わたしとヒカリが、びくっとして振り返ると、ちょっと拗ねたような感じで苦笑いを浮かべている相田が立っていた。
「もう、やめてくれよ。トウジもさあ、いない処で暴露するなよな」
「ははは、すまん、すまん。何や霧島の奴が、ケンスケのこと、知りたがるさかい・・・・・・」
「ちょ、ちょっと!! 鈴原! 変なこと言わないでよお! そんなことないもん」
なんでか身体の血が逆流したような感じがして、わたしはアセって否定した。
「わははは、冗談やって・・・・・・何、ムキになってねん」
へ・・・・・・? あ、あはは♪ 何でだろ?
「はははは・・・・・・そ、そうだよねえ」
わたしは後頭部を、ポリポリ掻きながら、乾いた声で笑うしかなかった。
「ねえ、相田君も来たし、そろそろ帰りましょうよ・・・・・・ねえ、アスカの方は?」
ヒカリが委員長らしく、取りまとめてくれる。アスカ達の方も話は、だいたい終わったようだ。相田も自分の席からバッグを持ってきて背中に背負う。ぱっと、勢いをつけて鈴原が立ち上がる。
「よっしゃ、ほな帰るで」
みんなで、ぞろぞろ歩きながら帰った。他愛もないおしゃべりをしながら。わたしもシンジ君も、やっぱり気を使わない訳にもいかず、その辺で、ちょっとぎこちない処もあったんだけど、それ以外は、いつもの下校風景だった。
いつものようにアスカに、からかわれながらヒカリと鈴原が、スーパーに行くとかで別れていった。ヒカリに言わせると「鈴原は荷物持ち」ってことなんだけど、どう見ても・・・・・・ねえ・・・・・・?
そんなんで、わたしとアスカと相田とシンジ君の4人連れで道を歩いている。何か相田とシンジ君は話が盛り上がっていて後ろからアスカとわたしが並んでついていくって言う、珍しい位置関係だった。
「ねえ・・・・・・マナ、どお?」
「ん・・・・・・まあ、それほど・・・・・・やっぱ、ぎこちない・・・かな?」
「ちょっと、だけ・・・・・・。もうっ、バカシンジが、もっとスマートにできればいいんだけどねえ・・・・・・」
「あはは♪ カヲル君じゃないんだもん、そりゃあ、ムリだと思うけどぉ」
「ふん、カヲルはカヲルで過剰演出。宝塚じゃないんだから」
「ぷっ・・・・・・アスカにかかると、カヲル君も形無しよねえ」
・・・・・・と、右に曲がるとわたしの家、真っ直ぐがアスカ達という十字路に差し掛かった。
「あ、わたし、ここでこっち行くから」
「あれっ、マナん家ってそっち?」
「えへへ・・・・・・うん、こっちの方が・・・・・・ホントは近いんだ」
わたしがアスカ達と一緒に帰れるようになったのは剣道部の練習が少なくなってきた最近のことだ。・・・・・・ちょっとでも・・・・・・シンジ君の傍にいたかった・・・・・・だから、遠回りをして一緒に帰ってた・・・・・・。わたしの言葉にアスカもピンときたようでそれ以上は何も言わなかった。
「じゃあ、またね♪」
「ええ、またね」
「あ・・・・・・またね」
最後にシンジ君が躊躇いがちに挨拶してくれた。わたしはにっこり笑うとみんなとは違う道を走りはじめた。振り返ってみたら、見送ってくれてたりすると、何か気恥ずかしいじゃない・・・・・・だから次の角までダッシュ。
ふう、ふう・・・・・・ちょっとナマり始めてるのかなあ・・・・・・。角を曲がると脇の塀に寄りかかると、何とか呼吸を整えようとした。
あーあ・・・・・・。何だろ・・・・・・ちょっと寂しいな・・・・・・。わたしは、訳もなくブルーな気分に沈みそうになっていた──
・・・・・・と、その時。
「おぉい・・・・・・い、いきなり、走り出すなよぅ・・・・・・しかし、ホントにお前・・・・・・足、はやい・・・・・・なあっ」
「うああっ!! あっ、相田ぁ!? ・・・・・・ど、どしたの?」
角から急に、相田の奴が飛び出してきたんで、思わずヘンな叫び声をあげてちゃったじゃないかっ・・・・・・。
「俺も、こっちなんだよ、帰り道は」
「へええ・・・・・・そおなんだ♪」
一息つくと、どちらともなく並んで歩き出す。・・・・・・あれっ、なんで、頬が緩んでるんだろ?
