彼女事情
K A R E × K A N O

Written by:きたずみ

#1
 ――最近、なんか変やなあ……。
 鈴原トウジは、そう思いながら低く唸った。咥えたままの箸がぴょこ、と動く。しかめつらしい顔であらぬ方を見やりながらも、手の中の弁当箱は手放さない。
「……どしたの? 味付け失敗してた?」
 う〜むと唸ったトウジに、彼の傍らにいた少女は、ちょっと心配そうな表情で、ちょこんと可愛らしく首を傾げた。さらさらの黒髪が肩に流れる。
 ――あ、そおか。そおゆうことか。
 声に出さずに呟いて、トウジはようやく違和感の正体に気づいた。
 そう、自分の隣にいる少女が彼に弁当を作ってきてくれるようになってからというもの、口やかましいお下げ髪の少女――「いいんちょ」こと洞木ヒカリが、彼に突っかかってこなくなったのである。
 ちらりと視線を隣に走らせると、そこには自分でも信じられないくらいの美少女がいた。それも、潤んだような瞳で自分を見つめている。
 肩まで伸びたさらさらの艶やかな黒髪、純真さの滲み出している無邪気な黒瞳、全体的に顔立ちを幼く見せている小ぶりの鼻、ふっくらした桜色の唇。
 十四歳という年齢が到底信じられないくらい幼い顔立ちをしているくせに、その体つきは結構凄い。Fカップと噂されるその胸はブラウスの胸元を窮屈そうに押し上げているし、足はすらりと長く、ソックスに包まれた足首はキュッと締まっている。
 転校生、碇ユカ――エヴァンゲリオン初号機専属操縦者(サードチルドレン)
 彼女との出会いは、明瞭り言って最悪だった。
 彼女の操る初号機の所為で妹が怪我をしたと逆恨みしたトウジは、彼女に対してかなり酷い仕打ちをした。が、彼女は足しげく病院に通い、トウジの妹――ユキノの信頼を勝ち得たのだった。
 妹に叱られたこともあり、また彼女のことを色々知るにつけて、自分の取った行動が誤りであったと認識したトウジは、ユカに謝罪した。
 ……そこまでは、いい。
 が、何で今こういう状況になっているのか?
 それは、正直言ってトウジ自身にもよく解らなかった。気がつくとユカが自分の分まで弁当を作ってきていて、知らぬ間に公認カップルになっていたのである。
「トウジ? ……どしたの?」
 少し舌っ足らずの幼い声で言って、ユカはトウジの肩をつんとつついた。いつの間にか呼び捨てにされていたが、今ではそれが当たり前になっている。
「ん……や、な、なんでもない。うまい。めっちゃうまいで」
 それで我に返ったトウジは、すぐ近くにユカの顔があることに驚き、真っ赤な表情で弁当をかっ込み始めたのだった。実際、ユカの料理は美味い。
「ほんと? よかった」
 安心したようにホッと息を吐いて笑ったユカの顔は、掛け値なしに可愛かった。
 自分の心臓がばっくんばっくんと物凄いペースで跳ね回っているのを自覚しながら、トウジはどうすることも出来なかった。
「ねえ」
「んあ!? あ、な、なんや」
 知らず知らずのうちのユカに見惚れていたトウジは、急に声をかけられて思い切り狼狽えた。頬が熱くなっていくのが解る。
 が、ユカの方は別に気にした風もない。
「あのさ、今日もユキノちゃんのお見舞い、行くよね?」
「お、おう。当たり前や」
「それでさ、おじさんもおじいちゃんも今日いないんでしょ?」
 言いながら、ユカはそっと目を逸らした。髪の中に覗く耳やうなじが、ほんのりとピンクに染まっている。肌が白いからよく解る。
「……お、おう」
「うちもさ、ミサトさん今日いないんだ。NERVに泊まりなんだって。それでさ……良かったらなんだけど、晩御飯、作りに行ってあげても、いいよ?」
 ごきゅり。
 そんな音が聞こえそうな感じに、トウジは生唾を飲んだ。
「……ダメ?」
 上目遣いにトウジを見上げながら、甘えたような声音のこの一撃。
 そもそも女の子に迫られた経験など絶無のこの無骨な少年にとって、この誘惑に抗することなど所詮不可能だったろう。
「お、おう。かまへんで」
「ほんと!?」
 一瞬、脳裏をそばかすの女の子の残像が過ぎったが、すぐ目の前で花開いた眩しい笑顔に掻き消されてしまった。
「じゃあね、じゃあ、何食べたい?」
「な、なんでもええがな」
「そんなのだめ〜! トウジの食べたいもの言って!」
 すぐ目の前に詰め寄るユカに気圧され、トウジはワケの解らないことを口走っていた。
「けっ、けつねうどん」
「却下!」
「タコ焼き」
「わたし関西人じゃないもん。晩御飯にタコ焼きなんてやだ」
「ほなお好みや」
「……作ったことない」
「え、あ……、ん〜と、せやな……」
 腕を組んで頭をひねり始めたトウジを見やって、ユカは小さく溜息を吐いた。
「じゃあさ、無難なとこでカレーにしよっ」
「なんや、ありきたりやな〜」
「文句言わないっ。まともなリクエストしない方が悪いのっ」
「まともやないか」
「お好み焼きはまた今度ね。次までに練習しとくから」
「……お、おお」
 トウジは結局、ユカに押されっぱなしのうちにポンポンと決まっていくのを眺めるしかなかった。
 ちなみにその頃、同じように屋上で侘しくパンを齧っていた筈の彼の親友たるカメラ小僧は、真っ白く燃え尽きていた。その目は虚ろに青い空を眺め、唇はなにやらぶつぶつと呟いていたという。
 
