「もう、知っていると思うけど。この特英市で最近、怪しい団体の怪しい事件が多発しているわ」
特英署の署内にある一室。
薄暗い部屋の中で、女性の凛とした声が響き渡る。
たいして広い部屋ではない。いくつか置かれた長机。それらに数人が着席している。女性は一番前に座って、彼等一人一人に視線を注いでいた。部屋のドアには毛筆で『特別会議室』と書かれた紙がはってある。
女性=特英署署長・小沢澄子は続ける。
「【衝撃団】【破壊会】【神の国】等々…。大きな被害にはなってないけど、一般市民に危害が加わらないよう、対策はとっとかなくちゃいけないの」
小沢は、目の前に置いてある書類を持ち上げ、軽く振って見せた。ついでに不敵な笑みも見せる。
「そこで、ここにいるメンバーで特別チームを作る事にしたわ。主な任務は、怪しい団体からの一般市民の安全確保。それから怪しい団体の詳細解明。本格的な活動は明日から。詳しい事はこの書類に書いてあるわ」
その書類を丸めて持つ。
「じゃ、そういう事で、各自それぞれ用意をしておくように」
小沢は立ち上がると、そのまま特別会議室を後にした。
廊下に靴の無機質な音が木霊する。
静まり返った特別会議室の中で、氷川誠は、同じように椅子に座っている一条薫を見やった。
恐る恐る問う。
「……小沢署長は…本気なんでしょうか…?」
一条は半分諦めの入った表情で、氷川を視界に入れた。
「…あの人はいつでも本気だろう」
たった二人しかいない特別会議室に、その呟きは妙に大きく響いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
花は咲き乱れ、温かな日差しが降り注ぐ春の昼過ぎ。一仕事を終えた主婦二人は、東英町一丁目にある本郷邸でくつろいでいた。
持参したキャベツクッキー(手作り)を摘みながら、本郷家のお隣、氷川家の名物妻=津上翔一は微笑した。
「静かですねぇ…」
リラックスしきった津上の言葉に、卓袱台を挟んで向かいに座っている本郷家の賢妻=一文字隼人は、苦笑に似た笑顔を返した。
「そうだな。風見と結城は小学校。敬介・アマゾン、それから末っ子の茂も保育園に行ってるからな」
本郷家には五人の子供がいる。長男・風見志郎と次男・結城丈二は双子で、今年東英小学校に入学した。三男・神敬介は早川東英保育園の年長組。四男・アマゾンこと、山本大介は年中組。五男・城茂は年少組に通っている。
ちなみに、一家の大黒柱=本郷猛はIQ600の生化学の科学者であり、世界的に有名はモトクロスの選手でもある。その妻である一文字隼人は、子供が出来るまでは世界を又にかけたフリーカメラマンで、主にバイクレースなどを撮っていた。
「そうなんですよね!茂君も、保育園に通うような歳になったんですよね!双子君達も小学生になっちゃったし、いやぁ〜、時が過ぎるのは早いなぁ」
堪らず、一文字は吹き出した。
「お前の所の葦原涼だって、後三年程したら小学生だろ」
氷川家の一人息子=葦原涼の仏頂面を思い出しながら一文字。
「そうですね。アマゾン君と一緒だから、入学式には是非一緒に出席しましょう!勿論、氷川さんと本郷さんも一緒です!」
「あはははは…」
「小学校か…、友達百人できるかなぁ〜♪…ですね!」
自分が小学生の頃を思い出しているのか、津上は遠い目をしながら口ずさんだ。
その様子に、一文字の顔に微笑が漏る。
「そう言えば、風見達にも新しい友達が出来たらしい。…何て言ったかな?……確か……葉山…健治…」
「葉山君ですか?」
「ああ。何でも父親が科学者らしい。本郷が一度会った事があると言っていた」
「この東英町って科学者の人口多いですよね。本郷さんもそうだし、今度〔ゆうれい屋敷〕に越して来た人も、海堂って言う科学者らしいですよ」
〔ゆうれい屋敷〕とは、本郷邸近くにある空家の事で、〔屋敷〕と言うだけあって、それなりに敷地も建物も大きい。だが、長い間誰も住んでなかったらしく、酷く荒れており、風の強い日などは不気味な音が聞こえてくる。更に二十数年前そこで殺人事件があったとかいう噂まであり、近所の人は恐がって近づこうとしない。