「霧島ん家って、どの辺なの?」
「あれ、リツコさん家って、行ったことないの?」
「・・・・・・ないっ。一度も、ないっ」
両手を、ぐぐっと握りしめると天を仰ぎながら万感の無念を込めて相田は言った。
「あはは♪ そりゃそうか、用もないのにリツコさんが呼ぶわけないもんねえ」
「・・・・・・それって、結構キズつくぞ。で、どの辺なの?」
しょげていたかと思うと、ころっと明るい顔になって聞いてくる・・・・・・ったく、もお。わたしは下から見上げるように、相田の顔を覗き込みながら言った。
「ごめん、ごめん。教えても、いーんだけど、覗き撮りとかしない?」
「するかあっ・・・・・・って、説得力ない?」
今度は、まるで気にした様子もなく、ケラケラと笑いながら聞き返してくる。わたしも、弾んだ調子で切り返す。
「ふふふ・・・・・・どうだろうねえ?」
「おぉ〜い・・・・・・俺は哀しいよ、霧島ぁ・・・・・・俺達、友達だろお?」
わたしの手を握ると、うるるっ、とした目でプルプルしてる。わたしは、相田に手を握られた瞬間、身体が、びくっ・・・・・・ってなって、一瞬、虚ろな表情になっていた。はっ、と我に返る。・・・・・・今の・・・・・・何だろう・・・・・・。
わたしは、なるべく普通に笑って言った。
「・・・・・・もお、そんなに、しょっちゅう手握るんだったら、友達やめるよ」
「ははは、悪い、悪い。趣味なんだ」
・・・・・・趣味って・・・・・・。そう言うと相田は手を離した。気付いているのか、いないのか、おちゃらけた表情からは全く読みとれない。何か、ズルイよねえ。
「そういや、相田って最近はカヲル君と仲いいの?」
「・・・・・・へ? 何だ、いきなり。 渚ねえ・・・・・・うーん・・・・・・仲いいって言うか・・・・・・将棋友達かな」
・・・・・・・・・・・・将棋・・・・・・。かなり怪訝そうな顔をしていたと思う。相田とカヲル君が将棋盤を挟んでる図は、今イチ、ぴんとこない。
「ん・・・・・・。最近、凝り始めたみたいだよ、渚のやつ。ネルフの副司令に教わったとか」
「へえ、相田と、どっちが強いの?」
「うーん、結構、いい勝負かな。あいつ、えらく飲み込みが早いし」
副司令って、確か冬月さんって言ったっけ・・・・・・1回か2回、会ったことあるけど、あの冬月さんとカヲル君が将棋してるのも、やっぱり想像つかないなあ。
ん・・・・・・よく、考えてみると「あのカヲル君」──かなり頭脳明晰な上に、あの全く何を考えてるか分からないアルカイック・スマイルだ。──と、互角にやり合うってのは大変なことじゃないの?