 病院の帰り道。
 茜色に染まった街を、ジャージ姿の少年と、制服姿の少女が寄り添うように並んで歩いている。
 正確には少女の方が腕を絡めてひっついているのだが、そのおかげで少年の顔は夕陽よりも赤くなっていた。かといって腕を振り払うでもないあたり、満更でもないようだ。少女の方は満面の笑みを浮かべている。
 そのままの状態で、二人はスーパーに入っていく。そんな二人に周囲の人々の視線が突き刺さるが、少女はまるで気にもとめない。
「二人でお買い物なんて、なんか新婚さんみたいだねっ」
「な、何恥ずかしいことゆうとんねん、アホッ」
 かごの中に手際よく食材を入れていきながら言ったユカに、トウジは先刻から血が上りっぱなしでフラフラになった頭を振って喚いた。
「わたしへいきだも〜ん」
「アホ! ワシが恥ずかしいんじゃ!」
「わたしのこときらい?」
 瞳をウルウルさせて、見上げるように聞いてくるユカに、トウジは思わず言葉に詰まった。ごきゅ、と咽喉を鳴らして生唾を飲み込む。
「そ、そおゆうことはやな、こんなとこで……」
「ねえ、どうなの?」
「い、いや、せやから人前ではちょっと……な?」
「ふ〜んだ」
 明瞭りしないトウジを見やって、ユカは軽く息を吐いた。踵を鳴らして躯を捻り、一人ですたすたと歩き出す。
「ちょ、ちょお待ってえな、なあ〜〜」
 置いていかれたトウジは、情けない声をあげて後を追った。いいように翻弄されているという自覚はあるものの、彼女に嫌われたくはないのだ。なんだかんだいって、積極的で可愛い彼女に惹かれているのもまた事実なのである。
 そんな少年を肩越しに見やって、ユカは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ちょっといじめすぎたかな?」
 くすっと笑って、少年に向かって可愛く舌を出して見せる。その仕種にまた頬を赤らめながら、トウジはユカの隣に並んだ。
「なあ、ごめんて。ワシが悪かった」
「許して欲しい?」
「お、おう」
 少女の問いに、少年は真剣な面持ちで頷いた。自分より頭一つ分ほど高い少年の顔を、彼女はじっと見詰める。
 ややあって、
「いいよ。許したげる」
 そう言って、ユカはにこりと笑った。
「そ・の・か・わ・りぃ〜」
「な、なんやねん?」
 にま〜っと笑うユカに、トウジはやや怯んだ。
「わたしのお願い、なんでも聞いてくれる?」
「な、なんでもて……なんか買うて欲しいゆうんか? あ、あかんで。ワシ小遣い少ないんや」
「そんなの知ってるよ〜だ。だから、そゆんじゃないの。女の子の、普通のお願い」
「せやったらええわ。けど、幾つもっちゅうのはあかんで」
「じゃあねぇ、三つ」
「よっしゃ」
 交渉成立の証に微笑みを交わすトウジとユカだったが、よもやこの時、ユカが何を企んでいたかなど、トウジに解る筈もなかった。
 
