「オマエなッ!驚いているなら驚いてるって態度で示せよなッ!オレのアタマがおかしくなったかと思ったじゃねぇかッ!!」
不埒な手を引き剥がしながら、かわいく頬を膨らませて怒鳴り声を上げる恋人に苦笑する。
よもやポーカーフェイスで誤魔化していたなんて勘違いしているらしいけれど、実際驚いてはいなかったのだから何とも返答のしようがない。
性別が変化していることは、帰ってきた新一を一目見てわかった。
恋人は元々、やわらかくて甘くて良い匂いのするイキモノだ。その上、華奢で手折れんばかりに細く、何よりも極上の美人。
だから女の子になったからといって、そういう雰囲気や外見的なもので判断することはできないが。
オスかメスか、なんて。
怪盗として鍛え上げた本能的な感覚が直観的に教えてきた。
(コドモになったりオンナノコになったり…なんて忙しい体なんだろ)
非現実的な経験をしたのを知っているせいで、柔軟なアタマはすんなりと現実を認識する。
取り合えずどうして変化したのかという原因より本人がソレをわかっているかどうかが心配で、それとなく言葉を選びながら問い掛けてみた。
でも、全く驚かなかったというワケでもない。
だって、よもや照れ屋な恋人が自ら服を脱がせだなんて要求をするとはね。
最愛の人がくれた最高の幸運は、やはり最上の幸福を運んでくれる。
LUCKY FORTUNE
―後編―
「動悸、息切れ、痛み、発汗、発熱、その他何らかの症状を感じた?」
「いや、全然」
「何か妙なモノや他人からもらったモノを口にした覚えは?」
「いや、快斗が用意したもの以外は…」
「何処かで変なガスを吸ったとか、薬物を吹き付けられた覚えは?」
「いや、そんなのあるわけないし…」
「誰かに頭を殴られて、怪しいクスリを飲まされた覚えは?」
「いや…って、なんでそんなことまで聞くんだよ!」
なんだかバカにしているような質問をされて、大人しく診察を受けていたのも束の間、苛立ちを再燃させた。
しかし、目の前の少女はそんな態度に動じるような柔な器ではない。変化した新一の体を見てもため息を一つ吐いただけで、「全く持ってあなたはトラブル体質ね」と呆れた口調で片付けたくらいだ。
「あなたね、そのために私をこんな深夜に実験の中断までさせて呼びつけたんじゃなかったの?原因を探すためにごく当然の問診をしているのに、何か問題が?」
「だって!原因がわからないから灰原を呼んだんじゃねぇか!誰かに頭を殴られて怪しいクスリを飲まされたんならそう言うさ!」
「あら、誰かに頭を殴られて一時的な記憶喪失だってこともありうるじゃないの」
「え…?そうか、それもアリか…」
まさかそういう可能性があったのかなんてトボけた思考に走った新一に、哀は簡潔に結論をだした。
「私にはわからないわ」
「わ、わからない…って!だってクスリの副作用以外…」
「違うわね」
きっぱりと究明の糸口を断ち切った哀に、本日何度目かのフリーズを起こす。そんな新一の代わりに、診察を見守っていた快斗が口を開いた。
「問題は新一自身が全く変化に気付かなかった、ってことだな」
「そうよ。クスリが原因なら化学的な作用を起こした結果、ということですもの。副作用にしても、徐々に何らかの変化が対外的に起こるはず。でも、私は気付かなかったしあなたも、ね」
「ああ。化学的に変化したというのなら何らかの化学反応がなければおかしいってことだから――」
「結論は化学的な変化ではない、ということ。よって、私にはわからないし、どうしてあげることもできない」
化学反応が何を示しているのか、新一はイヤというほど知っている。死ぬほどの激痛に体が解けてしまいそうな苦しみ、そして細胞ごと作り返られていくおぞましい感覚。
そのどれもがなかったということは、即ち唯一原因だと思っていたことが見当違いで、元に戻る方法がまるでわからないということだ。
がーんという擬態語まで聞こえてきそうな新一のショック具合に、快斗はソファーの上に投げ出されている白い手を握り締めた。やはり骨格には性差というものがあるせいで、今までよりも少しばかり小さくなった手は悠々と掌の中におさまってしまう。
