天空に輝く白い月。
日が経つにつれ満てゆき。
日が経つにつれ欠けてゆく。
そんなふうに、いつかは冷めていく想い。


胸の高鳴りを持て余し、愛しさに溢れた心。
だけど、戒めた。
今まで誰にも感情を動かされなかった自分。
恋の何たるかも知らなくて、それはホンモノなのか。一時的な熱に魘されている状態に過ぎないのではないのか。
同性で、それ以前に相対する者同士。叶うべくも無い恋に、心を費やすなど無駄でしかない。

だから、忘れてしまえと。
何度暗示をかけるように言い聞かせたことだろう。
極力、近付かないようにして。見ないようにして。努力することを初めて学んだ。
理性、忍耐、精神力、どれも自信があったのに次第に侭成らなくなっていった。
満ちて欠けるどころか、どこまでもどこまでも膨れ上がっていく想い。


そして、迎えた刻。
場所は中継地点。予告した逃走経路のビルの屋上。


どうして、あんなことになったのか。記憶はひどく曖昧だ。
視線が重なった瞬間、蒼い光に飲み込まれたとしか覚えていない。
想いを告げようと決心していたわけでも、手に入れたいという凶暴な感情に支配されたわけでもない。


思えば、あの日は満月だった。
隠された本性を暴き出す、真実の夜。













amnesia 3  













手を伸ばしても、逃げない体。
力をこめても、身じろぎもしない。

見つめれば、見つめ返してきて。
唇を合わせれば、甘い吐息を分けてくれる。


呆気ないほど簡単に受け入れてもらえた。
予測もつかなかった意外さ。
驚きに支配されながらも、決して嫌がらなかった彼。慣れているはずもなく、もちろん初めてだった。
だから、予想外の展開にも関わらず、幾度となく逢瀬を繰り返した。


どうしてなんて―――疑問をはさむ余地はない。自分自身にも彼に対しても。
彼が欲しくて堪らない心。そして、欲しがられている自覚。
好きとか愛しているとか。そんなコトバは一度だって交わしはしなかったけれど。お互いが抱いている感情は、誤解しようがなかった。




「…ん…あ…っ」
熱に浮かされた声とともに、白い腕が体へ回されてくる。
やわらかな肌を唇が強く吸い上げるたびに、心地よい声があがる。
しなやかな足の間に体を落として下へ下へと口付けていくと、引き止めるように頭を掻き抱いてくる。
「も……っかげん…に…」
切なげな瞳で見上げられた途端、やさしさなんて吹っ飛んでしまう。
熱く絡みつく柔襞を、少しずつ開きながら楽しんでいた指を引き抜き、浮き上がった背に手を入れて抱き起こす。
そして、膝の上に抱えあげた勢いで強引な繋がりを求めた。
「ああっ…!」
打ち込んだのははちきれんばかりの欲情の塊と。彼を求めてやまない狂おしいまでの心。
恥じらいもなくあがる歓喜の声。隠さずに応えてくる心。
尽きることがない愛しさは、激しさにカタチを変えて彼を貫く。
「ふ、あ…ぁっ…キッド…っ」
揺すりあげる都度、得もいえぬ美しい声で鳴いて。
律動に悶える肢体は、眩暈がするほどキレイで。
「キッド…キッド…っ!」
細腕からは信じられない程の力で縋り付いて、絶えず名前を呼んでくる。
ぴったりと触れ合っている肌と肌。一部の隙もなく重なり合っている体と体。心と心は、お互いに溶け込んでいる錯覚。
「キッ…ド……!」
一際高い声が幸福の絶頂へと導く。
昂まる体、精神、感情、心―――そのままに、彼へ気持ちを伝えたい。
それでも。好きと言うより愛していると告げるより、目の前で戦慄く唇が欲しいのだ。
コトバよりも雄弁に愛を奏でる、魅惑の唇が。
だから、彼の名前さえ口にしたことはなかった。





いつもいつも追っていたのは目先の幸せ。
逢えるのは人々の寝静まった深い闇の世界でだけ。夜明けまでの限られた時間しか与えられてはいない。
愛を囁く余裕なんてありもしない。

好かれている自覚はある。
愛してもらっている自信もある。
でも、彼からは求める言葉を何一つ聞いたことはないのだ。
抱きしめると、抱きしめ返す。
愛撫に応えて、甘い声を漏らす。
深い繋がりに、高揚した心を解き放つ。
与えたものには素直に返してくるけれど、彼の方から仕掛けてきたことはなくて。
限られた時間の、限られた逢瀬。
彼の心にも限りがあるのかもしれないと思った。