 ――まるで夢みたいや。
 自身の目の前で展開されている光景に、トウジは改めて思った。
 トントンと心地好いリズムを刻む包丁の音、機嫌のよさそうな軽やかな鼻歌、短いスカートに包まれて揺れる小ぶりなお尻。
 ……何処を見ている、トウジ。
 どうやら今日は最初からそのつもりだったらしく、ユカは自分のエプロンを持ってきていた。それを制服の上に纏って、このところ男所帯が続いている鈴原家の中途半端に片付いたキッチンで忙しく立ち働いている。
「な〜に?」
「な、なんでもあらへん」
 ぼんやりとユカに見惚れていたのだろう、自分の視線に気づいたのか、ユカがくるりと振り返った。慌てて目を逸らしながら、トウジは普段なら番組欄と漫画以外読みもしない新聞に手を伸ばした。が、目は記事なんぞ見てはいない。自分ではさりげないつもりらしいが、ちらちらとユカの方を窺うさまは、殆ど変質者の目つきである。
(も、もうちょいやっ)
 ……ナニが?
 ユカの動きに合わせて時折ふわりと跳ねるスカートの裾にそんなエールを飛ばしながら、トウジはぐぎゅ、と新聞を握り締めた。まったく、健全というのか、アホというのか。
 しばらくして、後は煮込んでカレー粉を入れるだけという段階になって、ユカが居間まで戻ってきた時、トウジは新聞を握り潰したまま床に仰向けになって寝そべっていた。見えそうで結局見えなかったらしい。
「……なにやってんの?」
「イヤ、ちょっと運動」
 さりげなくブリッジなんぞをしてみせる。それも両手は使わず、頭で躯を支えてみせた。
「わー、すごいすごい。座っていい?」
 言いながら、ユカはトウジのお腹の上にそっと腰を下ろした。
「はうっ」
「あ、ご、ごめん。重かった?」
「い、いや、平気や。なんともあれへん」
 はははと笑ってみせながら、その実トウジはかなりピンチだった。別にユカが重いわけではない。むしろその逆でひどく軽いのだが、問題は重量ではなく、腹部に伝わってくるユカのお尻の柔らかい感触だった。
 そのあまりの気持ちよさに、気を緩めるとつい下半身が危険な状態になりそうであった。流石のトウジも、女の子の目の前でテントを膨らませるという事態は避けたい。なにしろ、ジャージではモロバレだ。しかも、体勢が最悪である。
「お、降りてくれるか? ちょおキツいわ」
「あ、うん」
 ひょい、とユカがお尻を持ち上げる。力を抜いて胡座をかきながら、トウジはつい先刻までユカの柔らかいお尻が載っていた自分のお腹をそっと撫でた。途端に先刻の感触を思い出してしまい、さりげなく下半身を押さえる。
「前から気になってたんだけどさ」
「あ? な、なんや」
「トウジって、どうしていつもジャージなの?」
「ジャージが好きやからや」
「あ、そー……」
 ユカは困ったような笑みを浮かべた。それでは会話が続かない。
「いま呆れたやろ」
「あ、ううん、そんなこと……ちょっとはあるけど」
「アホやなぁ〜、ジャージのよさをみんな知らんのや。ジャージは楽やでぇ〜。いちいち着替えんでええしな」
「…………え?」
 聞き捨てならない科白に、ユカの顔がひきっと引き攣る。
「汚れても大して目立たんさかい、一週間ぐらい着たきりでも平気やしな」
「うそぉ〜〜〜!?」
「な、なんや?」
「お風呂に入って、またそれ着るの?」
「当たり前やないか」
 何をいっとるんやという顔で聞き返すトウジと、顔を青褪めさせているユカ。
「ユキノが入院してもたからな。替えが何処にあるんか、よう解らへんねん」
「じゃあ、ずっと着っぱなし!?」
「……あ、下は替えるで。三日にいっぺんくらいは」
「いやああ〜〜〜〜〜〜っ!」
 途端に全身が痒くなったのか、ユカはぞっとしたという顔で立ち上がり、キョロキョロとあたりを見回した。
「どないしたんや?」
「…………お風呂」
「あん?」
「お風呂、何処?」
「風呂? なら、あっち――」
 言い終わるより先に、ユカは駆け出していった。それを見送って、トウジはぼりぼりと頭を掻いた。
「なんやろなあ、あれ……」
 しばらくして、ユカが妙に疲れた顔で戻ってきた。どうやら、風呂場に築かれた洗濯物の山を発見したらしい。
「今、お風呂入れてるから。ちゃんと入って、綺麗にしてきてね」
「お、おう……」
 真剣なユカの表情に、トウジは気圧されて反論の余地もない。
「とりあえずお洗濯とお掃除して、あと着替えも探してこないと……」
 キッチンを覗いて鍋の様子をチェックしてから、ユカはぶつぶつと呟いて家の中をうろつき始めた。ぐぉんぐぉんと洗濯機が廻り出す音が聞こえる。
「あ〜〜ん、こんなの予定にないよぉ〜〜」
「……なんの予定や」
 ユカの呟きを耳にして眉をひそめるトウジだったが、もともと物事を追求するたちではないので、すぐに忘れてしまった。手持ち無沙汰なのでとりあえずTVを点ける。が、そうしているうちにユカが掃除機をかけ始めたので、ごろんと寝そべっていたトウジは隅っこに追い立てられてしまった。
 合間に鍋の様子を見ながら、ユカはてきぱきと部屋を片付けていく。ものの十分ほどで、鈴原家の居間は見違えたように綺麗になっていた。
 それを満足そうに眺め回して、ユカは息を吐きながら額の汗を拭いた。
「あー、疲れた」
「……ご苦労さん」
 どう声をかけたものか考えながら、トウジはコップに麦茶を注いで差し出した。
「ありがと♪」
 嬉しそうに言って、ユカは咽喉を鳴らして麦茶を飲み干した。目の前でこくん、こくんとなる白い咽喉元にトウジの視線は吸い寄せられる。
「あー、美味しかった……どしたの?」
「うええ!? や、なんでもないっ」
「へんなの」
 きょとんと首を傾げて、ユカはトウジを見やっていたが、思い出したように口を開いた。
「先にお風呂、入っちゃって。お洗濯すましちゃいたいから」
「お、おう。ほな」
「着替え、出しといたから」
 彼女の声を背中に聞きながら、トウジは大人しく風呂場に向かった。茜色の残照が射し込む風呂場に、はりたてのお湯が湯気を立ち上らせている。傍らには替えのジャージと下着がちゃんと用意されていた。
 洗い物でもしているのか、台所の方から再び彼女の鼻歌が聞こえ始める。何となく懐かしいような光景に、トウジは胸を衝かれた。
 まるで、母親がまだ生きていた幼い頃のような――
「……なんや、ごっつええ感じやな」
 そんなことをポツリと呟いて、トウジはジャージを脱ぎ始めた。
 かけ湯をして躰を洗っていると、すりガラス越しにユカが脱衣所に入ってきたのが解った。鼻歌を歌いながら、トウジの脱ぎ散らかしたものを分別して洗濯機に入れていく。
「湯加減どう?」
「お、おお、ちょうどええで」
「背中、流したげよっか?」
「あ、アホ! そんなんせんでええわい!」
 思わず慌てた声を上げるトウジに、ユカは楽しそうな笑い声を弾けさせた。洗濯機が再び自動で動き出す。脱水の終わった洗濯物を入れた籠を抱えて、ユカは出て行った。それを気配で確めて、トウジはホッと息を吐く。
 コンクリ張りの中庭の方から、からからと突っ掛けを履いた足音が聞こえてくる。どうやら洗濯物を干しているらしい。
「……なんや、主婦が板についとるっちゅう感じやな」
 妹――ユキノが入院する前もこんな感じだった。風呂に入っている間に掃除や洗濯をして、食事を作って……。
「大変やったやろな」
 まだ小学生なのに。友達ともっと遊びたいだろうに、家事があるからと、誰よりも先に帰ってくるユキノ。
 今の今まで、そんなことに気づきもしなかった。ひどい兄貴だと、今更ながらに思う。ユカの慣れた様子からも、同じような暮らしをしてきたのだろうと解る。それに比べて、自分はなんと甘えていたのか。
「……情けないなぁ……」
 呟いて、トウジは頭からお湯をかぶった。
 が、台所の方からカレーのいい匂いが漂ってくると、そんな重苦しい気分は一瞬にして消え去っていた。
「とにかく、今はメシや!」
 ぐぎゅ〜、と自己主張を始めた胃袋を押さえながら、トウジはわしゃわしゃと髪を洗い始めた。
 