・・・・・・と、別の事に、ハタと気が付いた。
「ああっ!最近、二人して授業サボってるのって、どっかで将棋打ってたのぉ?」
「うん、時々ね。あいつが、やろうやろうってうるさいんだよ」
クラスの全員が、別行動だと信じて疑ってないと思う。わたしだって、カヲル君に屋上で「二人で話をしていた」って聞いてなかったら全然、想像もつかなかっただろう。相田の事といい、カヲル君の事といい、わたしには知らない面が一杯あるんだなぁ・・・・・・。
「へええ。今度さ、やってるの見ててもいい?」
「見てて面白いかどうかわかんないけど。どうせ、そのうち渚がやろうって俺らの席にくるから」
「なんか、楽しみだなあ」
・・・・・・とか、話しているうちにウチのマンションの前まで来てしまった。あ・・・・・・なんか、声が沈んじゃう・・・・・・。
「・・・・・・あ、わたしん家・・・・・・ここ・・・なんだ・・・・・・」
「へえ、やっぱ技術部長ともなると、いいとこ住んでるなあ。同じネルフの職員でもウチの親父とは大違いだ」
ちょっと、帰りたく・・・・・・ないな・・・・・・。リツコさん、帰ってきてる訳ないし。独りでいるの・・・・・・やだ・・・・・・。と、相田がおずおずと口を開いた。
「あ、そうだ。霧島・・・・・・時間ある? あ、あのさ・・・・・・買い物、付き合って・・・・・・くんないかな?」
あ、沈みこんでたの・・・・・・顔にでちゃった・・・・・・かな。でも、何か嬉しいな・・・・・・。
「う、うん・・・・・・いいケド・・・・・・わたし、カメラとかモデルガンとか詳しくないよ?」
「あのねえ、そう言うんじゃないって。全く・・・・・・どう見てるんだ? 俺の事・・・・・・」
「あはは♪ そういう風に見てるんだよぉ」
「ちぇ・・・・・・しょうがないか・・・・・・。買い物のことは、歩きながら話すよ。荷物とか、どうする?」
わたしが相田の顔を覗き込むように笑うと、相田は諦めたように肩を竦めた。今日は部活の荷物もないし・・・・・・カバン1つだからこのままでいいかなあ・・・・・・。
「ん・・・・・・重くないし面倒だから、このまんまでいいよ」
「んじゃ、行きますか。悪いね、コーヒーぐらい奢るからさ」
「ケーキくらい欲しいなあ♪」
「ははは、しっかりしてるよ」
わたし達は笑いながら駅前に向かって歩きだした。で、道すがら相田の話を聞いた。
どうやら、隣の家の娘さんが結婚するらしい。相田も良く世話になっていて、ご飯とか呼ばれたり、家の掃除をしてもらったりしてたんだって。それで、今日の朝、相田が起きてみると、テーブルの上にお父さんの書き置きがあって「内々の結婚祝いを何か買って連名で渡しておくように」と書いてあり、脇にあった封筒にお金が入っていたと──。
「ネルフに電話したんだけど、親父の奴──若い娘さんの喜ぶようなプレゼントはわからん──とか言ってんだ。俺だってわかる訳ないじゃん。それでね、ちょっと見てもらおうかと思ってさ」
「ははは、なる程ねえ。・・・・・・でも、わたしなんか選んじゃっていいの? ヒカリとかの方が気が利いてるんじゃないかなあ」
「いいんじゃない。・・・・・・なんとなく好みとか霧島に似てるんだよ、あの人。だから、霧島が貰って嬉しいと思うものでいいよ」
「ふーん、そおなんだ。じゃあ、僭越ながら選ばせて頂きますわ♪」
「どうか、よろしくお願い致します」
わたしが気取って言うと、相田もかしこまって、ペコリと頭を下げた。どちらともなく笑った。ふふふ・・・・・・なんか楽しいな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
駅前のデパートに来ている。わたしは迷っていた。いや、別に良さ気なものが沢山あって選べないというわけじゃないんだ。選んだものは1つで「それ」をわたしは手にしていた。だけど・・・・・・・・・・・・。ううっ、相田も怪訝そうな目でみている。
「霧島・・・・・・本当に、これ? ・・・・・・ちょっとマズくないか?」
「うーん。やっぱり、これはダメだよねえ・・・・・・」
手の中の「それ」を元の場所に戻す。「それ」は、にゃあ、と鳴くとケージの中で丸まった。・・・・・・わたし達はペットコーナーの一角にいた。
