・・・・・・ひとしきり泣いて・・・・・・リツコさんから身体を離すと、わたしは呟くように俯いて謝った。
「ごめんなさい・・・・・・あの夢・・・・・・もう見ないと思ってたのに・・・・・・」
「謝らなくてもいいって言ってるでしょ。私が本当にできるのは、傍にいることぐらい──本当にこのくらいの事だけなんだから」
でも・・・・・・わたしは、その「これくらいの事」に、どれだけ救われた事か・・・・・・。だからこそ、普段ただでさえ睡眠時間の少ないリツコさんに迷惑をかけるのは辛いんだ。わたしは鼻をすすると、もう一度リツコさんの胸に顔を埋めて言った。
「・・・・・・リツコさん、ホントにありがとう・・・・・・わたし・・・・・・」
「それに、マナちゃんと暮らし始めて・・・・・・感謝していることが一杯あるのよ。私・・・・・・今までどこかで世間を妬んでいた、恨んでもいたわ。家族の絆とか、ささやかな幸せとか・・・・・・そう言うの、ひねくれて綺麗事だって思ってたのよ。でもね・・・・・・貴方と暮らし始めて、なんて小っちゃい事に煩わされてたんだろう、って」
わたしはリツコさんの顔を見上げた。わたしを慈しむような目で見ている。リツコさんは、わたしの髪を撫でながら言葉を続ける。
「・・・・・・最初、貴方を引き取ったとき、償いの気持ちで・・・・・・あなたを癒してあげたいとか、支えになりたいとか、思っていたけど・・・・・・わたしは思い違いをしていたのね」
リツコさんは一息つくと、ちょっと・・・・・・はにかんだような、照れくさそうな微笑みを浮かべて──
「全然、違っていた・・・・・・貴方といることが、私の支えになっているし・・・・・・貴方にわたしはどれだけ癒されているか・・・・・・だから、マナちゃんにとっても感謝してるのよ。──ふふふ、私がこんな事を言うの、ちょっと柄じゃないわね」
「リツコさん・・・・・・・・・・・・」
(夜中なんだから当たり前なんだけど)お化粧してないリツコさんの顔はとっても柔らかい表情で──。わたし・・・・・・胸の中が暖かくって・・・・・・嬉しくて・・・・・・。
「そうそう、マナちゃんは、笑顔の方がずっと似合うわよ。あーあ、顔・・・・・・ぐしゃぐしゃじゃない」
「うん・・・・・・」
そういうと、ティッシュを取って、顔を拭ってくれる。──お母さんって、こんな感じ・・・・・・なのかな──あ、いやいや、年齢から言って失礼だよねえ。
「汗びっしょりだし・・・・・・シャワー浴びて、着替えた方がいいわね」
う、確かにそうだ。わたしは預けていた身体を起こす。何気なくリツコさんの胸元を見る──
「・・・・・・・・・・・・あ・・・・・・」
「? ・・・・・・あら」
うわ、わたしの涙とか汗とか鼻水とかで、リツコさんのパジャマがべちょべちょになって・・・・・・ううう。わたしが決まり悪そうに縮こまってると、リツコさんがいたずらっぽく笑って言った。
「・・・・・・一緒にお風呂、入っちゃおうか。昨日の残り湯、まだ温かいでしょ」
うちの洗面所は、ちょっと変わってる。洗面台と向かい合わせに、大きな姿見が壁にかかってる。うーん、多分、80センチ×170センチくらいはあるんじゃないかな。リツコさん曰く、メイクして服のコーディネイトするのに後ろ姿も確認できて便利なんだって。
で、そのジャンボミラーに、わたしとリツコさんが映ってる。リツコさんは170センチくらいあって、モデルばりのプロポーションだ。ううう・・・・・・わたしって・・・・・・ちっちゃいなあ・・・・・・。
「じゃ、早く脱いで。洗濯は・・・・・・明日で、いいわね」
リツコさんは、給湯器のスイッチを入れると、さっさと下着姿になって──うー、ホント、外国のファッション雑誌のモデルさんみたいだ──髪の毛を束ね直しながら言った。
わたしも、さっと服を脱ぐと──ちょっと、プロポーションについて、いたたまれなくなったのも事実だ──先にバスルームに入る。