〔ゆうれい屋敷〕という呼称は子供達が付けたもので、あまりにその屋敷に相応しい故、大人達も使用している。
「なんだ。あんなボロ屋敷に越してきたのか?物好きだな、その博士」
「僕もまだ会った事無いんですけど、見た人が言うには、『ゆうれい屋敷』に住むにはピッタリの人らしいです」
「???どんな人なんだ?」
と、台の上に置いてある電話機がけたたましい音を響かせた。
一文字は腰を浮かし、受話器を取る。
「はい、もしもし本郷ですが…―――洋先生?茂が何かやりましたか?―――え?…―――誘拐?!」
一文字の叫びに似た言葉に、津上は飲みかけていたお茶を思いっきり吹き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一時間前とは打って変わって、本郷邸は騒然とした空気に包まれていた。通報を受け、警察署からやって来た警官達が、なにやら物々しい機器を取り付けたりしている。
知らせを聞き、勤め先である城北大学から大急ぎで帰って来た本郷猛は、隣に座っている妻=一文字隼人と共に、目の前の人物に真剣な眼差しを向けていた。
重々しく口を開く。
「…本当に茂は誘拐されたんですか?」
「間違いありません」
本郷夫婦と、卓袱台を挟んで向かいに座っている人物=小沢澄子特英署署長は、お茶を一口飲んでから答えた。
「おそらく、ご子息を誘拐したのは【衝撃団】と名乗る怪しい団体でしょう。最近、特英市内で活動をはじめ出した団体です」
「…と、いう事は複数犯か」
と、一文字。
「ご子息らしき子供を抱えて走り去った、全身黒ずくめの男達を目撃したという証人がいますから、間違いないでしょう」
「全身黒ずくめ?」
「正確には全身黒タイツです。【衝撃団】の一部は、それを着用―――もしくは愛用―――しているようです」
その場にいる全員の顔が青くなる。
その時、いつも置いてある台の上から、卓袱台の上に移動させられていた電話機が、一時間前と同じように、けたたましい音を響かせた。
後ろを振り向き、部下=一条薫と氷川誠に逆探知を命令する小沢。電話に取り付けたイヤホンを耳にあて、本郷に受話器を取るよう促す。
本郷は慎重に受話器を持上げた。
「…もしもし、本郷だが」
『子供は預かった。返して欲しくば現金で五千万用意しろ』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、中年男性の声だった。機械で声を変えたりはしていないようだ。
「茂は無事か?!」
「話しを引き伸ばして…」
と、小声で小沢。
『今は無事だ』
「茂を返せ!」
『ちゃんと金を用意すればな。では、又連絡する』
男の声は消え、残ったのは無機質な機械音だけだった。
呆然とした様子で受話器を置く本郷。
「……切れた…」
「逆探知は?!」
と、小沢。一条は苦渋の色の濃い表情で頭を振った。
「そう。…それにしても五千万とは、又ふっかけてきたものね。本郷さん―――」
「分っています。今すぐ用意をしよう」
「出来ますか?」
小沢の問いに、本郷は無言で頷いた。
立ち上がり、一文字に視線をやる。
「隼人…」
それ以上本郷が言う前に、一文字も立ち上がった。
「解った。取って来る」
そして、一文字は居間を出て行った。暫らくして戻ってきた時には、手に通帳を持っていた。それを本郷に渡す。
本郷はそれを持って、外へ出、愛車に跨り銀行へと走った。
息子を助ける為に―――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
照明が落とされた洋風の部屋に、数人の男達がいた。
その内の大半は、黒タイツを着用している。頭部も同じ黒タイツですっぽりと覆っている為、彼等の容姿は全く分らない。腰部には鷲を模ったマークの銀のベルトをしており、それが彼等の所属している組織のシンボルマークである。
組織名は【衝撃団】。
黒タイツを着用している彼等は、【衝撃団】の一番下っ端であり、主に黒戦闘員と呼ばれている。
黒戦闘員達は、一人の男を取り囲むように立っていた。
その男だけは黒タイツを着用していなかった。その代わり、深緑色の軍服を着用し、左目に眼帯をして、赤い布地のソファーに座っている。
