いま、ひとり /scene.6
完璧だと賛美されていた怪盗は、なんの躊躇もなく新一に自分自身を曝した。
己の抱えている不安、苦しみ、痛みの全てを。
「誰だって同じ。生きている以上は感じるものだ」
「それで幻滅したなんて言われても、勝手に理想をもつ方が愚かなだけ」
コトバの鋭さとは裏腹に、怪盗の瞳はやさしく新一を見ていて。
新一自身を映していた。
怪盗は全てを知っていた。
新一の抱く痛みも苦しみも疲れも。それが何に起因するのかも。
だから、自分の弱さを吐露しているようでいて、実際は新一の心の代弁をしていたのだ。
「名探偵」
その名を呼ぶことで、見失いそうになる自分を思い出させてくれた。
他人に期待されてそれに応えることでしか己の存在価値ををみいだせなかったけれど。
新一は、怪盗にそう呼ばれることで初めて自分の中に誇れるものを持った。誰の意見に左右されることなく、自分の力だけで示すことのできる存在価値を。
そうやって、やさしい夜を過ごすことで偽りの日々を乗り切れた。
元の姿に戻るための闘う力だって、怪盗がくれたもの。
そして、今も。
怪盗と出逢う前ならば、新一はもう立つことも出来ずに空っぽになっていくだけだっただろう。
けれど、怪盗のやわらかな瞳に気付いて。そして、同じ瞳を持つ人たちに気付かされて。
彼と過ごしたやさしい記憶が、新一を支えてくれていた。
日差しが強烈なものへと変化した季節。
回復してきたといっても、新一の体に暑さはとりわけ堪える。
哀の助言に従い、警察からの要請は体力的に問題がありそうなときは受けないようにしていた。探偵の仕事に誇りをもっているからこそ、現場で倒れるような羽目に陥りたくなかったから。
ゆっくりと流れる時間に身を任せる。
雑音も喧騒もない静かな空間。
疲れた心と躯を癒していく。
裏庭に面した、この屋敷では比較的こじんまりとした部屋で新一は一日のほとんどを過ごす。
北側にあるために日当たりが悪く、使い勝手のない部屋であったが、できるだけ冷房に当たらないにこさない体にはとても過ごしやすいところだった。
庭に出るテラスの部分には藤棚があってアイビーも繁っているために暑さをずい分と和らげており、木々の陰もその助けになっていた。
麻張りのソファーに横たわってうつらうつらしていると、誰かの話す声が聞こえてくる。眠りに沈み込みそうになっていた意識は、ぼんやりと浮上しはじめる。
今日は大暑。二十四節季ではもっとも暑気が激しい日である。実際、日差しはきつくて、新一はこの部屋から出たくないほどだ。
こんな日に元気なのは子どもたちくらいのもの。
(…そう…か……もう…夏休み……)
昼時より少し前。学校が夏期休暇に入れば、子どもは朝から遊ぶだけだ。
にぎやかな気配に当たりをつけると、新一は再び眠りのなかに入っていこうとした。
しかし。
「なんや!おるやんか!」
心地良い空間を打ち破った声に、ギョッとして飛び起きる。
開け放っているガラス扉から進入してくる、黒い人影。
「久しぶりやな、工藤」
強烈な陽光と、途切れた穏やかな時間と。熱気の増した空間と、目の前の男と。
そして、突然強要された目覚めに、新一はひどい眩暈を感じた。
01.09.28
≫scene.7
|