恋の味

+++ 2 +++


行儀よく、数本ずつ麺をすするアキラを見ていると、段々芦原はこの世のものではない生き物を見ている気分になってきた。
「へえ…けっこうおいしいね、これ」
意外と口にあったらしい。自分を凝視する芦原に向かってアキラはのほほんと言い放つ。自分がラーメンを食べるということを変だと言った芦原が、自分を心配してくれているのだと信じて疑っていない表情で。
…確かに、心配しているのだが、次元の違う心配である。
「そうか、こっちの味噌も食べてみろよ。うまいから」
とはいえ。そんな優しいことなど言って笑顔で自分の鉢をアキラの前に置いてやったりする辺り、やはり芦原は大人であった。
そうしている間に、今は手合い中であるという事実がきちんと脳味噌に舞い戻ってくるから、大人は厄介なのだ。
今、アキラの勘違いを訂正したとして…動揺のあまり負けたりしたら…俺のせいかな? せっかくまた連勝記録伸ばしてるし…。
そんなことを考え出したらもう、にっちもさっちもいかなくなってしまった。
「おいあんた」
店のオヤジがいきなり声を掛けてくる。
「は?!はい?」
鳩が豆鉄砲そのものズバリな芦原の上擦った声に、アキラが隣でくすくす笑う。
「あんた、この坊やにラーメンの味教えにきたんだろ?だったらあんたもさっさと食って、麺は伸びたら不味いってことも教えてやんな」
最もなご意見である。
「はあ…すみません…」
人の好さ満開のテレ笑いをして、芦原は後頭部をちょっと掻いた。
パキッと小気味いい音を立てて、割り箸を割る。アキラに見せてやらないといけないという、オヤジの意見を尊重してズルズルっと勢いよく食べ始めた。
「…ラーメンってそうやって食べるものなんだね」
そのうちお前、メモでも取り始めるんじゃないだろうな?
芦原は真剣な眼差しで自分を見つめるアキラの、無垢を通り越して迫力ある表情に冷や汗をかいた。
何から何まで真面目なのだ、アキラは。
ヒカルが先日川原で笑ったまでもなく、アキラと関わる多くの人間はアキラの真面目さ加減を、いささかの微笑みを持って見つめている。
その一本気過ぎるところから生まれる、一種の隙のようなものは、アキラを見る視線を優しくさせる力すらあった。
…ま、対局中だし、今ムリに訂正しなくてもいいか。
芦原は深く悩まない天然の美点を生かして、その場を「ま、いいか」で切り抜けることに成功したのだった。





しかし、芦原の受難はそれくらいでは終わらない。
アキラは真面目なのである。とにもかくにも真面目。
昼に余計なことで心身ともに消耗した芦原は午後からの対局では、なかなか思うような碁が打てず、どうにか辛勝した。
「…ありがとうございました」
長かった対局から解放され、ほっとした瞬間。
「芦原さん、終わった?」
ひょいと隣にやってきたのは、とっくに中押し勝ちしたはずの塔矢アキラ。
「アキラ、もう帰ったんじゃなかったのか?」
驚く芦原に、アキラはもっと驚く一言を放つ。
「うん、芦原さんにマクドナルドに連れて行ってもらいたくってさ」
にっこり。唇の両端をくいっと上げて、綺麗な曲線を作って笑う。アキラの楽しいときや何かをお願いするときの笑顔だ。
「まくどなるどぉぉぉ?」
芦原は目を剥いた。ラーメンの次はマクドナルド、これでもかといったジャンクフード大行進である。しかし、昼食前の盤面を見た感じから察するに、終局後どれだけ待ったか分からないアキラを無下に断ることもできず、芦原は疲れを感じながらもマクドナルド行きを承諾した。
「良かった、緒方さんやお父さんにマクドナルドっていうのもあれでしょ?」
無邪気にころころ笑うアキラ。
…それって何気に失礼じゃないか?…と、思いながらも、緒方や塔矢元名人に、それを頼みにくいアキラの心情も十二分に分かる芦原は、一緒に笑ってやれるほどには、アキラのことを可愛がっていた。歳が近い友達と呼べるような相手が自分しかいないことも、よく分かってやっていた。



「先に注文するんだね、へえ」
カウンターで手早く注文する芦原に、ほとんど尊敬の眼差しを注ぎながらアキラはトレイを受け取った。揚げ物の匂い漂う店内に、入った一瞬戸惑った様子だったが、あとは明るい雰囲気や同世代の子供の多さに安心したようだった。
「あそこ、あいてるな」
二階に上がってきて、芦原が指差す。
「どこに座ってもいいの?」
「ああ、あいてるところを早いもの勝ち」
「ふーん…」
アキラは感心したように呟いた。
「お前、ほんとにこういうとこ縁がなさそうだもんな…」
この歳でマクドナルドが珍しいという状況には、芦原も少し同情を感じずにいられない。
「うん、縁がなかったね、今までの生活だと」
芦原のマネをしてハンバーガーの包み紙をどうにか開きながら、アキラは瞳を輝かせた。初めてのことは、だれだって楽しい。ましてや、これさえマスターすれば、いつヒカルに誘われても臆することなくついて行けるなどと思っているアキラにとっては、言わずもがな。
今まで…という台詞と、アキラの浮かれたような表情が、芦原に昼のラーメン屋での一件を思い出させてしまった。
「…アキラ…」
意を決して、芦原は口を開くことにした。


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