きっとその事実は余計に新一にショックを与えるだろうけれど、快斗にとっては、変化してしまった体とともに然程も悩むべきことではなかった。現実主義的な思考からではなく、単に恋人に対しては限度なしの寛容な心をもっているが故だ。
その点、現実的なことを重視する哀は、実にあっさりと言い放つ。
「別段、性別が変わったからってこれといって困ることなんてないでしょ。命に別状はないんだし、見かけだって大して違わないんだし」
「な、なに言ってんだよ…!全然違うじゃないか!ヘンなところが出っ張ってるし!ないといけないところはなくなってるし!それにそれに!何が悲しくて『美少女探偵!』なんて呼ばれなきゃいけねぇんだッ!」
「は?」
ローテーブル越しに座った哀が、ショックのあまりに気がヘンになってしまったのかと思わず身を乗り出すと。快斗がつい先ほどのことを思い出した。
「そういえば、佐藤さんがブラジャーをしろとか言ったんだって?」
「ブラジャー?いきなり?」
「そうだよ!花も恥らう年頃だとか、男装するにはムリがあるとか!最初は犯人のヤローの嫌味かと思ったのに、服部や白馬まで妙なことぬかしやがるし!」
「それってつまり、」
「どうしてか皆、オレがオンナだと思ってやがるんだよ!」
「そう」
名探偵の推理ポーズを真似て、哀は顎に手をあてた。
確かに新一は、恋人が手放しで誉めまくるくらいに美人である。しかも絶世の美貌を誇る母親似の女顔でもある。だがしかし、性別を超越した美人と言われたことはあっても、決して性別を間違われたことは哀が知る限りない。無論、コドモの姿のときは別として。
第一、"工藤新一"は工藤夫妻の一人息子――オトコであることは世の誰もが当然として知っている常識だ。
「つまり、あなたが突然女の子になってしまったせいで皆がパニックに陥って、事実を納得するために集団催眠にかかった、ってことかしら?」
「かな…?だって快斗も灰原もオレがオトコだってわかってるし」
「あ、そういえば」
快斗は唐突に声を発するとソファーから立ち上がった。そして、断りなくリビングから出て行くと、すぐに戻ってくる。
「快斗?」
「黒羽くん?」
何事かと首を傾げた二人をよそに、廊下からコードごと引っ張ってきた電話をテーブルに置くと留守録の再生ボタンを押した。
入っていたのは延々とすすり泣く声。どうしてわざわざ悪戯電話を聞かせる真似をするのだろうと新一が首を捻った時、それは始まった。
『…しくしく…(略)……ああ…とうとう新一くんも…18歳だね……ううっ…来なければいいと…ずっと願っていた日がとうとう……うううっ……(略)…一人前の年になったと…喜ばなければならないのに……でもでもっ……決して、お嫁に行っていい…ってわけじゃ…なんだよ…っ……ぐすぐす…(略)…パパは…あんなに頑張って…頑張って…新一を一生懸命男の子として育てたのに……男の子の名前までつけて…なのに…あぁっ…やっぱり有希子の子だからねぇ……誤魔化しようのないくらい綺麗になってしまって……うううっ……パパは…キミを花嫁になんてだしたくないよ…っ!…………しくしく…(略)…でも、キミの花嫁姿は…綺麗だろうねぇ……そりゃあ有希子の娘だもの……でもでも…花嫁の格好は嫁にいかなくてもできるからね!……あぁ…パパを捨てないでね…結婚しなくても絶対にパパが幸せにしてあげるから……ぐすぐす…(略)……キミは男として生きていったほうが絶対にいい!…結婚したら本当に不自由だからね!…男のほうがいっぱい自由があるから……探偵だって続けられる――プツッ』
酔っ払いの愚痴というか泣き言というか、録音できる時間いっぱいに呂律の回らない声で吹き込まれたメッセージ。内容も内容だが、吹き込んだであろう人物を脳裏に描いて、新一は頭を抱えた。
格好つけで気障で、スマートが売りのはずの父親のこんな姿なんて覚えがない。勿論、原稿に追い立てられている時という例外はあるが。だからといって、こんなに酔っ払って泣きながらグチグチと見苦しいことこの上ない状況なんて、天と地がひっくりかえっても在り得ないはず、なのに。
帰宅した時にどうして恋人が出迎えてくれなかったのかがようやくわかる。
