もしかして、彼じゃないかと思った。
けれど、求めてやまない心が彼を重ねて見ているだけ、とも思った。
気が付けば、いつもそこに座っていて。
何をするでもなくぼんやりとしているヒト。
おおよそ決まった時間、制服を着ていたから学校帰りの息抜き。きっとそんなところだろう。
それでも、足の運びとか髪をかきあげる仕草とか。無駄のない身のこなし、去り行く背中に、どうしても彼を重ねてしまう。
だから、何度否定を繰り返しても。
もしかしたら、彼じゃないかと思っていた。
whiteday ballade 〜addition
「ちょっと、工藤くん。これは一体なんなの?」
少し目を離しただけなのに、あまりの部屋のちらかりように志保は呆気にとられた。だが当の本人は意に介さず、クローゼットの中身をそこら中に放り出している真っ最中。
「工藤くん!」
「え?」
声を高めて呼ぶと、ようやく新一は振り返る。そして、志保の姿を見つけると駆け寄ってきた。
「私は大人しく寝ているようにって言わなかったかしら?」
「そんなことより!宮野、アレ知らないか!」
「あれ?あれってなに?言葉が足りないわよ」
「アレって…だから、その…アレ…だよ…」
詰め寄ってきたくせに、だんだん声は小さくなっていき視線は反らされる。言いにくそうな様子に、志保は見当がついた。
「ああ、あのダウンジャケットね。あなたが大事に扱っていた」
「やっぱり!知ってるんだな、どこにあるんだよ!」
「どこにもないわよ」
「ない…って…なんで…」
うろたえる新一の表情を面白そうに見やりながら、志保は言葉を続ける。
「しょうがないでしょ。必要だったんだから」
「どうしてお前に必要なんだよ!返せよ!」
「だからもうここにはないの。ないものは返せないわ」
「宮野っ!」
必死な様子に、つい笑ってしまう。何かに執着したことがなくやや厭世的な感もあった新一だけに、志保は生気に溢れた今の姿が好きだった。
「そう興奮しないで。彼に会うには、ちょうどいい口実だったから」
「か…れって…まさか、会ったのか?なんで…わかった…?」
「わからないはずないでしょう。あなたが見ず知らずのヒトとなんかと一緒にいるはずがないじゃない。それに、体を支えられていても嫌がってなかったし」
志保が言っているのは一週間前のこと。病院から抜け出して帰ってきたところに、連絡が届いていた志保が門のところで待ち構えていた。
でも、まさか気付かれていたなんて、新一は思ってもなかった。
「彼、制服着てたから、あなたと同じくすぐに身元は調べられたわ。学校の情報管理は甘いから」
「……それで?」
「それでって?」
「はぐらかすなよ!」
こうも感情が露な新一は、珍しいどころではない。心のなかに住まわせている人物の影響の大きさに感謝しつつ、これ以上焦らすのはやめにする。
「なら、大人しくベッドに入りなさい」
「……入った」
すねたようにムクれて横たわった新一の、ベッドサイドの椅子に座る。そして、預かってきたものを差し出した。
「こ…れ…?」
「渡せばわかるって言ったわ。証拠、だともね」
「証拠?」
「ええ」
受け取ったのは、元は白かったハンカチ。自分の持物だった覚えのあるもの。
あの夜、怪我を負った怪盗の左肩に巻いた、モノ。
「工藤くん。どうして私が彼に会いに行ったかわかる?」
しっかりとハンカチを握り締めて、見つめている新一。聞いているのかどうかはわからなかったが、志保は続けた。
「今日はね。あれから一ヶ月、ホワイトデーなのよ。つまり、奥ゆかしいあなたの代わりに、お返しの請求に行ってきたのよ」
まだ退院したくはなかった。
だが突然、病院に押しかけてきたマスコミ連中のせいで、出て行かざるを得なくなった。
あまりの騒がしさにナースコールが頻発して鳴らされ、喧騒が伝染するかのように院内は混乱していった。
元通りに静かになるならそれにこしたことはなく。自分のささやかな楽しみを優先できるはずがなくて。
ささやかな楽しみ。
それは、彼を見ていられること。
"彼"だったらいいと願いつづけて。顔をあげてこちらを見てくれさえしたら、わかると思いつづけて。
マスコミから隠れるように病院から出る時、彼がいたあの場所に行こうと決めた。いつも訪れる昼過ぎまで待っていようと。
だから驚いた。
まさか彼がいるなんて思ってもいなかったから。
助け起こすために、伸ばされた手。
触れられた瞬間、確信に変わった。
顔を見なくても、やわらかな光を放つ瞳を見なくても。間違いなく"彼"なのだとわかった。
ちょっとだけ、期待した。
わざわざこんな寂れた公園にいたのは、見舞いにきてくれていたのではないかと。
名前を呼んでくれたから。
どうして知っているのかと聞けば、それとなく"彼"であることを匂わせてくれないかと思ったけれど。
ダウンジャケットの下の制服は、ここから意外とちかいところにある高校。
やはり、偶然にすぎない巡り合わせか。
それでも、探偵である自分に嫌悪することなく、何も言わずに送ってくれた。体はきつくて苦しかったけど、支えてくれる手は心地よくて。彼のやさしさにいつまでも浸っていたかった。
つかの間の、幸せな時間。
彼が残していったダウンジャケット。
その姿を垣間見れなくなっても、心を満たしてくれる。
返したくはなかった。ずっと手元に置いておきたかった。
今、ダウンジャケットはハンカチに代わった。
宮野は先月のお返しだなんて言ったけど。この心は何も彼には伝わっていない。
伝えられてはいない。
コトは全て上手く運べたけれど。
とても許せなかった。
あの日は、直前になって怪盗から予告が出されていることを知った。