「おお〜〜〜〜〜っ」
 タオルで濡れ髪を拭きながら居間に入ってきたトウジは、テーブルに並べられたカレーとサラダを見て感動の声を上げた。
 ユキノが入院して以来、こんな食事には長らくお目にかかっていなかったのだ。コンビニ弁当やパンが二週間も続けば、当然飽きるだろう。ユカの弁当でなんとか凌いでいたが、温かいご飯となるとまた違ってくる。
「うまそうやあぁぁぁ〜〜〜!」
 感涙を流すトウジに苦笑混じりの照れ笑いを浮かべながら、ユカはトウジを座らせ、はす向かいに自分も腰を下ろした。
「「いただきます」」
 声を揃えて手を合わせるやいなや、猛然と食べ始めるトウジ。辛いのか美味いのか良く解らないが、えぐえぐと咽び泣きながらカレーを口の中に詰め込んでいく。それを嬉しそうに眺めながら、ユカは大人しくスプーンを口に運ぶ。
「よかった、喜んでくれて」
「ん」
 そう呟いた時、トウジが空の皿を差し出した。
「おかわり?」
 口をもぐもぐさせながら、トウジが頷く。
「大盛りでい?」
 麦茶を咽喉に流し込み、サラダに取り掛かりながらトウジは再び頷く。その凄まじい食べっぷりに思わず笑みを噛み殺しながら、ユカは立ち上がってご飯とカレーを皿によそった。
 