こんな意味不明な言論をしている世界的大作家に対して、いくら快斗といえども周りに気を配れないくらいに理解不能な状態に陥っても仕方ない。
「―――つまり、事実を突きつけられたパニックで誤認識したのでも集団催眠にかかったのでもなく、どうしてかあなたのお父様まであなたのことを元から女の子だと思っている、ってことね」
「…あ、の…くそ親父…ッ!」
快斗を前にしてあまりにも恥ずかしい姿を晒してくれた父親に、新一は激昂してしまう。それにさらに油を注いだ哀は、静かに言い放った。
「つまりこれは。私ではなく、黒羽くんのほうに心当たりがあるんじゃないかしら?」
「科学的ではなく非科学的、ってことか」
「確か、あなたのクラスメートに魔女がいるって聞いたけど」
「いるな」
「…それって小泉さん、だよな…」
同意した快斗に、新一も当該人物を思い浮かべて憤怒から我に返る。
彼女のことは実際に会ったことがあるから知っている。何より快斗が口にしたことがある女性の名前だから、よく覚えている。
"魔女"という言葉がしっくりとくる、どこか神秘的で妖美な姿は忘れられるものではない。
「じゃ、じゃあ!コレって魔法のせいってことなのか?!」
「ああ…確かにアイツなら可能性としてはアリだが」
「が、なんだよ?できたんなら、元に戻すことだってできるんだろ?!」
「…とりあえず、聞いてみるか」
快斗は釈然としない様子で携帯にナンバーを打ち込み始める。
原因がわかれば元に戻る方法だってわかるというのに率先さが見受けられなくて、不機嫌と不審さも露わに新一はキツク柳眉を寄せた。
途端に、快斗は苦笑しながら手を伸ばしてくると、強張った眉間をやさしく解す。
やわらかな気配が浸透してきて、絆されてはダメだと思いつつも気持ちのよいぬくもりに状況を忘れてまどろんでしまう。
それも十数度目かのコール音が途切れ、応答してきた女性の声が聞こえるまでの間だったけれど。
『……今、何時かわかっていてかけているのでしょうね?』
「午前3時前だな」
二人にも聞こえるようにスピーカーホンにしてある携帯からは、深夜の電話に対する不快さが存分に届けられる。思わず背筋をヒヤリとさせた新一に、快斗はどこ吹く風といった感じだ。
『わたくしを叩き起こすだなんて、いい度胸だこと』
「悪いな。お前はオレと同じく夜行性だと思っていたんでね」
『重ねて言うけれど、本当にこのわたくしに向かっていい度胸だことね』
「悪い」
冷たく威圧的な口調に気にするでもなく淡々とした受け答えをする快斗に、紅子は諦めたようにため息をついた。
『それで?光の魔人に何事か起こったのかしら?』
「なんでそう思う?」
電話の向こうの女性が自分のことを口にしたことに、新一の肩がぴくりと動く。
『あなたがわたくしに用があるなんて、それしかないでしょう。今までだってそうだったのだから。違って?』
「まあな」
『それで?』
「お前、以前にさ。新一がもし"彼女"だったら、今以上にオレは大変だったろうと言ったことがあったよな」
どこか揶揄するように、妖しげな微笑みを浮かべながら――とは、さすがの快斗も付け加えない。
『何をバカなことを言っているの?光の魔人は"彼女"なのに、わたくしがそんなこと言うわけないじゃないの。わたくしは、「光の魔人が例え"彼"だったとしても、あなたの苦労は今と全く変わりはない」と言った覚えはあるけれど』
聞き捨てならない発言と妙な言い回しに、新一は再度きつく眉を寄せた。が、快斗の言葉を一蹴して、なおかつ先ほど以上に聞き捨てならない彼女の発言に、今度は零れんばかりに瞳を見開いた。
「そうか、睡眠中に悪かった。じゃあな」
『ちょっと、黒羽く…』
もう用は終わったとばかりに一方的に通話を切ると、快斗は愕然としている恋人の頭をそっと撫でた。
「ど、どういうことだよ?!」
「だからね。いくら心を奪われても同性だからと歯止めがかかっている人たちも、異性となれば遠慮はしない。黒羽くんはさぞ気が気ではない状況に置かれることになる――モテる恋人を持つ男に対して、魔力をちらつかせつつからかった、ってとこね」
「そう。紅子はオレを困らせるのが好きだから」
「全く、モテるってのも大変ね」
