いま、ひとり /scene.4
「おはよう、工藤くん」
「おはよう」
もうブランチといった時間になって来た新一に、哀はソファーから立ち上がるとキッチンへと向かった。
ほどなく、トレーに器をのせて戻ってくる。
ゼリー状の栄養補給剤であった当初に比べれば、今はずい分人並みな食事といえるものが目の前に並ぶ。
「少しずつ固形物に変えていくから。来月になれば、もう以前のような食事も大丈夫よ」
「そ…か」
素っ気ない口調のなかにも、労わりを感じる。
哀は、取り立てて何を言うでも聞くでもないから、こうして肌で伝わる感情が新一にはひどく心地良い。
「灰原、学校は?」
「昨日は父兄参観日だったから、振り替え」
「ふうん…あ、オレ、学校やめたから」
「そう」
一応、報告はしとかなければいけないから告げたことに、哀は頷いて返しただけ。
どうしてやめたのかなんて、聞かなくても哀は知っているのだ。表面上はそんなことを露とも見せずに、素っ気ない態度でいてくれる。
哀は新一のことをよくわかっている。
だから、どんなに心配をしていても顕わにしないし、なんの期待も望みもしなかった。
新一にとって、期待されることは常であった。
頭脳明晰な父と、稀なる美貌を誇る母。
その2人の間に生まれた一粒種に期待がむけられないはずがなくて、幸か不幸か新一はその全てに応えられた。
「あの2人の子ども」から「新一だから」できると認識が移り変わっていく。それは「もしかしたらあの2人の子どもだからできるだろう」という半ば希望を含んでいたものから、「やっぱりあの2人の子どもである新一だから」という必然的な結果を望むものへの変貌だった。
できて当然、できないはずがない。
一番身近にいた、幼馴染にとっては一種のヒーローみたいなものだったのだろう。
新一は、どんな我侭にも応えてくれる、勉強もスポーツもできて、みんなを引っ張っていく統率的な存在。
「今度の試合応援に行くから頑張ってよ!ハットトリックくらい決めてね。新一なら簡単でしょ」
「どうして断ったの?あんなにサッカー好きなくせに!新一がでないから初戦敗退しちゃったのよ!」
「今度の日曜日、トロピカルランドに付き合ってよ。あの時の仕切りなおしなんだから断るなんて許さないわよ」
「…なんでダメなの?なんか新一、冷たくなっちゃったね」
望まれても、それを叶えられない。
新一にとって、幼馴染に心配を掛けること以上に、裏切られたような目で見つめられることに耐えられなかった。
クラスメイトたちも、新一が探偵業を優先していると思っていたから何も言わなかったが、見つめてくる目は雄弁だった。新一と同じクラスだという誇りから、新一が率先してクラスをまとめていくことを望み。クラスマッチや学校行事で華々しい新一の活躍に胸を膨らませて。
期待され、それに応えることが常だった新一にとって、そんな現状は苦しいだけのものでしかなくて。
それが、学校をやめた最大の理由だった。
いつしか、期待に応えることで自分の価値を見出していた。期待されて、それに応えられなければ、存在することを許されないような、そんな風に。
ガタガタの躯。
ボロボロの精神。
けれど、厭世的になることも自身を見失うことも新一はなかった。
「工藤くん、お茶」
「ん…」
ただ黙って、同じ空気を吸ってくれる哀。
「おお、新一来とったのか!見ておくれ、新発明じゃ!」
「あら、博士。ソレ、昨日と同じく爆発するんじゃないの?」
大らかでやさしくつつみこんでくれる博士。
2人はそこにいてくれるだけで、新一の心を支えてくれる。
そして、華やかで完璧な紳士と謳われ賛美されていたのに、そんなことは歯牙にも掛けずに己を曝け出したオトコの存在…。
01.09.24
≫scene.5
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