シャワーで身体を流すと、ぬる目のお湯に浸かる。まだ、熱帯夜の暑さが空気に残ってて、このくらいのお湯に半分浸かってるくらいが一番、気持ちいい。
「ふう──」
天井を見上げて──最上階の角部屋だから天窓が付いてるんだよ、えへへ──何も考えずに雲間から星が瞬くのを眺める。緩いスロープになってる浴槽の縁に身体を預ける。もともと、寝転がって入るような浅めの浴槽なんだ。
しばらく、ぼーっとしてると、ようやく気持ちが鎮まってきた・・・・・・。
かしゃん、ってドアが開く音がして、リツコさんが入ってくる。わたしは身体を起こすと、リツコさんを見上げた。リツコさんが、ふっ・・・・・・って優しそうに微笑む。・・・・・・ぼけっとしてたから、わたし・・・・・・間が抜けた顔してたのかも知れない。
「私、先に身体を洗っちゃうから、ゆっくり浸かってなさい」
「・・・・・・はぁーい」
リツコさんは、わたしの返事に、にこっ、て微笑むと、バスチェアに腰掛けて身体を洗い始めた。そんなリツコさんの後ろ姿を、わたしは縁の上で両腕を組むとそこに顎をのせて、その様子を眺めていた。
そうそう、言ってなかったケド・・・・・・リツコさん、髪の毛の色、染めるのやめちゃったんだよね。パーマもしてないから、とっても綺麗な栗色のストレートヘアなんだ。わたしは、こっちの方が好きだなあ。──もっとも、第3東京に戻ってきたときには、一瞬、誰だかわかんなかったけどね、へへへ・・・・・・。
──自分の母親にそっくりで、昔はイヤでイヤで仕方なかったから染めてたんだけれど・・・・・・今は、それもいいかなって──とか、言ってた。セミロングくらいに伸びた髪の毛を束ねた白いうなじから背中・・・・・・女の子のわたしが見てもタメ息がでちゃう程、キレイ・・・・・・。
それに・・・・・・リツコさんて・・・・・・結構、大きいんだよう・・・・・・あの、その・・・・・・胸が、ね。・・・・・・うん、まさに着痩せするって、やつ。アンダーバストからウエストにかけて、ビックリするくらい細いからバストサイズは普通だって言ってたけど、カップはおっきいんだよ。カップだけだったら、ミサトさんと変わんないかもしんない。
ちょっと、自分の胸を見下ろしてみる──ううう、悲しくなってきたよ。
「・・・・・・・・・・・・? どうしたの」
ボディーソープを洗い流しながら、リツコさんが訊いてきた。
「・・・・・・リツコさん・・・・・・おっぱい、おっきいなあって」
「ええっ? な、何を見てるのかと思えば、もおっ・・・・・・バカなこと、考えてないで、こっち来なさい。洗ってあげるから」
「はぁい」
わたしがお湯からあがって、バスチェアに座るとリツコさんは膝立ちで、わたしの背中をシャワーで流し始める。
「・・・・・・ま、どんどん、背も伸びてるし、そんなに心配することじゃないわ」
「えー、だって、クラスの女子で前から3番目だもん。シンジ君やアスカは、もっと伸びてるし」
目の前の鏡の中のリツコさんは、事も無げに言うけど・・・・・・結構、背のことは気にしてるんだよお。
そうなんだよ。確かに、この1年で5センチくらいは伸びたけど・・・・・・シンジ君は、175センチくらいあるし、アスカだって165センチ超えたって言ってた。バストだって──くぅうううっ。
スポンジを泡立てると、わたしの背中をこすりながら、リツコさんはポロッと言った。
「そぉねぇ・・・・・・胸も背丈も、確かに個人差のあることだから断言できないけど・・・・・・」
「うぅ・・・・・・このまんまだったら、どおしよ・・・・・・うわあん、いやだあっ」
リツコさん──気休めとか言わないところは大好きだけど・・・・・・もうちょっと希望の持てる言葉が欲しかった・・・・・・。
別に重たい話をするつもりはないんだけど──わたしの本当の両親についての記録は戦自にも全く残ってなかった。リツコさんや加持さんが、八方手は尽くしてくれたんだけど、記録が抹消されているどころか、そもそも記録されてなくて、関係者は全員処分されてしまった後では、どうしようもなかったんだ。