「そうじゃなくってッ!つまりはどういうことだよ?!」
快斗と哀と二人して苦笑しながらの見当違いの発言と、哀が暗に示した事柄にキレた新一はドンとテーブルを叩く。
「つまり、問題は彼女が魔力を使ったか使わなかったかということで、今回は使わなかった、ってことでしょ」
「その通りだな」
「…な、なんでそんなことがわかるんだよ!?トボけてるだけかも……」
再び究明の糸口を断ち切られてなるものかと反論を試みるものの、あっさりと快斗は首を横に振った。
「もし紅子の仕業だったら、自分の魔力を自慢しつつ高らかに宣言するよ。それにね、コレは紅子にはとても手が余ることだと思うんだ」
「え…?」
「これまでの紅子の仕業から察するに、魔力というのは時間的制限とか空間的制限を受ける。けど、新一のことを女の子だと思っているのは、変化したと思われる現場にいた人たちだけじゃない。日本から遠く離れたロスにいる優作さんも"娘"だと認識している」
「つまり、制限を受けないほどの何か途轍もなく大きな力が作用している、ってことなのね」
「おそらく。魔女である紅子すら掛かっているからな」
「じゃあ…オレは一体…どうなるんだ…?」
どこまでも冷静に物事を判断してくれる快斗と哀に対して、反論する余地などこれっぽちもなく。目の前が真っ暗になってしまった新一は力なくソファーに沈む。
「どうって、どうしようもないじゃない。原因がわからないんだから」
「そうだよな。それに体に何らかの悪い影響を及ぼすワケでもないし、そんなに気にすることもないだろ」
「そうよね」
「そうじゃないッ!」
さっさと結論を出されてしまうのはたまらず、新一は落ち込んでいる場合ではないと立ち直った。
がばっと背もたれから起き上がる拍子に、胸が弾んでしまうのにももう気にしてなどいられない。
「例えこのままだとしても原因がわからないことには気持ち悪いだろ?!寝覚めだって悪いし!皆が皆、狐につままれた状態なんてあんまりだと思わないか?!」
「でも、私はあなたが元々男だったことはわかっているし」
「灰原!お前、曲がりなりにも科学者だろ!原因を知らずに結果だけ見て満足するのか?!」
「はいはい、わかったわよ」
あまりにも必死なものだから突き放すこともできず、半ば投げやりに哀は同意する。そんな彼女と縋るように見つめてくる恋人の気分を和ませるべく、快斗は腰をあげた。
「じゃあ、取り合えずコーヒーでもいれてくるな」
「ついでにお夜食でも作ってくれる?」
「OK」
長丁場になるならそれなりに腹ごしらえは必要と考える。なんと言っても、快斗は副業に、新一は事件に、そして哀は実験と夜通し働いていた3人だ。が、新一は良しとしない。
「ちょっと待て!何でそう悠長なんだよ!」
「でもね、腹が減っては戦はできぬって言うでしょ」
「腹が減ってるほうがアタマの回転は良いんだよ!」
「もう…しょうがないわね。じゃあ、さっさと片付けるわよ」
一度言いだしたら引かない頑固さを熟知しているから、哀に切り替えは早い。それに申し訳なさ気に、ソファーに座りなおした快斗が提案する。
「ゴメンな、哀ちゃん。今夜はディナーパーティするからさ、博士と来てよ。ついでに朝食も昼食もこっちで用意するから」
「是非そうさせてもらうわ」
徹夜に付き合わされるのでなければ、恋人同士の誕生日会なんて遠慮するものであるが。さすがの哀も疲れを感じていたから快斗流の埋め合わせに即座にのった。
「…オイ、今そんな話しなくってもいいだろ」
「はいはい。えーっとじゃあ、最初からいきましょうか」
「最初?」
「何時の時点で、新一の体が変化したか、だよ。取り合えず検証材料をださないとね」
もっともだと思いつつ、それならもっと早くそういう話をしてくれと文句が出かかったけれど。せっかく考える姿勢に入ってくれたのだから余計なことは言わないに限る。
うーんと唸りながら腕を組んだ新一は、当たってくる感触にハタとした。
「そうだ。あの時もこんな風に腕を組んだけど、その時はまだ何ともなかったんだよな」
「それって推理中か?」
「ああ。えっと、容疑者全員からアリバイを聞いて、矛盾点を考えてたときだから…現場に着いて、4、50分経ったくらい…12時少し過ぎだな」