「っぷはぁあぁ〜〜〜〜、満足やあぁ〜〜」
 膨れた腹をさすりながら、ごろんと寝そべって幸せそうに呟くトウジ。食後のお茶を淹れながら、ユカはそんな彼の姿にくすりと笑った。
「いっぱい食べたねぇ。大丈夫? あんなに食べて。お腹壊さない?」
「大丈夫や。ワシの胃袋は頑丈やさかいな」
「ふふっ」
「へへっ」
 顔を見合わせて笑いあう二人。和やかなときが過ぎていく。
「なんか、汗かいちゃった。わたしもお風呂入っていい?」
「んぇぇ!?」
 ユカの思わぬ発言に、トウジは思わず妙な声を上げてしまった。その反応に、ユカは慌てて目を逸らして、
「じょ、冗談。言ってみただけ」
 そう言って立ち上がる。
「ごめん。わたし、もう帰るから」
「い、碇……」
 そそくさと帰り支度をして出て行こうとしたユカの手を、トウジは半ば反射的に掴んでいた。なんだかよく解らないが、このまま行かせたくなかった。もう少し、彼女と一緒にいたい気分だった。
「も、もうちょい、おれや……」
「いても、いいの?」
「あ、あたりまえやないか」
 そう言った、瞬間だった。
 胸の中に、軽くて柔らかいものが飛び込んできたのは。
 それがユカの躯だと気づいた時、彼の腕は既に、甘やかな香りを放つ柔らかな感触のそれを、ぎゅっと抱き締めていた。
「……トウジ……」
「い、碇……」
 自分を見上げてくる、ユカの潤んだような漆黒の瞳。柔らかそうな桜色の濡れた唇に、トウジの目は釘付けになる。耳の奥で心臓の鼓動がやたらと大きく鳴り響いている。ふらふらと吸い寄せられるように顔を寄せていくトウジ。
「……だめ」
 唇をふさいだのは、ユカの白くて冷たい指先だった。ほんのりと頬を染めて、視線を合わせないように俯きながら、ユカは言った。
「ユカって呼んでくれなきゃ、やだ」
「……ゆ、ユカ」
「わたしのこと好き?」
「す、好きや」
「ヒカリちゃんより?」
「な、なんでいいんちょがでてくるねん」
「だって……」
 言い澱んで、ユカはトウジからすっと躯を離した。
「わたし……お風呂入ってくるね」
 返事をする暇はなかった。トウジの腕をするりと解いて、ユカはそのまま風呂場の方に向かっていった。
「……なんやねん」
 訳が解らないまま、トウジはその後ろ姿を呆然と目で追った。腕の中には、つい先刻まで抱き締めていた筈のユカの躯の感触が残っている。甘やかな女の子の汗の匂いを思い出して、トウジは一人赤くなった。
 
 その頃、ユカはと言うと、同じくらい真っ赤な顔で、未だにどきどきする胸を押さえていた。自分でもびっくりするぐらい大胆な行動をとっている、という自覚がある。
(ずるいよね、こんなの)
 ヒカリがトウジに想いを寄せているのは、すぐに解った。けれど鈍感なトウジはまったくそれには気づいていなくて、だから割り込んだ。ヒカリには出来ないと知っていて、あえて積極的に責めた。でも、まだ解らない。彼が自分のことをどう思っているのか。
 だから、躯でつなぎとめようとしているのかもしれない。ただ彼に抱かれたいだけかもしれない。自分でも良く解らない。
(でも、負けたくないから)
 軽く頭を振って、脳裏からそばかすの少女の面影を振り払うと、ユカは着ていた制服を脱ぎ始めた。
 
