第参話 少女、ふたり
父の言葉通り、翌日、二人の依童を乗せた輿が届いた。
彼女たちに引き合わされるため、長い廊下を渡る僕は、正直言ってかなり不機嫌だった。案内の家人が怯えているが、どうでもいい。
理由はハッキリしている。
昨日は夢を見なかった。あったのは泥のような暗黒だけだった。それが苛立たしかった。解っていたことではあったが。
纏衣を繰ると、異常に疲れる。まるで生気を吸い取られるような感じ。
だから、その日は夢を見ない。
だからかもしれない。纏衣を繰るのが憂鬱に思うようになったのは。
「こ、こちらです……」
怯えきった顔でそれだけ言うと、その娘は頭を下げて逃げるように去っていった。が、僕は一瞥しただけで、すぐに座敷に視線を移した。
上座にはいつものように父が座している。その脇には珍しいことに冬月が控えていた。家老みたいなものだ。といっても、ほとんど顔を合わせたことはない。言葉を交わした記憶も数えるほどしかない。といっても、この家の者は大抵そうだが。
視線を移すと、下座に二人の娘――いや、まだ少女といっていい年頃か――が端然と座していた。
一人は、蒼銀の髪に真紅の双眸の少女。
そしてもう一人は――
僕は、一瞬呆けていたらしい。
「シンジ。何を突っ立っている」
父の声に我に返って、僕は彼女たちの対面に座った。先ほど僕がぼんやりと見詰めていた所為か、彼女はその蒼い瞳に敵意を漲らせて僕を睨みつけていた。
流れるように煌きながら揺れる金色の髪。何処までも蒼く、吸い込まれそうな双眸。
夢の中で逢った姿と瓜二つで、そして、現実の彼女は遥かに美しく見えた。怒りと敵意に満ちたその瞳も、微かに紅潮したその頬も、きゅっと引き締められた可憐な口許も。
すべてに、僕は惹かれていた。
だから思わず微笑んでいた。それに彼女は戸惑ったようで、一層激しい怒りを込めて僕をひと睨みしてから、ぷいと顔を背けた。
「レイと、アスカだ。今日からお前の妻になる」
「なっ――なによそれ! 聞いてないわ、そんなこと!」
父の台詞に、アスカと呼ばれた金髪の少女は激昂して怒鳴った。が、父は平然としている。無礼を咎めもしない。いつものことだが。
「では、今命じる」
「……命令なら」
それまで黙っていたレイという娘が、唐突に言った。抑揚のない声音で、感情のない瞳で、父と、そして僕を見やりながら。
「従います」
「命令だ」
「わかりました」
それきり、彼女は黙った。端然と座したその背筋はぴんと伸びて、身動ぎ一つしない。アスカが太陽なら、彼女は月だろう。怜悧に輝く銀色の月。隣に眩しく光り輝くアスカがいるからこそ、その存在感は一層引き立つ。
「……嫌よ、そんなの。なんであたしの夫がこんな男なのよ」
「依童だからな」
淡々とした答え。その台詞に、僕は父にとって依童でしかないのだと確認してしまい、思わず自嘲する。
いや、違うか。依童の種馬だ。
「なによそれ。そんなの承服できないわ」
「では帰れ」
「な……っ!」
「命令に従わぬ者など不要」
その言葉に、アスカはギリギリと音が聴こえるぐらいに奥歯を噛み締めた。そして、怒りに満ちた瞳で僕を睨んだ。
「……解ったわ。そいつのガキを孕めばいいのね」
「そうだ」
それだけ言うと、父は話はもう済んだとばかりに席を立った。
「冬月。後を頼む」
そう言い残して、座敷を出ていく。
アスカは、そんな父を呆気にとられたように見送っていた。
「ああいう人だから。気にしないで」
僕がそう言うと、アスカはすごい瞳で僕を睨んだ。
「あんたバカァ!? あそこまで言われて腹が立たないとでも思ってるの!?」
「慣れるんだね」
さらりと言った僕を、アスカは憎々しげに睨みつけていたが、やがてふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
夢と現実とでは、印象が大分違う。まあ、同一人物ではないのかもしれないと思って、僕は溜息を吐いた。今更だが、あの夢は過去の僕の記憶の残滓である可能性が高いのだ。彼女にそれを期待するのは酷だろう。
「若様」
僕たちの睨み合いがひと段落ついたと見たのか、冬月が落ち着いた声で呼びかけてきた。父もそうだが、この老人も感情をあまり表に出さない人らしい。もっとも、父にそんな高尚なものがあるかどうかは、はなはだ疑問だが。
「お館様のことをそのように仰られては、母上がお嘆きになられますぞ」
「嘆く? 母がか。馬鹿な……母を殺したのはあの男だぞ?」
「ですが、ご夫婦であられました」
「……もういい……」
酷く疲れて、僕はそれ以上の会話を放棄した。
「冬月。二人を部屋に連れていってくれ。僕は出かけてくる」
「どちらに?」
「影衆に聞けよ」
言い捨てて、僕は座敷を出ていった。
野駈けをしても、気分は晴れなかった。
月琴を奏でても、ささくれ立った心は落ち着きを取り戻さなかった。
僕の心は、曇り始めた空のように濁っていた。
何故こんなに苛立つのか解らない。でも、心の何処かで解ってもいた。これは失望なのだと。
期待した分、失望も大きかった。
見た目が同じだけ、夢より美しいだけ、余計に辛かった。
僕は初めて、本気で逃げたいと思った。でも、僕に行き場はなかった。所詮、僕は檻の中でしか生きられないのだ。
雨に濡れて帰ってきた僕に、冬月が言った。
「姫様方のお部屋は東と西の対にご用意してございます」
「そうか」
素っ気無く言って、僕は風呂に向かった。
訪う気はまるで湧かなかった。だが、僕が手を出さぬと知れば、父が手をつけるだろう。目的のためには手段を選ばない男だから。それなら、せめて傷つかないように。そう思って、僕は心を殺した。想いと共に。
その時、どうして彼女を先に選んだのか、解らない。
気付くと、僕はアスカの部屋の前に来ていた。