「それじゃあ、その後はどうなの?」
哀の質問に、その時点からの経過を順追って思い出してみる。しかし、行動を思い出すことはできても、推理に集中しているときに"胸"がどうだったかなんてわかるはずもない。
「わ…っかんねぇ…。犯人のヤローがああ言ったってことは、もうなってたってことだから…」
「それはいつ?」
「えっと…一時過ぎ…」
「間違いないのね」
「ああ、だって…」
今夜は快斗をどうしても出迎えてやりたかったから、解決するのと同時に時計を見たのだ。結果、どう足掻いても間に合わないことを教えられた。
「…今夜は快斗…仕事だったから…無事に終わったかどうか心配で…あの時も―――」
何か記憶に引っかかりがあったのだろう。瞳を瞬かせた新一に、快斗は耳元に囁きかける。
「あの時…?何かあった…?」
そっと思考の邪魔をしないように誘導をかけると、新一は組んだ手を解いて右手を左胸へと当てた。
「そう…無線が聞こえたんだ。KIDが逃走中で…ダミーを掴まされて見失ったって……だから無事に済んでよかった、って…」
ほっとして胸に当てた手。
その時、なにやらヘンな感触がしなかったでもないような。
「手のひら…何かやわらかいものを感じたんだ?」
「ああ、ポケットに何かいれてたっけ、って思った」
「それって何時ごろなのかしら?」
ふたりの邪魔をしないように見ていた哀の問は、快斗に向けて。新一のように考えるでもなく、すんなりと返る。
「ダミーに気付かれたのは12時半を回ったくらいだ。オレが中継点から飛び立った後だから」
「だいたいその30分の間ね」
おおよそ絞れた時間に、起因となった何かを知る術はないものかと模索してみる。
「まず、どうして今日だったかってことよね」
「誕生日だから、とか?」
「それなら0時丁度か、新一の生まれた時間のどちらかだろう」
「そっか。じゃあ関係ないのかな」
一番有力そうな理由に見えたのだが、生まれた時間とは離れているから無関係と言われればそうかもと思ってしまう。
「じゃあ誕生日以外で、って言ったらなにかあったっけ?」
「そうね…その30分の間に、いつもと違う何かがあった、とか」
「あ、」
短い音は、普段の快斗の声より1オクターブは高い。思い掛けなかったことを、思いもよらないタイミングで、ようやく思い出す。
「快斗?」
「黒羽くん?」
探していたのは新一の心当たりのはずなのに、快斗のほうに心当たりがあるだなんて。目を丸くした新一と面白そうな展開を期待した哀は、快斗を振り仰いだ。
すぐさま今夜の出来事を整理し点と点を結んで一本の線にした快斗は、瞬きの間だけ視線を泳がす。そして、苦笑しながら口を開いた。
「アレは幻聴か気のせいとばかり思っていたから。それに、よもやこういう事態になるだなんてね」
「…快斗?どういうことだよ…?!」
「あのね、新一。今夜の石はパンドラだったんだ」
「え…っ」
「まあ…」
さすがにそんな答えが返るとは予想できるはずもなく、哀すらもしばし驚きに支配される。
中継に選んだビルの屋上に降り立って、すぐに月へと石をかざした。
どうせ今回もハズレだろう、と諦めがあったのは本当。
けれど、期待していなかったと言えば嘘だ。
『オレの最高の幸運を、オマエに全部くれてやる』
誕生日だからと、幸運を約束してくれた彼。その言葉に促されるように、石を通して覗き見た月。
「…っ!」
電流が走ったように震えた手。
清浄な白い光は真紅に変わり、瞳に映った。
これで全てが終わったという感慨よりも先に、反射的に宙へと放った。呪われし石を一瞬たりとも持っていたくないとばかりに、懐から取り出した銃で撃ち抜いた。
禍々しい血の色をしていると思ったのに、あっさりと砕け散った石の赤はまるで命の煌きのようだった。
闇に染まることのない綺羅星。封印から解放されたのを喜んでいるのか、躍動すらしているみたいで。
そして。
―――ネガイヲイエ―――
吹きすさぶ夜風に混ざって、声が届いた。
「……ような気がしたんだ」
「気がした、って…実際に願いを口にしといて何言ってんだ!」
「言ってないよ。そんなこと言うわけないじゃないか」