結局、くだらないバカ話をしながら一通り見て回った後、雑貨コーナーにあった素焼きの小さいアロマポットのセットにした。
会計を済ませて、ラッピングしたものを受け取る。
「よし、と。じゃあ、ケーキセットでも奢るよ。ちょっと予算は残ってるし。どこが、いい?」
「わぁい♪ やった。それじゃ、ここの地下の『シンシア』の限定セット!」
「了解しました。あっちのエレベーターで降りよう」
へへへ、一度食べてみたかったんだよねえ。上のレストラン街でもいいんだけど、テレビとかでも紹介されていたし。
ちょっと待つとエレベーターに乗る。相田がやれやれと言った様子で感想をもらした。
「ふう、助かったよ。やっぱり、女の子じゃないと、こういうの選べないもんなあ」
「へー、わたしのこと、女の子としてみてくれてるんだぁ」
「な、なんだよ。いちおう、女の子扱いしてるつもりだぞ」
「むう、『いちおう』って何よお」
ちーん。
途中の階で人が沢山乗ってくる。催事場で何かのバーゲンをやってるらしい。わっ、押さないでよ。思わず、わたしは相田の胸の中に押し込まれてしまう。・・・・・・わ、やだ・・・・・・これじゃ・・・・・・。
人の流れに、わたし達は角まで押し込められていた。だって、急に押されたから・・・・・・カバンを前に抱える事もできなくって、相田と真正面から密着しちゃっている。見上げると相田の顔が目と鼻の先にあるよ・・・・・・。
「混んできたなあ。夕方だからかなぁ・・・・・・苦しくない?」
「う、うん・・・・・・大丈夫・・・・・・」
・・・・・・あ・・・・・・相田の匂いがする・・・・・・。わたしは驚いて真っ赤になると俯いた。男の人の臭いを知らない訳じゃないよ・・・・・・ほら、男子剣道部の部室とか、戦自の男子宿舎とか・・・・・・あまり、好きにはなれないけど。そういう臭いに驚いた訳じゃなくって・・・・・・。
相田の匂いが、そういうのと全然違って・・・・・・えっと、その・・・・・・ほっとするような・・・・・・嬉しいような・・・・・・。だから、驚いた。自分の中にわき上がった・・・・・・よくわかんない感覚に──。
あぁ、そんな背中を押さないでってばあ・・・・・・・・・もおっ、は、恥ずかしいよおっ・・・・・・だって、相田に胸・・・・・・押しつけちゃってるんだよ・・・・・・。相田の不思議な匂いに包まれて、わたしは、ぼうっとして・・・・・・・・・・・・
「────っ!」
わたしは声にならない声をかみ殺した。・・・・・・うそ・・・・・・やだ・・・・・・・・・胸・・・・・・張ってきちゃった・・・・・・? ぶるっ、と身体が震える。なんか熱いよ・・・・・・わたし・・・・・・どうしちゃったんだろ・・・・・・。
「・・・・・・どうした?」
不審に思った相田が声をかけてくる。わたしの頭の中に、そのやさしい声が響くと身体の中が、じわあっ、て熱くなる。顔、真っ赤なのに・・・・・・・・・思わず見上げちゃった。優しそうな瞳が心配そうに曇ってる・・・・・・あ、だめ・・・・・・。
びくんっ・・・・・・!
!!・・・・・・こ、腰の・・・・・・奥の方に・・・・・・何か・・・ずしんっ・・・・・・って・・・・・・きたっ・・・・・・。かあっ、と身体が熱くなる。あああ・・・・・・こ、こんな・・・・・・処でっ・・・・・・なんでっ・・・・・・!? 訳もわからず、声が出そうになるのだけは何とか押さえた。
「おい、きりし──」
「・・・・・・な・・・なんでも、ない・・・よっ・・・・・・」
なんとか、それだけ言うと、わたしは顔を背けた。
エレベーターが一階に付くと、大量の人を吐き出し、わたし達は、気恥ずかしいような照れ臭いような、何とも言えない気分で身体を離した。わたし達以外には殆どいなくなった。
「ふう、びっくりしたな。大丈夫か?霧島」
「う、うん、ちょっと驚いちゃった・・・・・・。後ろのおばちゃん、ぐいぐい押してくるんだもん」
「・・・・・・エスカレーターで降りればよかったな。悪いな、嫌な思いさせちゃって」
「ううん。平気」
と、言った処で地下1階に到着。エレベーターの前で一息つく。わたしは・・・・・・その・・・・・・ちょっと困った事になっていた。