愛し合う行為に懸命になって、与えられるものに応えを返すだけで精一杯だとしたら。
好きとか、愛しているとか。そんなことを語り合うまでには気が回らないだろう。
どこか情緒が未発達なところがあり、鈍感な性質のヒトだから。心に許容もないのに、自分の全てを受け入れてもらいたいなんてあまりにも酷いハナシだ。
それに、自分は只人ではなく怪盗で。彼も只人ではなく探偵だから。
夢見る時間の、夢幻のような関係だけに満足しているとしたら、それ以上を望むなんてできるはずもない。
犯罪者だからと卑下したことはないが、それでも彼にとっては重い事実だろうから。


たまに、突飛なことをする。
このままいつまでも腕に抱いていられたらと、叶わない願いへ愚かにも縋っている時に。
行為にも慣れて失神しなくなった頃が最初。いきなり肩口に噛み付かれた。
何の前触れもない突然の出来事に、咄嗟の反応ができなかった。しばらくして、そっと目を開けて見ると、彼はもう興味なさ気にそっぽを向いた。
それからは、モノクルをぞんざいに扱われたり、獲物だった石を取り上げられたりした。思いっきり、肌にツメを立てられることもあった。
感じるのは蟠りと苛立ち。胸中に渦巻く気持ちを持て余して、釈然としない部分をぶつけてきている。
それが、現実との軋轢ゆえに生じているものだとしたら。本来の敵対しているという事実が、情愛に燃える心に棘のように刺さっているとしたら。
彼に対して、自分の全てを曝け出すことなどできるはずがない。

明けない夜はないからこそ、日が昇る前に退散する。だが、いつも明けない闇の中で溺れている感覚だった。





ぼんやりと人の流れを見つめる。
カフェテラスからは、駅前のロータリーやコンコース内を見渡せるために待ち合わせにはもってこいの場所。
それでも、座ったのは外側に面する目立つところではなくやや奥まった席。
湯気をあげていたコーヒーは、とっくに冷めていて。受け皿にのせてあるシュガースティックには手を付けていない。
さっきから濃い香を漂わせながら近づいてくる者たちが頻繁になってきている。周囲から見れば、どういう状態かはとてもわかりやすいはず。
実際、腕時計を見なくても駅入り口に掲げてある大時計でここにきてからずい分な時間が経っているのはわかっている。いくら無視で通しても、付けこむ隙があるように思えるのは当然だろう。




『今度の土曜日、1時に米花駅前で』

約束を口にしたのは自分の方。
初めて、彼が気持ちをコトバにのせて伝えてくれたから。嬉しくて、すぐさま取り付けた約束事。

あの時は何もかもが初めてだらけだった。
初めて、彼から話し掛けてくれて。
初めて、はっきりと興味を示してくれて。
そして、初めて本音を聞かせてくれた。

聞き間違いかとも思った。
込められている感情を都合よく解釈していいのかと、迷った。
だが、見つめてくる眼差しの必死さに、初めて彼の心がわかったのだ。
同じ想いで、同じ願いを抱いていること。限り在る時間の、限り在る関係では満たされないことを。
これ以上、想いを抑える必要などどこにもなく。だから、躊躇せずに願いを口にした。
唖然とした表情にどれだけ驚いているか知れたけれど、気持ちを伝えて安心させるより何より優先したのは自分のこと。
ひたすらに、彼に全てを受け入れて欲しくて堪らなくて。
彼の願いであるかのように、自分の願いを投げかけて。叶えてやるといういう態度は卑怯ですらあったが、どうあっても現実にしたかったから。

しっかりと頷いてきた彼の姿は、脳裏に焼きついている。
寝台の上に起き上がって、月の光に惜しげもなくさらされている白い肢体。薄闇のなかに浮かび上がるその様に、再燃しそうになる欲望。
冷静さを保たせたのは、喜びに煌く蒼い宝石。花のようにほころぶ唇、今まで見たこともない美しい微笑み。
これから、自分が護っていくべきものを知った瞬間。






彼が来ないなんて、思いもしなかった。
あんなに喜んで初めて笑顔で見送ってくれた彼が約束を破るなど、考えつくはずがない。
だから、何の心配も不安もなく迎えた今日という日だったはず。

「……仕方ないか」

もしかしたらと思い待ち続けていたのは、初めて彼と交わした大切な約束だったから。
でも、これ以上来ない人を待っても、何が変わるわけでもない。
待ち合わせから3時間が過ぎた午後4時であることを確認して、口をつけなかったコーヒーを片手に立ち上がった。






next 
02.06.10 


  
back
  ■story





PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル