。
「ん」「あ」
 さっきまでと違う理由で、2人が同時に声を上げた。
 誠の先端が、暖かい肉襞で包まれる。……先ほどまでの行為で十二分に潤っていた密壺は、滑らかに誠を受け入れる。
「いっ」
 少しなつきが顔をしかめる。
「大丈夫?」
 誠が聞き返すと、なつきはこくりと首を縦に動かした。
「ちょっと痛いけど……平気」
 その後伏し目がちになって、付け加える。
「それに、何だか……気持ちいいよ」
「……俺も」
 誠の言ったその言葉には応えず、なつきは腰を一気に下ろした。
 狭い道を押し広げるように、一気に誠の分身が押し入る。一瞬、何かを突き破るような感触があった。
「うわぁぁ」
 嬌声と言うよりは伝わる感触に対する驚愕で、なつきが悲鳴を上げる。唇を噛みしめて、少し体を震わせて、じっと耐える。
「入っちゃった、ね」
「うん」
 苦しそうな声で確かめるなつきに、誠は頷いた。何気なく手を伸ばすと、なつきはその手を両手で握り締めた。痛いくらいに。
 そして自分の分身を奥まで包み込み締め付ける、なつきの陰部。
「だ、だいじょうぶ?」
 誠が訊いてみる。……何度俺は「だいじょうぶ」と言ってるんだろう。
「うん……ちょっと痛かったけど、正直思っていたよりは楽だったかな」
 はにかんだ表情を浮かべて、なつきは唇の端を少し上げた。
「それに、……なんて言ったらいいんだろ、さっきも言ったけど……すごく気持ちいいよ」
 そう言って、我慢に耐えかねたように腰を何度か動かす。
「俺も……たまんないよ。なつきさんの中、気持ちいいよ……」
 ものすごく恥ずかしい台詞でも。
 なつきの前でなら言ってしまえる。
 ……あとは、多分言葉はいらなかった。
 誠がなつきの背中に手を回すと、なつきも同様に抱きついてくる。なつきはその体位のままで、深く、激しく、腰を動かす。その度に嬌声がなつきの口から飛び出す。そして誠もまた、思わず叫び声――いや、喘ぎ声を漏らしていた。
 正直さっきまでの誠は、なつきの乱れっぷりを、大変だなぁとか苦しそうだとか、どこか他人事のような目で見ていた。誠だって自分でいじったことはあるし、その気持ちよさも分からなくはない。しかし、逆に言えばその程度だった。
 ……でも、今は違う。
 性器が気持ちいいんじゃない。そんな表面的な場所じゃない。……脳みそが、頭の奥それ自体が、しびれそうな快感を感じていた。湧き上がる衝動的な感覚に、やっとなつきの気持ちの一端を理解する。こんな激流に、なつきはいつも苛まれていたのかと。
 そして今、それを解決する方法は、ただ本能のままに従うだけ。
 ぎこちなく動かし始めた誠のリズムは、最初は不協和音を刻んでいたものの、やがてなつきのリズムと調和していく。より強く突き上げるように。より速く、デッドヒートを繰り広げるように。
「だめ、だめー」
 叫びつつも体は本能のままに熱くなり動き続けるなつき。
「うわぁ、ひぇっ」
 遊園地のジェットコースターに乗ったかのように叫び続ける誠。
 生まれて初めての刺激に、誠の頭の中がみるみる白くなっていく。
「やばい、出るっ」
 思わず叫んで身を離そうとした誠を、なつきは更に強く抱きしめる。
「私も……もうすぐだから……一緒に、いこ?」
 荒い息づかいが、誠の頬に吹きかけられる。
 誠は一つ息を大きく吸うと、返事の代わりになつきの胎内に強く打ち込んだ。
 嬉しそうになつきが笑みを浮かべて。
 互いの温もりを強く感じて。
 最後の階段を、初めての2人は駆け上がった。