「あのさ・・・・・・ちょっと、お手洗い・・・・・・行ってくるから、先に行っててくんないかな?」
「ああ、いいよ。店の場所、わかる?」
わたしが頷くと相田は人ごみに消えて行く。ふーっ、どうしちゃったんだろう・・・・・・わたし・・・・・・何か、変だ・・・・・・。見回して、トイレを探す。ちょっと、足がふらつく。
誰も・・・・・・いないよね・・・・・・。人の気配を確かめてから、トイレのドアを閉めると、そのままパンティーを膝まで降ろす。もあっ、と足の間から甘酸っぱい臭いが広がり、わたしは思わず顔を顰める。・・・・・・うあ・・・・・・濡れ・・・ちゃって・・・るよ・・・・・・。
そりゃあ、わたしだって・・・・・・ひとりエッチくらいしたことはあるよ。だけど、触ってもいないのに・・・・・・こんな・・・・・・パンティーがぐちゃぐちゃに、なっちゃうなんて初めてだよ・・・・・・。
色々と思い返してみても、自分が何か「その気」になるようなコトは、まるで思い当たらない。確かに相田に抱きついたけれど・・・・・・別に、相田と、どうにかなりたいなんて思った事もないし・・・・・・。
・・・・・・ドクンッ!!・・・・・・
「く・・・・・・あ・・・ぁ・・・・・・」
なんかっ・・・・・・また・・・・・・きたっ・・・・・・! その衝撃にお腹を押さえると思わず前かがみになる。腰の奥の方が熱くうねって、脚がガクガク震える。
「はっ・・・・・・はっ・・・・・・はっ・・・・・・はっ・・・・・・」
わたしの荒い息づかいだけがいやに響く・・・・・・。内腿を熱い滴が、ひとすじ流れ落ちる・・・・・・こ、こんな・・・・・・どうしちゃった・・・の・・・・・・わたし・・・・・・おかしい・・・よ・・・・・・。
「ああっ・・・・・・う・・・ぅ・・・・・・」
身体が暴走している・・・・・・そんな、感じ・・・・・・。わたしの頭の中は桃色のかすみがかかって・・・・・・したくて、したくて堪らない・・・・・・。だ、だけどっ・・・・・・こんな場所で・・・・・・イヤぁ・・・・・・。
膝の処まで伝ってる滴を指で・・・・・・ゆっくり、なぞりあげてゆく・・・・・・。ガッ、ガマン・・・・・・でき・・・・・・な・・・い・・・・・・。
「・・・・・・ふぁ・・・ぁう・・・・・・う」
『──でさぁ、言ってやったのよ。このスケベオヤジって』
『へぇ、あの主任、真面目そうだけどねー。そんなコト言って口説くんだ』
・・・・・・誰か来たっ!!
わたしは、そのままの体勢で硬直した。鏡の処で賑やかな声がする。さながら、猛獣に追われて、茂みに隠れている草食獣のように身を縮めていた。
どうやら、OLさん達だった。帰りがけに、このデパートに寄ったみたい。なんか、職場のグチとか言ってる・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ようやく冷静になってきて、わたしは思った。いくらなんでも・・・・・・デパートのトイレでするコトじゃないよ・・・・・・。
トイレのドアにもたれかかりながら、ぼんやり天井を見ていた。
化粧直しに来たOLさん達はワイワイ言いながら出ていった。声が遠のいていく・・・・・・。
のろのろと身体を起こすと、トイレットペーパーで濡れた下半身を拭いてゆく。時々、ぞくぞくっとしたけど、何とか無視する。ただ、自分がどれだけ乱れてたか、ハッキリ判る分、後味がより悪くなった。この後、どんなカオして相田のとこに行けばいいの・・・・・・。
「・・・・・・はぁ、何だかな」
何度目かのため息と同じセリフ。あーあ、パンティー・・・・・・どうしよう・・・・・・。
ぐちょぐちょになったパンティーを、もう一度履く気には、どうしてもなれなかった。だからっ・・・・・・・・・・・・デパートの下着売場のある3階まで、ノーパンで行ったんだよぅ。もお、最悪っ・・・・・・ワケわかんないよっ・・・・・・ふええ、泣きたくなってきた。
相田を『シンシア』に待たせてるのは気になってたんだけど・・・・・・。3階の女子トイレでパンティーを履いたら、ちょっと気分はマシになった。『シンシア』に行くと、奧のテーブルでニコニコして相田が待っていた。