 トウジは、手元無沙汰で居間に寝そべっていた。
 ぼんやりと天井を見上げているトウジ。頭を過ぎるのは、ユカのことばかりだった。
 最初は嫌いだった。顔を見るだけで腹が立った。チヤホヤされて有名人気どりかと、彼女を罵倒したこともあった。
 けれど、エヴァの中で背中を丸め、啜り泣く彼女の背中を、やけに小さくて頼りなげな背中を見た時、彼には何もかける言葉がなかった。ユキノの小さな手に縋りついて、「ごめんなさい」と何度も謝って泣く彼女を見た時も、トウジは見ていることしか出来なかった。
 でも、クラスメートの前ではそんな素振りは微塵も見せない。いつも明るく振る舞って、ことあるごとに自分にくっつきたがる。
 いつの間にか隣にいた。知らぬ間にユカの作ってきた弁当を食べるのが当たり前になっていて、最近では気がつくと目が彼女を探している。ケンスケには裏切り者呼ばわりされるが、彼女といるとなんだか心地好かった。
 ――ヒカリちゃんより?
 ユカの言葉が、不意に脳裏に甦る。
 洞木ヒカリ。学級委員長。ユカが転校してくるまでは、いつも彼に文句ばかり言っていた。でも最近は、殆ど口をきいていない。
 鬱陶しいと思っていても、失くなると寂しいものだ。
 けれど、ではヒカリのことを好きなのかといえば、それはちょっと違う気がする。ユカに感じるような感覚を、ヒカリに感じたことはない。
 先刻、ユカに自分のことを好きかと問われて、好きだと答えた。それは嘘ではない。だが、彼女が自分に求めている気持ちとは、違うのではないかと思う。
 自分の場合は単なる性欲なのではないのかと、トウジは自嘲気味に笑った。衝動的にキスしてしまいそうになるなど、どうかしている。頭のどこかで、あれぐらい積極的な娘ならさせてくれるのではないのか、などと考えている自分がいるのが解って、嫌だった。
 風呂場の方から、水音が聞こえてくる。今、ユカが風呂に入っている。必死で考えまいとしていたことに思考がいってしまって、トウジは焦った。
 手に残るユカの躯の感触が脳裏に甦る。柔らかい、女の子の躯。布越しだったけど、その感触は思春期の少年にとってはこの上なく刺激的で、甘美なものだった。
 この手で、じかに触れたい。何も覆うもののない素肌を見てみたい。
 むくり、とトウジは上体を起こした。夢遊病者のような足どりで、ふらふらと風呂場に向かう。水音が更に近くに聞こえる。
 ごくり、と生唾を飲み込んだ。
つづく



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  ごあいさつ

 まずは、はじめましての方へのご挨拶を。
 きたずみと申します。
 本作品は、今はなき「Holy Beast」で連載していたものです(さらにいうと、その前にも一度掲載サイトを失った作品です)。
 今回、自前のHPを立ち上げるにあたって、コンテンツが何もないので取り敢えず改定稿を公開することにしました。今後、外伝なんかを書いた時には、ここにUPすることになると思います。……書けばね(爆)。
 初めに断っておきますが、これは女シンジとトウジの18禁ラブコメです。18禁と断ったからには、当然のことながらえっちシーンもかなりあります。まるまる1話えっちしてたような話もあったりして、実に微笑ましいです(^^; いやはや、若いってのはまったく羨ましい限りですね。
 本編ものですので、当然長いです(^^; 加えてえっちやら何やらでまた長くなってます。
 最初は短編のつもりだったので、後になるに従って辻褄の合わないところが次々と出てきますが、まあ、いつものことです(^^;
 あまり気にしないで下さい。きたずみはまったく気にしません(笑)
 18禁でも大丈夫、シンちゃんが女の子でも全然オッケー、トウジとらぶらぶでヒカリちゃんがちょっと可哀想だけどまぁ許すという気が長くて心の広い方は、よろしければお付き合いください。そうでない方は、とりあえず目をつぶっててくださいね。ヒカリちゃんも含め、とりあえず全員が倖せになれるよう目指しますので。
 ……とりあえず目標は大きい方が良いよね(笑)
 まあ、そういうことですので、気長によろしくです。

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