    7

 木の幹にもたれて、誠は息を大きく吐き出した。
 まだつながったままのなつきは、放心状態でぼんやりとしている。一方誠の方はと言えば、馬鹿みたいにすぐに冷静な思考に戻っていた。
 ――やっちまった。
 一言で言えばそういうことになる。後悔。罪悪感。あるいは喪失感。――行為自体が不快だったわけではない。むしろその点を取れば最高だったとはっきり言える。ごく普通の健全な思春期の男子である誠としては、元々エロ本だってこっそり見てたし、Hにだって興味津々だった。
 それでも、今の誠には、童貞を捨てた感慨とか性の悦びとかはほとんどなかった。快感を感じれば感じるほど、つながった性器の向こうから伝わってくるのは、その快感に自らを振り回されるなつきの哀しみだった。
「誠くん……」
 その時、ようやく我に返ったなつきが、まだ少しぼんやりとした口調で言った。
「ありがとう」
 そしてその口から零れ出るのは感謝の言葉。
 だから誠は何を答えていいか分からず、うん、と口ごもるばかり。
「落ち着いた?」
 誠が訊くと、なつきはこくりと頷く。
「もう大丈夫みたい」
 そう言いながら腰を上げる。柔らかくなっていた誠の分身が簡単に抜け落ち、そしてそこからどろっとした液体がしたたり落ちる。白と赤とその他の何かの混ざったなんとも言えない液体。
 ――無我夢中で意識していなかったけど、はじめてだったんだな、と今更のように誠はぼんやりと思った。それはもしかすると昂奮すべき事柄なのかもしれなかったけど、誠の中では、ただ事実として胸の内を流れていくだけ。
 なつきは脱がされたコートを拾うと、そのポケットからティッシュを取り出して、自分の股間を拭った。液体の質が普段と違うのを気にも掛けないかのように。それから、誠の方も拭こうとする。
「じ、自分でやる」
 気恥ずかしくなってちり紙を――サラ金がその辺で配ってるものだった――奪い取ると、自分で先端をきれいにする。
 なつきは誠の横で、同じように木にもたれた。裸の肩同士が触れ合う。
「つかれたね」
 なつきの声はまだ少し上擦っているものの、かなり落ち着きを取り戻していた。
「疲れた……っていうのかなぁ」
 どう言っていいか分からず、誠は苦笑した。
「俺はいいけど、なつきさん大丈夫?」
 『大丈夫』ってまた言ってるよ、と誠は内心で呟く。
「大丈夫だけど……ほんとに、色々と迷惑掛けちゃったね」
 触れた肩が僅かに震えた。
「……こんなことまでさせちゃって。これ以上誠くんに迷惑かけられないよね」
 誠は視線が合わないように目をそらした。相変わらず、少し弱っているらしい街灯が点滅している。
「むしろ、僕で良かったの?」
 初めてだよね、という後半の言葉は飲み込む。ちかちかとする蛍光灯。
「私は良いとか悪いとか言える立場じゃないよ……」
 横目でなつきの方を見る。泣いたり落ち込んだりしている表情ではなかった。ただ、ひどく寂しげな表情。
「僕で良ければ手伝わせてくれないかな」
 なつきは驚いたように、じっと誠の目を見た。
「足手まといになるんじゃなければ」
 ううん、と首を振るなつき。
「ほんとにいいの?」
「うちは親も夜は留守だから来れるし。……それに、何より」
 寄り添い触れ合った手のひらを握りしめる。
「……ここまで付き合って、今更放っておくと言えるかよ」
 無言のなつき。
 返事の代わりに、なつきは黙って手を握り返してきた。
「……よろしくお願いします」
 丁寧な言葉遣いで、軽く頭を下げるなつき。
 誠は目を逸らして、街灯の灯りに視線を向けて。
 でも、手は握ったままで。
「こちらこそ、よろしく」
 と、言った。

    8

 カーブに合わせて、吊革が一斉に揺れる。
 誠となつきは、ロングシートに並んで座っていた。家路に向かう客の多い電車は、僅かに立ち客も混ざっている。
 泥で汚れた服が自分では少し気になっていたものの、わざわざ他人の服装にまで気を払わないのか、気がついていても無関心なのか、誠の服装に注意を払う乗客はいない。

 ……何となく、不思議だった。
 あの後誠たちは、すぐに服を着直して、何事もなかったかのように駅に向かって、そして普通にレールの刻みに揺られている。
 でも、ほんの数十分前までは、2人とも裸で絡み合っていた。
 その非日常と日常の繋がりが、――あの“刀”のような非現実より、生々しいだけにむしろ余計に――誠にとっては奇妙だった。
 セックスという行為は、健全な年頃の男子としては妄想を繰り返す存在であり――同時に、現実からはほど遠い存在のはずで。
 しかも、その相手は――。
 誠は、隣を見た。
 なつきはうつむいたまま目を閉じて、微かに規則正しく肩を揺らしている。その表情は敵と戦うヒロインでもなければ、性欲に乱れに乱れる女でもなく……おそらくは中学3年生としてもどちらかと言えば幼さが残る、おとなしい同級生の顔だった。
 約束を、してしまった。
 非現実も非日常も、誠にとってのこれから過ごす「今」になっていく。
 放っておけないからと勢いで言ってしまった言葉に、後悔が残らない訳ではない。……今でも、関わらなければ、ここで距離をおいていれば、という気持ちは去来する。
 でも、こうしてなつきの横顔を見ていると、胸の何処かで何かが優しくうごめく。
 ……後悔はしても、多分、間違いではないから。

 車内放送が、2人の降りる駅の名前を告げる。
 誠はそっと、なつきの肩を揺すった。


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