・・・・・・なんか、相田の顔をみたら、ホッとした。トイレであんなことになっちゃって・・・・・・頭の中は、ぐちゃぐちゃで・・・・・・でも、コイツの顔をみたら、不思議と、気持ちが楽になった・・・・・・。
「ごめ〜んっ! ・・・・・・怒ってる?」
「・・・・・・いや、遅いから、どうしたのかなって、心配になってきたとこ」
なんか、文庫本を読んでいたみたいで、しおりを挟むとカバンにしまった。
「ああ、連れが来たら持ってきてって注文しといたから、すぐ来るよ」
「ありがとお。楽しみだなあ」
わたしは、相田の斜め向かいに座る。限定ケーキセットのコトは・・・・・・ははは、ちょっと、忘れてた。取り敢えず、喉がカラカラ。お冷やに口をつける。
「ふーっ、おいし・・・・・・」
「・・・・・・なんか、買うもんとか、あったの?」
「え? いや、そーゆー訳じゃないんだけど・・・・・・いーじゃん、女の子には色々あるんだってば・・・・・・あは、あは、あは・・・・・・」
「ま、深く追求しないよ。・・・・・・来たみたい、ケーキセット」
相田が誤魔化されてくれたので、ちょっとホッとする。もっとも、追求されたところで、死んでも言えないけど・・・・・・。
ウェイトレスのお姉さんが、例のセットを2つ持ってきてくれた。クッキーが4枚のったお皿を置く。あれ、相田が頼んだのかな・・・・・・。
「あの、俺、クッキー頼んでないですけど・・・・・・」
「サービスですよ。また、二人で来てね」
お姉さんはニッコリ笑うと、ごゆっくりどうぞ、と言ってカウンターの奧に消えていった。・・・・・・あれって、やっぱり・・・・・・
「ははは、何かカン違いしてるよ、あのお姉さん」
相田は呆れ顔で笑うと、何ともない様子でコーヒーを飲む。やっぱり、わたし達がカップルでデートしてるのと勘違いしたんだ!・・・・・・わたしは、真っ赤になると俯いた。
「霧島だって俺とカップルに間違えられたら迷惑だよなあ。って、いうか、どう見たって俺なんかと釣り合わないし間違えようもないと思うんだけど」
「そんなことないよ・・・・・・」
わたしは、反射的、そう答えていた。うわあっ・・・・・・何言ってるんだよう、わたしっ。相田だって、目が点になってる。えとえと・・・・・・んと、あの・・・・・・
「あっ、いや、だからね・・・・・・えっと、今の『そんなことないよ』は・・・・・・『釣り合わない』とか『間違えようもない』って言ったじゃない・・・・・・それ違うかなって・・・・・・」
わたしは狼狽えながら、アワアワと説明した。と、相田が笑い出した。
「くっくっくっ・・・・・・霧島・・・・・・お前、ホントに面白いなあ」
「えー、なによお、それ。・・・・・・相田だって、黙ってれば結構、ふつうだと思うけど・・・・・・」
「・・・・・・それって褒めてる?」
「え、いや、あの・・・・・・ごめん・・・・・・。い、いちおー、褒めた・・・・・・つもりなんだけど・・・・・・。そ、それに・・・・・・わたしだって・・・・・・アスカやレイみたいに見映えがいい訳じゃないし・・・・・・」
ちょっと、自分でも狼狽えてて何言ってんだか・・・・・・。でも・・・・・・自分を卑下するワケじゃないけど・・・・・・自慢できるようなプロポーションじゃないし、背はちっちゃいし、単なるお調子者だもん。よく言ったって「普通」だよ。
「俺のことはともかくとしても・・・・・・。霧島、意外とわかってないな。惣流や綾波は、確かに美人だし・・・・・・こう、何か惹きつけるオーラみたいなのが出てると思うよ」
ぱく。ケーキを頬張りながら、相田は柔らかく微笑むと言った。うん、確かにあの2人には、そんな感じするよ。
「だけど、それって、同時に近寄りがたいもの、でもある訳だ。まあ、朝焼けとか満月とか──遠くにあってこそ、みたいなもんだよ。霧島の良いところって、そういう類のものじゃないけど」
「・・・・・・むー、よくわかんない・・・・・・」
わたしは、相田の言ってることを理解しようと(いつになく)真剣に考えていた所為か、眉間に皺を寄せかなり難しい顔になっていた。
「ははは、そうか。・・・・・・ま、少なくとも、惣流と綾波の次にプロマイドは売れたんだから、少しは自信もってもいいと思うぞ」