それはともかく・・・・・・そんな訳で、もちろん親の体型も知らない・・・・・・ふつうは目安として親の体型ってのがあって、ある程度は諦めたり希望が持てたりするんだろうけど・・・・・・・・・・・・だから、自分の先行きって言うのも全く予想がつかないんだよう。
「ふふふ・・・・・・そのセリフ、懐かしいわ。私がマナちゃんくらいの年の時も、同じ様な事を考えていたなぁ」
「・・・・・・へ? うそお・・・・・・リツコさん、こんなにキレイなのに?」
思わず、振り返って──ニッコリ笑っているリツコさんと目が合う。
「あら、ありがと。・・・・・・でもね、昔はチビで痩せっぽちでソバカスがひどくて、もお、そりゃあ悲観してわよ。母さんは、あんなに美人なのに、なんで?──って。今のマナちゃんの方が、よっぽど女っぽいわ」
「ええーっ? ホントにぃ?」
「うん、高校に入ってからかな・・・・・・急に背が伸び始めて、胸が重くなってきて──はい、背中おしまい」
じゃばー、って背中にお湯をかけられる。ふーっ、あったかくて気持ちいーい。
「じゃ、こっち向いて。脚、出して」
わたしはリツコさんの方へくるりと身体をむける。
「はい──それで?」
わたしは、右脚をのばしてリツコさんに出す。リツコさんは脚を斜めに崩して床に座ると太腿にわたしの踵をのせて、洗い始める。う、ちょっと、くすぐったい・・・・・・。
「うーん、胸の方は・・・・・・二十歳過ぎまで大きくなったかな。──よいしょ──マナちゃんも大丈夫よ」
また、膝立ちになって、わたしの太腿を、ぶくぶくと擦りながらリツコさんは言う。
「えー、根拠ないよぉ」
わたしが反論すると、リツコさんは、いたずらっぽく笑って──
「私の見立てでは──この形と張りなら、結構、大きくなるわよ♪」
と、わたしのこぢんまりとした胸を、つん、って・・・・・・突っついたんだよお。
「きゃあっ」
わたしが驚いて、真っ赤になって俯いてると、リツコさんは片手を床について、わたしの顔を覗き込み艶やかに笑って言った。
「大丈夫よ、マナちゃん・・・・・・貴方は今でも十分可愛いし・・・・・・これから、もっと、もっと綺麗になるわ」
・・・・・・なんか、気恥ずかしくて・・・・・・もじもじしてる内にリツコさんに丸洗いされちゃった。
二人して湯船に浸かる。リツコさんは頭にタオルを巻いてくつろいでいる──うん、やっぱりモデルさんみたいだよねえ。絵になるっていうか・・・・・・何か・・・・・・こう、格好いいんだ。
「・・・・・・マナちゃん、私に寄っかかってもいいわよ。もう、寒くなってきたでしょ。ほら、こうするから」
リツコさんが愛用のお風呂枕をお風呂の縁に置き、頭を乗せると緩いスロープに横たわった。
結構、時間が経っていて、だいぶ外は涼しくなってきてる。このまま半身浴ってのも、ちょっと寒いかも・・・・・・。
「ええ、ちょっと・・・・・・恥ずかしいなあ・・・・・・」
「照れる間柄でもないでしょ」
わたしは、おずおずとリツコさんの太腿にお尻をのせると、ゆっくり、寄りかかった。肩にリツコさんの胸の柔らかい感触──むにゅ、っていうやつ──が伝わる。やっぱり、背丈が違うのか、丁度リツコさんの胸元に、わたしの後頭部が当たってる。
リツコさんの身体は、とっても柔らかくって、すべすべしてて──
「うふふ♪ なんか、気持ちいいなあ」
「──そぅお? 寒くない? 大丈夫?」
リツコさんが、微笑みながらも、ちょっと心配そうにわたしの顔を覗き込む。ふと、感傷的になって──ああ、この人が本当のお母さんだったら、良かったのに──思わず零れた想いをわたしはうち消した。リツコさんは、本当に母親以上にわたしのことを思ってくれている。血の繋がりなんて、関係ないよ。
「わたしは、大丈夫なんだけど・・・・・・リツコさん、重くない?」