彼の名はゾル大佐。
悪の秘密結社【衝撃団】の最年少大幹部である。
彼は何かを待っている様子で、持っている鞭を苛立たしげに手の中で撓らせている。
と、部屋のドアが開いた。
黒戦闘員が一人、中に入って来る。
「イ―――ッ!」
【衝撃団】独特の敬礼をすると、黒戦闘員はゾル大佐の近くにより、報告をした。
「本郷猛は身代金を用意しました!」
黒戦闘員の報告に、ゾル大佐は満足そうに頷いた。事は彼の思惑通りに進んでいる。
と、部屋の壁に取り付けられている【衝撃団】のマーク=鷲マークの目が緑色に光りだした。そこから貫禄漂う不気味な声が響く。
『ゾル大佐、計画は順調のようだな…』
ゾル大佐は立ち上がり、鷲マークに敬意に満ちた瞳を向けた。
『次の用意はすんだのか?』
「お任せ下さい」
ゾル大佐は、黒戦闘員の一人に、ある命令をした。
黒戦闘員は部屋を出て行くと、暫らくして一人の子供を連れて戻った。言うまでもなく、本郷家の末っ子=城茂である。
縄で縛られてもいなければ、手錠をはめられている訳でもないが、黒戦闘員の腕の中でぐったりとしていて、意識は無いようだ。
城茂を鞭で示しながら、ゾル大佐は鷲マークから漂う声に説明をはじめた。
「首領。この子供が城茂です。この子供が我等の手にある限り、奴等は我々に手は出せません」
『うむ…。だが気は抜くな。この計画は、我が組織にとってひどく重要なモノだ』
悪組織【衝撃団】首領は厳かに言う。
「解っております」
大仰にゾル大佐は頷いて見せた。
『期待している』
その言葉を最期に、鷲マークは静かになった。
首領との通信が終った証拠だ。
ゾル大佐はそれを確認すると、黒戦闘員達に向き直った。
城茂を連れてきた黒戦闘員には茂を牢屋に戻すように命令し、他の戦闘員には次の配置につくよう命令を下した。
戦闘員が全員出て行くと、彼は又ソファーに座った。近くのテーブルに置いてある電話の受話器を取る。
彼は微笑を漏らすと、ダイヤルを回しだした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「シゲル…、ダイジョウブカナ…」
本郷邸二階にある〔子供部屋・その二〕の中を、所狭しと駆け回りながら、本郷家四男=アマゾンは心配げに呟いた。
その様子を見ながら、三男=神敬介はため息をついた。
階下から何やら騒々しい雰囲気が漂ってくる。おそらく、茂を助け出す為、大人達がその準備をしているのだろう。
本当なら、自分達もその手伝いをしたい所だが、敬愛する両親からジッとしているように言われた。子供がいては邪魔なのだろう。仕方がない事だが、どうしても落ち着けない。
敬介も、アマゾンも茂の身が心配でならない。
(でも、ボク達じゃ何もできない…)
と、突然〔子供部屋・その二〕の襖が勢い良く開かれた。
「ガウ?」
「…兄さん」
廊下に立って襖を開けたのは、長男=風見志郎と次男=結城丈二の双子だった。風見は自分の靴を持ち、その後ろで結城は自分と弟二人分の靴を持って立っていた。二人ともランドセルを背負っているのだが、何やら色々詰め込んであるらしく、妙に形がいがんでいる。
惚けた顔で兄二人を見ている弟二人に、風見は真面目な顔で口を開いた。
「行くぞ」
「………どこへ?…」
一体風見が何を言っているのか解らない敬介は、ただそう聞き返した。しかし、風見はその問いには答えず、無言で〔子供部屋・その二〕へ入り、奥へと進む。
敬介の問いに答えたのは結城だった。
「さっき、茂をゆうかいしたヤツから電話があった。お父さん達はこれからお金をもって茂を助けにいく。ボク達も茂を助けにいくぞ」
「どうやって?」
「お金が入ったカバンにハッシンキをつけた。それでお父さん達のあとを追う」
結城は言い終わると、敬介とアマゾンを風見の方へと向かせた。
弟達が見守る中、風見は部屋の奥にある窓を開けた。子供だと目もくらむ高さ―――の筈だが、風見は持って来た靴を履くと、臆する事無くスルスルと降りだした。ものの数分で庭に下り立つ。
風見は、窓から事の顛末を見ていた弟達を見上げると、降りて来るよう指示した。
