いま、ひとり /scene.5 











夜は好き。
己のウソを剥がしてしまいそうな、強い日の光がないから。
そして、独りの時間をくれるから。
誰も騙さなくていい時間。
闇に溶け込んでいれば、自分自身さえ消していられる。

痛みを感じてはダメ。
疲れてはダメ。
苦しんではダメ。

ただ、ひたすら前だけを見つめて、何をも恐れずに立ち向かうこと。

昔から、自分が望まれている姿。

だから、息が詰まりそうなほど苦しくても、立っていられないくらい疲れても、狂ってしまいそうな苦しみを抱えても。絶対に認めてはいけない。
認めてしまえば、最後。
砂上の楼閣が崩れていくように、もはや自己を保てなくなるだろう。

そんなものは誰も望んではいないのだから。
誰も、自分だとは認めてくれないのだから。



息を潜めて、じっとしている。
闇に紛れてしまえば、どんなカオをしていたってわかりはしない。咎められない。
夜の大気に意識を拡散させれば、苦痛に満ちた躯も心も感じないですむ。
たとえ一時凌ぎに過ぎなくても、明日一日、進む力は得られた。


夜が好きなのは、もう一つ理由があった。
ナマエを呼んでくれたヒトの気配に近いからだ。
たった一言で、心があんなにあたたかくなることはなかった。
仕事をしない限り会えない。でも、仕事をした時にだって会えるとは限らない。ナマエを呼んでもらえるとも限らない。
だから、そのヒトに一番近いところにいられる時間が好きだった。



けれど、独りの夜は唐突に終わりを告げた。







「なーんだ、先客ありか」

夜に似つかわしくない、明るい声。
家人の目を盗んで抜け出して来た身としては、騒ぎになる前に逃出すべき事態。だけど。
警戒もせずに、ぼんやりと近付いてくるヒトを見ていた。

白い影。
月明かりに煌めく単眼鏡。
風をはらんだマントが、軌跡を示す。

「名探偵も、夜の散歩ですか?」
音もなく傍らに傅いて、優雅に礼をする。
「キ…ッド…?」
「そうですよ。間違いなく、名探偵の御前に」
手をとられて、そこにおちてくる怪盗の唇。
いつもと変わらない、けれどどこかが違う怪盗に戸惑わずにはいられない。
神出鬼没の怪盗だから、ここにいることも不思議はない。だからこそ、もしかしたら出てこないかとさえ夢見ていたのだから、嬉しさこそあれ何を思うことがあるのか、と。
視線と同様にぐるぐる回っていたアタマは、ふと数瞬前の怪盗のコトバに行き当たる。


気のせい…


だが、静けさを突き破ったのも、怪盗を認識したのもそのコトバ。
紳士に似つかわしくないものでも、現実感は確かにあった。

目の前の怪盗は、ニッと笑う。

「ここってさ、名探偵がよく来るから。もしかしたらって思って来たんだぜ。そしたらいるじゃん。オレがどんなに嬉しいかわかる?」


月下の魔術師と異名を取り、怪盗紳士として完璧なる姿を見せるオトコの豹変に唖然とする。それでもこれからの驚きに比べれば些細なこと。








名前を名乗って、素顔を見せて。
そして怪盗は、頻繁に訪れるようになった。


「軋轢なんていつも感じてるよ。夜と昼の自分に、周りの人たちに。でも騙していることに罪の意識はないぜ。だって、罪悪感を感じるなら最初っから怪盗なんて道は選ばなかった。他人にとっては罪でも、オレには正しいことなんだから。それに、それしか道がないのに誰に責めらなければならないってんだ?」


まるで自分のことのよう。そして、偽りの姿を正面から受けとめてもらえた気がした。


「でも疲れる。犯罪者として一括りにされるのは当たり前だけど、何時その闇に飲まれるかなんて考えてさー。飲まれるくらいならいっそのこと、突きつけられた銃口にそのまま朽ち果てるのもいいかなぁなんて思ったりもする」


かりそめの安楽を求めたこと。情けなくて、許せなかった。けど、この怪盗ですら思うことなのだ…。


「逃げてるって?ま、思うくらいなら許されるでしょ。実際、どうしようもないくらいに身動き取れなくなって、身を震わせてたりしてるけど。でも、オレは立ち向かうことをやめてないし、こうして名探偵の前にいる」


まっすぐに瞳を見詰めてくる怪盗は、とてもやさしい面差しだった。
辛いことも、苦しいことも。自分の弱いことすら認めているのに、どうしてこんなに力強さしか感じないのか。


「みっともないかもしれないけど、悩めるのはちゃんと生きてるってことなんだぜ。人に言われた通りにハイハイいってりゃ必要もないけどさ。自分の足で立ってれば、苦しさも痛みも当然感じるし疲れもする。後ろを振り返って、これでいいのかって考える。先に進めなくなることも。でも、他人にどんなに思われたって認めてもらえなくたって、文句は言わせない。だって、オレの生き方だから。この生はオレ自身のものだから」


胸のシコリが、すっと消えていく。
己のことを話した怪盗に、自分自身を重ねてしまって。心が軽くなって、痛みも苦しさも愛しくなった。

でも、まだまだこの怪盗にそんな自分を曝すことはできなくて、つい悪態をついた。
そしたら。


「傷の舐め合いなんかしたくない?何いってんの、名探偵。そりゃ愚痴を聞いてもらったし、弱音も吐かせてもらったけど……仮にもこのオレが、怪盗がそんなことのために名探偵のところに来るなんて思ってるワケ?」


「甘えにきてんだよ」


は?


真っ白になったアタマに、さらに怪盗は追い討ちをかける。



「好きなコに、自分を知ってもらいたいからさ。そして、優しくしてもらいたいんだよ。もちろん、名探偵だって思いっきりオレに甘えてくれていいんだぜ。オレの胸は名探偵限定、広さもあたたかさも無限大だから」




好きになるのに時間はいらなかった。
だって、すでに好きだったのだから。



微笑む怪盗に、自分の心を気付かされた。






01.09.25  
scene.6  

 


  
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