「・・・・・・へ? そうなの?」
うそぉ・・・・・・なんか、恥ずかしーっ・・・・・・。わたしなんかの写真・・・・・・買って嬉しいのかなあ・・・・・・。
「ちょっと計算入ってる惣流や全く動じない綾波に比べると、そういう普通のリアクションが良いんじゃない?」
そう言って真っ赤になってるわたしの顔をスプーンで指した。・・・・・・と、他人事のように言ってる相田に気がついた。ちょっと・・・・・・何だか、引っかかる・・・・・・な・・・。
「ふーん。そうかなあ」
「そんなもん、そんなもん。・・・・・・ほら、せっかく冷え冷えのケーキが暖まっちゃうぞ」
相田の一言で、けろっと意識はケーキに飛んでしまった。
「ああっ、わたしとした事が。ケーキセットを失念するなんて・・・・・・一生の不覚」
「・・・・・・そんな、ケーキ1つで大げさな」
「あのね、人間が死ぬまでに食べられる量なんて決まってるんだよ。だったら、ちょっとでも美味しいものを食べたいじゃない」
「なるほどねぇ・・・・・・ははは、確かにそりゃそうだ」
わたしは、ケーキを、ぱくっと食べる。くーっ、これかあ・・・・・・この味かあ。くふふ・・・・・・顔が自然と緩んでしまう。
「んーっ、おいしいっ」
「このオレンジソースが、またいい感じだな」
「そおだねえ。皮も使ってるのかな」
そんなチーズケーキの話をして、大分時間が過ぎた。セットになってたコーヒーは・・・・・・んー、リツコさんのコーヒーに慣れて舌が贅沢になってるのかもしんないけど・・・・・・ケーキに比べると、ちょっと・・・・・・ね。オマケのクッキーとコーヒーもなくなったころ・・・・・・。
「お、結構いい時間になっちゃったな。プレゼント選ぶの・・・・・・助かったよ。ありがとな」
「いえいえ、こちらこそご馳走様でした」
会計を済ませてデパートの、むせかえるような外に出る。見上げると高層ビルに切り取られた隙間は赤く染まっていた。あっという間に肌が汗ばんでくる。わたしは、のびをすると冷房でこわばった身体をほぐす。
「んーっ、まだ暑いねえ」
「ぼちぼち、熱帯夜の時期か」
相田も首を、こきこき回しながら歩き出す。四季が無くなったかわりに、雨季と乾季がある。熱帯夜と共に夕立の季節がやってくる。夕立って言っても、正確にはスコールなんで、かなり強烈なんだけど。
せわしなく流れてゆく人混みの中で、ノンビリと二人で歩いた。夕闇が迫っていた。
家に帰ってきた。相田とは、マンションのロビーの処で、さよならした。
真っ暗な家に入ると、取り敢えずダイニングの電気をつける。やっぱり、ちょっと寂しい・・・・・・な。さっきまで、すっごく楽しかった分、反動が大きいのかも知れないね。なんか、ずっしりと身体が重い感じがする。
ダイニングテーブルにカバンを置くと、冷蔵庫からミネラル・ウォーターのボトルを出してコップに注ぐ。カバンの横にコップを置くとイスに座る。エアコンが動き始めたばかりの部屋は、まだ蒸していてコップに結露した水滴が流れ落ちる。
今日の・・・・・・わたし、ヘンだ。・・・・・・デパートのトイレで・・・・・・あんなこと・・・・・・それに──
「・・・・・・いくらなんでも『寄ってく?』って、言うのは・・・・・・ねえ」
実際、ロビーの処で・・・・・・わたしはそのセリフが喉元まで来ていたんだ。何かの弾みで言っちゃってたかも・・・・・・でも、ガマンした。
寂しいのは・・・・・・やっぱり、どこかでフラれた事を引きずってる自分がいて・・・・・・こんなに寂しいのも、あんなにエッチな気分になったのも──たぶん、優しくしてくれて、忘れさせてくれて、甘えさせてくれるなら誰でも良くって・・・・・・。
きっと、アイツは全部わかってて、そうしてくれると思う・・・・・・楽しく笑わせてくれて、忘れてられる。だけど──それじゃ、あまりにも相田に失礼だ。・・・・・・だから・・・・・・甘えちゃだめ・・・・・・。
胸が切なく痛むのを振り切るように一気に水を飲む。白々しくダイニングを照らす蛍光灯の明かりが、イヤに寂しさを増していた。あーっ、らしくない!らしくないっ! カラ元気でも何でも、かき集めて立ち上がる。
「よぉし、ご飯の支度でもするかあ!」