「ならなんでだ?何でオレが女なんかにならないといけないんだよ!」
「工藤くん、落ち着きなさい。話が進まないじゃない」
哀に窘められて、憤りを収めようとするけれど。恋人を"女"にしてくれ――だなんて願いを口にされるのは、今までの男としての自分を拒否されたようで冷静に聞いているなんて新一にできるはずもない。
きっと快斗を睨みつけると、呆れたように哀がため息をつく。
「あのね、工藤くん。もし黒羽くんがそう願っていたとしたら、私たちがこうやって何時間もムダに時間を過ごすことはなかったはずでしょ?」
「…あ、そっか。じゃあ…なんでだ?」
言われてみればその通りで、ついさっきまで快斗は自分に要因があったなんて気付きもしなかったのだ。
睨むのを止めて問い掛けると、快斗の苦笑がさらに深まる。
「原因はコレ」
「お守り?」
ブルーのシャツの胸ポケットから取り出されたものは、出掛けに新一が預けたものだ。安産祈願と刺繍してあるソレに、快斗の希望が絶えず生まれてくることを願って。
ソレとこの事態が一体どう結びつくかが分からずに、新一は首を捻る。
「だからね、新一の願掛けもかなったようだし本来のイミで使わなければ失礼かと思ったんで、つい"頑張って子作りするか"って言ったんだよ」
「……は?」
「ほら、初詣のときに今年の抱負だって決めただろ。別に深いイミがあったわけじゃなくて、冗談というかシャレのつもりだったんだけどさ」
「言いように取られたわけね」
「ああ。確かその時も、ワカッタとか何とか聞こえた気がしたんだよな」
「成る程、そういうことだったの」
「ちょ、ちょっと待てよ?!どうしてそれでこうなるんだ?!」
云々と頷きあう二人に、今だ持ってワケがわからないままの新一は表情に疑問符をいっぱいに貼り付けて問うてくる。
「だから、子作りするには男同士じゃダメでしょ?それでどちらかが女にならなければならないから、あなたがそうなったというワケよ」
「そんなの納得いくか!快斗が願ったことになってんだから、快斗がなるほうが自然だろ?!」
(自然って言われても、人には向き不向きってもんがあるんだし)
(抱かれている立場からして、そちらのほうが自然だって考えるもんじゃないのかしらね)
新一の主張にそれぞれ思うところはあるけれど、機嫌を逆なですることがわかっているから口にはしない。その代わりに、快斗はお守りから紙片を取り出した。
「ほら、新一。これ、覚えてるよな?第一、ここにいれたのは新一なんだからさ」
「あ…!そ、れ…っ」
「おみくじ、かしら?」
「そう。今年の初詣で新一が引いたんだ」
小さく折りたたまれているおみくじを広げて、そこに書かれている文字を哀に見せる。まさか快斗に知られているとは思っていなかった新一の顔は、あっという間に真っ赤にそまった。
「あらまあ、永遠の伴侶と子宝に恵まれた上に安産だなんて。さすが大吉ね」
「これを大切にお守りのなかに入れているから、新一も同意していると受け取られたんじゃないのかな?」
「そ、そんな…っ!!」
真っ赤な顔から一気に真っ青になった新一は、原因が判明すれば元に戻る方法がわかるということが儚い望みであったと理解した。もしこれが"呪い"とかならば可能性はあっただろうが、どうしたってパンドラを解放した快斗に対するご褒美でしかないのだから。受け取り拒否をしなかった以上、もはや返す術などあるはずがない。
「ど…どうすりゃいいんだよ…?!」
「どうって、別に今まで通りでいいんじゃないか?何も問題ないだろ」
「そうよ。さっきも言ったけど、見かけは大して変わらないんだし。黒羽くんはゲイじゃないんだから、恋人の仲だってそのままだし」
どうしてそう簡単に言ってのけられるのか、一度二人の頭をかちわって調べてみたいと思いつつ。感化されてしまったほうがラクなのかと新一は思い始める。
「なんで…オレの誕生日にこんな目に……快斗にオレの幸運を全部やったのが悪かったのか…?」
「違うよ、新一。誕生日は奇跡の日なんだろ?だから、神様がとっておきのプレゼントをくれたんだよ」
END
05.05.31
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