難解な予告状を全部解読することができなくて、頼みの綱のように要請された。
きっと傷が癒えたからこそ仕事をするのだろうと思うと、ほっとした。
嬉しくて、彼の元気な姿を少しでも見れれば、それでよかった。
だけど。
「工藤くん!今夜、一緒にKIDを捕まえませんか?」
上機嫌な顔で捕まえると言い切った男に不快感を得る。無視するわけにはいかなかったから、当り障りのないように断りを入れようとして。
「あのですね!この間、僕はギリギリまでヤツを追い詰めたのですよ!肩と腹を打ち抜いてやったら、見事にまっさかさまに落ちていって!そりゃあ見モノでしたよ!」
殴られたような衝撃。
全身の血が、一瞬のうちに滾っていく。
「ああ!工藤くんにお見せしたかった!まあ、あんな犯罪者にムキになるのもどうかと思うのですが、僕の経歴を飾るのに不足はない相手ですからね!この前はそれなりに手加減したせいで逃げられましたが、今日はそんな生易しいことはしません!」
思い出す。
あの時の、彼の苦し気な顔、息遣い。
白い衣装を真っ赤に染めて、意識を失っていた姿。
犯罪者であろうと人を傷つけ命を奪おうとする、この傲慢さ。
彼は自分の信念だけを支えに、たったひとりで巨悪と闘っているのに。
下らない経歴のためだけに、彼を苦しめたなんて。
絶対に許せなかった。
それに、これ以上小賢しく彼の周りをうろつくのだってさせはしない。
戦いを激化させていっている彼の邪魔は何があってもさせない。
もう、彼に危害を加えさせはしない。
コマは簡単に動いてくれた。
中森警部に迷惑がかかるから。
そう言うと、一々、警部へと許可をもらいにいって。拒否されるのをわかっていた確信犯は、総監の息子の立場を自慢するように見せ付けた。
親の権力を傘に着て、現場の責任者に無理を押し通した。
「警部に申し訳ないから帰る」
乗り気でないことを告げると、強引に車に押し込んだ。
自己中心的で身勝手きわまりない行動であるのは、誰が見ても明らか。
「何かあれば僕が責任をとります!」
あくまで食い下がらない中森警部に断言までした。これで、警部に迷惑がかかることはない。
総監の息子だからと諂う刑事。この前、彼を撃った銃の持ち主。
その銃の照準を少しずらせば細工は終わり。
これで、愚劣な刑事もヤツと一蓮托生。
後は、計算した弾の軌道にいればいい。
真相に気付いたのは一人だけ。
その一人は、ご丁寧に週刊誌に情報を流すことまでしてくれた。
「どうしてだ?別にここまでしなくても、現場に出入り禁止になったんだからそれで…」
週刊誌には、ずいぶん事実とは異なることが書かれていた。
同じ学生探偵同士、その能力に嫉妬したゆえに事故に見せかけて殺害を目論んだ。怪盗の暗号を解くことが出来ず、一方あっさりと解読できた者に並々ならぬ殺意を抱いたとまで。
脚色を付けてくれた彼女は、冷たく笑う。
「まあね。正体不明の怪盗とあなたを撃つのとではまるで違う。親の権力を勝手に行使して刑事の銃を撃った挙句に、警察の救世主とまで言わしめたあなたに大怪我を負わせたのですものね。いくら親が総監でも、警察内部の非難を押さえることはできない」
結果、二度と怪盗の現場に足を踏み入れることはできなくなった。
それが狙いだったのだから、一件落着のはずなのに。
「アイツ、外国に行ってしまったんだぜ?こんなことをしても何もならないだろ」
「一月足らずでほとぼりが冷めたなんて甘いことを考えていたとしても?」
「どうしてそんなこと知ってんだ?」
「手紙、きてたじゃない。あなたは読まずに捨ててたけれど」
三日に一度はきていた手紙は、常にゴミ箱へ直行。
どうせオレではなく、怪盗を撃つつもりだった。こんなはずではなかった。そんなことが書かれているだけのもの。
「退院する折には必ず帰国してお迎えに参ります――ですって。まったく冗談じゃないわ。自分のしでかしたことをまるで理解できていない上に、あなたに付きまとうなんてね。私は、二度と日本に戻ってきてもらいたくなかったの」
微笑む彼女に感謝した。
探偵はまず何においても信用第一だ。
華々しく飾りたがった経歴は地に落ちたも同然。事実であろうとなかろうと、一度ついたマイナスイメージはとれない。
彼を傷つけたヤツに対して憐憫もわかない。
ようやく溜飲がさがった。
これから、彼はどうするのだろうか。
そして、自分はどうすればいいのだろうか。
漆黒の闇は、先の見えない未来と同じ。
新月の夜は嫌い。
彼を思わせる月のない闇の世界だから。
天に太陽がなければ凍えてしまうように。月がなければ、心は冷え切ってしまう。
だが、今日は違う。
ぼんやりと手のなかに浮かぶ布キレ。キレイに洗われて、プレスもされていて。どんなに彼が、大事に持っていてくれたかがわかる。
それが嬉しい。
「捨てずに…持っていてくれたんだ…」
探偵が勝手に巻いたハンカチを。血で染まっていて、もう使い物にならなかったのに。
「証拠、か」
彼が何を考えているのかはわからない。
それでも、怪盗である正体も含めた彼自身を自分の手にゆだねてくれたとも言えること。
大切な信念をもって闘っているのに、探偵であるこの自分に。
少しだけ、彼との距離が縮まった夜。
予想もしてなかった喜びのせいで、どうにも眠れそうになかった。
end
02.03.26
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Fools' serenade
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