「全然。水の中は浮力が働くし──それに、マナちゃん、軽いし。40キロもないでしょ」
そりゃあ、わたしの背丈で、45キロ以上あったら誰でも真剣にダイエットを試みると思うけど。
そんなんで、二人してぼーっとお湯に浸かってると──
「──ふぁああーっ・・・・・・」
・・・・・・なんか、あったかくって、ふわふわ、ふにふにした感じで、思わず眠気に襲われてアクビがでちゃった。
「あら、眠くなってきちゃった?」
「えへ♪ あんまり気持ちよくって・・・・・・つい」
わたしは、リツコさんを見上げると照れ笑いを浮かべた。リツコさんは、何か思いついたような表情を浮かべると、にっこりと優しく笑いながら言った。
「・・・・・・このまま、朝まで一緒に寝ちゃお」
え・・・・・・? そ、そりゃ、確かにこのお風呂は、そういった機能があるって言うのは、わたしも知ってるけど──確かにリツコさんがお風呂で仮眠することもあるし・・・・・・。うーん、確かに眠いし・・・・・・楽しそう・・・・・・ま、いいっかあ。
「えへへ♪ たまにはいいかも・・・・・・」
「・・・・・・でしょ」
リツコさんは、脇の壁にはめ込まれているコントロールパネルに手を伸ばすと、ぴっ、ぴっ、ぴっ、とモードを変更して眠ってもいい設定に切り替える。
「じゃ、アラームは7時にしておくわね」
最後にリツコさんの指がパネルを操作すると、浴室の照明が落ちて窓際の間接照明だけになる。あまりのムードの良さにわたしはタメ息をつくとリツコさんにもたれかかって言った。
「わあ・・・・・・星がきれい・・・・・・」
「うふふ・・・・・・こういうのもいいわねえ」
そう言うと、リツコさんは、わたしの身体の前で腕を絡める。こうして後ろから抱きかかえられて、お湯に浮いてると・・・・・・本当にあったかくって・・・・・・安心する・・・・・・。
なんかリツコさんって、とってもいい匂いがする・・・・・・そんなリツコさんの柔らかい身体に抱きしめられて・・・・・・いつの間にか、わたしは安心しきって深い眠りに落ちていった。こんなに、安らかに熟睡できたのは・・・・・・もしかしたら生まれて初めてかもしれない。
・・・・・・それでも、明け方ごろ夢をみた。別に恐い夢じゃない。
わたしは赤ん坊で、柔らかい肌着と布にくるまれて誰か女の人に抱っこされている。周りの景色は眩しくって、白く飛んでてよく見えない。女の人の顔は、逆光でよく見えないけど、とても優しそうに微笑みかけてくれてるのだけは、わかる。
ふわあっと、この人からも、リツコさんと同じいい匂いがして、わたしは嬉しくなる。すごく嬉しかったから、何か言ってみようとしたけど、だぁだぁ、って声しか口から出ない。でも、この人には、それでわたしが嬉しいのが、わかるらしくって、にっこり微笑むとわたしの頭を撫でてくれる。
気持ちが伝わったのが、もっと嬉しくって、思わず口から、キャッ、キャッて声が出る。
それから、この人の指を掴んでみたり、首を振ってみたりして、遊んだ。本当に無条件で、気持ちが伝わってるのがわかる。それが、嬉しくて嬉しくて仕方ない。天にも昇るほど幸せな気分だった。
そして、空腹になると自然と、わたしの口は何かを求めて、ちゅぱちゅぱと吸う動きをする。わたしを抱っこしてる女の人は、何かに座ると、ブラウスの前をちょっと開けて乳房をわたしの口に含ませる。何とも言えない幸福感に、わたしは満たされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・おっぱいを吸ってるところで目が覚めた。まだ、アラームは鳴ってない・・・・・・ハズ。
バスルームは明るい朝の日差しが差し込んでいて、白いタイルが眩しかった。すっごい、幸せな気分。
まだ、夢の中のいい匂いがしていた・・・・・・。わたしは湯船の中で微睡みながらリツコさんに抱きしめられていた。あれ・・・・・・何時の間にか、俯せになってて・・・・・・。わっ・・・・・・その、あの・・・・・・リツコさんのおっぱい・・・・・・吸っちゃってた・・・・・・。