敬介は隣にいるアマゾンを見た。
その次に、後ろに立っている結城を見る。
三人は互いに頷きあった。
結城が持って来た自分達の靴を履くと、神敬介・アマゾン・結城丈二の順で風見のように窓から下りた。結城が庭に下り立つと、風見を先頭に、こっそりと裏口から塀の外へ出る。
子供達全員が道路に出た時、玄関の方から両親の声が聞えて来た。重く、神妙な声だ。
「…行くか」
「そうだな」
風見が物陰からこっそりと覗くと、両親は彼等のいる逆の方向へと歩いて行くのが見えた。
風見は振り返ると、結城を見た。
風見の言わんとする事を理解した結城は、ランドセルの中からストップウォッチのような物を取り出した。発信音波受信機である。手からはみ出すほど大きな発信音波受信機のスイッチを入れると、深緑の画面に黄緑の光が点滅しだした。
正常に作動する事を確認すると、それを目顔で風見に知らせる。
風見は頷くと、弟達と円陣を組んだ。
「今から父さんたちのあとを追う。気付かれないように離れていくが、気をぬくな!父さんたちは武道のたつじんだからな」
「おう!」
気合も新たに、兄弟達は両親が歩いて行った道を辿りだした。
誰にも気付かれないよう、慎重に―――。
しかし、そんな兄弟達を見ている者がいた。
特英署一・真面目で不器用だと有名な氷川誠である。
本郷邸の窓から子供達を見、氷川は首を傾げた。近くに立っている上司に問う。
「あの子達はここの家の子供達だ。…一体何をしているんでしょう?」
氷川に問われ上司である小沢署長も、妙な姿勢で歩いている子供達を見る。
「刑事ごっこじゃない?」
と、その時。警察署に残っている警官と連絡をとっていた一条がいきなり走り出した。
「待ちなさい!どこへ行くの!」
小沢の声に立ち止まる一条。早口で告げる。
「子供達を連れ戻してきます」
そのまま又外へと走り出す。
しかし、再度小沢の静止の声がかかる。
「待ちなさい!」
一条は律儀に立ち止まり、小沢をかえりみる。その顔には戸惑いの色が濃い。何故署長が彼を引き止めるのか解らないのだ。
「子供が一人誘拐された今、他の子供達が外で遊ぶ事は危険です」
「それは分ってるわ。でもちょっと待ってくれる?」
「…どういう事ですか?」
と、怪訝な表情で氷川。
「私達、特別チーム【G3=K】の主な任務は、怪しい団体からの一般市民の安全確保。そして怪しい団体の詳細解明…」
「………」
一条は真剣な表情で小沢の話を聞いている。
「詳細を解明する為には、奴等の目的を知らなければならない。もし、このまま子供達が外にいて、あの子達も末っ子のように誘拐されたなら、犯人の目的は身代金以外にもあると言う事―――」
「待ってください、署長!」
堪らず、氷川は小沢の言葉をさえぎった。
「という事は、署長はあの子達を囮にするつもりなんですか?!そんな事、非人道的です!いけません!」
「それは充分承知しているわ。氷川君」
必死の剣幕の氷川を手で制し、小沢は一条にピタリと視線をすえた。
「貴方に指令よ。あの子達の後を追い、守りなさい。命をかけてね」
「…分りました」
小沢は微笑を浮かべた。
「そう、じゃ早く行きなさい。見失うわよ」
一条は素早く小沢に敬礼すると、そのまま本郷邸を飛び出し、子供達の後を追った。
小沢はそれを見送ると、今度は呆然としている氷川に向き直った。彼の背中を少し強めに押す。
「ほら、私達も指定場所に行くわよ」
「は…はい!」
小沢は若い警官を一人呼んだ。
少し頼りなさ気な警官=尾室隆弘は小沢の前で敬礼をした。
「私達はこれから誘拐犯人が指定した工場跡へと行くわ。後は宜しくね」
「はい!任せて下さい!」
署長に期待をかけられたと思い、張り切って答える尾室。
小沢も満足そうに頷いてみせる。
小沢は氷川を連れ、本郷邸の居間を後にした。
障子を閉める時、小沢は尾室に笑顔を見せた。
「じゃ、一人で頑張ってね」
「…………はい?」
たった一人しかいない本郷邸の中で、尾室の声が良く響いた。
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