Hey, darling!〜7 






一応は平穏を取り返した日常。
以前のように、大きな屋敷に一人で暮らして学校に通って推理に精を出す気ままな日々を送るはずだった。
実際、そういう一週間を送っていたのだ。
重い遮光カーテンが引かれているから朝か夜かもわからない暗い部屋で、目覚し時計が延々30分ほど鳴り続けた頃に起きて。
ぼーっとしているアタマが、着替えをして学校に行かなければならないと指示を出すのにこれまた30分ほどかかって。
もちろん時刻は切迫しており、朝食をするヒマなどあったものではなくて。
遅刻寸前に学校に飛び込んで、ぼんやりと授業を受けて。
昼ごろになれば、ようやくクリアな気分になって。
購買や食堂にわざわざ行く気はないから、自販機でコーヒーを買って。カバンに入れている黄色い箱に入っているものを食べて。
呼び出しがあれば現場に行って。
気力が残っていれば、コンビニで弁当を買って帰って。残ってなければ、これまた黄色い箱のものを食べて。
風呂に入って、ベッドに入って。だけど、まだ寝ることはなくって。
本を数冊枕もとに並べて読みふけっていると、夜も更けていって。
灯りを付けっぱなしのまま寝入ってしまって。
そして、また朝が来る。



それなのに、今朝は。
真っ白い眩い光に包まれて。
1日の始まりだと実感できる新鮮な空気が寝覚めを促して。
香り立つコーヒーの匂いに意識が擽られて。
髪を梳くあたたかな感覚に、アタマがはっきりしていって。

「おはよう」

優しい声とやわらかな眼差しを認識するや、瞬時に目が覚めた。
微笑みかけてくる人物をたった一晩で忘れるはずもないが、こんなに丁寧に起こしてもらえるなんて思ってもなかった。
第一、疲労困憊の呆れたような怒ったような声以外の挨拶も初めてのこと。新一の寝起きの悪さには天下無敵な両親でさえ手を焼いて、起こす面倒よりも起きるのを待つ面倒のほうがずっとマシだと思っているくらいなのに。
いや、それよりも。
新一はこうもすっきり爽やかに起きれた自分自身に驚いた。

「…あ…のさ…」
「なに?」
「…どのくらい…掛かった…?起こすの…」
「3分くらいかな」
「…………」

起き抜けからきちんと稼動している珍しいアタマで、もしかしたら長時間をかけてじっくりと起こされたからではないかとも考えたけれど。
ひどい手間を掛けさせてしまったのなら申し訳ないと恐る恐る聞いた新一は、快斗の返事に唖然とする。
もちろん新一だって寝起きが悪いことばかりではない。すぐに目が覚める時はある。
それは他人がいるとき。落ち着いて休むことなどできなくて、どんなに深い眠りのなかでも神経がザワつき、不快さから眠っていられなくなる。
だから、すぐに目が覚めた―――――とは、この場合は言えない。

(だって…昨日は…)





新一がお風呂から上がってくると食卓の上には料理が並べられていた。料理の数は3人分で、帰ったと思っていた哀が席についている。
「博士、研修会でいないの。彼がご馳走してくれるっていうから、甘えさせてもらったのよ」
もちろん、新一は哀がいてくれるのに問題はない。むしろ有り難かった。
昔は仲が良かったらしいが、自分はさっぱり覚えていない。その後ろめたさというものがあって、どういうふうに接すればいいかまだよくわからなかったから。
意外にも快斗と哀の間で会話が弾んでくれたために通夜のような食事にならずに済んだ。一役を担ったのが、料理の出来栄えだった。
家事は完璧だと豪語したとおりに、快斗の料理は見かけ味ともに素晴らしいもので。辛口な哀が素直に誉めるくらいの腕前だった。

「これ、よく短時間でできたわね」
「ガスレンジのグリルでしたからあっという間だよ」
「茶碗蒸にあんかけなんて…片栗粉じゃないわね。何かしら?」
「葛を使ったんだ」
「この香りはゆずね。オーブンで蒸すの?」
「いや、鍋に水を張ってそのなかに入れただけ。この方が早くできるし失敗しないからさ」

新一には話題にできそうにもない、調理法やら味付けの仕方やらの話に花を咲かせていた。だからといって疎外されることはなく、快斗は新一にもちゃんと話を振ってきた。おかげで楽しい夕食の時間を過ごせた。
そして、そのまま食後のお茶の時間に突入して、献立の決め方やバランスのよい食事とか栄養学的なことに発展し、新一の食生活がいかにヒドイものかにまで至ったのには堪ったものではなかったが。

「じゃあ、おやすみなさい」
日付が変わる少し前に哀は辞去した。ふたりだけに戻っても、新一には幾ばくの気まずさも残っていなかった。
快斗は裏表がなく、新一に気遣うこともなければ逆に気遣わせることもなくて。一緒にいることが全く苦痛ではない。何より、自分よりも人好みの激しい哀があっさりと受け入れているからこその、安心感もあった。
でも、だからといって同じベッドで寝るなど誰が予想していただろうか。

「しょうがないじゃん。突然だったから、部屋の用意もできてないし。使えるベッドは一つだけなんだからさ」

新一が日常を取り戻したのは一週間前。
長い間使っていなかったこのだだっ広い家を隅々まで手入れしているはずがない。博士や哀に手伝ってもらって、必要最低限のところしか掃除はしなかった。
昼間のちょっとした昼寝ならともかく、冬の寒い夜にソファーで寝ろなんて新一には言えない。けれど、誰かと眠ることなど無理に決まっている。

「ま、いいからいいから」

何がいいのか、新一がぐるぐる悩んでいるのを他所にさっさとベッドの中に連れ込んで。
寝る気はないから本を読む、と言うことさえできずに電気を消され。我に返ったときには、腕の中に抱き込まれていて。
人肌のぬくもりが気持ちいいなんて思いながら、至極あっさりと眠りに落ちていった。


まったくもって信じられないことに、新一は目の前で微笑むオトコと一緒に眠ったのだ。
しかも、途中で目を覚ますことなく今の今までぐっすりと。それはそれは、心地いい深い眠りだった。
だからこそ、目覚めも実にスッキリとしているのだろうけれど。

「ほら、新一。急がないと、学校に遅れるよ」
ご飯も冷めてしまうし、早く顔を洗っておいで。

にっこりと笑って快斗が部屋を出て行った後には。
きちんとプレスされた洗い立てのシャツと、しわ伸ばしされた制服が出されていた。
サイドテーブルには、空っぽの胃のためにミルク入りのコーヒーが湯気をたてている。

「…3日で慣れるなんて言ったけど……」

新一は、たった一晩で快斗に馴染んでしまっている自分を知った。





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02.04.20

 

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