慌てて口を離して、リツコさんを見上げると、よほど疲れてたのか、本当に無防備な顔をして眠ってる。ちょっと、俯き加減に小首を傾げ・・・・・・長い睫に小さい水滴がついて、キラキラして・・・・・・艶やかな口元は、うっすらと微笑みを浮かべてるようにも見える・・・・・・。
ホントに綺麗だった・・・・・・わたしは、ある美術館にあったマリア像に感動したことがある──それと、重なる感じがした。
リツコさんの艶やかな唇に指を延ばす──ちょん・・・・・・柔らかで張りのある感触。大理石の彫刻とは違う柔らかい感触・・・・・・それに触れらることに、抱かれてることに、堪らなく嬉しくなる。
「んん・・・・・・・・・・・・」
眠ったまんまのリツコさんが、ぎゅううっって、わたしを抱きしめる。むにゅって感じで、かなり豊満な乳房にわたしの顔は押しつけられる。わたしは、横を向きリツコさんの胸に頬ずりするような格好──そうしないとお湯に溺れちゃうからだ──でいると、優しくわたしの後頭部をリツコさんが撫でる・・・・・・無意識でもわたしのこと・・・・・・。
わたしは、何だか嬉しくなって、リツコさんの背中に手を回すと自分からも抱きついた。
そのまま、幸せな気分で微睡んでいると、アラームのメロディーが流れる。わたしがリツコさんの腕の中で、のそっと顔を起こすとリツコさんも目を覚ましたようだった。
「ん・・・・・・おはよ、マナちゃん・・・・・・」
「おはようございます、リツコさん」
わたしは身体を起こすとニッコリ笑った。・・・・・・ふにゃあ・・・・・・って感じのリツコさんは寝ぼけ眼で──
「・・・・・・ん・・・・・・あぁ・・・・・・あっ、マナちゃん・・・・・・先に起きてたの?・・・・・・ああっ、ヤダっ、もしかして寝顔、見てたの?」
──って、両手で頬を覆うと真っ赤になって俯く。うわぁ、なんか・・・・・・可愛いっ。夜のお返しに、リツコさんの顔を上目遣いに覗き込んで言ってみたり。
「えへへ♪ すっごく綺麗な寝顔で・・・・・・見とれちゃって」
「な、なに言ってんのよぅ、この娘ったら・・・・・・・・・。ほら、起きましょ」
さばあっ、てリツコさんはさっさとお風呂をでてしまう。くすくす・・・・・・ちょっと、狼狽えているみたいだ。
リツコさんはシャワーの前にしゃがむと、髪を包んでいるタオルを外す。水気を含んだ栗色の柔らかい髪の毛がパサッと白い肩にかかる。水滴のついた陶磁器のような白い背中と対照的で──ホントに綺麗だなあ・・・・・・わたしは自分の身体を拭きながら思った。
「・・・・・・もおっ・・・・・・大人をからかっちゃダメよ」
苦笑しながらリツコさんは、薄目に染み込ませたリンスを洗い流している。
「あ、そうだ・・・・・・明日の夕飯は外で食べてくるから、悪いけれど・・・・・・マナちゃん一人で済まして貰える?ごめんね・・・・・・帰ってくるのは、そんなに遅くならないから」
確かにネルフの技術部部長として、色んな人と会食したりとかも、多いんだ。それでも、極力、わたしと朝夕、一緒にご飯を食べるようにしてくれている。ただのご飯なんだけど──その時間を捻出するためにリツコさんが、どれだけ苦労してるか、およそ想像はつく・・・・・・すんごく嬉しいし、回数が減るのは寂しいけど・・・・・・だからって、あんまり無理して欲しくない。
「うん、別に大丈夫。打ち合わせとか、接待とか?」
「え・・・・・・っと、その・・・・・・仕事絡みって訳じゃないんだけど・・・・・・ちょっと、ね」
・・・・・・・・・・・・月に1度か、2ヶ月に1度くらいかな、リツコさんって、なんか理由のハッキリしない外食してるんだよね。回数少ないし、早く帰ってくるし、雰囲気からしてもデートって感じじゃないし・・・・・・・・・何なんだろ・・・・・・?
わたしが難しい顔をしてたのか、リツコさんは照れたように微笑んで
「まあ、個人的な会食・・・・・・かな・・・・・・。あら、時間・・・・・・!」
リツコさんのセリフでコントロールパネルの時刻表示に目をやると、結構な時間を表示していた。うわ、ちょっとヤバイ・・・・・・かも。わたし達は洗面所に急いで出ると、身体をバスタオルで拭きながら朝の段取りを決める。
「私は洗濯するから、マナちゃんは朝食の材料出してコーヒーのお湯、沸かしておいて。洗濯機を回したら、朝食の支度をしておくわ。その間に制服に着替えて学校に行く準備して。ご飯ができたら呼ぶわ」
「はいっ」
元気良く返事をすると、わたしはバスタオルを身体に巻き、とたとたキッチンに向かう。不思議なほど幸せに満たされて、いつもの日常的な朝が戻ってきた。
それから、学校に行っても何だか浮かれてた所為か、あっという間に授業は終わってしまった。アスカに怪訝そうに「ちょっと変よ、マナ」とか言われたけど・・・・・・。もしかして、フラれた反動でハイになってる、とか思ってたのかな。うーん、何かそういうんじゃ・・・・・・ないんだけど。
・・・・・・剣道部の練習に久しぶりに顔をだす(主将に頼まれた)中学なのに、ちゃんと道場があるなんて贅沢だよねえ──もっとも、床の半分は畳敷きで、幾つかの武術関係のクラブと共用してるけどね──やっぱネルフ直轄の第3東京だからかな・・・・・・。
いつものメニューをこなして、後輩に稽古をつける。時間になったので、部活も終了──。
ふーっ、ちょっと怠けてたから、きっついなぁ。前は全然へーきだったんだけど。胴とか面とかを外して片づける。隣の体育館の更衣室に女の子達とぞろぞろ、おしゃべりをしながら、渡り廊下を歩いてく。
まあ、みんな袴すがただから、きゃいきゃい話してるのって、あんまり似合ってないと思うんだけど。
そうそう、体育館は、実は仮設なんだ。ホントのやつは、道場の反対側にあるんだけど──サード・インパクトの時に操縦者を失ったヘリコプターが墜落して半壊しちゃったんだ。
困ったことに、更衣室が狭いんだ。世界中で復興にお金がかかってるんだから、体育館の再建にまでお金がまわらないのは、仕方ないと思うよ。ただねえ、半壊した前の体育館がゴージャス過ぎたのかもね。
エアコンも大して効かない更衣室に入ってカバンをロッカーにつっこむ。カバンから制服とかバスタオルとかを出す。ふふふ・・・・・・みんなもいつものように文句を垂れている。素肌にタオルを巻いて隣のシャワー室に向かう。
もっと、不満はこれだ。鈴原が「コインシャワーのまんまやんけーっ!」って、男子のシャワー室のこと言ってたけど、女子もそうなんだよねえ・・・・・・。そう思いながら、その1つに入る。やっぱり、電話ボックスより狭い・・・・・・っていうか、ひとりがやっとって感じ。肘とか膝とかぶつけるし。女子剣道部は全部で10人くらいだから、順番待ちってことはないんだけど。
他の部とは、ぶつからないように曜日ごとに使用時間をずらしたり部長会で調整してるみたい。それでも、40人以上いる女子テニス部とかは、年功序列で順番待ちとか言ってたっけ。おっきいクラブもそれはそれで大変だよねえ。
──そんなことを考えながらシャワーを浴びていると、ふと、英語の宿題のファイルを家の端末に送ってないのを思い出した。あちゃ。
わたしは慌てて身体を拭くと、更衣室に戻る。誰が持ち込んだのか扇風機の前で先にあがった何人かが、あられもないカッコで涼んでいる。
「あれっ、マナちん、慌ててどしたの?」
「──ん。ちょっと宿題のファイル、家に転送してなくて。教室、戻んなきゃ」
「あー、英語の羽黒センセでしょー。全員転送で自宅にも送ってくれればいーのにねえ」
「あの先生、おじいちゃんだから電子機器に弱いのよ。先輩の話だと、ちょっと前までプリント配ってたって」
「まあねぇ、まだ、プリント配ってる先生もいるよね──」
デジタルデバイドな先生達の話で盛り上がってる。そんな女の子達の会話を聞きながら、あたふたと制服を着る。6時になると教室のネットワークサーバーが落ちちゃうんだ──誰も使う人がいないんだから、当たり前なんだけど。
壁の時計にちらっと視線をやる──よしっ、間に合うかな。
「じゃ、そーゆー訳で、お先にっ!」
「またねー」とか「ばいばーい!」とか「お疲れー」とかクラブのみんなの声を背中に聞きながら、わたしは教室に向かってダッシュした。
誰もいない教室に戻って、端末を操作する。ふー、間に合った。走った所為で、背中とか脇とか汗が流れるのを感じる・・・・・・しかし、これじゃ何のためにシャワー浴びたんだか・・・・・・。
イスにもたれかかって、一息ついてると────
「相田いるかぁ──って、あれ?」
何となく見覚えのあるような無いような背の高い男子生徒が、戸口から覗き込んでいる。・・・・・・んー・・・・・・あ、写真部の部長だ。わたしがキョトンとしてると、部長さんは教室に入ってきて見回す。
──そうだ、学校でも背丈で有名な人だ。しかし、ホントに高いなあ・・・・・・185センチくらいはあるかも。いかん、いかん・・・・・・どうも背丈に目がいっちゃうな。
「君・・・・・・相田の奴、見なかった? 教室寄って帰るって言ってたから追っかけてきたんだけど」
「うーん、今ここに来たばかりなんですけど・・・・・・・・・誰もいなかったですよ」
・・・・・・なんか、ですます調になっちゃう。だって、絶対、この人、同い年に思えないよぉ。
「・・・・・・アイツ・・・・・・これ、忘れてっちゃったんだよ。相田の机、どこかな・・・・・・中に突っ込んどくから」
ポリ袋の包みを持って、それらしき机はないか目線を彷徨わせる。
「ああ、わたし、隣だし・・・・・・預かっときましょうか?」
「え、いいの?・・・・・・そんな大事なもんじゃないと思うんだけど・・・・・・じゃ、お願いしようかな」
わたしは包みを受け取ると自分のカバンにしまう。
「それじゃ、明日、ちゃんと渡しておきますね」
部長さんは、お礼を言うと教室を出ていった。
「しかし・・・・・・相田の奴・・・・・・何、忘れてんだか」
ポツリと呟いた後に、自分だって宿題忘れそうになってたこと思いだして、失笑する。ふと、端末の画面をみると、とっくにネットワークは落ちていて、5分後に電源が切れるアラートが表示されている。ああ、もう6時半かあ・・・・・・。
窓の外を眺めると、西の空が赤く染まり始めていた。